Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

KATIA が歌う ATE AO FIM には深い意味があった

2015年04月11日 | 毎日の話

今朝も霧雨で少し寒い。森の方から実に綺麗に鳴く、鶯の声が聞こえる。一昨年のように「トッポジージョ」とは鳴かず、透き通った「ホーホケキョ」と鳴いている。録音しようとPCM録音機を出してみたら、電池がない。電池を交換している間に、奥の木々に隠れて行ってしまった。でも、チャンスがあるに違いない。

森が芽吹きで緑に染まりつつある。霧雨の中で撮った一枚の写真。棕櫚木の周辺の芽吹きが感じられるだろうか。

さて、KATIAが歌っているATE AO FIMの歌詞をなんとか手に入れた。それがこれである。

INTENSAMENTE, AMOR, INTENSAMENTE,

PONHO NA MINHA VOZ ESTA SAUDADE

QUE É FEITA DE FUTURO NO PRESENTE

E NA ILUSÃO É FEITA DE VERDADE,

INTENSAMENTE, AMOR, INTENSAMENTE

 

DESESPERANDO, AMOR, DESESPERANDO,

POR MESMO ASSIM EU NÃO TE DIZER TUDO,

MESMO AO LEMBRAR-ME DE ONDE, E COMO, E QUANDO

TEU CORAÇÃO MUDOU, MAS EU NÃO MUDO,

DESESPERANDO, AMOR, DESESPERANDO

 

ATÉ AO FIM, AMOR, ATÉ AO FIM

DO MUNDO TAL E QUAL PEDRO E INÊS,

AQUI TE ESPERO, AQUI ME TENS A MIM,

NESTE MÍSERO ESTADO EM QUE ME VÊS

ATÉ AO FIM, AMOR, ATÉ AO FIM

三番の歌詞に「PEDRO E INÊS」というセンテンスがあることに気づいたが意味がわからない。ポルトガル語やイタリヤ語などは、大文字で歌詞を書いてあることが多いので、これが名詞なのかわからなく辞書を引いてもわからないことが多い。だから、ググった。するとポルトガルの悲恋の話につながっていることがわかった。やっと、タイトルの最後までということが理解できたのだ。

ペトロとイネスの話はこんなこと。この曲を聴きながら想いを今から700年前において欲しい。

イネスという女性は、ポルトガルの王ペドロ1世の王妃(最後は)となった人。もともとは侍女として王室に使えたが、ペドロは政略結婚の妻があるにも関わらず、イネスを寵愛した。それは、彼女が「しらさぎの首」と評された美人だったことによると言われる。

それを良しと思わない父親アフォンソ4世だった。折しも政略結婚したベドロの妻が亡くなったため、父親は政略結婚のため再婚させることを考えた。しかし、ベドロはイネスとしか結婚はしないといった。これに困った取り巻き連中(大抵悪いのが重臣)が、イネスと結婚されると先妻の子供がないがしろにされ、イネスの子供が厚遇されるので自分たちの利権が失われる。だから、イネスを始末しようと画策して王様に上申する。(ここら辺は、安っぽい韓流ドラマです)

王様はイネスを捉えるように命じ、処刑することにしたが、イネスが三人の子供は陛下の孫ですといって命だけは助けて欲しいと願った。王は、一度は許そうとしたが、重臣どもが利権のため、それは許されないと再度進言した。めんどくさくなった王は、お前たちの好きにするがいいといって立ち去った。イネスは直ちに斬首された。

しばらくして、ぺドロが王位を継承した時。ぺドロは「イネスは王妃である」と宣言し、墓を掘らせてイネスの屍の手に忠誠の証として臣下たちにキスを求めた。ペドロが亡くなった時には二人は相向かいに葬られたそれは「最後の審判が行われた後、起き上がった時、すぐに二人が顔を見合わせることができるように」というペドロの願いだった。とさ。