中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

できるけど、やらないだけ

2015年11月29日 | コンサルティング

公開セミナーや企業研修で伝えることができるのは、ほんとうに役に立つことのほんの一部にしかすぎません。それさえも同じことを何度も話し、ディスカッションやロールプレイングをやってもらって、ようやく伝わるかどうかというところです。

研修講師の中には「腹に落ちる」という言い方をする人がいます。講師が伝えた内容を受講者が理解した、納得したという意味です。「腹に落ちる」ことで受講者は満足し、受講後のアンケートの評価点も高くなります。

内容にもよりますが、5点満点で平均4.3以上なら、受講者にとっても講師にとっても、十分満足できる結果であると言えます。ただし、受講者が少なくとも20名以上でないと、アンケートとしての信頼性は低いと考えた方が良いでしょう。

さて、セミナーや研修で「理解した」受講者はその後どうするのでしょう。学んだことを職場で実行するのでしょうか。

残念ながら、その可能性は極めて低いのです。時間を使って学んだことは消えてしまい、後に残るのは「面白かった」というぼんやりとした記憶だけです。

せっかく学んだ知識やスキルは、職場で使わなければ無駄になります。それは、クッキングスクールで習った料理を、家に帰って作らないのと同じことです。それでは料理を習いに行った意味がありませんよね。

自分が身に付けた知識が役に立つとわかっていても、職場でそれを実践することは非常にむずかしいのです。時間がない、今はそのタイミングじゃない、面倒くさいといった「自分への言い訳」が次々と現れるからです。

そして、セミナーや研修で貰ってきた資料を引き出しの隅に押し込んで、「できるけど、やらないだけさ・・・」とつぶやきます。

ほんとうに良い講師は受講者がそうならないよう、多少嫌われても、しつこいくらい「必ず職場で実践してください」と言い続けます。

良い講師の条件は、受講者を楽しませることではありません。手を変え品を変え、なんとか実践してもらうために講義の中であらゆる努力を続けることです。アンケートの評価点が高いことだけを自慢する講師は二流以下です。

私たちはセミナーや研修の最後に、受講者こう言います。

「『できるけどやらないだけだ』と言うのは、『できない』ということを別の表現で言っているに過ぎません。」※

アンケートの点数はちょっと下がってしまうかもしれませんけれど。

(人材育成社)

※ R・P・ファインマンの言葉です。「ご冗談でしょう、ファインマンさん(岩波現代文庫) 」をご一読ください。


シャンソンと横須賀製鉄所(造船所)

2015年11月25日 | コンサルティング

「あなたの燃える手であたしを抱きしめて  ただふたりだけで生きていたいの ただ命のかぎり あたしは愛したい 命のかぎりにあなたを愛したい」   

これは、エディット・ピアフが歌う「愛の賛歌」(作曲:マルグリット・モノー、岩谷時子訳)の歌詞です。パリで同時多発テロ事件が起きてから、間もなく2週間になります。多くの方が亡くなったり、怪我をされた大変悲しむべき事件ですが、パリで突然愛する人を亡くしてしまった人々の心の中で、この曲は慰めになったことでしょう。

この愛の讃歌は、日本では最も有名なシャンソンと言えるのではないでしょうか。

この歌は相思相愛だったピアフの恋人のセルダンに妻子がいたために、彼を諦めるためにピアフが作った歌だそうです。しかし、やがてセルダンは飛行機事故で帰らぬ人となってしまい、ピアフにとって永遠に実らぬ恋になってしまったようです。

ところで、このシャンソンですが、皆さんはどういう経緯で日本に入ってきたかをご存知ですか?

シャンソンは日本の近代化に多大なる貢献をした、フランス人の造船技師ヴェルニーによるとろこが大きいそうです。ヴェルニーは海軍増強を目指した徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年に来日しました。

造船技術と一緒に灯台の建設、水道施設の整備、技術養成学校の設立、フランス医学の導入など、フランスの様々な技術が輸入されたそうですが、同時にシャンソンも日本に入ってきたのだそうです。

それでは、この造船技術を日本に伝えることになったのが沢山の国がある中で、なぜフランスだったのでしょうか?それは、当時アメリカは南北戦争の真っ最中で余裕がなく、ドイツ、イギリスなどの他国も自国のことで精いっぱいで、他国に技術指導者を送ることができなかったそうです。

そこで、フランスが日本を支援することになったのだということです。

これらの話を聞くと、今の日本の基礎の大きな部分を築いたのはフランスであり、まさにフランスさま様ということになるのかもしれません。

ところで、以前このブログでも触れましたが、人材育成の手法の一つのOJT(on the job training)は横須賀造船所で初めて実施されたものだと言われています。

横須賀造船所は小栗上野介により、日本初の近代的な工場として1871年に完成しましたが、そこでは職務分掌・雇用規則・残業手当・社内教育・簿記・月給制など、現代の労務管理の基礎がすでに実施されていました。OJTの基礎がここで築かれていたわけです。

ご存知の方も多いと思いますが、今年は、横須賀製鉄所(造船所)創設150周年で、それを記念して横須賀市では様々な記念行事が行われています。

先日、私もその一環で「魅惑のシャンソン・コンサート」に行く機会があり、シャンソンに酔いしれてきたのですが、皆さんもこの機会に横須賀市を訪れてみてはいかがでしょうか。

(冒頭の写真はヴェルニー公園 横須賀市HPより)

(人材育成社)


世界で一番危険な動物

2015年11月22日 | コンサルティング

世界で一番危険な動物はなんでしょう?ニューヨークにあるブロンクス動物園(Bronx Zoo)の類人猿舎にその答えがあるそうです。そこには、The Most Dangerous Animal in the World、という文字が書かれた檻があります。恐る恐るのぞいてみると、向こう側に鏡が置いてあります。鏡に映った自分=人間こそ「世界で一番危険な動物」というわけです※。

これは有名な話なのですが、残念ながら作り話のようです。山崎豊子の「沈まぬ太陽」や石森章太郎の「ファンタジーワールド ジュン」(1968年頃のCOM)にも出てくる話なので、昔は本当にあったのかもしれません。しかし、Yahoo.comなどでアメリカのサイトを探したのですが、関連する情報は見つかりませんでした。

私たちは「見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じない」という話を以前書きました。そうした例は私たちの周りにたくさんあります。

たとえば、「三丁目の夕日」の頃の昭和時代よりも、現在は殺人を含む凶悪な犯罪は増えている、というのは犯罪白書を読めば間違いであることがわかります。

「ゆとり教育のせいで、小学校では徒競走のときに全員が手をつないでゴールする」という話も、ごく少数の例外があった可能性はありますが、実際はほとんど行われていません。円周率=3と教える、というのも同様です。

このように書くと、「いや、私は見た」とか「事実だ」という声が返ってくることがあります。しかし、それを裏付ける画像は一切存在していません(わずかに幼稚園の運動会の画像で、それらしきものがありますが)。

たぶん「信じたいものを信じる」という人間の心の性質が、あらゆる宗教の土台になっているのでしょう。

それはそれで(実害がなければ)構わないのですが、研修講師やコンサルタントのような立場の人が「信じたいから」といって裏を取らずに発言をすることは最低な行為だと思います。

「アメリカの有名な心理学者がこう言っています」と口にする限りは、少なくともその心理学者の原著論文や書籍くらいは目を通しておかなければなりません。

そうでなければ、知ったかぶりを通り越して無知というべきですし、知っていて言うならば嘘つきということになります。

もちろん、自戒を込めて。

(人材育成社)

※世界で最も危険な動物ランキング・ベスト(ワースト)25です。1位はお馴染みのあれです。

The 25 Most Dangerous Animals In The World

 


「会社で昼寝」

2015年11月18日 | コンサルティング

皆さんは、毎日どれくらい睡眠時間をとっていますか?

経済協力開発機構(OECD)が2014年3月に公表した調査結果によると、日本人の平均睡眠時間は7時間43分で、全26ヵ国平均の8時間19分より30分以上少なく、韓国に次いで2番目に短いそうです。

睡眠の重要性については、近年再認識されていて、厚生労働省は2014年に「睡眠指針」を改訂しています。その背景には、睡眠時間とマイナス要件の因果関係が明らかになっていることがあるようです。

例えば、長時間労働によって睡眠時間が減り、メンタルヘルスに影響が出たり、生産性の低下、産業事故の発生、交通事故や医療費の増加によって、日本では約3.5兆円の経済的損失になっているとの報告もあります。

実際に睡眠時間が減ると、集中力の低下や注意維持・記憶などに障害が出たり、感情制御機能が低下したり、免疫機能や代謝機能にも異常が出てきて、血圧を上昇させたり肥満につながったりするそうです。

ちなみに、日本の県別で睡眠時間が一番長いのは秋田県(7時間56分)ですが、秋田県は中学生の全国学力テストの結果で第1位になっています。その他にも比較的睡眠時間の長い東北、北陸地方の県が上位にランキングされていることから、睡眠をしっかりとることによって、記憶や学習にプラスの影響を与えた結果と言えるのかもしれません。

確かに、自分のことを考えてみても気持ちよくたっぷり寝られた時は日中に睡魔が襲ってくることもほとんどありませんし、だるくなったり体調不良になることはないように感じます。

反対に短時間しか眠れず、さらに睡眠の質が悪いと、一日中睡魔と格闘しなければならない時があります。そういう時は何だか負け戦に挑んだような感じで、疲労感いっぱいになってしまうこともあります。

実際、私の知り合いにも会議中に眠ってしまい大恥をかいたり、あまりに眠くてお客様との打ち合わせ中につい眠ってしまい、出入り禁止になってしまったという嘘のような本当の話もあります。

では、どうすれば睡眠時間を確保できるのでしょう。働き盛りである40代後半は特に睡眠時間が短い傾向があるようですから、しっかり睡眠をとりたいと思っても、なかなかかなわないという人が多いのではないでしょうか。

そこで、近年注目されているのが企業の昼寝制度です。眠気による作業能率の低下を防ぐために、午後の3時位までの間に20分以内の昼寝をすることを企業として推奨して、言わば公明正大に就業時間中に昼寝をしてもらうのです。

そうは言っても、「会社で昼寝」ということがすぐに馴染むわけではありませんので、中には昼寝制度を就業規則に盛り込んだ企業も出てきているようです。また、会議室を仮眠スペースとして開放したり、アイマスクを配ったり、昼休みにはリラックス音楽を流したりしている企業もあるとのことです。

昼寝と言えば、スペインの「シエスタ」が有名ですが、かつて旅行でスペインを訪れた時には店がシエスタでクローズすることが不便に感じましたが、今思えばそれは理にかなっていたということですね。

実際、弊社のお客様のある企業でも昼寝制度を導入したのですが、昼の休憩時間はともかく、それ以外の時間だとなかなか昼寝をする人がいないとのことです。

勤勉を旨とする多くの日本の企業に昼寝の文化・風土が根付くには、もう少し時間がかかるだろうとは思いますが、仕事の効率や社員の健康のためにも、企業で昼寝するのが当たり前の光景になるような日が早くくると良いですね。

ちなみに、弊社では事務所で仕事をしている時には短時間でもできるだけ昼寝をするように決めています。そうすると頭がすっきりして、仕事の能率が上がることを実感しています。

皆さんも状況が許せば「会社での昼寝」にトライしてみてはいかがでしょうか。

(人材育成社)


孤独なボウリング

2015年11月15日 | コンサルティング

「直接何かがすぐ返ってくることは期待しないし、あるいはあなたが誰であるかすら知らなくとも、いずれはあなたか誰か他の人がお返しをしてくれることを信じて、今これをあなたのためにしてあげる」 

これは一体何のことを言っているのでしょう。「孤独なボウリング」※という本の一節なのですが、実は信頼(trust)について述べたものです。

著者のロバート・D. パットナムは、社会の中でこうした信頼が存在している状態を社会関係資本(ソーシャルキャピタル:Social Capital)と呼んでいます。社会を構成するメンバーに信頼関係があれば、それが社会の効率を高め、社会全体の発展に寄与するというものです。

経済学では、個人は常に(自分の)効用を最大化するためにしか動かない超利己的な存在として定義されています(経済人モデル)。企業のような多くの富を生み出すシステムであっても、個人同士がお互いに契約を結んでいるから成り立つのだと考えます。つまり、経済学では企業を「契約の束(Nexus of contracts)」とみなすのです。

経済学では、契約に関わるコストは無視していますが、実際に個人の一挙手一投足を契約で縛ろうとすれば、膨大なコストがかかります。いや、それ以前に不可能でしょう。

一方、社会関係資本は契約ではなく、信頼によって作られている一種の「資本」であるとしています。なぜ資本かというと、道路や橋や港など、社会全体の経済活動を支えるインフラ(社会資本)と同じようなものであると考えるからです。

「孤独なボウリング」では、かつてアメリカの多くの町に存在していた「ボーリングクラブ」のような、地域の住民同士が信頼関係を醸成するコミュニティが崩壊していることをデータで示しています。こうした状況が社会関係資本を減少させ、結局は経済の成長を阻害することにつながるというのです。

こうした信頼関係の減少は、企業の内部においても見ることができます。たとえば、終身雇用(長期安定雇用)の崩壊です。

いついなくなるかわからない社員に対して、「今こいつを育てておけば、将来何らかの見返りがきっとあるだろう」と思うことはないでしょう。また、成果主義を採用する企業では、短期的な成果に結びつかない人材育成などは二の次になることは明らかです。

空想ですが、マイナンバー制度が安全かつ確実に運用できれば、個人ごとの細かい契約を極めて低コストで維持できるようになるかもしれません。一歩進んで、個人の成果とその測定方法について定量的、定性的に詳細に記述できれば、どの企業で働いても一切矛盾が生じないような「完全契約」が実現できるでしょう。まさに経済学の理論通りの超効率的な世界です。

そうなれば、企業や社会の中で「資本としての信頼」は必要なくなります(私自身はそんな企業で働きたいとは思いませんけど)。

この本を読んで「信頼」というものをあらためて考え直してみたいと思いました。

(人材育成社)

※「孤独なボウリング」ロバート・D. パットナム (著),2006年,柏書房:原題「Bowling Alone,R.Puntnam,2000」


ときめき需要で経済は動いている?

2015年11月11日 | コンサルティング

1枚1,900円のリネンシャツが、11時までは2枚で3,000円!」

半年くらい前のある日の通勤途上のこと、とある駅のエキナカの衣料品店での呼び込みに、2枚のリネンシャツを抱えた人達でレジ待ちの長蛇の列ができていました。

「リネンのシャツって人気があるんだな。それにしても、通勤前にあの長蛇の列に並ぶなんて、会社に間に合うのかな?」と思いながら、その場を通り過ぎたことを覚えています。

さて、先日の新聞に近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」(サンマーク出版)がアメリカで100万部を突破し、米タイム誌では、近藤さんが「世界で最も影響力のある100人」に選出されたこと、また、ヨーロッパでも本が大ヒットしていることが紹介されていました。

近藤さんが日本のみならず、ワールドワイドに影響を与えていることがわかります。

私もこの本が出てすぐに読みましたが、内容は本のタイトルにあるように「ときめき」がキーワードになっています。モノの片づけをするとき、モノを残すのか捨てるのかを判断する際には、「ときめき」の有無を大切にすることを薦めています。ときめくモノは残し、そうでないものは捨てるとのことです。

この本が世界にこれだけの影響を与えているということは、モノの片づけに困っている人がそれだけ沢山いるということです。「ときめき」を感じて購入したモノであっても、時の流れでやがては色褪せて、捨てる際の基準も「ときめき」によって決められる。何だか、少々皮肉な話のように感じます。

私自身は、身の回りのモノを「ときめき」によって判断しなければならない程多く購入することはないので、「ときめき」で片づけなければならないことはあまりありませんが、私のような人間ばかりだと、きっと日本の経済は潤わなくなってしまうことでしょう。

一方で、冒頭の衣料品店に並んでいた人達の中には、リネンのシャツ自体にときめいているというよりは、「お買得感」にときめいて購入している人も多かったのではないでしょうか。

つまり、本来ならシャツを2枚買えば2倍の値段になるのに、それを1.5倍強で買うことができるからと、シャツそのものの魅力や本当に自分に必要なのか否かは脇に置いて、お買い得感にときめいて購入しているように思えるのです。

そして、経済的には本来なら1900円だったはずの消費が、お買い得感にときめくことで1,100円のプラスアルファの消費を生み出しているわけですから、「ときめき侮りがたし」です。

これはあくまで一つの例ですが、このように考えると日本経済の中で「ときめき」で動いている部分は結構大きいのではないかと思っていますし、今後も経済の活性化において重要なキーワードだと思っています。

さて、先ほど私自身はときめきで判断しなければならないほどにはモノに囲まれていないと書きましたが、実は私は自称「文房具オタク」で、文房具だけはセールに行くと、つい「ときめき」にやられてしまい、必要のないものを買ってしまうことがあるのです。

たかが「ときめき」、されど「ときめき」・・・「ときめき」を侮ってはいけません。

(人材育成社)


クラシック音楽と集中力

2015年11月08日 | コンサルティング

皆さんは仕事をしているときに音楽を流していますか?私は流したり流さなかったり、半々くらいです。サラリーマン時代は、当然ながらオフィスに音楽はまったく流れていませんでした。独立した時に嬉しかったことのひとつに、仕事中にいくらでも好きな音楽を聴くことができるようになったことがあります。今に至るまで、全く音楽の流れていない環境で一日中働くのは、(少しだけですが)嫌だなあと思っています。

仕事中に聴く音楽といえばクラシック音楽です。リラックスできる、集中力が高まる、思考が深くなるなど様々な効果があるそうです。実際に、人がリラックスしたり集中している時に出るアルファ波という脳波は、クラシック音楽を聴いているときに出やすいと言われています。

ただし「集中力と音楽のジャンルは関係がない」という意見もあります。

ロックを聴きながら仕事をする方がはかどるという人もいますし、仕事中は演歌一本という人もいます。要は自分が集中できる音楽を流せば良いというわけです。これは、仕事の内容にもよるのでしょう。

アドレナリンを出して気分を高揚させなければ上手く行かない仕事ならば、ロックやポップ、ジャズなどが良いかもしれません。たしかに、プロレスラーが入場するときの音楽がバッハではピンときません。ワーグナーなら良いかもしれませんが。

「音楽の音」は、オーケストラやバンドのように複数の楽器の異なる旋律が重なり合い、ひとつになって聴こえてきます。たったひとつの楽器、ただひとりの歌声だけのときもありますが、異なる周波数成分が干渉し合って聴こえてくる音は、単なる音ではありません。

音色と言うように、まさに音に色を感じます。私たちが仕事のときに集中できるのは、この「色」が自分の好みに合ったときでしょう。誰にでも好きな色があるように、好きな音色があります。

「歌詞が入ってる曲は、それが気になってしまい、集中できない」という人が多くいます。歌詞は言葉ですから、無理やりこじつければ「音字」なのでしょう。文字を見るとつい解読してしまうので、集中力が削がれるのだと思います。

さて、この文章は「J.S.バッハ名曲集」をヘッドホンで聴きながら書いています。やはりクラシック音楽は落ち着いて仕事をするときに最適です。皆さんもぜひ一度試してみてください。効果ありです。

また、言うまでもありませんが、このブログの文章がダメだとしても、それはバッハのせいではありません。

(人材育成社)


「雑談を誤解していないか?」

2015年11月04日 | コンサルティング

 「今日はこの後、どこかにお出かけですか?」、「今度の連休はどうされるのですか?」

美容院やマッサージに行った時に、このように話しかけられると、「ぼっーとしていたかったのに・・・返事をしなければいけない?」と内心思うことがよくあります。

このブログでも3か月ほど前に雑談について書いたのですが、その後、日経新聞(9月8日)に「雑談力を上げるコツ」と題した記事が掲載されていましたので、改めて「雑談」について考えてみました。

記事では雑談について、次のような体験談を取り上げています。

紳士服店で接客をしている人は、「相手との距離を縮めるには、まず自分のことを話すことが重要になる」と話しています。

また、美容院で接客をしている人は、「ネットなどのやり取りが多くなったせいか、面と向かって話すのが苦手な人は年代を問わず多いと感じているので、気負わずに話しやすい雰囲気をつくることが会話を引き出し、信頼を得る第一歩だ」と話しています。

この記事を読んでいて、私自身の過去の出来事を思い出しました。

その昔、私がスイミングスクールに通っていた時のことですが、若いコーチが毎週のレッスンの合間に、熱心に自分のことを語るのです。

いろいろ聞いた話の中で、特に印象に残っているのは彼のスパゲッティの好みの話でした。温水プールの中で棒立ちしながら、明らかにスイミングと何の関係もないスパゲッティの話を聞かされている自分自身を、妙におかしく感じたことを今でも覚えています。

また、別の時の記憶で、ある日タクシーに乗車したところ、運転手からいきなり「さっき、乗車した女性のお客さんに話しかけたら、『疲れているので少し黙っていてもらえませんか』って言われちゃって・・・気を使って話しかけたのに、失礼なお客さんだよ」と話しかけられたこともありました。

スイミングのコーチは一方的に自分のことを話しているので、そもそも会話にすらなっていないのですが、タクシー運転手は会話に乗ってこないお客を失礼だと決めつけているように、会話はサービスの一環であり会話することが良いことという前提があるように感じます。同じように、先の新聞記事も会話をすることを前提にコツに焦点を当てています。 

もちろん、人間関係を作るにはコミュニケーションが大切なのは言うまでもありませんし、そのためには会話が大事なのは当然ですから、それ自体には何も問題はありません。

しかし、状況によっては誰とも会話をせずにぼっーとしていたい時もありますし、一人で考え事をしたいこともあります。また、人目にはわかなくても気分が良くなく、会話をしたくない時だってあるはずです。

そういうことは誰にでもあるはずなのに、あまりに会話や雑談などでコミュニケーションをとることが良いことだと大上段に振りかぶられてしまうと、何だかコミュニケーションを押し付けられているようで、ちょっと重たいなと思ってしまうことがあります。最近は言葉の量でコミュニケーションの良し悪しを測っている風潮があるような気がしてなりません。

もし、話しかけた相手が話に乗ってこないのであれば「何か訳があって、あまり話したくないんだな」とキャッチすることも大切なコミュニケーション力であるはずです。

例え会話がなくても、同じ時間を静かに共有することもコミュニケーションの一つだと思うのですが、いかがでしょうか。

 (人材育成社)


統計学は鬼の金棒

2015年11月01日 | コンサルティング

近頃「ビッグデータ時代に必要とされる人材は統計分析の専門家、データサイエンティストである」などという言葉をよく聞くようになりました。書店に行っても、統計学を取り上げるビジネス書を多くみかけます。実際、「統計学が最強の学問である 」(西内啓著、ダイヤモンド社、2013年)が40万部を突破するという異例の売れ行きを見せています。

このように、すっかり注目されるようになった統計学ですが、ビジネスパーソンにとってのリテラシーとしてどの程度受け入れられているのでしょうか。

私が企業研修や公開講座で、若手~中堅クラスのビジネスパーソン(約50人くらい)に統計学についてどう思うかを聞いてみたところ、返ってきたのは「難しい」、「苦手」、「できれば近寄りたくない」という答えでした。それでも、「役に立つと思う」「機会があれば学んでみたい」という前向きな発言をする人も、わずかですがいました。

ビジネスパーソンとひとくちに言っても、様々な職種があります。製造や品質管理のように統計学を日常的に使う仕事もあれば、営業や経理のように数字と切っても切れない仕事でありながら、統計学をほとんど使わない仕事もあります。

特に営業職は、統計学を敬遠する傾向があります。ある研修で、30代の営業担当者(男性)になぜそんなに嫌うのかを聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「統計学って数学でしょ? 自分は高校時代に数学が苦手だったので、文系の学部に行きました。文系で就職となると事務屋か営業マンしかありませんよね?それに営業は数字も大事だけれど、人と人とのつながりが基本です。お客様を数字扱いするよりも、人として良い関係を築けるかどうか、何回も会って肌感覚で理解することが大事だと思います。」(原文ママ)

人事部の研修担当者に聞いたところ、この人は優秀な営業マンだとのことでした。私も「なるほど、そうだろうなあ」と思いました。

そのとき、こういう人にこそ統計学を使ってほしいと心から思いました。

営業は人と会って、話して、説得して、お金をいただく仕事です。営業のプロセスは初回訪問から始まって、ニーズの把握、それに合致した商品の説明、試用、正式購入、定期購入・・・と続きます。この長いプロセスをスムーズに続けていくためには、ヒューマンスキルが優れていなければなりません。

そうしたヒューマンスキルに優れている人が、データを料理する力を身に付ければ、まさに鬼に金棒ではないでしょうか。

金棒(統計学)は(営業パーソン)が持ってこそ意味があります。

(人材育成社)

みずほ総研公開セミナー「管理者が最低限知っておくべき『統計学の2つの数字』は11月13日(金)、18:30~20:30です。営業活動での活用についてもお話いたします。ぜひご参加ください。