中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

第1,139話 自らの決断を悔んだときにヒントとなる言葉

2022年10月26日 | キャリア

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「この会社に就職したのが間違いだったのかも」、「内定を得ていた別の会社を選んでいたら、希望の部署に配属されたのかもしれない」

これは以前、弊社があるクライアントのカウンセリングを担当させていただいた際に聞いた言葉です。2社から内定を得て迷いに迷った結果、一方を選んだのにもかかわらず、入社した会社では希望とは異なる部署に配属されてしまい、その後も希望してもなかなか異動がかなわないとのことです。こうした状況の中で冒頭のような悩みを抱え、私のところに相談に見えたのでした。

私たちは、就職のような人生における大きな決断をはじめとして、日々様々な決断をしています。そして決断を続けた結果が、これまで自分が歩んできた道になるのだと思いうのです。

一方で、様々な決断の結果、その後の人生が必ずしも思い通りにいかないようなことがあると、自らの決断を悔むことは誰にでも起こり得ることだと思います。そのようなときにどのように考え、どのように対処するのか。それこそが、その人らしさと言えるような気がします。

先日ある舞台を観に行った中で、主人公を演じる大竹しのぶさんが発する次の台詞を聞いて、こうした思いを強く持ちました。有名な台詞ですから、聞いたことがあるという人も多いと思います。

「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの、間違いと気づいたら自分で間違いでないようにしなくちゃ」 「過去のことは未来を考えたらちっぽけなもの」

これは「女の一生」の中で主人公が発する言葉なのですが、私自身とても染み入りました。

「女の一生」は、森本薫が昭和20年に文学座のために書き下ろした戯曲で、女優の杉村春子さんが生涯に947回にわたり主人公演じ続けたものです。現在は、大竹しのぶさんが舞台で演じられていますが、二つの大戦により激動の時代を生き、その間、担いきれないほどの重みに耐えながら生きぬいた主人公が発した言葉にはまさに「生きた証」が感じられます。また同時に非常に説得力のある重みのある言葉であるとも思うのです。

人は誰でも人生の中で幾たびも大きな決断を迫られることが起こりえます。その結果、一生懸命に考えて良かれと思って選択した道であっても、必ずしも思い描いていたとおりにはならないことも少なくないわけです。そういう中でどのように考え、行動するのか。「女の一生」で聞いたこの台詞が大きなヒントになるような気がしています。

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第1,138話 あなたの声は届いていますか?

2022年10月19日 | 研修

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「聞き取れなかったので、もう一度お願いできますか?」、「もう少しだけ声のボリュームを上げていただけますか?」

これは、弊社が対面での研修を担当した際に受講者にかけることが多い言葉です。コロナ禍も既に2年半が経過しますが、この間大きな声で話すこと自体を控えざるを得ない状況が続いていました。何よりも声がマスクで遮られてしまうために、より聞き手に声が届きにくくなってしまっているのです。

先日担当させていただいた研修は20代半ばの受講者が中心でしたが、「はい、いいえ」に限らず全員の前で発表していただくときも声が非常に小さかったため、やむを得ず途中からマイクを使用してもらうようにしました。その結果、多少は改善されたものの、まだ十分には聞き取れなかったため、研修担当者にマイクのボリュームを上げてもらい、ようやく聞こえるようになったのでした。

また、新入社員採用試験で集団討議のアセスメントを担当させていただく際にも、繰り返し声のボリュームを上げてほしいと声をかけざるを得ないときがあります。日本人はもともと諸外国と比べると声が小さいと言われているようですが、中でも私は相対的に最近の若い人に声の小さい人が多いと感じます。

私がコミュニケーションがテーマの研修を担当させていただく際には、冒頭で「聞き手に声が届かなければコミュニケーションは取りにくい」という話を必ずします。次に「あなたは日常生活の中で、相手から聞き返されることが多いと感じますか?」と質問すると、最近では受講者の一部しか手を上げないことが多いのです。客観的には多くの人が相手に声が届きにくい状態であるのにもかかわらず、本人はそれほど問題意識を持っていない人が多いことが少々気になります。

それでは、特に最近の若い人たちの声のボリュームが小さいことには何が理由があるのでしょうか?これに関して、以前試しに数人の受講者に質問してみたことがあります。その際の回答としては「研修などで多くの人を前にすると気後れしてしまい声が出ない」、「自分の発言に自信がない」、「そもそも声の大きさについて気に留めたことはない」、「大きな声を出そうと思っても出ない」など様々な答えを聞くことができました。

しかし、コミュニケーションが成立するためには、お互いが話していることが相手にきちんと伝わることが必要なのは言うまでもないことです。

私はこの点に関しては、既に10年位前から気になっていましたので、コロナ禍の前の新入社員研修での挨拶の練習時に、声量(音量)を測定したこともあります。その後も研修の中で腹式呼吸の練習をし、ボイストレーニングを経て声のボリュームを上げていただくようなことをすることもあります。

コロナ禍でそうした練習をしづらい現在、声のボリュームを大きくするためには、まずは自分自身の「声」に関心を持ってもらうことが必要です。さらにコミュニケーションにおいては必要以上に大きな声を出す必要はないものの、聞き手にしっかり声が届くことが大前提であるということを改めて理解していただきたいと、まさに「声を大にして」お伝えしたいと思います。

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第1,137話 グループ討議で得られるもの

2022年10月12日 | 研修

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「自分にはない視点や発想を知ることができた」、「意見が異なった際の、軌道修正をすることの重要性がわかった」

これは、弊社が担当させていただいた研修の終了後に行ったアンケートでの、グループ討議に関する感想の一部です。弊社では、研修やセミナーを担当させていただく際には、オンラインであっても、対面であっても必ず4~6名くらいのグループに分かれて、様々な演習に取り組んでいただくようにしています。それは、グループワークのように複数の人数で1つのテーマについて話しあい、最終的にグループとしての答えを出していくことに、たくさんのメリットがあると考えているからです。

具体的には、個々人の考え方や知識を互いに引き出し合うことができるため、たくさんの気づきを得ることができます。また、時間の制約がある中で、コミュニケーションを取りながら様々なテーマに取り組むことによって、実践的なスキルを得ることもできる考えています。

このように様々なメリットがあるグループ演習であるため、そのメンバー構成は受講者の研修への満足感や研修全体の成否に大きな影響があります。そのため、多くの場合研修のご担当者はメンバー編成の際は時間をかけていらっしゃいます。例として、所属部署、性別、年齢等の属性を考慮し、さらに組織の規模にもよりますが、個々の性格やタイプも踏まえ編成してされているのです。

その結果、メンバーの組み合わせが良いと、仕事のときより積極的にコミュニケーションをとる人がいたり、普段はどちらかというと目立たないと思われている人が思いがけずリーダーシップを発揮したり、発言しない人に気配りをしたりするなど、新たな面を発見できることもあります。また、普段とは異なる力を発揮できることは、何より本人の自信につながり、その後の仕事の上でも様々なプラスの効果を得ることができます。そのように考えると、研修におけるグループ演習のメンバー編成はとても大切なことだと言えるのではないでしょうか。

一方で、様々なメンバーが集まるグループ演習の場だからこそ、失敗を含め様々な経験をしてほしいという思いから、名簿順やくじ引きでメンバー編成を決める組織もあります。メンバーの組み合わせの結果、積極的に発言する人があまりいないグループでは演習がなかなか進まないケースもありますが、そういう経験からも得られるメリットはたくさんあるとの考えから、あえてそのようにされるわけです。

しかしながら、私がこれまでたくさんのグループ演習を見てきた中で改めて思うのは、研修で日常の仕事の中ではなかなか関わることのないメンバーが意見を出し合い、一つの目標に向かって進んでいくという機会は限られたものであり、その中でグループ全体の満足感を高めるためにも、やはりメンバーの編成はとても大切だということです。

以上のことから研修担当者からグループのメンバー編成について相談を受けた際には、今後もそのように伝えるつもりです。

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第1,136話 謝罪は何のためにするのか

2022年10月05日 | コミュニケーション

「到着が遅れましたこと、誠に申し訳ございません」

電車が遅延した際、車掌からのお詫びが放送されることがあります。最近では、複数の電鉄会社の路線が相互乗り入れするようになった結果、便利になった反面で遅延も以前と比べ頻繁に起きるようになってしまっています。そのため、冒頭のお詫びの言葉も日常的に聞いているような印象があります。しかし、遅延の原因が必ずしもその電鉄会社にあるわけではない場合も少なくないことが影響しているのか、お詫びの言葉やトーンはときにマニュアル的であり、あまり申し訳なさそうに聞こえないと感じることもあります。

また、企業が不祥事を起こした際に、報道などで経営陣が一斉に頭を下げている様子を見ることもありますが、謝罪の気持ちがあまり伝わらないことがあるだけでなく、その後も同じような不祥事が繰り返されてしまうこともあります。

このような例を見ると、ややうがった見方かもしれませんが、とりあえず事態を収めるために形式的に謝まっているのではないかと感じることさえあります。

謝罪の言葉は、仕事のみならず私たちが日常生活をしている中で、こちらに非がある場合に相手に申し訳ないという気持ちを伝えるものです。しかし、この申し訳ないという気持ちを伝えても状況が改善されないことがあったりすると、謝罪する意味がないのではないかと感じるようなこともあると思います。

そのようなことを考えていたところ、「折々のことば」(朝日新聞10月3日)で、鷲田清一さんが三木那由他さんの言葉を紹介している記事を見て、謝罪についての整理ができたように感じました。

「謝って解決するのではない。むしろ、謝罪は新しい始まりなのだ。」 三木那由他

「謝罪の言葉を口にすることで事が終わるのでも禊(みそぎ)がすむのでもない。その言葉がどこまで真摯なものかが問題だ。が、それが真摯なものかどうかは誰も確かめようがない。言葉が心を映すものだと考えるかぎりは。謝罪はむしろ、この悔いを前提にふるまうことを個人の指針とするのではなく、それを他者と『約束』することなのだ・・・」

私はこれまで簡単に他者に土下座をしたり、すぐに謝ったりする人を見たことがあります。しかし、その後もその人が同様のことを繰り返すのを見て、その謝罪自体が非常に軽いものと感じ、不信感さえ持ちました。記事を読んで感じたのは、その人の謝罪はまさに他者との約束を見据えたものではなく、一方的であり一時的なものであったのだということです。本当に謝罪しようとするのであれば、未来に向けての約束を守る必要があったということです。

仕事に限らず、私たちが日常生活をしている上では、謝罪したりされたりすることはあり得るわけですが、その気持ちや姿勢をどのように相手に伝えるのか。少なくとも私自身は、将来に向けての約束を相手とする気持ちで謝罪をしたいと改めて考えた次第です。

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