中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

「忙しくしている人の周りには、何か『問題』があるのか?」

2015年07月29日 | コンサルティング

「時間はウソをつかないし、時間の使い方でその人が見えてくる」

俳優で少年隊のメンバーでもある、東山紀之さんの言葉です。

2週間前に始まったテレビドラマ「刑事7人」に出演されていますが、このドラマでは事件は被害者と犯罪者の時間がクロスしたところで起きるということで、「時間」に焦点をあてています。

東山さん演じる天樹刑事は、時間のつじつまが合わないことを追求し、執着することによって事件を解明していきます。

東山さん自身も時間をとても大切にされていて、これまでに一度も遅刻したことがないとのことですし、自分に課したルールは徹底的に守るとのことで、腹筋を1日1,000回することを20年以上続けているそうです。

ところで、時間と言えば日本の労働生産性は諸外国と比較すると低いと言われています。2013年の日本の就業1時間当たり労働生産性は41.3ドル(4,272円)であり、OECD加盟34カ国の中では第20位。1位のノルウェー(87.0ドル/9,000円)には大きく水をあけられています。

因みに、財政危機に陥っているギリシャは35.5ドルで25位となっています。労働時間もギリシャ人は想像以上に長く、年間2,037時間で世界第2位です。一見あまり働いていないようなイメージがあるギリシャですが(失礼!)、実は結構長いことがわかります。

参考までに、労働時間が一番長いのはメキシコで、2,237時間。日本は1,735時間で16位です。

これらの数値からもわかるように、いつも忙しそうにしていて余裕のない人や、常に時間に追われているような人は一見頑張っているように見えますが、実はいわゆる「空回り」をしてしまっていて労働生産性は案外低いことがあり得ます。そして、そういう人には何かしら解決すべき問題が潜んでいるのかもしれません。

例えば、仕事の段取りをあらかじめきちんと行っていなかったり、途中で突発的な仕事に翻弄されてしまっていることも考えられます。また、事前に把握しておくべき情報が入手できていなかったりなどで、予定通り仕事が進まない人もいるかもしれません。

つまり、これらの問題が解決できれば、その人の労働生産性を改善できる可能性が高いです。まずは何が問題なのかはっきりした上で、その解決に向け問題の原因を探り、解決策を立案・計画し、具体的に取り組んでいくことが必要です。

忙しく働くことは一般的に悪いこととは捉えられにくいのですが、いつも忙しそうな人が周囲にいたら、ちょっと注意が必要かもしれません。

冒頭の東山さんについて言えば、時間の使い方が上手なことをはじめとして、「人生の生産性」はかなり高いと言えると思うのですが、いかがでしょうか。

(人材育成社)


「バタバタしていて・・・○○することができません」

2015年07月26日 | コンサルティング

公私を問わず、「バタバタしていて・・・」という言葉を頻繁に使う人がいます。

私の経験上、この「バタバタしていて」が使われる場合、最後は「○○ができない」という否定型で締めくくられるケースが多いと思っています。

そしてこの「バタバタしていて・・」、結局はその間、物事を先延ばしにしているだけで、必要な判断・決断ができないということが多いようにも感じます。

話は変わりますが、この間、2015年上半期輸入車のトップはメルセデス・ベンツとの報道がありました。そこで、メルセデス・ベンツ日本の上野金太郎社長の「なぜ、メルセデス・ベンツは選ばれるのか?」(サンマーク出版)を読みました。

そこでは、「部下に相談されたら、24時間ルールで答えるようにしている。言われてすぐやれば、忘れたり先延ばしにしたりせずにすんで一石二鳥。会社に24時間ルールを徹底とまではいかなくても、せめて48時間。丁寧でありながら、抜群に早い仕事の原理原則を共有したいと考えている」とありました。

メルセデス・ベンツ日本では、2011年3月11日の東日本大震災の時に、茨城県日立市にある新車整備工場が被災しましたが、週明けの14日には国土交通省に社長が自ら出かけ、整備地変更の許可を依頼し、愛知県豊橋市の工場でも整備をできる許可を得ることができたそうです。

後になって、国土交通省から「会社の代表の方が来てくださったからよかった。じかにいらしたのは御社くらいですが、問い合わせは殺到していますから」という状態だったという話を聞いたそうです。

私は、先週この日立の新車整備工場を訪問させていただく機会があり、整備をしている方から直接その時の話を伺いました。14日の週の半ばには豊橋に移動して整備を始めていたとのことでしたので、まさに即断・即決し即行動に移した結果による功績だったと言えると思います。

このことを上野社長は、「今できることを見極め、今すぐやる」という仕事のやり方をしてきた結果だとも本の中で紹介しています。

同じように、この即断・即決を徹底していたのは、あの田中角栄元総理大臣です。先日「NHK 戦後70年ニッポンの象徴」という番組の中で紹介されていましたが、印象に残ったのが「断るならすぐに断れ」という言葉です。

かつて、多い日には200人もの人が目白の邸宅を陳情に訪れたそうですが、田中氏は全員に直接会い、その場で①すぐやる。②今はできないけれど、来年やる。③考え直せ。のいずれかの道筋を伝えたそうです。

我々は何か物事を断る場合には、つい先延ばしにしてしまいがちですが、田中氏はたとえ、できない場合であっても決して先延ばしせずに、その場ではっきり「できない」と断ったということで、この中途半端にせずはっきりした姿勢が、かえって信頼を得ることにつながっていたようにも思えます。

「多くの政治家は「やるやる」と言ってやらないけれど、田中は違った」と番組では紹介していました。

政治家としては功罪いろいろあった田中角栄元総理ですが、先の上野金太郎社長とも共通するのは、「物事を先延ばしにしない、すぐに判断する」ということだと思います。

 「バタバタしていて・・・○○できない」とつい言ってしまう人は、「判断や行動を先延ばしにしているだけではないか?」と、一度自らに問いかけてみる必要があるのかもしれません。

 (冒頭の写真はメルセデス・ベンツ コネクションのHPより)

(人材育成社)


人は自分の見たいものしか見ようとしない

2015年07月22日 | コンサルティング

「人間なら誰でも全てが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていない」(ローマ人の物語、塩野七生著)。古代ローマの皇帝カエサル(シーザー)が残した言葉です。

私たちは、自分が信じたいものが目の前に現れると、つい飛びついてしまいます。一方、反論や反証が提示されると「それはひとつの見方に過ぎないよね」と言って否定してしまいます。

以前、あるビジネスパーソンの集まる勉強会で、統計と確率の話していたときのことです。「宝くじの”当たりやすい番号”というものは存在しない」と私が言ったところ、「いや、そんなことはない。当たりやすい組とか番号はある」と主張する人がいました。私はていねいに説明したのですが、その方はどうしても納得してくれませんでした。

多分、私が「当たりやすい番号はあります!」と言ったらそれで終わったのでしょうが、私はなんとか説得しようと手を変え品を変え説明を続けました。結局、その人はますます不機嫌になるだけでした。

「見たいものしか見ない」、「信じていることしか信じない」

これは、Facebookを見ていると特に強く感じることです。
最近の例では、STAP細胞(懐かしいですね!)に関する書き込みなどがその代表でしょう。

インターネットは、世界中のあらゆる知識に簡単にアクセスできる道具です。困ったことに、人は、その万能の道具を使って「私の考え方は間違っていない。絶対に正しい!」という証拠(らしきもの)を片っ端から集めて、安心するわけです。

逆に、説得力のある反論や否定したい事実にぶつかると、クリックひとつで消してしまいます。

こうした傾向は近年ますます顕著になってきています。

SFっぽく言えば、「機械文明が人間の知性を滅ぼす」のではなく、「人間が機械を使って自分で自分の知性を滅ぼす」というところでしょうか。

この流れに歯止めをかけるのは「見たくないものも見る」、「聞きたくない話も聞く」姿勢です。そして、それを多少なりとも実行できる道具はインターネットではなく、本(書籍)なのではないかと思います。

なぜ「本」なのかは、ひとことでは言えませんが、私が若かった頃、分厚い難しい本と格闘した後で「考えるというのは、こういうことだったのか!」と感じた体験が(ほんの少しですが)あるからだと思います。

夏休みには、難しくて厚い本を1冊読んでみようと思います。皆さんもいかがでしょうか。

(人材育成社)

 


マネジャーに必要な資質は真摯さである(P.F.ドラッカー)

2015年07月19日 | コンサルティング

これは多くの名言を残したドラッカーの言葉の中でも、最も有名なものではないでしょうか。

ドラッカーの著書「マネジメント」の原著にはこうあります。「They may forgive a person for a great deal: incompetence, ignorance, insecurity, or bad managers. But they will not forgive a lack of integrity in that person.」

「人は不完全であっても許される。たとえ無能で、無知で、不安で、出来の悪いマネジャーであったとしても。しかし、真摯さの欠如はだけは許されない。」(人材育成社訳)

integrityとは「高潔さ」とか「誠実さ」と訳されていますが、ドラッカーは「道徳心を持った正直さ」という意味で使っているように思います。そう考えると、「マネジメント」を翻訳された上田惇生氏の「真摯さ」という表現がぴったりときます。

ところで、日本では圧倒的な支持を得ているドラッカーですが、経営学の本場アメリカではまったくの傍流のようです。アメリカの経営学においてはデータ分析による手法が主流であり、ドラッカーは「読み物」にすらなっていないらしいです。

もちろん私は、統計学やゲーム理論などの経済学的な手法を否定しているわけではありません。むしろ積極的に取り入れるべきだと思っています。しかし、経営学と経済学の決定的な違いは「生身の人間」がその学問の中にいるか、いないかだと思います。

最近の東芝の不正会計のニュースを見ていると、会計という極めて地味でシンプルな数字に対する東芝の経営陣の「見下したような感じ」が伝わってきます。まさに経営者という人間」の真摯さの欠如が、不正の原因であるといえるのではないでしょうか。

結局、不正に関わった経営者たちは、超名門企業・東芝の長い歴史の中にその汚名を刻むことになりました。ドラッカーが「許されない」と喝破したとおりの末路です。

マネジャー、特に経営者は真摯であることが絶対条件です。もしも勤めている会社の中に真摯さが欠けている管理職がいるとしたら、その会社は将来東芝のような事態に陥る可能性があります。

管理職の方は、いまこそ真摯であることを自分自身に問い直すときではないでしょうか。

(人材育成社)


「埋没費用」にこだわってはいけない

2015年07月15日 | コンサルティング

「何度も打合せを行なったり、その結果に基づいて何度も図面を書き替えたりして、ようやくその企画が採用されそうな段階になって、急きょお客さんが遠方に転勤することになってしまったり、また、急に状況が変わってしまった・・・などの理由でこれまで進めてきた話がご破算になってしまうことがあります」

そういう時は何とも空しい気持ちになって、思わず「私のこれまでの努力はどうなるんだ・・・。私の時間を返してくれ~!」と叫びたくなります。

先日ある住宅会社に勤める方から聞いた話ですが、家を新築する予定との話が来たので、施主を尋ねて先方の家に対するこだわりなど希望の数々を聞いて、ようやく契約をいただける段階になったら、急に話がなくなってしまった。他者に契約をとられるのももちろん悔しいけれど、致し方ない理由ではあっても、話がなくなってしまうと本当に辛いですね、とのことでした。

この話を聞いて思い出したのが、「埋没費用」という考え方です。埋没費用とは、事業や行為に投資したお金や労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止によっても戻ってこないお金や労力のことを言います。

例えば、新たな新技術の開発のために1億円を投資したけれども、途中で競合会社に先を越されたことがわかった時に、このまま続けても成果は得られないと判断して、思い切って開発の中止を決定した場合、既に投資した1億円は埋没費用と言えます。

先の住宅会社の例で言えば、施主のところに繰り返し通い、設計図を書いた労力が埋没費用になります。

こうしたケースで「既にこれだけ投資したのだから、もう後には引けない」と考えて、無理にでも継続することがよくありますが、では中止した場合に埋没費用は全てが無駄になってしまうということなのでしょうか

上記の例で言えば、施主の状況が変れば再度依頼が来る可能性もありますし、この施主から別の顧客を紹介してもらえることもあるかもしれません。

それに何より、そこに至るまでの作成した設計図のノウハウは手元に残るわけで、決して全てが無駄になってしまうということではありません。

つい「元をとらねば」と考えがちですが、投資したものをまた次の機会に生かせる可能性はあるわけですから、埋没費用のことをいつまでも考えていても致し方がない。むしろその時間の方がよっぽどもったいないとも言えるのではないでしょうか。

これはもちろん住宅会社に限った話ではありません。我々人材育成にかかわるコンサルタントの世界でも似たような事例はたくさんあります。プライベートにおいても何年間も時間とお金をかけて行ってきた趣味なのに、ちょっとした事情によって続けることが叶わなくなったということもありました。でも、私はそれでも得たものはたくさんあったので、全てが無駄だったとは思わないようにしています。

もし埋没費用が発生しそうになった、あるいは発生した場合にも、それを単に無駄なものと考えるのではなく、そこで得られたものを次の機会にまた生かすことができるかどうか、その人の考え方次第と言えるのでしょう。

(人材育成社)


シンギュラリティ2045年

2015年07月12日 | コンサルティング

2045年はシンギュラリティ(Singularity)が起こる年だそうです。 シンギュラリティとは「技術的特異点」と訳されている言葉で、その意味するところは「科学技術を進歩させる主役が人間からコンピュータに代わる時点」ということです。

「主役の交代」という意味がわかりにくいのですのが、これから2045年までにどのようなことが起こるのかをみてみましょう。

まず、Googleの技術者によれば、あと5年からせいぜい8年以内に、人間が発する長くて複雑な質問の意味を理解し検索してくれるエンジンができるようになるそうです。そして2029年までには、人間の要求に応じてコンピュータが自らが考える情報を探し出すようになるそうです。

「え?それだけ?」と思われたかもしれません。

しかし、ちょっと考えてみると、大きな変化が起こりつつあることがわかります。

まず、コンピュータが人間の思考パターンにどんどん近づいてきます。たとえば、技術者が新しい製品を作ろうと一所懸命考えていたとします。

ある問題をクリアしなければその製品を作ることができないとしましょう。そこで、人間の代わりにコンピュータにその問題を解かせます。コンピュータは、現在入手できるあらゆるデータと計算力を使ってあっという間に答えを出します。

それを繰り返しているうちに、人間が望む製品とはどういうものかを、コンピュータは「理解」していきます。それは、人間というクライアントの膨大なニーズを処理していくうちに、人間の思考パターンをコンピュータが身につけていくことでもあります。

やがて、その思考パターンを利用して人間のニーズを先取りするような「発明」や「発見」をするようになります。すると、人間は特に何もせず(つまり何も勉強しなくても)、コンピュータが考え、新しい技術を生み出し、工場を動かして製品を作り、それを欲しがるところに届けるようになります。つまり、科学技術を進歩させることは、人間の仕事ではなくなるということです。

それが2045年のシンギュラリティです。

こうして、科学的な発見や発明が加速度的に進めば、自然災害や食糧難などを解決することができるようになるかもしれません。

「素晴らしい!」と思われたことでしょう。

その通りかもしれません。しかし、そうではないかもしれません。

2045年以降、コンピュータが世界中の通信や運輸、工業生産、農業、環境保全などを管理するようになれば、人間の存在そのものが脅かされるようになるかもしれません。

なぜなら、人間にとって、一番やっかいで排除したい対象は人間だからです。コンピュータが、人間の思考パターンを完全に自らのものとしたらどうなるか考えてみてください。

こうした話は、昔からSFではおなじみのテーマになっています。最近では「ターミネーター」ということになりますが、私には「禁断の惑星」(1956年のアメリカ映画)の方がはるかにリアリティを感じます。

シンギュラリティがいつ起こるのかわかりませんが、1969年に月面着陸に成功したアポロ11号を支えたNASAの全コンピュータよりも、現在のiPhone1台の方がはるかに処理能力が高いという事実をみれば、いずれ起こることは間違いなさそうです。

私たちとコンピュータとの付き合いはこれからもずっと続きます。

(人材育成社)

※画像は「Forbidden Planet (MGM,1956)」より

禁断の惑星 - 作品 - Yahoo!映画


「あなたは暗唱できる【論語】がありますか?」

2015年07月08日 | コンサルティング

2か月ほど前の新聞に、「論語を暗唱できると世界遺産の見学がタダ」になるという中国の記事が載っていました。外国人観光客が論語の中から5つのフレーズを暗唱できれば、孔子にまつわる世界遺産「孔廟」、「孔府」、「孔林」の「3孔」の入場料2,900円がタダになるというものです。

中国語、英語、または自国語で10分以内に自分で選んだフレーズ5つを暗唱し、それが審査委員に正確だと認定されれば栄誉証書がもらえ、さらにタダで見学できるようになる仕組みで、これまでに日本人を含む12か国39人が暗唱に成功したそうです。

では、皆さんは論語の中でいくつのフレーズを言えるでしょうか?入場料をただにできる自信はありますでしょうか?

私は昨夜、「論語から学ぶ経営のヒント」をテーマに講演を行いました。論語には、現在にも通じる経営のヒントが沢山あるからです。

ところで、論語といえば、皆さんは孔子についてはどの程度ご存知でしょうか。

これまでいろいろな人に孔子のイメージを聞いてきましたが、「小柄で気難しい、眉間にしわを寄せた老人」というように答えた人が大半でした。

ところが、実際の孔子は身長2メートルの偉丈夫で、お酒をたしなみ、音楽が大好き。他にも釣りや狩り、御車(馬車のこと)の運転技術などに長けていたようです。さらには、2500年前にしては大変に長命で、74歳で弟子たちに看取られながら亡くなったそうです。

ユーモアがあったという説や、その逆だという説もありますが、孔子はなかなかに活動的な人物で、その人生もまた波瀾万丈というか、いろいろと苦労が絶えなかったようです。

孔子は、なかなか官職に就くことができず、就いたと思ったら政情不安のためすぐに辞めざるを得なかったり、諸国を放浪したりと、決して成功者とは言えませんでした。

それでも、その言葉を集めた「論語」は今でも多くの人々に読み継がれているのです。このように、論語が言わば歴史的、地球的ベストセラーとしての地位を得た理由はいくつかあります。

私は、言葉がシンプルなので様々な解釈が成り立つことと、会話に基づいた文章なのでライブ感があるという2点が重要な意味を持っていたのではないかと考えています。

一方で、論語に書いてあるほとんど全てのことが「当たり前のこと」ばかりであるため、実際のところ、しっかり意識して読まないと、その後の意識に残りにくいということもあります。

しかし、我々はこの「当たり前のこと」がなかなかできないのも事実だと思います。

これまでの人間の歴史を振り返ってみれば、この「当たり前」のことができなかったがゆえに、戦争などの幾多の争いが起こってきました。人類は、争い事を起こしては道を外れ、やがて愚かさに気づいて道に戻り、しばらくするとまたしても道を外れて戦争を起こす、この繰り返しです。

「当たり前のこと」だからこそまっすぐに歩くのは難しいのでしょうが、思えば孔子は既に2500年前にそのことに気が付き、後世の我々にそのことを示していたのではないでしょうか。

論語で示されているように、もしもこの真っ直ぐな当たり前の道が無かったら、はたして人類はどうなっていたことでしょうか。

孔子が生きていた時代から正確に言うと2,567年経った今も、そしてこれから先の未来まで、ずっと続く一本の「当たり前の道」、それが論語なのだと思います。

 (冒頭の写真は Wikipediaより)

 (人材育成社)


産業革命遺産と家庭内文化遺産

2015年07月05日 | コンサルティング

ユネスコの世界遺産委員会は7月5日、日本が推薦した「軍艦島」の通称で知られる端島炭坑(長崎市)など、「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に登録することを決定しました。若干の曲折はありましたが、決定してひと安心というところです。

さて、この産業革命遺産は「軍艦島」の他に、官営八幡製鉄所の修繕工場(北九州市)、三菱長崎造船所のクレーン(長崎市)※といった施設も含まれています。なかでも驚くべきは、長崎造船所のクレーンです。1909年12月に竣工してから100年以上経った今でも、蒸気タービンや大型船舶用プロペラの船積みに使用しています。

クレーンのような大型の設備投資には、巨額の資金が必要になります。会計上は、投じられた巨額の資金は資産(つまり会社の財産です)となります。そして、使用する年月に従って徐々に資産価値を減らしていきます。最後は経済的な価値がゼロになります(正しくは1円)。これが減価償却の考え方です。

このクレーンは減価償却が済み、資産価値が無くなっていますから(資本的支出は除きます)、まさに「遺産」です。ところが現在も使っているわけですから、遺産ではなく動産ともいえます。

実は、日本中の多くの工場にはこうした「遺産的動産」がけっこう活躍しています。

それに対して、家の中はどうでしょうか。私たちは、家庭の資産といえる電気製品や自動車などをよく買い替えます。家電製品など、まだ十分使えるのに捨ててしまうことさえあります。それが消費財の宿命なのかもしれません。

とはいえ、家の中に「文化遺産」のようなものが何かひとつでもあると少し心が豊かになるような気がします。

昨今の「片づけ」、「断捨離」の流れに逆らうようですが、これからは「家庭内文化遺産」と呼んで気に入っているなにかを捨てずに保存してみるのも良いかもしれません。

今回の「明治日本の産業革命遺産」をきっかけに、家人から「邪魔だから早く捨てなさい!」と言われているものを「家庭内文化遺産」として登録してみてはいかがでしょうか。

 ところで、残念ながら我が家にあった「文化遺産」、初代Macintoshは邪魔だという理由で数年前に廃棄処分にされてしまいました。

ということで、あなたに家庭内でユネスコ並みの権威があることが前提となりますが。

(人材育成社)

※ 明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域 長崎県長崎市 三菱長崎造船所関連施設

 


期間限定に弱い

2015年07月01日 | コンサルティング

「シチリアンレモンパイ」はまだだけれど、「バナナミルク」は制覇。

 ハーゲンダッツの期間限定の商品に目がない私です。

営業商法とはわかっていても、ついつい期間限定の新商品に躍らされて、購入してしまうことが多いと自分自身でも思っています。

「ちょっと一杯」の時には、居酒屋の「6時までのお客様にはビールの中ジョッキ、400円!」につられてしまうことをはじめとして、これまでに数々の「期間限定」にやられてしまっていると感じています。

日本人は特に「期間限定」や「あなただけ特別」というワードに弱いという話を聞いたことがあります。

これに関して他の民族と比較した調査があるのかどうかはわかりませんが、確かにスーパーなどでは、「これから30分の間お値打ち価格、特別に○○円!」などの呼び声に多くの人が集まっていますから、あながち間違いでもなさそうです。

売る側はいわゆる「特別」に弱いという人間心理を上手に利用しているのでしょう。以前にはこの心理を悪用して、いつ行っても「今だけ」や「これから1時間だけ」というフレーズを使っていることで、問題になったお店もあったように記憶しています。

では、ビジネスにおける「期間限定」には、どのようなものがあるのでしょうか?

例えば、「いついつまでに何々を終わらせる」という納期管理、これはまさに時間や期間を限っているわけです。納期により時間や期間が限られているからこそ、それを目指して仕事が進められていくということで、とても大事であることは言うまでもありません。

もし、納期が定まっていなければ、いつまでも終わることなくだらだら仕事をしてしまうかもしれません。さらに言えば、納期ぎりぎりに仕事にとりかかって何とか間に合わせる、いわゆる「やっつけ仕事」も納期があるからこそ「やっつける」ことができるとも言えます。時間や期間が限られていなければ終わらせるどころか、始めることすらおろそかな状態になってしまうかもしれません。

ですから、「限られた期間」つまりは「時間」そのものをコントロールするという意味で納期管理に加え、「いつから始める」の「着手時間」や「着手日」の管理も的確にできれば、まさに鬼に金棒で怖いものなしと言えるのではないでしょうか。

「期間限定に弱い」という人間心理を上手に使って、例えば上司による部下指導の中で、納期管理と共に着手時間や着手日を明確にすることを意識してみてはいかがでしょうか。

 さて、冒頭のハーゲンダッツのアイスですが、うかうかしていると期間限定の商品が終わってしまいそうです。踊れされているとわかっていても早く購入しなければと思っている私でした。

(冒頭の写真はハーゲンダッツのHPより)

 (人材育成社)