中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

アンケートは何人から取ればいいのか

2017年02月26日 | コンサルティング

あなたが調査機関の研究員だったとします。そして今「働き方」に関するアンケート調査の実施を考えているとします。現在の労働環境について「日本の勤労者はどう考えているのか」という問題意識を基に、調査票には「あなたは、自分自身が働きすぎだと思いますか?」といった質問をいくつか載せました。

そして、幸いにもこのアンケートの対象となる日本全国の勤労者約100万人分の住所が記載されているリストが研究機関にありました。

ここで質問ですが、100万人のうち何人くらいから回答をもらえば良いのでしょうか?

「100万人を対象にするのだから、少なくとも1割、10万人くらいから回答をもらわなければいけない」あるいは、「いや、1万人くらいでなんとかなるだろう」と思われたでしょうか。

しかし、アンケートは全員が回答してくれるとは限りません。答えを返してくれる割合(回答率)が2割程度でしたら、1万人分のデータを得るためには5万人にアンケート票を送らなければなりません。大変な手間とお金がかかりそうです。

しかし、ご安心ください。わずか384人分の回答でOKです。ですから、アンケートの回答率が仮に10%程度しかなくても、4,000人に調査票を送れば十分です。

アンケートは対象となる母集団(今回は日本の勤労者)から一部を抽出して調査を行うサンプリング調査(標本調査)と呼ばれる手法で行われます。上下5%の誤差範囲で調査する際に必要なサンプル数は、母集団の人数ごとに以下のように変動します。

母集団:1,000人→必要なサンプル数:278人
母集団:10,000人→必要なサンプル数:370人
母集団:100,000人→必要なサンプル数:383人
母集団:1,000,000人→必要なサンプル数:384人

面白いことに、10,000人を超えると必要なサンプル数はあまり変化しません。母集団が1,000人以上の場合は400人程度の回答が得られるようにアンケートを実施すれば、5%の誤差範囲内でデータを得ることができます※

最近は、インターネットを使ったアンケート調査を代行してくれる会社も増えてきました。(注意! いきなり電話をかけてきて、録音してある音声で一方的に質問をはじめる「電話アンケート」はいけません。良いデータは得られません)

さて、このように少ないサンプルで大きな母集団(市場)の様子を知ることができるのがアンケート調査の醍醐味です。マーケティングや営業活動に、もっと気軽にアンケートを実施してみてはいかがでしょうか。PRで恐縮ですが、当社は調査票の設計から調査の実施、集計、分析に至るまで様々なアンケートに関するご相談を承ります。

お気軽にご連絡ください。

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なるほど統計学園高等部 | 調査に必要な対象者数

 


研修はどの階層から行うと良いのか

2017年02月22日 | コンサルティング

研修は若手から始めるのが良いのか、それとも管理者から始めるのが良いのか。

どちらを先に行うとより良いのか?

これは古くて新しい議論です。私が人材育成の仕事に関わるようになって、既に24年が過ぎていますが、思えばその頃から現在に至るまで、度々議論されているテーマだと思います。

どちらを先に行うと良いのかは、研修テーマや成果をどこに求めるのかなどによっても異なってきますので、一概にどちらが良いと言えるものではないかと思います。それでも私は総じて管理者などの上層部から行う方がよいと考えています。

もちろん、パソコンスキルのようなテクニカルスキルであれば、上層部から行うべきものとは異なります。しかし、たとえば最近では至上命題になっている感もある「働き方改革」や「女性管理者を増やす」といったテーマに対して、「特に若手の残業時間が長いから若手に対して優先的に実施する」。また、「女性管理職を増やすためには女性の意識変革をしてもらわなければならないから女性限定の研修を行う」というのでは、効果を得ることはなかなか難しいでしょう。

組織として働き方改革を目指すのであれば、その中で個人の努力で改善できる部分は意外と限定的です。仕事のムダや問題を解決するためには、個人の努力で解決できる部分はそれほどないです。多くの場合はチーム単位で対策を練ったり、ときには他部署に働きかけたり、状況によってはお客様に仕事の発注方法について相談したり、依頼したりすることが必要になります。

そして、これらのことは権限を持っている人でなければできません。つまりは管理者が動いて、初めて達成できることなのです。

また、女性の管理職を増やそうとする取り組みについても、女性に意識の改革を迫るだけでは行えるものではありません。管理者が女性のキャリアについてのきちんとした知識を得ることから始めて、個々人のライフステージや本人の希望に応じて仕事を任せたり、経験させたりということをしないと、目的を達成することはかなわないはずです。

逆に、「研修は若手から始めた方がよい」と考える会社であっても、まずは若手に行った後に徐々に階層を上げて、最終的には全階層が研修を受けるというのであればそれも一つの方法だとは思います。しかし、実際には若手から行なおうとする会社の多くは、管理者には研修を行っても無駄だと考えているところがなぜか多いようです。

ためしに、そのような会社の一つに、管理者に研修を行うのは無駄だと感じている理由を尋ねてみると、「年寄りは頭が固くなっているので、今さらやっても仕方がない」との答えが返ってきました。

そこで、「年寄りとは何歳くらいのことを言うのですか?」と確認すると、「50歳以上は年寄り」とのことでした。しかし、最近の雇用延長によって多くは65歳まで組織にいることを考えると、50歳はあと15年も組織にいる人であり、「今後何をやっても仕方がない」と考えるのはいかがなものかと思わざるをえません。

そして、このような考え方の方が組織の中で大きな権限を持って仕事をしていることを考えると、これはやはり少々問題なのではないかと思ってしまいます。

組織は共通言語があって初めて「事」が動きます。そしてその「事」を動かすための「はじめの一手」を出すのは、何と言っても権限を持っている管理者です。

これを踏まえて、弊社で研修を始めるときは、今後も管理者から優先的に行っていく必要性をお伝えし続けていくつもりです。

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魚は頭から腐る

2017年02月19日 | コンサルティング

これは、トルコ(ロシアという説も有力)のことわざです。魚とは組織、頭とはトップを表しています。組織の頭(社長)には、大変強い権限が与えられています。その発言や指示によっては、魚(会社)を腐らせてしまうほど強い影響力があるという警句です。

しかし、残念ながら経営者になるとそんなことは忘れてしまう、あるいはどうでもよくなる人もいます。特に大きな組織になればなるほど、そうなってしまう確率が高くなるようです。

東芝の不正会計事件のニュースを見るたびに、「魚は頭から腐る」という言葉が頭に浮かびます。本来、危機管理はトップの最も重要な仕事のはずです。東芝の経営者は、自分たちが危機を生み出した(会社を腐らせた)ことを理解できないほど腐っていました。

ところで、経営者になった途端に人は腐るのでしょうか。

いいえ、いきなりではありません。人は与えられた権限が大きくなるに従って徐々に腐敗していきます。

「俺がいなければこの部は崩壊するよ。」、「うちの部下はみんな仕事ができないから、俺が細かく指示しないとダメなんだ。」などという言葉を口にする管理職はかなり腐っています。若い社員でも「うちの会社くらい大きくなると国も(うちの会社を)おいそれとは潰せないよな。」などという発言をしたら、腐り始めていると思ってください。

もちろん全ての人がそうだとは言いませんが、経営者や管理職の日常の行動、発言などを注意深く「嗅いで」いるとなんとなく腐り具合がわかります。

では、魚を腐らせない方法はあるのでしょうか。

もっとも簡単で効果的な方法は罰則を強化することです。不正の大きさによって、最大「終身刑」くらいの刑事罰を与えると良いでしょう。また、不正を見抜けなかった監査法人の関係者は「公認会計士資格の剥奪」をするべきです。

ただし、ひとつ大きな問題があります。それは、資本主義が人の欲望を基にしたシステムだということです。

資本主義社会では、人よりも多くの富を得たいという利己心(欲望)が競争を生み、勝者が生き残ることでより大きな富を生み出します。その繰り返しが国全体の富をどんどん大きくしていきます。

厳しい罰則が欲望という「やる気」を押さえてしまうと経済が発展しなくなってしまう恐れがあります。

資本主義が成立する理由を、アダム・スミスは欲望を制御する「道徳心」に求めました。マックス・ウェーバーは宗教的な倫理が「資本主義の精神」を支えていると述べました。また、渋沢栄一の中心思想は「道徳経済合一」でした。

つまり、道徳や倫理という個人の心に中にあるものが資本主義を支えているというのです。組織のリーダーとっては、頭の良さも大事ですが「心の良さ」はもっと大事であるということです。

大げさかもしれませんが、働く人たちの道徳や倫理によって社会が成り立っています。しかもそれは、学校教育では身に付かないものであることは、不正を起こした大企業のトップの多くが学校秀才であることを見てもわかります。

「道徳経済合一」は資本主義にとって永遠の課題です。

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理想の上司に必要な要素

2017年02月15日 | コンサルティング

「いざという時に逃げたりせず、頼りになる人」、「いつも機嫌が安定している人」、「仕事は一所懸命。プライベートも大切にして、オンオフ共に大切にしている人」など、理想の上司像やロールモデルとして若手社員に挙げられる要素には、これらを始めとして様々のものがあります。

こういう話を聞くたびに、「多くの人が理想の上司としてイメージするのは、まるでスーパーマンのように完璧な人だけれど、果たしてそういう人がいるのだろうか」と感じていたのです。しかし、一昨日たまたま見ていたテレビで、有名な“O氏“が次のように評されているのを目にしました。

いわく、「勝負に対する強いこだわり持っていた」、「根性を持っていた」、「自分を持っていた」、「気合いが入っていた」、「自分から前へ前へと進み、やる気をみなぎらせていた」、「一喜一憂せずに、心がぶれず安定している」、「心臓がバクバクするような時でも、一切表に出さない、いつも通り、淡々と仕事をしている」、「負けたくないという意地があった」、「OnとOffがはっきりしていた」、「いつもよく食べていた」、「部屋では静かだった」、「疲れをとるために必ず寝返りを打っていた」、「本番前にはルーティンがあった」などなど

まるで、理想の上司像にぴったり当てはまりそうなこの“O氏”、一体どこの誰だと思われますか?

その名は、かの“オグリキャップ”。40代以上の方はご記憶だと思いますが、日本の競走馬(種牡馬)史上において数々の勝利を収めた、あの“オグリキャップ”です。

オグリキャップは1985年生まれ。1987年5月に笠松競馬場でデビューし、8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録しています。

一昨日のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、「ただひたすら前へ 競走馬・オグリキャップ」と題して、オーナーや調教師・騎手により、オグリキャップの「プロフェッショナルとしての生き様」が紹介されていました。

それが前述の数々の言葉なのですが、これらはまるで人間のことのようですし、何より私達ビジネスパーソンが理想の上司に求める要素とぴったり重なっているように感じました。

オグリキャップはこのように理想の上司像に等しい要素を兼ね備え、数々のレースで見事な勝利を挙げ、その後、引退を決めたラストランにおいては誰もが予想だにしなかった勝利を挙げ、17万人を超える観客からあの“オグリコール”が湧きあがったということです。

こうした経歴から、オグリキャップは伝説の馬と言われるようになったわけですが、今でも“オグリコール”のシーンとあの歓声が鮮明に記憶に残っている人は多いのではないでしょうか。(私もその一人!)

そのオグリキャップも、出自は決して期待されたものではなかったため、人生(馬生)のスタートは地方競馬で、そこで勝利を重ねた結果、中央競馬に転戦したわけです。

生まれ持った性質、努力の結果つかんだ性質によって理想の上司のような要素を持ち備えたスーパーマンのようなオグリキャップ。

私たちがスーパーマンのような上司になるのは決して簡単なことではないですが、一つでも「ここは誰にも負けない」というプロフェッショナルとしての意地を身に付けていきたいものです。

それにしても「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、人間以外が取り上げられたのは初めてではないかと思いますが、記録だけでなく多くの人の記憶に残る、今でも愛され続けている存在なのでしょう。

(冒頭の写真はNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」より

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営業パーソンは雑談よりも落語を学べ!

2017年02月12日 | コンサルティング

最近、営業パーソンの間では雑談力が注目されています。「雑談はお客様との距離を縮め、良い人間関係を築く技術」だそうです。どんな商談も雑談から入れば、お客様の心が開き、にこやかになり、その後の商談も進むので、営業成績も大幅にアップ・・・。というわけで、成績不振の営業パーソンがこぞって「雑談力」というネーミングの本を買い、講演会やセミナーに行き、雑談を覚えて実践で試しています。

ところが、その成果に関してはあまり耳にすることはありません。多少は「雑談が上手くなってお客様と早く打ち解けられるようになりました」といった話しを、書籍の紹介記事で見かけることはあります。しかし、雑談が上手くなったのでノルマの達成率が100%を超えました、と言った話しは聞きません。

ちょっと悲観的な見解のように聞こえるかもしれませんが、雑談という手段は営業活動にそれほど役には立たないと思います。

私がお勧めするのは雑談ではなく落語です。・・・いえ、いえ、落語を覚えてお客様の前で一席打(ぶ)てといっているわけではありません。

落語の醍醐味は、噺家(はなしか)が最初から最後までお客を引っ張っていく流れ(フロー)の上手さにあります。

古典落語、たとえば「時そば」はどなたも一度は聴いたことがあるでしょう。ストーリーがわかっていても、話すテンポや、間合いの取り方、表情、しぐさなど演者によっては少し面白かったり、そうでもなかったりします。そんな「時そば」も上手い噺家が演じると、まあ面白いのなんの。

商談にもスムーズな流れというものがありますが、落語のように面白い話をする必要はありません。だいいち商談相手は、お金を払って落語を聴きに来るお客様とはまるで違います。

それでも、「お客様」という基本的な立場は一緒だと考えてみましょう。心地よい話しのテンポや間合いの取り方は、商談の流れを作ります。さらに、営業パーソン自身が安心して商談を進めることができる一種の内なるリズムを作ります。

話すのが苦手な営業パーソンは、リラックスして落語を何度も聞き流してみると良いでしょう。落ち着いて商談が進められるようになります。少なくとも雑談よりは効果があります。

え?お勧めの落語家ですか・・・私の一押しは、春風亭一之輔です。

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スポーツの監督の指導法はビジネスパーソンの人材育成に応用できるのか

2017年02月08日 | コンサルティング

スポーツでチームが優勝したり、選手が好成績を上げたりすると、その監督の指導法に注目が集まります。

たとえば、元ラグビー日本代表監督のエディー・ジョーンズさんや、シンクロナイズドスイミングの井村雅代監督、最近では箱根駅伝で史上初の3連覇に輝いた青山学院大学陸上部の原監督が脚光を浴びています。

1月31日に放送されたNHKクローズアップでも、原監督の指導法が取り上げられていました。番組の中で、原監督は「任せれば人は鬼になる。練習メニューに口出ししない。自分で課題を見つけ、自分で乗り越える。自分で自分を育てることが大切」とおっしゃっていて、週6日の練習のうち3日は直接には指導せず、選手に練習メニューを考えさせて自ら取り組んでいく指導法を取り入れているとのことでした。

具体的には、1人1人長期的な目標と短期的な目標を設定してシートに記入し、1か月ごとに更新する。目標はぎりぎりのレベルを設定する。立てた目標はチーム全員で共有し、低すぎたり高すぎたりする目標は仲間内でアドバイスしあい、適切なレベルの目標に修正するとのことでした。

目標を紙に書くこと、さらに自分の目標を他の人も知ることで、真剣に目標に取り組まざるを得なくなるとのことです。

この指導法は、ストレッチ目標(簡単すぎず、それでいて到達不能なほどの高い目標にならない)を設定するという点で、企業が目標管理に取り入れているものと同様の手法です。

一方、目標の共有に関しては、本来は企業の目標管理制度においてもメンバー内で共有されることが望ましいわけですが、実態はなかなかそこまで至らず、本人と上司のみで共有されている組織が多いと考えられる中で、青学大陸上部ではチーム内での共有までしているわけです。

あの3連覇は、こうしたち密な目標設定と共有を徹底的に行うことによってもたらされたものだったのだなとあらためて思いました。

原監督だけでなく、スポーツで実績を上げている監督の指導法を講演会や書籍で見聞きすることがこれまで何度かありましたが、それぞれに「さすが」と感じ入るところがあります。

では、スポーツで実績を上げた監督の指導法は、企業の人材育成にも応用できるのでしょうか。もちろん、応用できるところはたくさんありますが、私は1点大きく異なるところがあると考えています。

それは「モチベーション」です。

青学大陸上部の部員数は知りませんが、箱根駅伝の10名の選手枠に入るために、部員は高いモチベーションを持って日々しのぎを削っているはずです。チームのメンバーは仲間であり、同時にライバルでもあるのですから。

では、ビジネスパーソンはどうでしょうか。こちらは、スポーツの選手のようにモチベーションが高い人ばかりではありません。さらには、スポーツ選手が現役で活躍するよりもはるかに長い時間、ビジネスの場に身を置いていれば、ままならない人事などをはじめとして、モチベーションを維持することが難しいことがたくさんあるわけです。

このため、スポーツで好成績を上げたからという理由だけで、その指導法をそのまま企業の人材育成に当てはめても、決して上手くはいかないでしょう。

それぞれの違いを踏まえたうえで、すばらしい成績を上げた監督の指導法をよく分析して、応用していくことが何よりも大切だと思うのです。

明治安田生命保険が今春就職予定の学生に行った「理想の上司」を聞くアンケートの結果が昨日報道されましたが、原監督は4位になっています。原監督の影響力がスポーツの世界以外にも広がっているということです。

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営業の他流試合は要注意

2017年02月05日 | コンサルティング

他流試合とは、複数の流儀がある武術などで他の流儀の人と試合をすることです。他流試合の醍醐味は流儀と流儀のぶつかり合いにあります。ちょっと古いですが、私はアリ対猪木のような異種格闘技を思い出してしまいます(まあ、あれはちょっと期待外れだった感がありますが・・・)。

ビジネスの場においても、個人の力量が他の職場でも発揮できるのかどうかは、とても興味深いところです。果たして優秀なビジネスパーソンも、異種格闘技のような他流試合をしてみたいと思うのでしょうか。

私は、ある会社で優秀だった人は、転職先でもほぼ間違いなく優秀であると思っています。できる人は、流儀の違いを乗り越えてその力を発揮するはずです。

しかし、営業という仕事においては、必ずしもそうは言い切れないようようです。

かなり前のことですが、ある自動車ディーラーに非常に優秀なセールスマンがいました。彼はある日、有名な外資系のコンピュータメーカーにスカウトされました。もちろん待遇はかなり良くなります。

「自動車でも家でもコンピューターでもなんでも売る自信がある!」彼はそう言って、そのコンピューターメーカーに転職しました。

最初は戸惑っていましたが、持ち前の行動力と勉強量で半年もしないうちにトップクラスの営業成績を上げるようになりました。

しかし、2年目あたりから急速に成績が落ちてきました。やがてCランク営業(最低ランク)という烙印を押されてしまい、メンタル面にも影響が出てきました。

どうしてそうなってしまったのか、心配になって聞いてみたところ、意外な答えが返ってきました。

「売っている製品に一貫性がないんだ・・・」

外資系だからというわけではないのでしょうが、新しい製品が出るたびにそれを最優先で売らなければならないそうです。問題は、それまでに売っていた製品をある意味否定するような内容になっていることが、彼の悩みの種でした。

「コンピューターは進歩が早いから、割り切って新しいものを売ればいいのだろうけれど、どうも自分にはそれが上手くできなくて・・・」

彼の営業の流儀は、お客さんと時間をかけて信頼関係を築き、長い付き合いをすることだったのです。コンピューターのように、製品ラインナップがある日突然一新してしまうような製品を扱うのは苦手だったようです。

その後、彼はビルの空調設備を作るメーカーに転職し、営業マンとしても完全に復活しました。建築設備は、何十年もかけてじっくりとお客さんと向き合う業界だそうです。

さて、営業にも様々な流儀があるのかもしれませんが、それを意識している人は少ないようです。単に「売るのが得意」と思っている人は、一度自分の流儀を確かめてみてはいかがでしょうか。

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「ほめる・叱る」を誤解してはならない

2017年02月01日 | コンサルティング

昨夜のNHKクローズアップ現代プラスのテーマは、「怖い鬼は厳禁!?“ほめられ世代”どう叱る?」でした。

そこでは、入社2年目の社員で叱られるとやる気を失う者が6割もいること。また、厳しくするとすぐ辞めてしまうために、ほめる取り組みに力を入れるようになった企業の例が紹介されていました。

私自身、人材を育成する上でほめる必要性や重要性は十分認識していますので、担当する研修やセミナーでも当然そのように伝えています。

しかし、番組の中で紹介されていた事例では、若手を育成することよりも機嫌をとるようなほめ方をしたり、管理者自身が若手から嫌われないために若手をほめていたりしていて、まるで「ほめること自体」が目的になってしまっているように感じました。

はたしてこうしたやり方で人は育つのでしょうか?

番組のタイトルのように、管理者が鬼のように怖くなる必要はまったくないと思いますが、悪いことは悪いと指摘すべきですし、改善すべきところは改善させなくてはいけないことは言うまでもありません。

まず、はっきりさせておかなければならないことは、ほめる時、また、叱る場合に、「何を目的にして、どういう基準で行っているのか」ということです。

長期的な視点で考えれば、ほめる、叱るいずれも、人材を育成することを目的に行う行為です。

一方、短期的な視点では、ほめる場合は行動の強化を、叱る場合は行動の変更を求めているわけです。

こうしたことを踏まえた上で、管理者は部下をほめる時にはきちんとほめ、叱るべき時ははっきり叱らなければ、自らの役割を放棄していることになります。ほめる、叱るは決して好き嫌いで行うものではないのです。

そして、ほめる時には表面的な部分のみをほめるのではなく、どこがどう良かったのか、たとえば、作成した資料の文章が良かったのか、発表の仕方が良かったのかなど具体的な行動をほめることが必要です。反対に、叱る場合にも何が問題でどのように改善して欲しいのか、部下に対してどのように期待をしているのかを明確にすれば良いわけです。

叱る場合に「怖い鬼」と言われてしまうのは、それをせずに論理的でなくただ単に怖い鬼のように怒ったり、パワーハラスメントと言われるような人格否定をしたり、業務と直接関係のない事柄を追究したりすることが問題になるからです。

若手に迎合するようなほめ方をし、叱るべき時に叱れない管理者は結果として部下の育成を放棄していることになります。一方で、若手もほめられることばかりを考えて行動するようになり、全く育たないことになりかねません。

このように、人を育てるためにきちんとほめたり叱ったりすることと、ただ単に若者に迎合するようなほめ方をしたり、きちんと叱らないこととは、全く別の問題です。

それをはっきり分けて考えないと、人材を育成するうえで、間違った方向に行ってしまいます。番組を見ていてそんな危惧を持ちましたし、同時に番組作成者の意図はどこにあるのか尋ねてみたいと感じました。皆さんはどのように思われますか。

(人材育成社)