中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

アンケート結果の数字だけを鵜呑みにしてはならない

2016年03月30日 | コンサルティング

日々の研修やコンサルティングの際に、形容詞を使った曖昧な表現をするのではなく、定量化することの重要性を繰り返し伝えている私ですが、ここ最近は研修アンケートの結果を定量的に数値することについての功罪も感じています。

数値化の功の部分については、アンケート結果で研修テーマに関する受講者の知識やスキルの習得度合いを確認したり、研修の受講前後の意識の変化を知ったり、新たな価値観を発見することができたかどうかなどを確認することができます。

そして、アンケートの結果が高評価であれば研修効果はあったと考えられ、お客様の次年度の研修予算を獲得しやすくなるなどにもつながるわけです。

このため、アンケートに用いられる形式は一般的には5段階評価やいくつかの選択肢を設けているものが多く、答える側からすれば予め選択肢が示されているため意味が分かりやすく、回答しやすいというメリットがあります。

一方、データを集計する側にとっては統計的な処理が容易なため、以前の数値と比較することもできますし、他のテーマの研修との比較も容易です。さらには、研修予算を獲得する場合に経営陣に対して数値を根拠として示すことができますので、明確で強力な説得材料になるというメリットもあります。

しかしながら、実は最近私はこの「数値化」のデメリットも感じてきているのです。

それは、数値は明確に示せる良さがある一方で、必ずしもそれだけでは表し切れない、いわゆる「行間」を示すことが難しいと感じているからです。

例えば、研修の際に発注側のご担当者がずっと帯同してくだされば、講義内容が研修目的に合致していたか、演習の進め方はどうだったか、講義や演習に対して受講者はどのように反応をしたのかなどを直接確認していただけます。アンケート結果の数字の「行間」や、数値に表れない受講者の反応を肌で感じていただくことができます。

しかし、実際には担当者によっては研修だけを担当しているわけではありませんので、研修の開始時と終了時にしか会場にいない方も多くいらっしゃいます。

そうなると、どうしてもアンケート結果の数値のみで研修の効果が評価されることになってしまいがちですが、それでは上記のように「行間」も含めた様々な要素が必ずしもきちんと反映されているわけではないため、定量化することのマイナス点だと感じています。

このため、弊社が行う研修終了後のアンケートでは、選択式の回答を求める項目だけでなく、できるだけ自由記述欄を設けるようにもしているのですが、そこに書かれているのは多くの場合「ためになった、わかりやすかった、面白かった、楽しかった、声が聞き取りやすかった」などの表面的な感想が圧倒的に多く、研修のどの部分がどのように良かったなど詳細に書いてくださる人はごく少数に限られるのが現実です。

一体どのようにすればもっといろいろと書いていただけるのか、さらには形だけでなく真に意味のあるアンケートにするにはどうすれば良いのか、数値だけが一人歩きすることのないようにアンケートの項目をどのように工夫すれば良いのかなど、日々頭を悩ませています。それと同時に、数字だけでは表れない研修の成果もきちんと把握していただくため、研修のご担当者様にはぜひ自分の眼で見て、感じていただきご担当者としての率直な感想を伺いたいと考えています。

(人材育成社)


なぜ新入社員は会計を学ぶべきか

2016年03月27日 | コンサルティング

新入社員にとって「会計」ほど縁遠いものはないかもしれません。理系大学出身者はもちろん、経済学部や商学部出身であっても「どうも会計とか数字は苦手で・・・」という人が多数派なのです。たしかに、経理や総務に配属されない限り、会計を身近に感じることは少ないでしょう。

会計とは、企業の経済活動(お金のやりとり)を記録・整理し、わかりやすい形にまとめて分析する技術です。具体的には、一定期間(1年毎、3ヵ月毎)の経済活動の結果をまとめた報告書(財務諸表)を作ります。財務諸表には貸借対照表(B/S)、損益計算書(P/L)、キャッシュフロー計算書(C/S)等があり、それらを見れば財産や借金の状態、1年間にいくら売っていくら儲けたかがわかります。

例えるなら、財産や借金の状態を示す貸借対照表が健康診断書、儲けの額を示す損益計算書は成績表にあたります。企業の目的は利益を上げることですから、財務諸表はまさに企業そのものの姿を映し出しているといえます。

では、新入社員にとってこうした会計の知識は必要なのでしょうか。

会計の知識がほとんどなくてもすぐには業務に差し支えない職種はたくさんあります。実際、管理職研修では会計についてあまり知識のない人が意外なほど多く、驚かされることもあります。ただし、管理職になれば自部署の売上や費用について責任を負うことになるので、知らないでは済まされません。

ということは、管理職になるまでに時間をかけて会計を学んでおけばよい、といえるかもしれません。

しかし、私は新入社員こそ財務諸表を読んでざっくり理解する力が必要だと思っています。

企業とは利益を得るために人が集まって協力し合う組織、スポーツで言えばチームです。野球であれサッカーであれ、自分が所属するチームの成績に無頓着な選手はいないはずです。

たとえば「ボールを蹴るのが楽しいので、それ以外はどうでもいい。試合の勝ち負けには興味がない。」というサッカーのチームがあったらどうでしょう。プロはもちろん、子供のチームだって誰も入りたいとは思わないでしょう。

企業はプロのスポーツチームと同じです。利益という結果を目指して、1日も休まずに他チームと競っています。会計に興味がないというのは「試合の勝ち負けに興味がない」というのと同じです。それはプロとしてあるまじき発言ではないでしょうか。

新入社員だけでなく、受け入れる側の上司、先輩の方々も財務諸表を読みこなす力をつけましょう。そして自社およびライバル企業の成績をじっくり分析して、どうすれば勝てるかを考える習慣をつけてください。

最後にもう一度、「新入社員こそ会計を学べ!」

(人材育成社)


人口減少と仕事の減少、どちらが先に訪れるのか

2016年03月23日 | コンサルティング

「人口減少」と「仕事の減少」、最近この2つの話題を耳にすることが多くなっています。いずれも今はまだあまり実感していない人も多いかもしれませんが、今後はそれにともなう問題が様々な形で顕在化してくると思います。

まず、仕事の減少については、「今ある仕事の半分はいずれ機械に取って替わられる」と言われて久しいです。最近ではメディアなどで数年後には人工知能やロボットに置き換えられる可能性がある仕事や業種が具体的に挙げられていて、それらを見ると少なからず焦るような気持ちになります。

先週のNHKのクローズアップ現代「あなたの仕事がなくなる」では、5年後、10年後には自分の仕事がなくなることが当たり前になると取り上げていました。番組の中では、手書きの文字を代筆してくれるロボット、スマホのアプリを使ってHPを作るなど、これまでは人間にしかできなかったことが機械に置き替わる様々な例が紹介されていました。

また、人口減少の方も今年から日本でも減少に転じ始めたそうです。人口減少にともなう様々な問題が指摘されていますが、その1つにマーケットが減る・縮小することがあります。

日本ではだいぶ前からなかなかモノが売れない時代になっていますが、今後はさらに人口も減っていくため、これまでとは異なるやり方で情報を得て、マーケットをとらえていくことがますます重要になっていくのでしょう。

今後コンピュータや人工知能(AI)が進歩したとしても、データを分析するだけではマーケットを的確にとらえることは難しいでしょうから、私は機械に置きかえられない仕事は必ず残ると考えています。たとえば、1人1人のユーザーから様々な情報を得て、それに基づいて個々のユーザーの感性に合ったモノやサービスを選び出し、それを提案するような仕事は当面は人間しかできないと思います。

先日、このようなことがありました。気に入って使っていたトルコ石のアクセサリーが壊れたため、修理のためにある店を訪ねたところ、店員から「トルコ石がお好きなのですね。ちょうどトルコ石を使った新作がいろいろ入ってきているんですよ。試しに付けて見ませんか」と言って、様々なアクセサリーが私の目の前に並べられました。しかし、私としてはトルコ石を気に入っているものの、同じようなものであるならばあえて購入するまでにはいたりません。

そこで、「トルコ石のものはこれがあるのでもういりません。別のもので気にいったものがあれば購入することもあるかもしれませんが・・・」とやんわりとお断りをしたところ、店員は慌ててトルコ石以外のものをショーケースからピックアップして、私の前に並べて見せてくれました。これこそが、まさにAIを超えたhumanタッチのやりとりなのだと思います。

インターネットで本やモノを一度購入すると、そのデータを基にしてその後様々な類似品が画面を通してセールスされてきます。しかし、私の場合は類似品を買うことは多くありません。

1人の顧客がある商品を購入したという情報は「点」の情報ですが、それが次の商品の購入につながるためには、点と点の情報がつながって「線」の情報になることが必要だと思います。

先ほどの例のように、人間であればコミュニケーションによって、点の情報を積み重ねて線にすることができますが、機械の場合は点としてのばらばらの情報収集にならざるを得ないため、顧客のニーズに簡単には合致できないのではないかと思います。

今後、人口減少社会においてマーケットをとらえていく場合、「1人1人の人間を様々な視点で理解する」ことが、今まで以上に必要になるのではないでしょうか。先日、コンピュータソフトが囲碁の世界トップ選手を破ったニュースがありましたが、そうは言っても、この点は機械はまだまだ人間には及ばないと思います。

しかし、人間自身もデータに頼りすぎると、AIと同様のことをやってしまいかねません。人間でなければ丁寧な対応が難しい領域をどれくらい顕在化させられるかが、今後マーケットをとらえる重要なカギになると思っています。

(人材育成社)


センスにもいろいろなタイプがある

2016年03月20日 | コンサルティング

誰にでも一度は「あなたには〇〇のセンスがあるね」と言われたことがあると思います。そのセリフを言った方は(まあ、普通よりはちょっとできるかな・・)という程度の軽い気持ちで口にしたとしても、言われた方は一方的に拡大解釈して舞い上がってしまいます。

「センスがあるね」の一言でますます努力するようになり、コンクールで入賞したり、強豪校で3年間レギュラーの地位をキープしたり、全国規模の大会で勝ったり・・といった「栄光」をつかみ取った人も多いと思います。

私にとって最も興味深いセンスを持っている人物は「黒子テツヤ」です。ご存知のとおり黒子はマンガの主人公ですから、実在はしません。「黒子のバスケ」は少年ジャンプに掲載され、コミックの発行部数は2,800万部、アニメ化もされています。同じバスケットボールを題材にした「スラムダンク」の1億2,000万部には及ばないもののスポーツ物では飛び抜けて人気があります。

このマンガで興味深いのは、黒子のセンスの「種類」です。スラムダンクの主人公・桜木花道は体格も立派で運動神経も抜群、高校に入ってから初めて接したバスケでセンスが開花したという天才です。

一方の黒子テツヤは、体格に恵まれず(身長168cm、体重57kg)、フリーでのレイアップシュートすら決められないという身体能力の低さです。そのため、コート上ではまったく目立たず、主人公がシュートを決めるシーンが一回も無いという大変珍しいスポーツマンガになっています。

このマンガの面白さは、黒子が自分の「影の薄さ」を武器にしている点です。黒子は大好きなバスケをいつまでも続けていたいために、裏方という自分の立ち位置(ポジション)を見つけてセンスを磨きました。試合では、相手チームの選手の視線を外し、存在感のなさを逆手に取ったパス回しやスチールでチームを勝利に導きます。ダンクどころかレイアップもままならない選手ですが、全国大会での優勝に貢献します。

さて、会社の仕事の中でも、特に色々な個性が必要とされる職種は営業ではないでしょうか。営業の仕事にもいろいろな役割(ポジション)があります。顧客と対面で行う商談が得意な人はもちろん、提案書や説明用の資料作りに長けている人も必要です。新規開拓が得意な人、リピート顧客になってもらえるような関係作りができる人なども必要でしょう。

押しが強くて積極的な「いかにも」タイプの営業パーソンばかりではなく、商談全体を常に把握し、最善の策を打てるセンスがいかに大切かは、営業の仕事をやったことがある人にはよくわかると思います。

特に、顧客が何を考えてどのように行動するのか「相手を読む力」を持ち、裏方的な仕事も上手くこなせる黒子のような人材は間違いなく営業向きです。

もし、あなたの部下や後輩に「あいつはこの仕事に関するセンスが無いな」という人がいたとしても、よく観察してあげてください。仕事で役に立つ、どこかに活かせるセンスを持っている人物かもしれません。

(人材育成社)


センスがある人と渡り合うには

2016年03月16日 | コンサルティング

イチロー:「(プロの目に止まるため)目立つからピッチャーをやっていた。だから続けたかったんですけど、イップスになっちゃって投げられなくなった」

稲葉:「それ、どうやって克服したの?」

イチロー:「センスです」(途中省略)

これは昨夜のテレビ朝日の「報道ステーション」の中で、野球解説者の稲葉篤紀氏がイチロー選手にインタビューしたときのやりとりです。イップスとは極度の緊張感、精神的なストレスが原因で筋肉が硬直し、思い通りのプレーができなくなってしまうことです。

イップスの治療法には、カウンセリングや自律訓練法など様々な方法があるようですが、要はストレスから解放してリラックスすることが大切で、イチロー選手はイップスを「センス」によって克服したと言います。

イップスを克服できるセンスとはいったいどういうものなのか、とても気になるところですが、メジャーリーグ通算3000本安打まであと65本に迫るなど、数々の記録を出し続けているイチロー選手のことです。何か特別なセンスを身に付けているのだろうと想像します。

ところで、私たちが普段何気なく使っているこの「センス」ですが、どのような意味なのでしょうか。辞書を引いてみると、センス(sence)とは物事の微妙な感じを悟る働きで、感覚、思慮、分別のこととされています。

一般的に「あの人は○○のセンスがある」というような表現をしますが、ではこのセンスは身に付けることはできるものなのでしょうか。

感覚的には「天性のもの」のような感じもしますが、そうだとするとセンスを持ち合わせていない人は、センスを持ち合わせている人に永遠に対抗できない、渡り合えないことになるのでしょうか。

私自身は小学校時代から絵を描くことがお世辞にも上手いとは言えないため、仕事の研修やコンサルティングのときに、受講者の前でホワイトボードにイラストを描いて説明をする際に、我ながら恐ろしく下手くそな絵を描いています。

「どうしてこんな絵しか描けないのだろう」と時々自己嫌悪に陥りますが、そんな絵であっても多少でも理解に役に立てればと思い、描き続けています。一方で描くことは苦手でも、絵を鑑賞することはとても好きですので、美術展などには定期的に足を運んでいますし、機会があれば絵画教室にも通いたいと思っています。

こういう私には、永遠に絵を描くセンスをアップさせることはできないのでしょうか。

私は「センス」とは対象となるものが好きで、それについて今よりも少しでも上手くなりたいという気持ちがあり、それ相応の時間をかければアップするものではないかと思っています。

これを公式にすると、 センス=(好きな気持ち+向上心)×時間 となります。

この公式に基づいてセンスアップに取り組んだとしても、天性のセンスの持ち主に適うレベルにまでなれるかどうかはわかりませんが、やってみないことにはいつまでも前には進めませんから、まずは好きな気持ちで一歩前に踏み出して、努力し始めることが大事だと思います。

この努力ということで言えば、数々の記録を生み出しているイチロー選手であっても実にストイックなトレーニングを自らに課していることは有名な話です。センスがある人でも、あるいはセンスがある人だからこそ、人知れず真摯に努力を続けているということなのでしょう。

本音を言えば、私のようなセンスのない人間には「センスは努力次第でアップできる」と思わなければ救われないことになってしまいかねませんので、まずはホワイトボードの絵を上手く描けるようになることを目標に頑張っているのです。

(人材育成社)


30年後の「プログラマー35歳定年説」

2016年03月13日 | コンサルティング

私がまだ「若手社員」だった1986年当時、職場にMicroVAXというコンピュータがありました。VAXと聞いて懐かしい思い出がよみがえる人は多分、50代以上でしょう。当時unixはまだ「格下」で、CADをはじめとする技術計算はVAXで動かすのが主流でした。

ある日、MicroVAXでCADを使っていたエンジニアが、モニタを見ながら「俺さ、今年35なんだ。もうプログラマーとしては定年なんだよなあ・・・」と私に聞かせるようにつぶやきました。

「プログラマー35歳定年説」という言葉は知っていましたので、その時は「ああ、そういうものか」と思っただけでした。そのエンジニアがその後どのような会社員生活を送ったのかはわかりませんが、今年は彼も65歳となり、本当の定年を迎えたわけです。

さて、プログラマー35歳定年説の根拠となっていた理由を挙げるならば、以下の3点だと思います。

1.長時間労働に耐える体力がなくなり、無理が効かなくなる
2.知識を吸収する脳力が衰え、新しい技術についていけなくなる
3.仕事ができるほど役職も上がるため、管理業務が多くなって時間に追われる

プログラマーという職種は、35歳に達すると体力、脳力、時間という制約条件が重くのしかかってくるというわけです。

もちろん、プログラムを書かなくても開発、設計、製造、サービスなど技術関連の部門はたくさんありますから、35歳が「エンジニアの定年」ではありません。むしろ品質管理のように、経験が重要視される部署もあります。

一方、少し古いデータですが、情報処理推進機構(IPA)は「40歳代を境にIT関連業務からITとは無関係な業務に転職する人が50%を超える」という調査結果を発表しています※。

IT業界で働く人=プログラマーというわけではありませんが、なんとなくプログラマー35歳定年説を裏付ける結果になっているようです。

とはいえ、私の知る限り、40代、50代になってもプログラマーとして立派に生き残っている人もたくさんいます。そうした人たちは、体力もあり、頭の回転も速く、時間の使い方も上手です。そして、その仕事ぶりは、時に驚異的な成果物を生み出します。

つまり、普通の会社員が出世競争で生き残って部長や役員になったように、コンピュータ業界で生き残って上級プログラマー(アーキテクト、シニアプログラマーetc)になったのです。

大多数の会社員は35歳で転身してもしなくても、与えられた仕事を淡々とこなしながら65歳で定年を迎えます。

しかし、プログラマーの仕事に対する評価は、その成果物の出来次第です。ですから、プログラマーの仕事に年齢は関係ありません。

そういう生き方ができる人には、定年説など無視して「終身プログラマー」でいてほしいと願っています。

40歳代を境にIT以外の業務に転職増加:「プログラマ35歳定年説」を思い起こさせるIPAの調査結果 - @IT

(人材育成社)

 


改善して、カイゼンする

2016年03月09日 | コンサルティング

「これはこのプレス機を作動させるスイッチです。本来、作動させるスイッチは1つでもいいのですが、敢えて2つにしています。なぜだかわかりますか?」

これは先日、名古屋駅近くのトヨタ産業技術記念館を訪ねた際に、あるプレス機の前に来たときにガイドの学芸員さんにかけられた言葉です。そこには、直径8センチ位の大きさのスイッチが2つ、45センチほどの間隔を開けて並んでいました。

しばらく理由を考えていると、「答えは安全のためです」との説明がありました。

「プレス機のスイッチは、本来は1つあれば作動させられるけれど、1つだと片手で押せるから片方の手が空いてしまう。その時にもし機械のトラブルが起きると、慌てて空いている方の手で機械に触れてしまう可能性がある。

それを防ぐために、両手でスイッチを押さなければ機械が動かないようにしているのです。でも、初めから今のこの状態で2つのスイッチを付けたわけではありません。最初は、2つのスイッチを押すことを面倒に感じた人がどこからか棒を持ってきて、棒で1度に2つのスイッチを押す人が現れました。そこで、改善して棒では押せないようにしたのですが、今度は肘を使って片手で2つのスイッチを同時に押す人が出てきてしまったのです。そこで、さらに改善して肘を使っても同時に2つのスイッチを押せないように間隔を広げました。それが現在の状態です。安全のために改善に継ぐ改善をした結果なのです」とのことでした。

この話を聞いて、あらためて「世界のトヨタ」ができた理由がわかったような気がしました。

現場での一つ一つの作業に対しておざなりな対応をするのではなく、ひたすらにどこまでも安全を追求する姿勢。こうした細やかな対応こそが、品質や生産性向上を目指したQCサークルをはじめとした「カイゼン」と呼ばれる活動のなせる技なのだと強く感じました。

その他にも1980年代の半ばのロボットがラインに登場したばかりの頃には、溶接ロボットに「聖子ちゃん」や「百恵ちゃん」などの名前を付けて愛情を持って接したりと、現場発の創意工夫を随所に見聞きすることができました。

ちなみに、冒頭の写真はかつてトラックをお客さんに納品した後に故障が起きて、修理にかけつけた豊田喜一郎元社長の様子です。自ら車体の下に潜り込んで、修理をしていたそうですが、そういう時には、必ず2台の車でかけつけて、修理にあたったとのことです。2台でかけつけた理由は、1台は故障車の代車としてお客さんに提供するために、もう1台は現場にかけつけた社員達が乗って帰るための車だったそうです。

現場にすぐにかけつける、こうしたところにも今のカイゼンにつながる姿勢を感じることができましたし、さらにもう1つ印象に残ったことは、説明をしてくださったガイドの学芸員さんの対応です。自社であるトヨタに対しての誇りと共に、自社製品に対する限りない深い愛情を持っていることが、言葉の端々や表情から見て取れました。

改善を追求する姿勢と自社製品に対しての誇り、そして愛社精神、これらの3点はばらばらに生まれるものではなく、3つがつながって始めて芽生えるものだと思います。学芸員さんの説明の数々から、トヨタが長い歴史をかけて培ったものがはっきり見えたような気がした瞬間でしたし、長年トヨタ車を好んで運転してきた自らの選択までもが誇らしく感じました。

それにしてもこのトヨタ産業技術記念館、とても広い博物館で3時間程度の見学では一部しか見ることができませんでした。

次はもっと時間をとって、ゆっくりと見学したいと思います。皆さんも名古屋に行かれた際には、ぜひ一度訪れてみてはいかかでしょうか。

(人材育成社)


じゃんけんで順番を決めていないか

2016年03月06日 | コンサルティング

研修の演習時間中、グループでの議論の結果発表や司会を担当する順番を受講者同士で決めてもらう場面はたくさんあります。

その際、うっかり「じゃんけん以外の方法で決めてください」と告げておくことを忘れてしまうと、あちこちで「最初はグー、じゃんけんポン」とじゃんけんが始まることが頻繁にあります。

いつの頃からか、はじめに「最初はグー」と調子を合わせてからじゃんけんをするようになったため、決着がつくまでに意外と時間がかかることがあり、その間のやりとりを見ていると思わず苦笑いをしてしまうことがあります。

グループの代表として1名だけが発表をする場合ならともかく、メンバー全員が遅かれ早かれ発表や司会するような場面であっても、「最初に私が担当します」と口火を切る人は少なく、結局はじゃんけんで順番を決めるケースがほとんどです。

これは年代にはあまり関係なく、20代であっても50代であってもだいたい同じ状態になりますし、また企業内研修でも公開のセミナーでもあってもやはり同様のことが起こります。

実は何を隠そう、この私自身、公開のセミナーを受講した際、順番を決めなければならない状況のときに、じゃんけんで決めた経験があります。

そのときのことを思い出してみると、初対面の人間同士がお互い遠慮がちに顔を見合わせている最中に、1人の「ここは公平にじゃんけんで決めましょう」という提案に、「では、そうしましょう」と全員が乗ったわけです。

思い返せば「私が最初にやります」と主体的な選択もできたはずなのに、それをせずに自ら受け身の選択をしたのは一体なぜなのでしょうか。

もちろん、人それぞれに訳があるとは思いますが、私には自らが先陣を切ろうとするのではなく、じゃんけんというある種の偶然や確率に身を委ね、受け入れているのではないかと思えるのです。そしてこれは、日本人の文化や習慣の一つなのではないかと感じています。

こうした偶然や確率をありのままに受け入れようとする考え方の背景には、日本の風土が一般的にイメージされるほどには穏やかではないということがあるのかもしれません。つまり、自然現象とそこに暮らす人々の生活との関係性において、欧米人と日本人では大きな相違がみられるのではないかと考えています。

一般的に、ヨーロッパ大陸の自然風土は夏期は乾燥し反対に冬季は湿度が高く、日常生活における生活環境としては、日本と比べ比較的穏やかだったようです。このため、ヨーロッパでは早くから自然をうまく生活に利用しようとする思想や実際に利用していく力を生み出したそうです。

一方、日本人は四季の微妙な変化を感じ取る一方で、長い歴史の間に地震をはじめ、台風や洪水などによって我々の生活が大きく脅かされてきたことから、自然の持つ苛烈な力を思い知らされています。

このように「自然は美しく恵み豊かである反面、烈しい試練も与えるものだ」ということを幾世代にわたって身にしみて教えられてきているため、欧米流のように自然に対し対等の立場に立って自分たちの生活に都合の良いように利用するという思想でなく、自然の烈しい面については逆らわず、耐え忍んで生命を保ち得ようとするある種のあきらめの精神のようなものも併せ持っているように感じています。

冒頭の例のように、自ら積極的に前に出ようとしないメンタリティの背景には、こうした自らの力の及ばないものについては無理にそれを何とかしようとはせずに、それを受け入れようとする文化があるのではないかと感じます。

とは言え、じゃんけんにいつまでも頼るのではなく、「私が最初にやります」と主体的な選択をする文化・風土に、少しずつでも変えていきたいと思っています。

(人材育成社)


組織のタコツボ化は悪しきこと?

2016年03月02日 | コンサルティング

「日本の企業は組織が縦割りで、お互いに連携しようとせずコミュニケーションすらまともに行なわれない、まるで蛸壺(タコツボ)みたいだ。」といった話をよく聞きます。

もちろん、セクショナリズムという言葉があるくらいですから、欧米の会社でも同じようなタコツボはあります。

日本の企業では、まず組織図を描き、一人ひとりが「自分はここにいるんだ」ということ自覚するところからすべてが始まります。私も、従業員数が単独で2万人もいる企業に勤めていたときに、年に2回ほどある組織変更に伴って回覧されてくる分厚い組織図をめくって、自分の居場所を確認したものです。

その組織図上の居場所こそタコツボであり、それを見た瞬間、従業員に「タコ」としての自覚(習性?)が生まれます。

こうしたタコツボ化は部署間の溝を作り、内側にいる人間にを守ってくれるので、安心して働くことができます。そうなると、タコツボの外に出ることに対する抵抗感が生まれ、ますますタコツボに引きこもるようになります。その結果、様々な弊害が生まれます。

たとえば、他部署との情報のやり取りが低調になり、そこに部署間の利害が絡んでくると仕事の流れを止めてしまうこともあります。

一方、アメリカの企業は、シンプルかつフラットな組織構造を維持しようと努力しているようです。グーグルは、タコツボ化を排除するため、従業員を採用するときに「他者と協働できること」を重視していると言われています。グーグルでの働き方や従業員の採用の方法については、ここでは詳しくは述べませんが、しっかりと利益を上げているところをみると上手くいっているのでしょう。

さて、あらゆる批判の標的と化しているタコツボ化ですが、それほど悪いことなのでしょうか。本当にタコツボは壊すべきなのでしょうか。

私は、タコツボ・システムのメリットは決して少なくないと思っています。

第一に安心して働けることです。外から邪魔されず自分の仕事に打ち込むことができます。第二に、組織として管理しやすいことです。組織図という(物理的に存在しない)骨組みを利用することで、企業が持つ経営資源(ヒト・モノ・カネ)を効率良く配分できます。

そして、日本の企業はそのメリットを最大限に生かして成果を上げてきたのだと思います。

アメリカには、グーグルをはじめ優れたアンチ・タコツボの例がいくつかあります。しかし、日本がそのマネをしてタコツボに打撃を与ても、肝心の仕事の成果につながるとは思えません。

日本においては、どんなことをしても組織のタコツボ化は防げないと思います。

だとしたら、タコツボを壊すのではなく上手く利用する仕組みを新たに作り上げることが必要ではないでしょうか。

(人材育成社)