中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

コミュニケーションはサービスの一環という誤解

2017年11月29日 | コンサルティング

このブログでも以前何度か雑談について書いていますが、雑談は対人コミュニケーションを築くうえで有効な面もあります。しかし、私は雑談=コミュニケーションではないと考えています。

私自身、美容院にいるときや整体院でマッサージを受けたりしているときには、ぼっーとしていたいため、話しかけられたりするとちょっと億劫な気持ちになります。このため、美容院に行くときには読みたい本を持参し、それをあえて見えるようにして「話しかけられたくないオーラ」を存分に出しているつもりです。

しかし時々、そのオーラに気付かないのか、おかまいなしで話しかけてくる美容師もいます。数年前に初めて出かけた美容院では、担当の美容師があまりに熱心に話をしてくれるので少々辟易としてしまい、途中で狸寝入りをしました。しかし、その美容師はそれさえにも気付かなかったのか、引き続き話し続けられたので思わず苦笑してしまったのでした。

そのような中で、先日たまたまある美容師のブログを見ました。そこには「限られた時間内で100%の集中力でカットをするために、当店では会話と言うものを切捨ててみたのです」とありました。さらに「髪の毛をカットする際に話をするのは達人でない限り難しい」「会話とカットとどちらが大事ですか?」と続いていました。

美容院に出かける目的として、髪のカットだけでなく美容師とのコミュニケーションを楽しみにしている人もいるでしょう。一方、美容院の中にも、店長が美容師に顧客と積極的にコミュニケーションをとるように指導しているところもあるようです。

しかし、すべての顧客が一様に美容師とのコミュニケーションを求めているわけではありません。そこをきちんと理解せずに、「顧客は皆美容師との会話を求めている」と考えてしまうのであれば、それは間違いであると言わざるをえません。

目の前にいる顧客が何を求めているのかはきちんと観察すれば大体はわかるはずです。自分の本を持ち込んだり、居眠りしていたりして話しかけられたくない雰囲気を出しているのにそこに気付かなかったり、わかっていても無視してしまえば、残念ながらそのお客はリピーターにはなりえません。

コミュニケーションとは、目的に基づいて情報を交換することであり、それは双方向のやりとりを前提にしています。

そこを間違えて、一方的に言葉を投げかけたり、結果的に相手に会話を強要したりするようになってしまうのであれば、それはもはや本来のコミュニケーションとは言えなくなってしまします。

もし、相手が「それを求めていない」という非言語(表情や態度)を出しているのであれば、それをきちんとキャッチすること、それこそがコミュニケーションの大切な要素です。これは接客業ならずとも必要なものです。

「コミュニケーションをとることを積極的に求めている人ばかりではない」、仕事に限らず、あなたが誰かとやりとりをする際に前提に考える必要があります。

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大企業出身者は中小企業では使えない

2017年11月26日 | コンサルティング

 

このタイトルを見て「そのとおり!」と思った方も多いでしょう。ただし、もしあなたが中小企業の経営者ならば、そう考えることは会社にとってマイナスです。先日、ある中小企業の社長と雑談をしたときに大企業からの転職者の話が出ました。

「知り合いがX社(大手電機メーカー)出身の技術者を中途採用したというので、どんな感じか聞いてみたんだ。それがさあ、全然使えないって言うか・・・あれがない、これがない、これは自分がやることじゃない・・・まあ、そんな感じだそうだ。大企業にいると周りがいろいろやってくれるけど、中小企業は自分ひとりでなんでもやらなきゃならないからね。やっぱり大企業にいたヤツはダメだね。使えないよ。」

私は「その人を採用したのはいつのことですか?」と聞きました。
「2ヶ月くらい前かな。」
「誰でも新しい環境に慣れるのに時間がかかります。2ヶ月で判断するのは早過ぎます。最低半年は見守る必要があります。」
「そんな悠長なこと言ってらんないでしょ!中小企業なんだから。」

「社長、その人が不満を口に出そうが嫌な顔をしようが、大企業にいたときのやり方が通用しない環境でどのくらい努力できるかが重要です。もともとX社で技術者として働いてきた人です。新しい環境に適応できたときには、大企業にいたときよりもはるかに大きな力を発揮します。半年でそういう人材が社内に生まれるとしたら大成功じゃないですか?」

この社長のように「即戦力」が欲しいのはわかります。しかし、採用することは人を「働く仲間」として受け入れることです。「即」使えないと判断するのは、最初から人を仲間ではなく単なる道具として見ているからではないでしょうか。

「道具か仲間か」くれぐれもお間違えのないように!

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甘い勧誘? しかし、現実は甘くない

2017年11月22日 | コンサルティング

 「学歴不問、自分の努力次第でどんどんラックアップができる、福利厚生もとても充実、各種休暇取得が容易にできる、売店なども充実、栄誉管理がばっちりされた美味しい食事も無料、家賃は不要、・・・」

良いことずくめのこの夢のような待遇の列挙は、一体何の案内だと想像されますか?

答えは「自衛官への道」というタイトルの、防衛省の自衛官募集の冊子の内容です。

先日、自衛隊関係のある催しに参加したときに配られていたものです。内容は高校3年生の女子生徒が自身の卒業後の進路として自衛隊に興味を持ち、自衛隊の募集案内所に出かけて情報収集をしたという設定です。そして、そこで得られた情報が冒頭の待遇です。 

防衛省によると、自衛官の応募者数は連続しで減少しているようです。その理由はいろいろあるかと思いますが、その1つにはやはり労働人口の減少があるのでしょう。

この2年間、民間企業が軒並み採用数を増やしていることから、売り手市場が続いています。この傾向は今後しばらくは変わらないだろうと言われています。

その証拠に、厚生労働省と文部科学省が11月17日に発表した10月時点での大卒の内定率は75.2%とのことです。さらにこの数値は1966年度以降で最高水所運とのこと。

大企業であっても、昨年から採用活動が混迷を極めているという状態ですから、自衛隊が何とか人をとりたいと考えて、おいしい?言葉で一所懸命に勧誘しようとするのも無理のないことでしょう。

しかし、自衛隊はもちろんのこと民間企業であっても、実際に働くとなればそれは決して容易なことではありません。

もしそのような言葉で人を勧誘できたとしても、入隊(入社)後は厳しいことの連続であり、「こんなはずではなかったのに・・」と思う人が出てきてしまわないか、つい心配になってしまいます。

それを考えると、実際の厳しさや大変さは二の次にして、メリットばかりを強調することには少々違和感を覚えざるを得ません。

一般的には、働くことは楽しいことよりも大変なこと、厳しいことの方が多いのが現実のはずです。しかし、同時にその厳しさがあるからこそ、できなかったことができるようになったり、1つのハードルを越えることができたりしたときの喜びもひとしおのはずです。

こうした成長の実感が得られてこそ、楽しみを感じられたり次のやる気も生まれたりします。

メリットを伝えることは良いでしょう。しかし、現実を伝えることもそれ以上に大切なことであることは言うまでもありません。

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正統的周辺参加論と生産性向上

2017年11月19日 | コンサルティング

正統的周辺参加(LPP:Legitimate peripheral participation)とはJean Laveと Etienne Wengerが提唱した共同体における学習プロセスです(かなり端折った表現です)。ある人が、組織の中で中心的な役割を担うことができるようになるまでには長い時間がかかります。たとえば、新入りが親方や先輩の下で段階的に知識や技能を獲得していく「徒弟制度」を思い浮かべてもらえばよいでしょう。新入りはその組織の「正統的な」参加者であり、はじめは「周辺的」な立場から徐々に「中心的」な役割を果たすようになっていきます。そのプロセスが正統的周辺参加です。

一般の会社は徒弟制度で成り立っているわけではありませんが、職場に入ってきた新人(年齢、経験にかかわらず)は「正統的周辺参加」者です。たとえば、新たな参加者(新人)が先輩の下に付いてOJT(On the Job Training)を受けるとします。新人が学ぶ様々な知識や仕事の進め方は、その職場が置かれた状況やコンテクストの中で生み出されたものです。それは、先輩個人の持ち物ではありません。職場内外でのやり取りの中で「社会的に」獲得されたものです。

さて、生産性にかかわるテーマにわざわざ「正統的周辺参加」論を持ち出した理由を説明します。昨今、生産性向上が求められていますが、それについては2つの議論があります。「生産性=仕事の成果÷投入する労力」とすれば、(1)生産性を上げるためには投入する労力(たとえば時間)を少なくせよという「効率重視」と、(2)仕事の成果(品質、価値)を高めよという「価値重視」です。

会社のような組織においては、1人だけで完結できる仕事はほとんどありません。仕事には「前」と「後」があります。「前」の工程を行う人から仕事が渡され、「後」の工程を受け持つ人へと渡されていきます。このように仕事は「パスワーク」で進みます。ですから、個人の仕事の「効率重視」には限界があります。また、仕事の成果(品質、価値)を高めようとすれば、職場や会社全体でしっかりと話し合う必要があります。

いずれにしても組織全体で生産性を上げようとすれば、メンバーが「正統的周辺参加」という学習のプロセスを経て「社会的に」に知識やノウハウを獲得するしかありません。

すでに学ぶ必要のない優秀な人材だけを集めた「オールスターチームであれば話は別ですが、「普通の」会社はそうではないはずです。

生産性向上の議論の前に、ご自身の職場や会社が「学習する組織」になっているか今一度点検してしみてはいかがでしょうか。

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笑いの絶えない職場とは

2017年11月15日 | コンサルティング

「笑いの絶えない職場にしたい。いつも社員が笑顔でいられるような・・・」

これは、以前コンサルティングの相談にみえた、ある社長の言葉です。

この社長に限らず、今後の会社や職場の「ありたい」イメージをお聞きすると、「笑い」や「笑顔」という言葉を使って表現される方がいらっしゃいます。

続けてもう少し詳しく話をお聞きすると、「コミュニケーションが活発で、皆が仲がよい会社にしたい」ということです。

もちろん、社員が明るい表情で生き生きと働ける会社にすることは素晴らしいことですが、それはあくまでも結果であって笑顔でいること自体は目的ではないはずです。しかし、時々その辺りの事柄が一緒くたになってしまっている方がいます。

会社は営利企業である限り、経営理念のもとに社員が目的に向けてコミュニケーションをとってチームワークを発揮し、売り上げを上げて利益を出すことが一義的な目的のはずです。そして、それが社員にも還元されれば、結果として社員が笑顔になるのでしょう。

しかし、そういうことを抜きにして、いきなり「笑いが絶えない職場」を目標にしてしまうというのは、いささか乱暴な話だと感じます。当たり前のことではありますが、会社はサークルや趣味の集まりではないので、「笑い」を目的にしてしまうのは「ない」ということです。

「笑い」と言えば、今秋始まったNHKの朝の連続ドラマのタイトルは「わろんてんか」です。この「わろてんか」とは「笑ってください」という意味だそうです。ドラマは吉本興業の創業者で女性興行師の吉本せいさんがモデルになっています。吉本さんは大阪を笑いの都にしたいとの夢を持って、笑いをビジネスに成長させた人です。

番組開始後の1か月半の平均の視聴率は20%を切ることもあるようで、今のところはあまり好調とは言えないようです。実際に私も放送開始からしばらくは毎朝見てみました。しかし、「笑いは人を救う力がある」とか「一生笑わせることを約束した」といった会話が多く、「笑い」をテーマにしているわりには、さほど面白くないなと感じました。

そもそも「笑い」が起きるのは、自分の想定とは異なった発言や行動をされたときに、そのギャップを面白く感じるからです。意表を突かれて思わずクスッと笑みがこぼれてしまったり、爆笑してしまったりするということは、ままあります。

しかし、「わろてんか」のように最初から「笑い、笑い」となってしまうと、何となくしらけた気分になってしまうのも事実です。

これは結局のところ、「笑わせる」こと自体が目的になってしまっていて、ギャップを感じさせることがないからなのでしょう。もっと意表を突いた展開があれば良いのにというのが、正直な感想です。

同様に、会社も職場も笑顔や笑いをその目的にするのではなく、結果として笑いが起きるような良い雰囲気の職場環境を作っていくことが大切です。

以前、テレビの番組で笑いが絶えない職場の雰囲気づくりに努めた結果、人間関係が良くなり、さらには職場における仕事の能率も良くなったという事例が紹介されていました。

経営者としては、本来の目的をきちんとふまえつつ「笑いの絶えない職場」を作っていくことに力を入れていくことが大切ではないでしょうか。

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営業に向いてないとお考えの方へ

2017年11月12日 | コンサルティング

10年ほど前、A君は新卒で入った建設会社で新築マンションの販売部門に配属されました。それから頑張ってなんとか中くらいの成績を維持してきましたが、年を追うごとに「自分は営業には向いてない」という思いが強くなってきました。何よりも辛かったのは、営業の仕事がクリエイティブでなかったことでした。

「自分はクリエイティブな人間だ」A君はそう思っていました。彼は大学時代に広告研究会の部長を務め、学園祭の実行委員としてOBOGがいる企業から多くの協賛広告を集めるなど大活躍をしました。希望していた大手の広告代理店には就職できませんでしたが、現在の会社で広報かマーケティングの仕事に就くつもりでした。

「もっとクリエイティブな仕事がしたい!」10年経って主任になり、2人の部下の面倒を見る立場になっても、その思いは変わることがありませんでした。

そして今年の秋、ついにA君は中堅の広告代理店に転職をすることになりました。仕事は、この会社のクライアントである不動産会社から依頼されたウェブや雑誌などの広告制作の進行を管理する「ディレクター」というものでした。

A君はもともと広告の制作プロセスには興味があったので、仕事はすぐに覚えてることができました。また、クライアントである不動産会社についても建設会社時代の知識が大いに役立ち、半年と経たないうちに一人前のディレクターとしての実力を発揮するようになりました。

日本中の営業部には「自分には営業の仕事は向いていない」と考えている人が少なからずいることでしょう。誰しも仕事に向き不向きはあります。もしA君のように何年経ってもその考えが変わらないなら、是非転職すべきだと思います。

ただし、そのときは「転職をする理由」が非常に大切です。なぜなら、営業職から他の職種への転職は、採用する会社からすれば「どうせ営業のノルマがきつくて逃げたくなったのだろう」と勝手に想像してしまうからです。残念なことですがこれが現実であり、他の職種からの転職に比べて大きなハンデとなります。

したがって、なぜ「職を変わる」のか、十分に納得できる説明が必要になります。先ほどのA君を採用した広告会社は、(1)建設会社に10年いてクライアントの業界に詳しい、(2)主任として2人の部下を指導している、(3)広告の制作プロセスについても多少の知識がある、といった点を評価したのです。

さて、A君のように「クリエイティブな仕事がしたい」とお悩みの営業パーソンの皆さん、転職を希望する会社を納得させられるだけの材料がありますか?

もし無いなら、これから営業の仕事を頑張って結果を出すことが転職への近道ですよ!

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「あなたが18才だったら、どのような大学を選びますか」

2017年11月08日 | コンサルティング

 「遊びたい人が選ぶべき大学ではない。」

昨日(11月7日)の朝日新聞に出ていた、東京理科大学の全面広告のタイトルです。

「ある学科の学生が4年間に書くレポート・論文の枚数は約1,000枚。」さらに、「真に実力を身に付けた学生のみを卒業させる」と続きます。

テレビCM、オープンキャンパスなど様々な媒体を使って、大学は今、熱い「Welcome」メッセージを受験生に送っています。30数年前に大学受験を経験した私からすると、「時代は大きく変わったな」と感じるものの1つです。

当時は今よりも門戸は狭く、「入学させていただいていた」ような時代でしたから、まさに隔世の感があります。

受験生向けの宣伝文句の多くは、「いかに楽しい学生生活を送ることができるのか、留学の機会が豊富か、就職に役立つスキルが身に着く、さらに都心のアクセスが良いキャンパスで4年間学べる」などです。少子化で学生数が減っている中、各大学は耳触りの良い言葉で受験生の心をとらえようと必死になっていると感じます。

そういう中での東京理科大学の冒頭の広告です。

「創立以来変わらない『実力主義』は、現在も、関門科目に合格しなければ進級ができない厳格な制度として受け継がれています。」ともあります。

実際に大学のホームページを見てみると、1つの学部の4年次の留年率は12.6%のようです。他の学校については留年率を確認することができなかったのですが、ここまで書くということは、東京理科大学の留年率は相対的に高いということなのでしょう。

話は変わりますが、最近、別の大学の薬学部の在学生と、やはり別の大学の農学部の在学生と話をする機会がありました。薬学部に通う女子学生は、「幼い時に薬の怖さを経験し、それが薬学部を目指すきっかけになった。実験とレポートに追われる日々だけれど、化学の勉強も好きだし、とても勉強が楽しい。」と語ってくれました。また、農学部の男性は、「食べることは生きること、それを追究したくて農学部を選んだ。実験後に提出するレポートは、考察が甘いと何度もリターンになる。でも、何度も何度も書きなおして、ようやく受け取ってももらえた時の喜びは最高です」と生き生きと話してくれました。

実際のところ、この2人のように大学を選ぶ際に自分のやりたいことは何か、将来どうしたいかをはっきりイメージできている人ばかりではないでしょう。

ですから、都心のキャンパスライフの楽しさや就職の面倒見の良さなどが強調されている広告を見て、ついそれらを優先してしまうのも仕方のないことなのかもしれません。

そうした中で、この2人が明確な目的意識を持ってそれぞれの大学を選び、生き生きと学んでいる姿を見て実に頼もしく感じました。同時にこの2人が選ぶきっかけになったであろう、それぞれの大学のPRはどのようなものだったのだろうとも思いました。

そんなことを考えながら、改めて東京理科大学の広告を見ていて思ったのが、実はこの広告は受験生だけでなく、卒業生を迎える側の企業に対するメッセージでもあるのではないかということです。

「地道に努力を積み重ねた経験が、一生使える力になる。真剣に学びたい学生が集う場所」で学び卒業した学生は、企業にとって魅力的な人材であることは確かでしょう。「真に実力を身に付けた学生のみを卒業させる」というキーワードは、企業側にも強い訴求力を持っているはずです。実際、東京理科大学の卒業生の就職先には、そうそうたる企業名が並んでいます。

どこの大学も、学生に選んでもらえるようにそれぞれの魅力の発信に躍起になっている中だからこそ、大学本来の役割である「学ぶこと」を前面に打ち出したPRは、学生と企業の双方に強く訴求するものがあるのではないでしょうか。

さて、冒頭の質問ですが、もし、あなたがもう一度大学に入るとしたら、どのような大学を選びますか。

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AIがあれば人事部は要らない!

2017年11月05日 | コンサルティング

近い将来、AI(人工知能)によって確実に置き換えられると言われている仕事のひとつに「人事」があります。AIに関連する多くの記事によれば、人事部が行っている仕事のほとんどはAIに任せるべきだそうです。実際、HRテック(Human Resource Technology)という人事業務へのコンピュータ利用が急速に進んでいます。

現在、ほとんどの企業において新卒の採用面接や人事考課を行うのは人間です。その際、評価者本人が気付かないうちに「好き嫌い」、「なんとなく」といった感情に影響されます。

その点、AIが得意とする「機械学習」や「パターンマッチング」によって社員の能力や業務適性等をスコア化(点数化)すれば、感情に左右されることなく客観的な判断ができます。企業にとっても社員にとっても良い結果が得られそうです。

また、転職希望者がその理由に挙げるのは人事評価や給与査定への不満、上司との相性などです。そうした主観や感情によるものも、様々な方法でデータを蓄積してパターン化できれば、多くのミスマッチを防ぐことができるでしょう。

さて、本来ならここでAIによるマイナス面を指摘したいところですが、正直言って特に見当たりません。私は人事業務のAI化には賛成です。

ひとつ問題があるとすれば「似非AI」あるいは「AIの誤用」でしょう。たとえば、あまり意味のないデータを大量に集めて「X万件のデータに基づいて判断します」とか、口先だけで「最新のアルゴリズムを使った機械学習により解析します」といった業者が出てくることです。

現在のAI研究者は大変まじめで研究熱心ですが、その周辺に「AIはカネになる」と商売にしようとしている人たちがいます。実のところ、そういう人たちはAIについて理解しているわけではなく、単に金儲けのネタと考えているだけです。

ところで、人事と同じようにAIに取って替わられると言われている経理部は、こうした「似非AI」の被害を受ける可能性はほとんどありません。もともと経理の仕事は「計算」が基本であり、主観的な意思が入る余地はありません。過去を振り返っても、真っ先にコンピュータを使い始めたのは研究開発部と経理部です。

世の中すべての人事部に「機械なんかに人を扱う仕事はさせられない!」という暗黙の了解がある・・・とは言いませんが、採用や人事考課については主観的な要素が多すぎるような気がしています。

人事部門で働く方々にお願いしたいのは、AIを「役に立つ道具」として受け入れていただくこと、そしてAIの基本的な仕組みを理解していただくことです。それが「似非AI」を売り込もうとする怪しい業者を排除し、人事という業務をより良く変えていくことにつながります。

さて、そうなると人事部で働く人はエンジニア出身者が最適ということになりますね。どうやらAIによって絶滅の危機に瀕しているのは単なる「事務屋」のようです。

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「上を向いて歩こう」

2017年11月01日 | コンサルティング

「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぽっちの夜♪」

この歌詞を見たり聞いたりして、あのメロディが思い浮かぶ人は、多分40代より上の世代でしょう。

これは坂本九さんの「上を向いて歩こう」の冒頭の歌詞です。「上を向いて歩こう」は1961年に発売され、日本だけでなく、アメリカでも「スキヤキソング」として大ヒットした曲です。

ここ最近、この歌詞が朝に晩に思い浮かぶのは、歩きスマホをしている人や、電車に乗っていてもひたすらスマホの画面を見つめて、「下を向いている」人が圧倒的に多いからです。

つい先日も、歩きスマホで横断歩道の赤信号に気付かず渡ろうとして車に轢かれそうになったり、駅のホームから転落してしまったりした人の映像がテレビで流れていました。

また、私自身も先週、通勤途上に少し前をスマホを見ながら歩いていた女性が階段から落ちてしまうのを目撃しました。

幸い、女性自身も女性の先に階段を下りていた他の人にも怪我がなかったので、とりあえずほっとしました。

しかし、大事には至らなかったものの、靴が脱げてしまうととともにスマホも放り出されたほどの勢いでしたので、音を立てて階段を転がり落ちる女性を見て、思わず「危ない!」と声をあげてしまうくらい衝撃的な光景でした。

歩きスマホが問題視されるようになって、すでにかなりの時間が経っていますが、状況は改善されるどころか、逆に年々深刻になっているようにさえ感じます。

では、これほど危険だと言われているのに、一体なぜ改善されないのでしょうか。

先日、自身もいつも歩きスマホをしているという20代の男性と話をする機会がありました。彼自身も危険性はもちろん承知しているけれど、「ついついやってしまう」とのことでした。

「歩きながら見なければならないほど、緊急性があるの?」と尋ねたところ、決してそうではないとのことでした。いつも見ている内容は主にゲームやSNS、ニュースだそうです。本来は歩きながら見なければならないほどのものではないけれど、つい見てしまう。いわば習慣になってしまっていると答えていました。

先月末、ハワイのホノルル市で道路横断中に携帯電話などの画面を見ながら歩く行為を禁止する条例が施行されたとのニュースが流れました。スマホだけでなく、タブレット端末やゲーム機器も禁止対象だそうで、違反行為には初回で最大35ドル(約4,000円)の罰金を科すとのことです。果たしてどのくらい効果があるのか気になるところです。

上記のようにスマホを見ることが習慣になって、やがては依存しまう人が増加傾向にあることを反映してか、先日私が訪れた病院には「ネット依存外来」がありました。いかにも「今時」な診療科です。すでに初診の予約がいっぱいのため、当面予約の受付を停止するという表示がされていました。

ネット依存の解決のために病院にかかりたくても、予約をとることすら大変なくらい混雑しているということです。本人に問題意識があっても簡単には事態を打開できない状況ですから、うっかり依存してしまったら大変なことになります。

それでも、自分が依存してしまっていることを認識して何とかしようとするならいいですが、多くの人は自分が多かれ少なかれ依存していることを意識すらしていないのではないでしょうか。

皆さんも、スマホを長時間見続けていると思ったら、ぜひ坂本九さんの「上を向いて歩こう」このフレーズを思いおこしてみてはいかがでしょうか。

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