長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

福沢諭吉の脱亜論

2005-07-01 16:51:40 | 外交一般
13億という人口の中国は魅力的な市場ではある。しかし、いずれはインドがこれを追い抜くといわれている。インドは中国と違って親日国家であり、経済的発展も地に足が着いている。今後我国は親日国家へウエイトをおく必要がある筈である。

さて、明治18年に記された福沢諭吉の「脱亜論」。近隣諸国との関係について、今日あらためて学ばなければならぬ思想が盛り込まれている。

兎に角、スゴイ。

------------------------------
福澤諭吉の「脱亜論」

 現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張
るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸
気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急
激な進歩が起こったわけではない。したがって、西洋列強
の東洋侵略に対してこれを防ごうと思えば、まずは精神的
な覚悟を固めるだけで充分である。西洋人も同じ人間なの
だ。とはいえ西洋に起こった科学技術革命という現実を忘
れてはならない。国家の独立のためには、科学技術革命の
波に進んで身を投じ、その利益だけでなく不利益までも受
け入れる他はない。これは近代文明社会で生き残るための
必須条件である。

 近代文明とはインフルエンザのようなものである。イン
フルエンザを水際で防げるだろうか。私は防げないと断言
する。百害あって一利も無いインフルエンザでも、一度生
じてしまえば防げないのである。それが、利益と不利益を
相伴うものの、常に利益の方が多い近代文明を、どのよう
にして水際で防げるというのだろう。近代文明の流入を防
ごうとするのではなく、むしろその流行感染を促しつつ国
民に免疫を与えるのは知識人の義務でさえある。

 西洋の科学技術革命について日本人が知ったのはペリー
の黒船以来であって、これによって、国民も、次第に、近
代文明を受け入れるべきだという認識を持つようになっ
た。ところが、その進歩の前に横たわっていたのが徳川幕
府である。徳川幕府がある限り、近代文明を受け入れるこ
とは出来なかった。近代文明か、それとも幕府を中心とし
た旧体制の維持か。この二者択一が迫られた。もしここで
旧体制を選んでいたら、日本の独立は危うかっただろう。
なぜなら、科学技術を利用しつつ互いに激しく競いながら
世界に飛び出した西洋人たちは、東洋の島国が旧体制のな
かにひとり眠っていることを許すほどの余裕を持ち合わせ
てはいなかったからである。

 ここに、日本の有志たちは、徳川幕府よりも国家の独立
を重んじることを大義として、皇室の権威に依拠すること
で旧体制を倒し、新政府をうちたてた。かくして日本は、
国家・国民規模で、西洋に生じた科学技術と近代文明を受
け入れることを決めたのだった。これは全てのアジア諸国
に先駆けており、つまり近代文明の受容とは、日本にとっ
て脱アジアという意味でもあったのである。

 日本は、国土はアジアにありながら、国民精神において
は西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸とし
て立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであ
り、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と
同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだ
が、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に
差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりは
あまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代に
あって、近代文明や国際法について知りながら、それでも
過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教
を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面で
は科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をも
もたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪い
のはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

 私の見るところ、このままではシナ・朝鮮が独立を維持
することは不可能である。もしこの二国に改革の志士が現
れて明治維新のような政治改革を達成しつつ上からの近代
化を推し進めることが出来れば話は別だが、そうでなけれ
ば亡国と国土の分割・分断が待っていることに一点の疑い
もない。なぜならインフルエンザのような近代文明の波に
洗われながら、それを避けようと一室に閉じこもって空気
の流れを絶っていれば、結局は窒息してしまう他はないか
らである。

『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは隣国同志が助け合うこ
とを言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けに
もならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人
から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわち
シナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向
こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑わ
れ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であ
ればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で
政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国
かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを
例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂って
おれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとして
も、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。
実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見
され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。

 もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期
待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその
繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に
進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで
特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対
しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよ
い。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私
は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するもので
ある。

(明治18年3月16日)
-----------------------------------

現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。・・・確かに、この繰り返し。

亡国と国土の分割・分断・・・現実に分断された。

国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。・・・だから、国際法を避けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする