企業研修の人材育成社

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はっきりしない対応が生産性を下げている

2018年05月30日 | コンサルティング

Aさん:「○○さんはいらっしゃいますでしょうか?」

Bさん:「確認します」・・・(20~30秒後) 「あいにく留守にしております」

Aさん:「会社に戻られるのは何時ころでしょうか?」

Bさん:「たぶん来週くらいです」

Aさん:・・・

これは、先日弊社が担当させていただいた営業研修の際に受講者から伺った、お客様(会社)と営業パーソン(女性)の電話のやりとりです。

彼女の話によると、既にお取引をいただいているお客様に先日新たなサービスの提案をした際に、「前向きに検討したい」として見積もりの依頼をされたため、すぐに送付したのだそうです。

後日、検討の状況を確認したいと思い何度か電話を入れたところ、冒頭のやりとりが繰り返されたため、何回目かの電話のときにようやく居留守を使われていることが分かったとのことでした。

もちろん、営業をしていれば多かれ少なかれ居留守を使われるような経験をすることはあります。しかし、それは一般的にはまだ取引がない会社に対して新規顧客開拓の電話をした際などにされることが多いです。

この対応を受け、彼女は「本当に留守なのだと思って、何度も電話をしてしまいました。まさか面識のある担当者に、そのような対応(居留守)をされるとは思っていませんでしたので。検討した結果で必要ないという結論に達したのであれば、そのように言ってもらえれば何度も電話をしたりしないのに・・・これでは私の時間をムダにしただけでなく、あちらの会社の電話に出てくれた人の時間もムダになっていますよね」と話していました。

働き方改革の一環で「仕事の生産性向上」の重要性が叫ばれるようになって久しいです。このケースのようにはっきり断られない結果、何度も電話をすることになる人がいて、同時にそれを受ける人がいるというようなやりとりは、仕事の生産性の向上を阻害していると言わざるを得ません。

日本中で一日にいったいどれくらいの営業パーソンとその顧客の間で、同様のやりとりがされているのでしょうか。これは仕事の生産性向上という観点からは決して看過できない事態だと感じます。

このようなやりとりが繰り返される背景に、はっきり断ることをあまり良しとしない日本独特の文化や風習があるだろうということは、もちろん承知しています。しかし、はっきりとした態度を示さないことによる弊害は前述の生産性向上の面だけでなく、結果として信用や信頼を失うことにもつながりかねません。

冒頭のケースでも、営業パーソンである彼女は信頼をしていた担当者(お客様)からのこのような対応をされたことによって、「私が営業パーソンだからこのような対応をしても良いと先方は考えたのかもしれません。しかし、ところ変われば私がお客様にもなり得るのに、この対応にはがっかりしてしまいました」と話していました。

この話を聞いて、思い出したあるやりとりがあります。

以前、私が新規顧客の開拓のために電話をしたある会社の担当者に、「こちらも情報交換の場は欲しいと思っています。ただ、折角いらしていただいても残念ながら当面はお取引にはつながりません。それをご理解くださるのであれば、ぜひいらしてください」と言われたのです。

実に潔い対応です。この簡潔明瞭な対応に促され、私はその会社に出かけました。実際にお会いして情報交換をさせていただきましたが、こちらにとっても非常に有意義な時間になり、「いつかお取引をいただけるように頑張ろう」と思いました。

この例から「断ることは決して失礼なことではなく、むしろはっきりとした対応をしないことこそが失礼であり、生産性向上の上でも問題であること。ただし、断るときは誠意をもって断ることが重要である」ということを学びました。

そして、これは営業パーソンと顧客の関係のみならず、上司と部下の間でももちろん同様なのです。

生産性の向上というと、つい大上段に構えてしまいがちですが、実はこうした身近なちょっとしたところにもきっかけはあり、まずはそこから始めてみるとよいのだと考えています。

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経営者は社員に「ビジョン」を示そう

2018年05月27日 | コンサルティング

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」これは吉田松陰の言葉です。この言葉を知る経営者の多くは「今の若い人には夢がない。だからすぐ挫ける。もっと大きな夢を持ちなさい」ということを口にします。

では、夢とはなんでしょうか。また、経営者の言う夢と企業のビジョンはどう違うのでしょうか。私の考えは次の通りです。

夢は好き勝手に口にできるもので、達成するための責任は一切ありません。一方、ビジョンは夢に向かって実行するべき計画であり、達成することは経営者の責任です。「ビジョンは崇高な理想でもなければ、鼓舞するための言葉でもない。実用的な手段なのである。」(出現する未来 、P. センゲ 著)という言葉もあります。

夢を語る経営者の方々に「では、ビジョンはありますか?」と聞くと、多くの場合はっきりとした答えは返ってきません。どうやらビジョンの重要性が認識されていないようです。

仮に夢が「業界ナンバーワンになる!」ならば、それに向かって「何をするのか」がビジョンです。

たとえばANAグループのビジョンは「お客様満足と価値創造で世界のリーディングエアライングループを目指す」です。「世界のリーディングエアライン」となるための手段として「お客様満足と価値創造」が示されています。

人材育成においてもビジョンは重要です。会社が掲げるビジョンが夢に繋がっていることが理解できれば、たとえ夢と現実に大きな距離があっても社員は安心して働くことができます。

経営学者の高橋先生(高橋伸夫・東京大学大学院経済学研究科教授)が「未来傾斜原理」※という説を唱えています。簡単に言うと「(人は)過去の実績や現在の損得勘定よりも、未来の実現への期待によりかかって現在の意思決定を行う」という考え方です。ビジョンとは、社員がよりかかることができる「将来への期待」なのです。

これを人材育成にあてはめれば、社員の多くはビジョンという将来に対する「見通し」があるからこそ、今知識やスキルを身に付けようとする、ということです。

「夢」ばかり語る経営者に社員はついていきません。かといって、目先の数字ばかり口にする経営者では社員が疲れ切ってしまいます。

夢と現実の架け橋がビジョンです。

経営者はビジョンを示しましょう。

当社はビジョンつくりのお手伝いもいたしますので、関心のある方はご連絡ください)

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未来傾斜原理―協調的な経営行動の進化 (Organizational anatomy ...

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研修カリキュラムor研修プログラム

2018年05月23日 | コンサルティング

「打ち合わせ内容に基づき、修正カリキュラムの提出をお願いします」

これは弊社が担当させていただく研修に関して、研修担当者と打ち合わせをした後に使われることの多いフレーズの一つです。

そうした際にいつも思うのは、研修の内容を表す表現は「研修カリキュラム」と「研修プログラム」のどちらが適切なのだろうかということです。

私は人材育成の仕事に就いて早25年が経過していますが、この点は幾度となく疑問を感じ、その都度調べている事柄なのです。

「カリキュラム」を辞書(広辞苑)で調べてみると、「教育課程、学校教育の内容・計画を発達段階や学習目的に応じて配列したもの」とあります。

一方の「プログラム」は、「番組、予定、計画、目録、計画表、コンピューターに対してどのような手順で仕事をすべきかを機械が解読できるよう、特別の言語などで指示するもの」とあります。

これからすると、「プログラム」の方が「カリキュラム」よりも言葉の意味する範囲が広いよと感じます。

その他にも、類似の言葉として「スケジュール」や「アジェンダ」もありますが、これらは研修に関しては使われることはあまりありません。

上記によれば、「カリキュラム」は教育課程や学校教育に限定されているようなニュアンスです。企業で行う研修は学校教育とは異なるわけですから、私としては「プログラム」の方がぴったりくるのではないかと考えています。

しかし、実際の研修現場では一般的に「カリキュラム」の方が「プログラム」に比べ軍配が上がっているために、言葉にするたび、また表記をするたび、受け手(受講者)にはどちらがしっくりくるのだろうかと考えてしまいます。

これ以外にも、インターネットなどで調べてみると、カリキュラムは「戦略」であり、プログラムは「戦術」という違いがあるという考え方もあるようですが、それではカリキュラムの方がより大きく、長期にわたる概念のように感じられるような気がします。

学校教育であればこの考え方でも良いのかもしれませんが、企業で行う研修には必ずしも当てはまらないように感じますので、私にはこの考えはどうもしっくりきません。

ちなみに、インターネットで「研修プログラム」を英語に変換してみたところ、「training program」と単独で出てきました。

同様に「研修カリキュラム」を変換してみると、「training curriculum」が単独には出てこずに、研修カリキュラムの部分一致の例文検索結果が出ます。

ということは、英語表記では「研修プログラム」が一般的ということなのかもしれません。

この「プログラム」と「カリキュラム」、弊社では創立以来「プログラム」を使用していました。

しかし、この1年くらいはお客様に応じて使い分けをしています。それは冒頭のようにお客様がカリキュラムを使われていたらカリキュラムを、プログラムを使われていたらプログラムを使うようにしています。

それにしても、なかなかに悩ましい両者ですが、皆さんにはどちらがしっくりとくるでしょうか。

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「メラビアンの法則」を誤用する講師にご注意を!

2018年05月20日 | コンサルティング

「メラビアンの法則」については、以前このブログでも書いたことがあります。今時この「法則」を誤用したまま仕事をしている研修講師などいるはずがないと思っていました。ところが先日、ある会社の人事部で研修を担当している方から「今年の新人研修で、講師がメラビアンの法則について解説していました」という言葉を聞き、私は「おや?」と思いました。そして「人は見た目が9割なんですね!大変役に立つ内容でした」と続けたので、思わずのけぞってしまいました。

ご存知の方も多いと思いますが、「メラビアンの法則」について簡単に紹介しておきます。

アメリカの心理学者アルバート・メラビアン博士がある実験を行いました。それは対人コミュニケーションにおけるインパクトの大きさを分析したものです。その結果は以下の通りでした。

・話の内容などの言語情報 7%
・口調や声の大きさ、話の早さなどの聴覚情報 38%
・見た目・態度などの視覚情報 55%

これがその「法則」です。まあ、ここまでは良いとして、この「法則」の間違った使い方が問題です。

不勉強な(というより無知な)研修講師はこの「法則」を使って次のような話をします。

「メラビアン博士によれば、話の内容が対面する相手に影響する割合はわずか7%とのことです。ほとんどの情報は言葉以外で伝わっているのです。特に55%を占める視覚情報は大事です。ですから、身振り手振り、ジェスチャー、声の強弱、抑揚のつけ方を練習しましょう。では練習です。はい、みなさんお互いに向き合いましょう。こんな感じで表情を作って、こうやって手を前に出して、普段よりちょっと低めの落ち着いた声で・・・」

これでは「言葉なんてほとんど伝わらないのだから、見た目や声を良くしましょう」と言っているようなものです。これが間違いであることは、すぐにわかると思います。メラビアン氏の実験は「視覚情報や聴覚情報が言語情報と矛盾したとき、言語情報のインパクトはほとんど失われてしまう」ということを述べているに過ぎません。

たとえば、あなたが上司から頼まれていた書類を仕上げて、上司が仕事をしている机の前に立ち、その書類を手渡したとします。そして、あなたが作った書類にざっと目を通した上司が頭を抱えて(視覚)、悲しげな声で(聴覚)、「君は本当に良い仕事をしてくれたねぇ・・・」(言語)と言ったとします。あなたはどう思いますか?

実はこうした「トンデモ・メラビアンの法則」は当初アメリカで発生し、80年代の末期に日本に渡ってきました。そして真っ先に「感染」したのが無知な研修講師でした。それから30年近くになろうというのにいまだに研修で使っている講師がいようとは・・・。

私はメラビアン氏の「7%-38%-55%」について書かれた書籍および原著論文のコピーを持っています(画像はその一部です)。もし皆さんのまわりで「メラビアンの法則」について誤った解釈をいまだに信じている方を見つけたらお知らせください。原著論文には著作権がありますので公開できませんが、ご興味のある方にはお見せいたします。

「メラビアンの法則」については、今後も機会があればこのブログで触れていくつもりです。したり顔で「法則」を話す悪質な研修講師を撲滅し、正しい知識に基づく良質な研修を世の中に広めてまいります。

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研修を嫌いだと思う理由

2018年05月16日 | コンサルティング

 「研修を嫌だと思うのはなぜですか?」

一般的に、会社から指名されて受ける研修の受講者の大半は「研修はあまり好きではない」、「できたら受講したくない」と思っていると言われます。

最近では、外部の研修講師が請け負って行う研修で「ただ聞いているだけの研修」はほぼないはずです。ですから、昼食後に眠気と闘わなくていけないような(面白くない)研修はもう過去の話です。

それにもかかわらず、研修というだけでアレルギー反応を示す人が多いのは一体なぜなのでしょうか。

私自身、以前からこの点を疑問に思っていましたので、最近では機会があれば「研修を好きになれない」理由を尋ねることにしています。

そこでは冒頭の質問をしているのですが、答えはほぼ2つに集約されます。1つ目は「グループディスカッションが苦手」、そして2つ目は「皆の前で発表するのが苦手」というものです。

1つ目については、研修の冒頭でグループディスカッションの進め方を伝えることなどによって、苦手意識をできる限り払しょくしていただけるように工夫することが可能です。

そこで、問題となるのは2つ目です。

発表することが苦手な人からは「私は発表が苦手なので、当てないでください」と言われることがよくあります。

また、インターバルを設けて複数回行う研修の際は「前回の研修のときに発表したので、今回は私はやらなくてもよいですか?」と事前に申告に来る人もいます。

しかし、それを認めてしまっては研修になりませんので、「それはできません」とやんわりと伝えています。

しかし、一方で「研修で大勢の前で発表することはとても苦手だと思っていました。そして今も苦手であることは変わりませんが、それでも思っていたよりは話すことができましたので、ちょっとだけ自信が持てました」という人が少なからずいることも事実なのです。

実は、私が昨日と今日担当させていただいたある研修で、事前課題に「普段の仕事では発表する機会がほとんどないので、この研修ではそれを学びたい」と記入していた受講者がいました。その人が(事前課題にそう書いていたからではないでしょうが)、偶然にも本日の研修で発表を担当することになりました。

その受講者は「うまく話せなかったとは思いますが、自分が発表するときの課題がわかりました。私は発表のときに状況にうまく対応することができないことがわかりました。それを経験できて良かったです」と研修終了後に晴れ晴れとした表情で話してくれました。

たとえすぐにはうまくできなかったとしても、そうした経験を重ねることによって問題点が見つかり、やがてうまくできるようになる。そしてそれが自信になっていく。

改めて言うまでもないことですが、経験は決して無駄にはならないということです。研修時に思い切って発表を買って出てみませんか?

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理不尽な新人研修を行う会社に就職してはいけない

2018年05月13日 | コンサルティング

最初に結論を言ってしまいますが、理不尽な研修がなくなることはありません。「理不尽、ブラック、スパルタ式」研修といえば、あの「富士山のふもとに幽閉されるブラックな」研修会社が有名です。研修の内容(ごく一部)は次のようなものです。

朝のラジオ体操。全員が真面目で気合いの入った体操ができるまで終わらない。「何事においても本気で挑む」という精神を学ばせる。昼、チーム対抗40Kmウォーキング。目的達成のために何をすべきかを学ぶ。午後、作文を書かせて、制限時間内に終わらない場合は作文用紙が破り捨てられる。納期厳守を学ぶ。夜、長文を暗記。限界まで大きな声を出しながら暗記する。「限界」と見なされなければ怒鳴りつけられる。翌日は「断食の日」。当たり前にできていたことができなくなった時の辛さを経験させる。

こうした研修を好む経営者が世の中には少数ですが存在します。ちょうど「ゲテモノ料理」を好む人たちがいるように。したがって、こうした「ゲテモノ食材を出す店も無くならないのです。

「スパルタ式・ゲテモノ研修」の弊害については、今更解説する気も起きませんので止めておきます。私は20年近く大学で非常勤講師をしていますが、具体的な社名を挙げて「この手の研修を採用している会社には絶対に行かないように」と指導しています。もっとも、理系の大学院生が受けるような会社はほとんどありませんが。

「スパルタ式・ゲテモノ研修」が一部の経営者にうける理由のひとつに、新入社員の離職率の「高さ」があります。つまり、「ゆとり世代」は厳しくしつけられていないからすぐに辞めるのだ、という理屈です。「ゆとり世代は根性が無い」、「ゆとり世代はすぐ辞める」と口にする経営者は意外と多いのです。

「ゆとり」はすぐ辞める。その証拠(エビデンス)を求めて調べてみました。厚生労働省が発表した「新規学卒者の離職状況 」※を見ると「ゆとり教育」を受けた大卒就職者の入社3年以内の離職率は、それ以前と比べるとむしろ若干減少しています。

長らく学生に接してきた人間として感想を言えば、「ゆとり世代」の学生の真面目さと学力は、現在の40代、50代の管理職層よりも間違いなく上です。「ゆとり世代」の欠点があるとすれば、そうしたダメな管理職層の人々にむやみに従順なことです。ブラックな研修は、ダメな管理職にこそ有効な気がします。

さて、「ゆとり世代」をさんざんこき下ろす某社の経営者に「ゆとり以前の新人は、やはり今とは違っていたのですか?」と質問したところ、「知らない」という答えが返ってきました。

この会社の離職者が多い理由がわかりますね。

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残業時間の上限規制による課題は金銭面だけではない

2018年05月09日 | コンサルティング

「1か月の残業は17時間以内というのが厳格なルールでした。残業ができないので、就業時間中は必死に仕事をしました。昼食も慌てて食べて、食べ終わってすぐに仕事をしていました。当然、仕事量は変わらないので簡単には終わらないんです。でも、残業をさせてもらえない。パソコンのログもとられていたので、こっそり仕事をすることもできなかった。その結果、いつも仕事が不完全な状態になってしまうのが嫌になってしまい、結局退職しました」

これは先日、ある企業の研修担当のA氏から伺った言葉です。A氏は今の会社に入って3年目に入ったそうですが、前の会社からの転職理由をこのように話してくれました。

いよいよ国会で残業時間の上限規制を盛り込んだ働き方改革に関する法案の審議が始まりました。報道によれば今回の法案は、「労働組合との合意があったとしても、守らなければならない上限規制を罰則付きで担保した」とのことです。

これは長時間労働が蔓延している企業に対する拘束力としては、非常に喜ばしいことではあります。

しかし、一方で長時間労働を是正するためとは言え、残業時間を〇〇時間以内というように一律にルール化してしまうと、人によっては仕事へのモチベーションが下がってしまうことが起こりえます。

現に、冒頭のA氏が勤めていた会社では40人弱いた同期の半分が5年以内に転職したとのことでした。(もちろん、全員の退職理由がA氏と同じとは限りませんが。)

残業時間に上限規制を設けることに伴う弊害について語られる場合、一般的には残業手当が減るなど金銭面に焦点を当てられることが多いです。しかし、弊害はそれだけでないということです。

たとえば自分で満足・納得がいくまでに仕事が終わっていないのに帰らなければならない、もっと仕事を通して知識やスキルを身に付けたいのに帰らなければならないなどの不満によって、仕事へのモチベーションが低下してしまうという弊害もあり得るわけです。

そして、これはある意味「ワーク・ライフ・バランス」が崩れている状態だとも言えます。ワーク・ライフ・バランスというと「労働時間の短縮が目的、仕事中心から脱却しないといけない、プライベートの時間を大切にすること」だけだと考えている人がいます。しかし、本来の「バランス」という考え方からは、ワークとライフのバランスが問題であり、人によってはワーク(仕事)に力点をおいているというのも、それはそれで一つのバランスということです。(もちろん、それが極端に偏ってしまうというのでは、バランスが取れていないということになってしまいますが。)

長時間労働の是正にはメリットがたくさんあるわけですから、もちろん歓迎すべきことです。しかし、仕事量が変わらないのに、労働時間の削減だけを目的にしてしまうことによる弊害もある、残業代減少による金銭面の問題だけではないということもきちんと認識しなければ、それこそバランスを欠いてしまいかねないのではないでしょうか。

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人財の価値を測る

2018年05月06日 | コンサルティング

当社は人財ではなく人材を社名に使っています。「じんざい」には4つあり、一番優れているのが人財、すなわち会社の宝のような人、次が人材でごく普通に仕事をこなす人、その次の人在はいるだけで役に立っていない人、最後の人罪は会社に損失をもたらす罪な人、といった「分類」が知られています。

当社の社名を、会社の宝を育てる「人財育成社」としたらどうかと言われたことがあります。しかし、何度かブログでも書いていますが、当社は人を「財」として考えることはしません。

財とは金銭的な価値を意味しています。財務諸表はまさに会社の財産を表わす書類です。財務諸表のひとつであり、最も重要な書類である貸借対照表(バランスシート)を見てみましょう。貸借対照表の借方(左側)は会社が所有している資産、つまり財産のリストになっています。一番上には現金・預金があり、下に行くにしたがって棚卸資産、固定資産などとなっています。

言うまでもありませんがそこに「人財」はありません。なぜなら人は会社の所有物ではないからです。「貸借対照表になくても優秀な人材は会社の財産である」という考え方もありますが、どうもピンときません。まあ、一種の簿外資産(ちょっと粉飾のにおいがします)なのかもしれません。

さて、ここで思考実験をしてみます。人を資産として計上しても良いとしましょう。「それは奴隷ではないか」とおっしゃるかもしれません。奴隷はさすがにまずいので、たとえば社員を一定期間義務的な契約で縛ることが可能だとします。年俸1千万円で2年間働くことを義務付け、その間転職はできないといった契約です。もちろん憲法違反ですが、契約をするかしないかは自由とします。

こうした制度があれば、人を財として考えることが容易になります。先の例で言えば、年俸1千万円×2年=2千万円の契約をすることは、2千万円の設備投資をするのと同じことになります。毎月の給与は減価償却費のように費用化していきます。また、税金、社会保険については考えないことにします(経理担当者や税理士さんからツッコミが入ると思いますが、ご容赦ください)。

これで人は投資の対象となり、人的資産として貸借対照表に乗せることができます。その際、人財には2つのタイプを設定すると良いでしょう。ひとつは「プロジェクト」タイプの人財です。収益を確保することが目的の人財で、例えばセールス担当者のような「稼ぎ」がはっきりと見込める人です。もうひとつは「固定資産」タイプの人財です。建物や事務機器のように、直接収益を上げることはありませんが、企業活動に不可欠な人財です。

人財が「プロジェクト」タイプであれば、会社は契約する際、期間中にその人財がもたらすであろうキャッシュフローを予測します。どのように計算するかはファイナンス理論の領域ですので省きます(当社はファイナンス理論や設備投資の経済性の研修も行っていますので、ご興味のある方はご連絡ください)。

一般に、人財についての考え方は非常にあいまいで、いわゆる「仕事のできる人」を総称して言っているようです。しかし、財というからにはどのくらいの金銭的価値があるのか、経営者ならこの例のように計算するべきでしょう。

しかし、人の能力は測ることが困難です。1人の人間が会社を大きく変えることもあれば、つぶしてしまうこともあります。人を育てることはあらゆる可能性を含んだ仕事です。そして、人の育成は1つの小さな苗を1本の大きな木に育てるように、気の長い作業の積み重ねが必要です。

人材育成という表現の正しさを再認識した次第です。

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研修講師の正しい選び方(番外編)

2018年05月02日 | コンサルティング

 先日このブログの上級編(4月29日)では、研修は「講師と研修担当者が共同解決者として企業の問題解決に一緒に取り組むこと」とお伝えしました。

それでは、企業の問題や研修に関する情報は講師と研修担当者だけが共有していれば、それで良いことなのでしょうか。

通常、研修は研修担当者から受講者への挨拶からスタートすることが多いのですが、その内容は担当者により実に様々です。

研修の目的や実施に至った背景、受講者への期待などを熱く語る研修担当者がいらっしゃる一方で、「おはようございます。○○研修を開始します。講師は○○会社の○○さんです。それでは、○○講師よろしくお願いします」というように、非常に事務的な対応の担当者もいます。

このいずれが良いのかと言えば、私は前者の方と考えます。

研修を始める前に、一番大切な研修の目的や受講者に期待すること等について内部の人間である担当者から聞くのと、外部の人間である講師から聞かされるのとでは受講者への伝わり方は全く異なります。やはり研修担当者から直接受講者に伝えることに意味があるわけです。

本ブログでは、これまで5回(入門編から上級編)にわたり「研修講師の正しい選び方」をテーマに取り上げてきました。研修担当者が企業にとって最適な講師を選ぶことができて、講師と研修担当者の双方で研修の準備をどんなに丁寧に行ったとしても、当日に担当者が自ら研修の目的等をきちんと伝えるという肝心な部分をしなければ、研修の達成度には結果として大きな違いが出てしまいます。

それは少々きつい言葉で言えば、研修担当者としての役割を一部放棄していることにつながるくらいに大切なことだと私は考えています。

そして、このことは研修の開始時だけでなく、終了時にも同様のことが言えます。

研修の開始時に目的等を伝えていたとしても、研修の終了時にもう一度受講者に対して、研修の内容を実務で生かしてほしいということ、今後の活躍への期待を伝えなければ、研修の成果は半減してしまいます。

研修終了時の挨拶も事務的に、「それでは今日の研修はこれで終わりです。アンケートと名札は机の上においてお帰り下さい」だけでは、受講者にとっては研修をやりとげたという満足感や余韻も、ほとんど残らないのではないでしょうか。

私自身、外部の一研修講師としてお預かりした研修時間の中では最大限の成果が出るように精一杯務めています。研修担当者には研修前と終了時には、ぜひ担当者としての思いを直接受講者へ送っていただきたいということが、共同解決者としての願いです。

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