中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

新島襄の終焉の地

2013年11月30日 | コンサルティング

旧東海道ウォーキングを再開して3度目の週末、今回は茅ケ崎駅から二宮駅までの間、約15キロを無事踏破しました。

まちでいうと茅ケ崎市から平塚市、大磯町、二宮町の4市町を通過したことになります。歩きながらそれぞれのまちの魅力を楽しんだのですが、中でも大磯町がとても印象に残りました。 

大磯町には東海道大磯宿の松並木や鴫立庵、旧吉田茂邸等のほかにも、素敵な観光スポットが沢山あるのですね。また、日本最初の海水浴場など歴史的な側面もたくさんあるようです。

入手した大磯町のパンフレットを眺めていると、ふと「新島襄終焉の地」の文字が目に入りました。新島襄は大磯町で亡くなったと聞いたことはあったのですが、これまで詳しい場所は知りませんでした。

新島襄は1890年に、ここ大磯町の旅館百足屋の一室でその47歳の生涯を閉じ、かつて百足屋の玄関があった場所に徳富蘇峰の筆による「新島襄先生終焉の地」の碑が建っていました。

新島襄といえば、NHK大河ドラマ「八重の桜」の明日の放送で亡くなってしまうようで、ドラマの後半の山場の一つだと思います。それがまさにこの地。今日通りがかったのは偶然でしたが、明日の放送がますます楽しみです。

さて、新島襄の最後の言葉は「天を怨みず、人を咎めず」だったとのことです。キリスト教とは相対する論語の言葉だったためか、新島襄の最後の言葉が紹介されることは少ないそうです。同志社大学設立に向けて不屈の精神で戦ったこととつながります。

私たちは、日頃ついうまくいかないことがあると、人や運のせいにしたりしがちですが、新島襄終焉の地に立ち、不遇の時であっても修養に努めることの大切さを感じたのでした。

それにしても大磯町は素敵なまちで、とても気に入りました。東京から電車でちょうど一時間ほどですが、都会の喧騒はなくまちは綺麗、気候も穏やかそうで、かつて多くの政治家などが邸宅や別荘などを構えた理由がわかるような気がします。

これまで電車や車では多分何十回も大磯町を通過はしていたのですが、初めて自分の足で歩いてみて、さらにその魅力に引かれました。

(人材育成社)


360度評価は時間とお金の無駄である

2013年11月29日 | コンサルティング

360度評価とは人事考課における評価方法の1つで、上司、同僚、部下などあらゆる角度からその人物を評価する手法です。

あるビジネスパーソン向けのホームページに、360度評価についての解説がありましたので以下に簡単にまとめてみました。

「人事考課では、評価結果が評価者の先入観や価値観に多少なりと影響されることになります。これを回避するために、上司だけではなく同僚や部下、他部門の関係者などが多面的に評価を行い公正性を高めようというものです。現在、多くの企業で導入されている評価方式であり、人事考課だけでなく人材育成や組織活性化などに活用されています。」

私(平野)の個人的体験から申し上げますが、360度評価を採用した企業のほとんどは「失敗」を暗に、あるいははっきりと認めています。私に言わせれば、360度評価は百害あって一利なし、時間とお金の無駄です。

その理由を簡潔に表現するならば、「他者を評価したことがない素人が、寄ってたかって他者を評価する」からです。

「いや、質問項目はバイアスが生じないような表現になっているし、感情的な判断は一切しないようにしっかりと伝えている」という声が聞こえてきそうです。

その点に関しては「だから、百害なのです」とお答えしておきます。

360度評価直後、職場のメンバーは新たな自分に気づき、マイナスの評価については改善しようと行動します。「お互いの強み、弱みへの理解」「気付いたことへの感謝の気持ち」「コミュニケーションの活性化」などの効果が現れます。

ところが、1ヶ月もするとこうした効果も次第に薄れていきます。

さらにまずいことに、職場内の「ちょっとした感情的な行き違い」が大きく増幅されてしまいます。

「ああ、やっぱりあの人は感情的なんだ」、「相変わらず幼児性が抜け切っていないな」などと無意識のうちに分析的に他者を判断してしまうのです。   つまり、 評価される側ではなく評価する側」が360度評価の本当の被害者というわけです。

こうした状態は、職場にコミュニケーション不全を起こす原因になります。

ですがご安心ください。こうした「エセ分析家」の傾向も数ヶ月すると薄れて無くなってしまいます。自然治癒ですね。

結局、後に残ったのは360度評価に費やした無駄な時間と労力、そして調査会社への支払いだけです。

(人材育成社)

 


先延ばしにすると面倒になる!

2013年11月28日 | コンサルティング

「やらなきゃ、やらなきゃ」

頭ではそう思っているのに、やるべきことをつい先延ばしにしてしまうことがあります。そして、何度も「やらなければいけない」と考えること自体がストレスになり、ようやく重い腰を「よっこいしょ」と上げることになります。

そして、いざやってみて案外簡単に終わると、「こんなに簡単なことなら、もっと早くやれば良かった」と思うものです。

先日、リタ・エメット著 「いまやろうと思っていたのに・・・かならず直るそのグズな習慣」(光文社知恵の森文庫)を読みました。

エメット氏は、物事を先延ばしにする人を対象にしたコンサルティングを行っています。そこで紹介しているのが、エメットの法則 「今日できる仕事を明日に先延ばしにすることは、今日片付けることよりも倍の時間とエネルギーを要する」です。

この言葉を聞いて、思い当たる節がある方は多いのではないでしょうか。

物事を先延ばしにしていて、いざ始めてみるとインターバルの間に事の内容をすっかり忘れてしまって、どこから手を付けてよいのかわからなくなってしまうのです。さらに記憶が薄れてしまい、改めて資料を読み直さなければならなくなることもあります。

お客様に提出する資料であれば、時間が経過すればするほど求められるレベルが高くなるようにも感じます。

既存の資料に多少手を加えた程度のものでも、時間をかけずに提出すれば「クイックレスポンス」に感謝されるかもしれません。でも、提出までに何日もかかったあげく結果的に完成度が低かったりすると、「時間がかかったのに、この程度の出来?」と思われてしまうかもしれません。

これでは時間をかけたことで、ハードルを自ら上げてしまったことになってしまいます。

仕事の中でも、対応を先延ばしにしたことでかえって問題を大きくしてしまう、例えばメールの返事に時間をかけたり、クレーム対応が迅速でないと思いがけず事を大きくしてしまったり。

仕事において、to doリストに書いたことは、面倒がって先延ばしにせず先ず取り掛かる。また、3分以内に終わることであれば、わざわざto do リストに書くまでもなく、その場で即やる。やっぱりこれが鉄則なのでしょう。

余分なエネルギーを使わない、ストレスにならないコツは先延ばしにせず、すぐ着手する。実はシンプルなことなのかもれしれません。

(人材育成社)


情けは人のためならず

2013年11月27日 | コンサルティング

文化庁による平成22年度・国語に関する世論調査で「情けは人のためならず」の意味をたずねたところ、結果は以下のとおりでした※。

①人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになる
・・・ 45.8%

②人に情けを掛けて助けてやることは結局はその人のためにならない
・・・ 45.7%

③分からない他
・・・ 8.5%

正解はもちろん①ですが、まったく逆の意味である②も同じ割合であることに驚きます。

「人のためならず」の「ならず」は「他人のためでない」ですから「自分のためである」というのが正しい解釈です。

日本人の国語力の低下についてはさておき、この言葉を学問的(?)に解釈してみたいと思います。

「他人に情けをかけること」は、すぐに見返りを期待することができない状況で「労役または金銭を提供すること」です。

これは収益率が不明な投資と考えることができます。合理的に考えればそうした投資は極めてハイリスクです。つぶれるか大儲けするか全くわからない会社の株を買うことを考えてみればわかります。

人間が100%合理的に行動するなら、この言葉自体そもそも存在しなかったでしょう。

しかし多くの人は、裏切られる可能性があったとしても一度は信頼して情けをかけるのが普通なのではないでしょうか。

「いや、その考えでは人類は滅んでしまう。他人は100%信頼してはならない!」と思われるかもしれません。

ところが事実は逆です。

ゲーム理論(繰り返しゲーム)によると、「最初は相手を信頼して情けをかける。裏切らない限り信頼し続ける。でも裏切られたらその相手は信頼はしない」という行動が社会の全体の利益を高めているとしています。

企業の中にも「信頼」があることで、組織が維持発展できます。

大げさなようですが「信頼」が実は人類の進化に大きく関係してきたことは間違いありません。

「情けは人のためならず=人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになる」

今一度、正しい解釈をしっかりと頭に刻んでおきたいと思います。

(人材育成社)

※参考

http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2012_03/series_08/series_08.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%B0%E3%82%8A%E8%BF%94%E3%81%97%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0


 




 

 


NHK「クローズアップ現代」ウェラブル端末で暮らしが変わる!

2013年11月26日 | コンサルティング

「メガネ型のスマホ登場」

今夜のNHKクローズアップ現代のテーマです。今、グーグルはじめ日本のメーカーでもウェラブル端末の開発が急ピッチで進められているそうです。番組でウェラブル端末の「今」を一部垣間見た私の感想は「うーん」

番組では、ある病院で手術の準備にこれまでは看護師が膨大な作業をしていたものを、ウェラブル端末を身に付けた派遣の職員が端末の指示に基づき迅速・正確に行えるようになった。結果、看護師の負担を3割も減らせることができたという事例が紹介されていました。

さらに、ものづくりの現場にも大きな変革が起こる可能性を示唆していました。 現在開発中のシステムでは、身に付けた端末の指示に従うことで、あまり熟練していない人間でも熟練工並みの作業ができるということです。

このようなプラスの面の一方、別の会社の業務改善の事例の紹介もありました。

それは名刺型の端末を身に付けることで、「いつ誰と会話したか」、「どの時間帯にどれくらい集中していたか」など従業員の行動がわかり、働き方をデータ化できることです。

 

これまで経験と勘で行ってきた業務改善を端末を使って、集めたデータをコンピューターで解析することが主流になっていくのではないかといったものでした。

番組の中でこれを見たコメンテーターの方が 「ここまで来てしまっているのか」という感想とともに、プラスの側面の一方、使い方によっては社員の監視やプライバシーの消滅などにつながる可能性についての言及もありました。私もこれを見て正直ちょっと怖いなと感じました。

前半の例にように、端末の指示に従って作業すれば熟練工並みのものづくりができると、これはある意味でものづくりの現場に革命をもたらすと言えるのかも知れません。これまで上司や先輩が行っていたOJTによる教育訓練に求められる割合がウェラブル端末を使うことで、今後低くなっていくのかも知れません。近年教育訓練が上手く進まない理由の一つとして「上司が忙しくて時間が取れない」という問題が挙げられますが、解決の一助になりそうです。

もちろん、人材育成はコンピューターの指示に従っていればある程度できるようになる技能だけではありません。部下の習熟度に応じて、少しずつレベルアップをさせるには、上司は部下をきちんと観察していなければなりません。さらに技能だけでなく、マナーを始めとした態度教育も必要です。

人材育成は総合的なものですから、全てがコンピューターにとって替わられることは考えにくいですが、教育訓練においての活用方法はいろいろとありそうです。

急速に進歩するウェラブル端末からは目が離せないと感じました。

 (人材育成社)


道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である

2013年11月25日 | コンサルティング

これは江戸時代の農政家・思想家二宮尊徳(金治郎)の言葉です。これは現代にも通じるというより、現代にこそ必要なメッセージだと思います。

小学校の頃、道徳の時間がありましたが、残念ながらその内容は思い出せません。とはいえ、私は「道徳」という概念があること自体は大切なことだと思います。

経済学者M.フリードマンは「企業の社会的責任とは利益の最大化である」と述べています。同時に「道徳的責任は個人が負うべきであって企業ではない」とも。 

しかし、人間が集まって何かを決めるとき、人数が多くなればなるほど責任が分散します。そうなると、「集合的無責任」と呼べるような状態に陥りやすくなります。

最近の食品の偽装問題やメガバンクの不祥事を見ると、大きな企業ほど「責任」に対する考えが甘いように思います。もちろん「責任は社長である私にあります」という言葉は聞くのですが、ほとんど響いてこない感じがします。

さて、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」を最も痛感しているのは中小企業の社長でしょう。大企業とは違い、罪を犯しても、儲けが無くなっても即倒産だからです。

それに比べて、大企業は不祥事が起きてもトップが頭を下げれば済みますし、赤字が生じても銀行がお金を貸してくれます。

ここで大企業を批判するつもりはありません。多くの従業員を雇用し、多額の税金を納めているのですから。

しかし、テレビの謝罪会見を見ると、この言葉を中小企業の社長と同じように真摯に受け止めているとはとても思えません。そう感じるのは私だけでしょうか。

(人材育成社)

 

 


旧東海道ウォーキング 57キロ到達!

2013年11月24日 | コンサルティング

5月に日本橋をスタートして、旧東海道を京都に向けて歩いています。夏前から先週まで長い休みを経て、ウォーキング再開です。

ようやく茅ケ崎までたどり着きました。日本橋からは約57キロ、全行程約492キロのうちの12%ほどです。今回は戸塚宿から茅ケ崎駅までの約15キロを一気に歩いたのですが、足は痛くならなかったものの体は結構疲れました。

江戸時代、一日の旅の平均の行程は10里 約40キロメートルほどだったそうです。同じ一日で3倍近くを歩いていたのですから、何とも健脚ですね。街道には一里の目安となる一里塚が置かれていますが、遠くからでも見えるように小高い丘の上に榎の大木があるところが多かったようです。それは木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていたとのことです。ゴールははるか江戸か京都、とりあえずの目標は次の一里塚というところだったのでしょう。

たったの15キロでもヒーヒー言っている私ですが、当時の参勤交代のための大名行列の速度は非常に早く、普通の旅人が12日から13日程度かかる道のりであれば、それより2日程度も早くたどり着く速さであったようです。

それは、宿場などを通り過ぎる時は整然とした隊列を組んでゆっくりと行進しても、街道などそれ以外の場所を移動する際は、経費節減のために隊列を崩してやや早い速度で移動していたからだそうで、昔もコスト削減のために苦労していた様子がうかがえます。

ところで、江戸時代における大名行列の様子から転じて、現在にも「大名行列」と揶揄されるものがあります。組織の幹部を必要以上に大勢の部下が取り囲んで移動するさま、例えば『白い巨塔』などで有名になった大学病院における教授の回診や、大物国会議員が新人議員を従えている様子などが思い当ります。権力者の周りに人が群がることは昔も今もあまり変わらないということでしょうか。

でも、どちらかというと、こちらの「大名行列」のスピードはあまり早くないし、コストのこともあまり考えていない、権威を示すことがその目的のようにも思えます。

 さて、旧東海道ウォーキングですが、できれば今年中に箱根を越えたいと思っているのですが、私たちはとても昔の大名行列のように早く歩けませんので、はたしてどうなるか・・。目標に向けて一歩一歩進める楽しさを味わっていきたいと思います。

(人材育成社)


「常識を疑え」は疑わしい

2013年11月23日 | コンサルティング

自己啓発書やビジネスパーソン向けの本を読むと「常識を疑え」、「常識にとらわれるな」、「常識やぶりのXX」などの言葉がおどっています。

では、常識とは疑ったり破られたりするべきものでしょうか。

私の知り合いに、長野県でいちご農園を経営している人がいます。

いちごはビニールハウスで育てていますが、ハウス内の環境はパソコンで管理しています。ハウス内の温度や日照量、二酸化炭素の濃度などをデータに取り、それらを分析してパソコンが直接設備を動かしています。異常があればパソコンから即座にアラームメールが携帯に飛んできます。

その結果、従来の経験と勘に頼った農家をしのぐ収穫量を得ています。しかも、品質にバラツキがなく安全で美味しいいちごをタイミングよく供給できるので、近隣の有名ホテルや旅館からの注文も殺到し、評判も上々です。

「パソコンでイチゴ栽培の自動化ですか。常識やぶりの農家ですね!」この話をマーケティングの研修の中で話したとき、1人の受講者がそう言いました。

「とんでもない!常識の勝利ですよ。」と私は答えました。

料理を作るときに包丁や鍋ではなく、フードプロセッサや電子レンジを使ったからといって「常識やぶりの料理」になるわけではありません。

同様に、この農家は「いちご栽培の常識」を忠実になぞっているだけです。パソコンは道具に過ぎません。

人材育成に長年携わっていると、高い業績を上げる人ほど仕事の常識をよく理解し、非常に大切にしていることがわかります。

常識なんて要らないと言う人がいますが、そういう人に限って当たり前のこともできないことがよくあります。

「常識を疑え」という人がいたら、その人の能力を疑った方が良いでしょう。

(人材育成社)


個室でない方が良い?

2013年11月22日 | コンサルティング

何年か前に、「頭のよい子が育つ家」(四十万 靖 文藝春秋)という本を読みました。 

勉強部屋があってもそこを使わずに、わざわざ家族がいるリビングやダイニングのテーブルで勉強する、家族の会話する声や生活の音がする場所で勉強をする子どもの方が良い成績をとり、難関の私立中学に多数合格しているという内容です。日本古来の住環境が頭のよい子を育てているという見方をしていました。

私自身、家で仕事をしたり勉強をする時は、やはり家族がいる空間を好んでいるように感じます。

2年ほど前に、以前より少し広い家に引っ越しをしたのを機に、小さいけれど念願の仕事部屋(ワークルーム)を持つことができました。それまでずっと、食事をするところや家族がテレビを見ているところと別の部屋で仕事をしたら、さぞかしはかどるだろうなと、ずっと思っていたのです。

でも、いざその空間を手に入れてみると、実はあまり有効に使っていないのです。

どういうわけか、私はわざわざパソコンをワークルームから家族がテレビを見ているダイニングのテーブルに運んで、そこでパチパチとやっているのです。

家族には「せっかくワークルームをつくったんだから、仕事はそこでやって!」と言われるのですが、しかし、今夜もダイニングのテーブルでこのブログを書いています。

私はどうしてワークルームで仕事をしないのか?

改めて考えてみると、ワークルームにこもると、その時点で何か「大げさ」になるような気がします。つまり、ダイニングでちょこちょこと打ったり書いたりする方が机に向かうより敷居が低く、やりやすいように感じるのです。

さらに、何かを生み出さなくてはならない時も、一人で集中して考えているより他人に自分のアイディアや考えを伝えることで、思いがけず自分の考えが整理できる時があります。人に話しながら、「私ってこういうことを考えていたんだ」と自分で驚くことがあります。 

また、相手から時々鋭い「突っ込み」を入れられると、一所懸命考えなければならないので、さらに頭が整理できたりすることもあります。

つまり、人から自分の考えを引き出してもらったような感じです。英単語に置きかえるならば、まさに「Educe」されたように思います。

個室にこもるよりも、ついつい人の動きが感じられる空間に寄り付きなくなるのは、案外無意識のうちにそういうことを求めているからなのかもしれません。

組織においてもパテーションで区切ったりせずに、人の気配が十分に感じられて、顔が見られるような空間の方が、仕事の成果が出るのかもしれません。

(人材育成社)


それ、何ですか?

2013年11月21日 | コンサルティング

「・・・何って、カセットテープでしょ?」とすぐに答える人は30代後半以上の方だと思います。

先日、大学の授業でウォークマンの話をした時にほとんどの学生(20~22歳)が実物を見たことがないとのことだったので、初代ウォークマン(1979年発売)の絵をホワイトボードに描きました。

「こういう小さいお弁当箱のような形で、単三電池が2本入って、ヘッドホーンがつながっていて・・・」、「正面のふたを開いて、カセットを入れて、音楽を聴くんですよ」と説明しました。

すると、「すみません、カセットって見たことがないのですが、SDメモリみたいなものですか?」との声が。

「まあ、そんなものです」と私。

40人ほどの学生に「実物カセットを見たことがある?」と聞くと、さすがにほとんどの学生が手を挙げたのですが、10人弱は「見たことがありません。」とのことでした。

電気・電子製品の進化には著しいものがありますが、特に記憶媒体はその形態の変化の早さに驚かされます。 今や音楽MDもなく、CDも消えつつあります。

また、ソニーは音楽関連の電子機器ではパイオニアであり覇者でしたが、今や自らが切り開いた市場をAppleに奪われています。

成功体験に安住していると、あっという間に足をすくわれてしまいます。それはどのような業界についても言えることでしょう。

カセットの絵を描きながら、企業研修の世界も10年一日のごときコンテンツで良いのだろうかとふと思いました。

ところでカセットと言えば、デートのときにドライブをしながらユーミンの曲を流すために何度も使ったことはありませんか。

思い当たる方はもちろん50歳以上ですよね?

(人材育成社)