中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

第1,209話 経験を自らの財産として蓄積していけるか否か

2024年03月27日 | キャリア

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「良い店に出会うまでには、あまたの失敗経験があるんですよ」

これは、おいしいお店を見つけるのが上手な知り合いのビジネスパーソンA氏からよく聞く言葉です。A氏は美味しくて雰囲気が良く、値段もあまり高くない店を見つけるのがうまい人です。私もこれまでにA氏から紹介された店で何度か食事をしたことがあるのですが、毎回期待以上のお店だと感じており、その後A氏に会ったときにその旨を伝えた際に聞くのが冒頭の言葉なのです。

A氏はそうしたお店を探すのに絶えずアンテナを張っているのだそうですが、それでも良い店に出会う確率は決して高くはないそうです。長年の勘に基づき良さそうだと思って入った店であっても案外普通だったり、値段が高かったりお店の人の感じがあまりよくなかったことも少なくないそうで、実際に良い店に出会える確率はせいぜい1割位だそうです。この数字が高いのか低いのかはわかりませんが、一つ言えるのは「良い店との出会いはたくさんの失敗経験の結果」なのだということでしょう。

そして、同じことはビジネスや人生においても言えるのではないかと思います。それを裏付けるように「成功するまでにはたくさん失敗している」という意味合いの諺は古今東西たくさんあります。日本の諺には「失敗は成功のもと」というのがありますし、発明王のトーマス・エジソンも「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」と言っています。さらに現代においても「経営の神様」と言われた松下幸之助も「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる。」と言っています。

これらの言葉が示しているように、成功することは決して簡単なものではなく、そのためには失敗や挫折がつきものであるということです。あらためて言うまでもないでしょうが、成功するためには失敗から学ぶことが不可欠であり、そのプロセスにおいては挫折を経験したり試行錯誤をしたりすることがつきものなのだということだと思います。

冒頭のお店探しの例に限らず、私たちの仕事などでも何度も何度も失敗や挫折などを繰り返しつつ、その経験からいろいろなことを学ぶことによって成長し、最終的に成功につなげることができるというものなのではないでしょうか。

成功に至る道のりは決してまっすぐなものではなく、しばしば曲がりくねっているもののように思います。それ故にその過程での失敗や挫折は目標に向かって進む上で価値のある経験であり、最終的な成功への重要な一歩と言ってもいいのではないかと思います。

失敗を過度に恐れることなく、A氏の例のように前向きに取組んで、その中から絶えず学びを得ながら、さらに進み続ける。諦めずにそうした取り組みを続け経験を自らの財産として蓄積していけるか否かが、成功への鍵なのだと考えています。

お問い合わせ【株式会社人材育成社】 

人材育成のホームページ


第1,208話 イレギュラーな事態の情報の周知はどうすればよいのか

2024年03月20日 | 仕事

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「運転再開の目途は立っていません」

鉄道事故が起きたときに、駅でたびたびこのような案内のアナウンスが流されます。令和3年度の国土交通省の鉄道統計年報によると、民鉄269件、JR238件、合計507件もの鉄道事故が起きているとのことです。1日に1件以上何らかの鉄道事故が日本のどこかで起きていることになりますので、これは決して少なくない数だと思います。鉄道事故には列車衝突や脱線や火災をはじめ、踏切障害、道路障害、そして人身傷害があるようですが、いずれの理由の事故であっても復旧にはそれなりの時間を要すると考えられますから、もちろん事故は少ないにこしたことはありません。

事故の状況によるため、一概に言えるものではないとは思います。特に人身事故は負傷者の救出や警察による現場検証をはじめ、複数の対応が必要になるようですので、復旧までには相当の時間を要するケースが多いのではないかと考えられます。

私自身も、これまで電車の利用中に大なり小なりの事故に遭遇していますが、最近では昨日(3月19日)に京浜急行電鉄で発生した人身事故により電車が止まり、大きな影響を受けました。最終的に2時間半ほどで運航が再開されたようでしたが、おおよそ4万人に影響が出たとのことですから、大きな事故だったと言えるのではないでしょうか。

この事故に関しては、発生直後から具体的な復旧見込みなどの報道はされず、私自身もネットの情報などを頼りに、そろそろ復旧するのではなかと思い最寄りの駅に向かいました。ところが、改札の中の電光掲示板には「遅れが出ています」との表示が出ている一方で、構内放送では「あと15分は復旧しない」との案内が流されていました。片方は電車は動いているように捉えられる(「遅れている」)一方で、「復旧までしばらくかかる」という情報が混在し、私を含めた乗客達は改札を出たり入ったりと右往左往することになり、結局はいたし方なくJRの駅まで歩くことになったのです。(おそらく、この「遅れている」は当時運行できていた区間の状況のことであったと思われます。)

以上が今回の私の経験ですが、同様の経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。残念ながら事故が起こってしまうことは仕方がないとしても、その後の対処、たとえば運転が再開するまでの案内アナウンスの方法や精度にもう少し工夫はできないものかといつも思うのです。前述のようにまだ運行が再開していないのにもかかわらず、「遅れが出ています」というような表示が出ていれば、当然乗客は運転が再開されたのだと考え、改札を通ってホームまで行ってしまいますし、その時に逆の内容の放送が流されれば混乱を招いてしまうだけです。

もちろん、事故対応の現場では刻一刻と状況が変化するため、それをリアルタイムで把握して周知していくということは容易ではないだろうとは思います。しかし少なくとも誤解を招かないように「〇〇駅~○○駅間は運転中止、その他の区間は遅延しています。」などの表現にすることはできるのではないかと考えます。

鉄道会社にかかわらずどういう業種であっても、事故やイレギュラーな事態は起こりえるものです。その際に、関連する情報をどのように周知するのか、レギュラーの仕事であるならばルールが徹底できているようなものであっても、いざ事故などのイレギュラーな事態が発生した場合にも対応しうるものなのかということを定期的に点検しておく必要があるのではないか。どうすれば対応の精度を上げられるのかについて、日ごろから準備をしておくことが大切であるということを、今回の事故を経験して改めて思いました。

お問い合わせ【株式会社人材育成社】 

人材育成のホームページ


第1,207話 『大丈夫です』が多用されているのはなぜか

2024年03月13日 | 研修

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「大丈夫です」

これは弊社が担当させていただいた研修の中で、受講者に「何か質問はありますか」と声をかけた際に返されることが多くなった言葉です。また、同様にコンビニなどで買い物をした際にも、店の人から「袋は大丈夫ですか?」と聞かれることも多くなったと感じています。

このように「大丈夫」という言葉は様々な意味や場面で使われることが多いのですが、改めてその意味を調べてみると、「①立派な男子。 ②しっかりしているさま。 ごく堅固なさま ③間違いなく。たしかに。(広辞苑)」とあります。

もちろん、私自身もたとえば体調が良くなさそうな人には「大丈夫?」と声をかけたりするなど日常的に使っています。一方で何でもかんでも「大丈夫」で済ませてしまうかのような、最近の使い方には少々違和感を持っています。

そこで先日、若手社員の研修を担当させていただいた際に、休憩時間に数人の受講者にこの点について質問してみました。彼らの返答によると、「大丈夫」は返答する際も、質問する際も、とても便利な言葉だそうで、人を気遣う際など様々な場面で応用しやすい言葉とのことです。それに対して、冒頭の例のように「質問はありますか?」への返答として「ありません」と答えるのは相手への気遣いが足りない表現だと感じてしまう。同様に「袋はよろしいですか?」と質問するのではなく、「大丈夫ですか?」と質問してしまうのも、自然な表現だと感じるとのことでした。

この話を聞いて思い出したのが、最近はメールやSNSなどの文言の末尾に句点「。」がついていると、威圧的・冷たいと感じ怒っているように感じることがあるという話で、これを「マルハラ」(マルハラスメント)と言うのだそうです。

私の年代は文章の終わりに句点を付けることには何の違和感もなく、むしろ「。」がないと落ち着かない、文字どおり締まりがないように感じられるのですが、最近の若い人たちは逆に感じているということなのです。このように、句読点一つの使い方をとっても年代によってこのように違いがあるものであり、これらは今後も時代とともに移り変わっていくものなのかもしれません。 

この点については、弊社が行う研修の主要なテーマの一つである「コミュニケーション」についても、同じことが言えるのではないかと思っています。コミュニケーションは仕事の場面に限らず、人と人が意思疎通を図るために欠かすことができない、日常的に行っているものではありますが、同時に人と人が行うものである以上、「大丈夫」や「。」の例と同様に、使う言葉や表現ぶりについての理解が年代によって違いが生じてくるのかもしれません。今後時代が進んでいけばコミュニケーションそのものの在り方も変わっていくのかもしれません。

とはいっても、コミュニケーションの中で互いの解釈や理解に齟齬が生じないように、押さえるべきポイントはきちんと押さえていかなければいけないのは当然です。同時に、それでも様々な齟齬が生じてしまうケースは決して少なくないなど、私自身も未だに「コミュニケーション」は難しいものだと思うことが多々あります。

今回、「大丈夫」という言葉から言葉の持つ意味合いの深さとともに、改めてコミュニケーションの難しさにも思い至ったわけですが、研修の際には押さえるべきポイントはきちんと押さえていく。しかし同時に、相手や時代に合わせて変えていくべきところは柔軟に変えていくこともまた大事であると感じました。

お問い合わせ【株式会社人材育成社】 

人材育成のホームページ


第1,206話 自分とは何者なのか

2024年03月06日 | キャリア

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「私は穏やかな性格です」

ある私の知り合いは、かつて自身の性格を評してこのように言っていました。確かにその人は普段はわりと穏やかではあったのですが、追い込まれて余裕がなくなったりすると、一転して激しく怒鳴ったりするなど、周囲はその変貌ぶりに驚かされることが度々ありました。

この例のように、人は自分のことをわかっているようで、案外わかっていない生き物なのかもしれません。もちろん人間はいろいろな面を持ち合わせているわけですから、一概に「〇〇だ」と言えるような単純な存在ではないことも、また確かだと思います。

これに関して、古代ギリシアの哲学者タレス(Thales)は、人から問われた際に「自分を知ることが一番難しい、反対に容易なことは他人に忠告すること」と答えたとのことです。また日本にも同様の意味の諺「遠きを知りて近きを知らず」がありますから、古今東西、人は「自分のことを知る難しさ」を感じてきたのではないでしょうか。

話は変わりますが、近年就職活動をしている新卒者や入社間もない若手社員から、「就職活動において最も大変だったことは何か」という質問に対して、「自己分析をすること」という答えを聞くケースが多くなってきています。

自己分析とは、文字どおり自身の性格、考え方の傾向、興味の対象や嗜好などを顕在化させ、把握・分析して強みを見出すことです。中には早い段階でできている人もいるのでしょうが、まだ20代前半とさほど人生経験が多くはない若者が自己分析をし、それを文章化することはさぞかし難しいであろうことは、想像に難くありません。

では若者に限らず私たちは、どうすれば自分のことをより深く知り、それを分析することができるのでしょうか。その答えは簡単なものではないのだろうとは思います。たとえば自分にとってあまり歓迎しないような事柄が起こったときや難題にぶつかったときなどの場面において、自らがどのように感じ、考え、その事柄に対峙するのか、そうした自分にしっかり向き合うということが大切なのではないかと私は考えています。そうすることで自分にとっても普段は見えない、意識していない自分の姿が見えてくるということがあるのではないでしょうか。そして、定期的に自己をリフレクションしたり、他者からのフィードバックや専門家の助言を得ることも、自身への理解を深めた上で分析をする際の手助けとなってくれるのではないかと思います。

このように考えると、私たちは普段あまり意識していなくても、人生のいろいろな節目節目で「自分とは何者なのか」という問いを続け、その答えを探し続けるものなのではないだろうかとも思えてきます。

話を若い人の就職活動に戻すと、受け入れ側の組織に求められるのは、応募者の自己分析はまだ人生における「発展途上」の段階での分析にすぎないことをきちんと押さえておくこと、そしてそれを踏まえてどのように育成していくかをしっかり考えて当人と共有していくことが、いるのではないでしょうか。

お問い合わせ【株式会社人材育成社】 

人材育成のホームページ