小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

雨のおかげで:ピアニストの贈り物

2010-02-11 23:37:40 | 広島の生活
 主婦には羽根がある?
 島に帰るつもりだった。というのも先日かみさんが,お父さん今度の休みどうする?,と聞いてきたものだ。
ははあ,どこかに出かけるつもりだな?。
案の定,友人に誘われて夕食に,という。
それでというわけではないが,島ではしなければならないことがいっぱいある。
友人もつぶやいていた,うちの女房には羽が生えてる,って。

 一時は止みかけていた雨も結局週日降り続いた。
昼過ぎまで買い物を命令され,雨に降り込められてテレビをつけると,ピアノ演奏が。
「ピアニストの贈り物」と題する番組で,昨年の初夏催された『国際ピアノコンクール』に出場し,見事金賞を勝ち得た辻井伸行さんの一切を華麗なピアノ演奏と共に放映してくれた。

 おかげさまで,心も体も安まる半日を過ごさせていただいた。
失敗がひとつ。今気が付いたのが『硫黄島からの手紙』,叔父はこの島で亡くなった。
明日の仕事があるから最後まで鑑賞することはできない。ああ,あれが摺鉢山か,と今日は2つの番組に涙腺がゆるんでしまった。

ちょっといい話

2010-02-11 06:51:03 | 私見
 春を運んでもらった受験生 《毎日:'10.2.10》
 埼玉県の高校受験生が,JR不通のため受検をあきらめかけたが,親切なトラック運転手に助けられて無事受検することができて,希望した高校に合格したそうだ。

 先月16日(土)から17日(日)にかけての話。
 埼玉県の女子中学生が石川県輪島市の日本航空高校を受験するため母親と共に自宅を出発。新潟県長岡駅で新幹線から夜行列車に乗り換える予定(午後11時半)だったが,大雪のため列車は運休。
 一旦は受検をあきらめかけたが,母親に励まされ,ヒッチハイクで会場に向かうことを決断。吹雪の中を2時間半歩いたが車は止まらず。
ガソリンスタンドで給油していた大型トラックに依頼。神戸に向かう途中のトラックは,金沢までならという条件で同乗を許してくれる。
 同じく中3の娘を持つという運転手ヨコヤマさんは,早朝金沢に入ったところで,
「よし,輪島まで行っちゃる」
と方向転換。
 受検開始10分前に無事会場に到着。
おかげで,このほど合格通知が届いたという。

 ヨコヤマさん,ありがとう。

都会の畑,何ができるかな?

2010-02-10 23:35:35 | 広島の生活

ゆーすまの畑



 島の畠が見劣りして・・・
 ブログ仲間の“ゆーすま”さんから便りが届いた。
20坪ほどの土地に鍬を入れて畑にしているようだ。
冬の最中とはいえ,雑草もなく島の畠より,見た目が,いい。

 すでに何かを播種したようだが,島爺はこの点でも負けている。
都会生活で,土いじりを楽しむ。
若者に,土地付きのアパートに入居希望が殺到しているとか、
安近で健康な遊びを楽しむ。立派でおいしい野菜に育ってほしいものだ。

 ただ,車はプリウスのはず。運転に気をつけて。

四字熟語-2

2010-02-10 00:20:35 | 広島の生活
 朝三暮四で仕分けした 《毎日:'10.2.9・金子秀敏専門編集委員》
 鳩山由紀夫首相が国会で「朝三暮四」と「朝令暮改」を取り違えた答弁をして,とやかく言われていた。
 「朝三暮四」といえば,高校の漢文教科書で習った記憶がある。おもしろい説話だったが,ひとつだけ気になることがあった。エサのトチの実の数でサルたちと交渉した人物の正体である。
 名前は「狙公」。狙はサルの古語。公は男子のこと。つまり「サル男」である。だが,サル回しの芸人ではない。「サルを愛して養い,群を成す。よくサルの心を解し,サルも狙公の心を得たり」(「列子」)---サルと意思疎通ができる不思議な人物だ。

 ある時,香港の新聞を読んでいて,あっと思った。中国の山奥に,サルの群れの王様になった男がいたというコラムだった(張立「商心国是 山中の猿群」新報)。
 ーー湖南省の奥地の張家界。奇怪な形をした険しい峰が連なる山岳地帯だ。張氏は以前,そこからさらに90㌔奥の渓谷に分け入った。深い森,草花の咲き乱れる野原。済んだ川面にもやった小舟が「猴王(さるおう)」と呼ばれる男の家だった。
 どこかでサルの鳴き声がする。男が大声で叫ぶ。やがて森の中から数百匹のサルが現れて岸辺に集まった。奇観だった。サルたちは男の号令に従って集団で攻撃,撤退をした。サルはいくつかの群れに分かれていた。争いが起きると男が調停した。群れ全体を統治する王様だった。
 「サルに言葉はあるか」と聞くと「山の中のことは町のものには分からない」と言った。男の仕事は山の管理人だった。地元の役場がサル観光で村おこしをしたいと考えて雇ったのである。数年後,自動車道路が開通した。人家が建ちカラオケ屋ができた。サルの群れは消え,残った男と側近のサルはサル芝居をやっているーーー。

 猴王と狙公,そっくりだ。古代から中国にはサルの王様になった人間がいたのではないだろうか。
 王様だから食糧の配給もしただろう。狙公は自分の家の収入が減ったため,配給を減らさなければならなくなった。計算の結果,トチの実を1匹につき1個減らすという緊縮政策を立てた。朝食で減らそうか,夕食で減らそうか,王様は民意を問うた。サルたちは「朝に4個,暮れに3個」で合意した。「朝三暮四」はサルの世界の仕分け作業だ。苦渋の選択だったことだろう。

食事のことば

2010-02-09 22:09:34 | 広島の生活
 

今夜から新しいマウスが稼働しています。帰途購入したワイヤレスのレーザーマウスで,快適に動き始めました。
 今まで使っていたのは,中央にゴムの丸い玉が付いている昔ながらのもので,時々掃除をしやらなければならないし,最近はUSBジャックで認識されないことが多くなりました。パソコン本体の課題でしょうが,これで少しでも使いやすくなればと期待しています。
 交換したもう一つの理由は,新年度も何とか仕事があるらしいということと,借り物が多いとはいえ,これが501回目の文章を書く自分への褒美です。
 折良く,勤務先の学校で「食事のことば」と題する『宗教だより』が発行されたので紹介します。


 食事のことば
 食前,食後の言葉としておよそ50年間親しまれてきた「食事のことば」が一部見直され,新しい「食事のことば」が制定されました。これまで親しまれてきた「食事のことば」が制定されたころから,現代の日本の食を取り巻く環境や意識が変化したことなどを勘案して,今回の新しい「食事のことば」が制定されたのです。
 新しい
 食事のことば
 「食前の言葉」
   多くのいのちと,みなさまのおかげにより,
   このごちそうをめぐまれました。
  ※深くご恩を喜び,ありがたくいただきます

 「食後の言葉」
   尊いおめぐみをおいしくいただき,
   ますます御恩報謝につとめます。
  ※おかげさまで,ごちそうさまでした。

     (※の部分は,唱和するところ)

 私たちは,どうして手を合わせて,「いただきます」「ごちそうさまでした」と言って食事をいただくのでしょうか。
 時間がくれば当然のように食事をします。食事をするということは,動植物の尊いいのちをいただいているのであり,今の自分は,そのいのちの犠牲の上に成り立っているのです。また,食材をとったり運んだり,食事を調理してくださる方々のご苦労をはじめ,さまざまなおかげもあります。このようなことに目を向けると,多くのいのちをいただいていることへの慚愧の心と,みなさまのおかげによって生かされていることへの感謝の心がおこり,「おかげさま」「ありがとうございました」「いただいたいのちを粗末にはしません」という思いから,「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉が自然に出てくるのではないでしょうか。
 これまでは,自分一人で生きているつもりでいたかもしれませんが,実は,尊い多くのいのちをいただき,多くのおかげにより生かされていたのです。従って食事は,ただ漫然と栄養を補給するものでも単なる味覚でもなく,これらのご恩に気付かせていただく大切な機縁となるものです。
 この度の新しい「食事のことば」が制定されたことをきっかけとして,「いただきます」「ごちそうさまでした」と声を出し,感謝して食事をいただきたいですね。
    

新しい仲間

2010-02-09 16:37:10 | 広島の生活
 嬉し~い
 ブログ仲間が誕生しました

 島から帰ってパソコンを開くとメールが届いていました。
“ブログ開設のお知らせ”とのことでした。
農業塾に入ってすばらしい友人を得たように,年をとって仲間ができることは嬉しいものです。
 暇がありましたら,のぞいてみてやってください。
ゆーすま
です。
 実は一旦公開したのですが,本人の了解をと奥の引き出しにしまっていました。
駄文を重ねてきましたが(引用した文章のことではありません),この文章でようやく500。
いい区切りができました。

 そうそう,私だけが知らなかったことなのでしょうが,ゆーすまさんからいいことを教わりました。
ディスプレーの字が小さくて読みづらいとき,中央にコロコロの付いたマウスなら,
「コントロール(Ctrl)キーを押したままで,コロコロをスクロールする」
と画面の字が大きくも小さくもなる!ことでした。

ホウレンソウをおいしく簡単に

2010-02-09 15:12:44 | 広島の生活
 
 

農業塾OB先輩の中農さんのホウレンソウは美しく味がいい。特にこの時期のものは寒さで甘みのまして何ともいえない深い味わいがする。
 茹でるときは,鍋にたっぷりの湯で,まず葉をもって根本の部分を茹でて,・・・としたものだが,



 ホウレンソウ with フライパン 《産経・奥園壽子:'10.2.7》
 洗い方
 根本のぎりぎりのところを包丁で切り落とし,株が大きいときは手で裂いていくつかに分ける。それから根本のところを振り洗いすると,ごみも取れやすく火の通りも早くなる。根本のピンク色になった部分は甘みも強く,ミネラルを豊富に含んでいるので,切り落とさずに料理する。
 ゆで方
 たっぷりお湯を沸かさなくても,フライパンに深さ1㌢くらいのお湯でおいしくゆでられる。口径の大きなフライパンは,短いホウレンソウならそのままばさっと入るので,とっても手軽。フライパンより長い場合は葉っぱから入れると,うまく2つ折りになる。
 後はふたをして蒸しゆでに。途中,ホウレンソウをひっくり返し,トータルで1分~1分半。あとはフライパンごと流しに持っていって,その中で水にさらしながら粗熱をとり,ぎゅっと水気を取れば下準備完了。
 おいしくいただく
 食べやすく切って,かつお節や醤油をかければおひたし。この場合,料理屋さんのように切り口を揃えてきれいに盛り付けるよりは,ボウルの中で軸の方と葉っぱの方を混ぜながらかつお節やごまとあえると,ふんわりやさしい口あたりになる。
 おひたしはどうも苦手という子供たちには,
少し油を使う,温かい料理にする,とろみをつける,などの工夫をすると繊維がやわらかくなる。ホワイトソースを使ったグラタンやシチュー,熱々のオムレツなどは,とっても食べやすい。
 朝ご飯などで簡単に食べるなら,ベーコンと一緒にさっと炒め,トーストした食パンにのせ,後はピザ用チーズをかけてオーブントースターへ。熱々ホウレンソウピザトーストは,ホウレンソウ嫌いの子供たちも思わずもりもり食べてしまう一品。ベーコンの代わりにちりめんじゃこを使ってもおいしい。

 

島で作ると,根本部分に砂が入ったり,虫食いでどうもうまくいかない。調理のいい勉強になった。
引用させてもらったお礼に,
奥園壽子:家庭料理研究家。著書『奥園壽子の読むレシピ 今日の献立がすぐ決まる』



「プリウス」リコール

2010-02-09 14:45:19 | 広島の生活
 産経抄 《産経:'10.2.9》
 トヨタ自動車に対する厳しい批判の声が,米国で燎原の火のように広がっている。トヨタのエコカーの象徴ともいえるハイブリッド車「新型プリウス」のリコールにまで事態は進んでしまった。トヨタへの失望を,品行方正が売り物だったゴルフのタイガー・ウッズ選手の,女性スキャンダルになぞらえる報道まであった。
▼アクセルペダルの不具合についての苦情は,数年前からあったという。その段階で適切な処置をとっていたら,ここまで問題は深刻化しなかったはずだ。日本を代表する企業にもかかわらず,対応が後手後手に回ってしまった。
▼中国の伝説の思想家,老子が2500年前すでに,危機管理の要諦を
「図難於其易,為大於其細」
と述べている。作家の新井満さんの「自由訳」ではこうなる。
「大きなトラブルは 小さいうちに むずかしいトラブルは やさしいうちに
 片付けておかなければならない
 表面にあらわれてしまってからでは おそすぎるのだ」
▼老子はまた,
「曲(きょく)なれば全(まった)し」
とも言う。
確かに,曲がった木のように,目立たない方が生き残りに有利だ。
トヨタといえば,今や世界一の自動車メーカーとして,まっすぐにそびえる巨木である。それだけに風当たりが強くなるのも,当然といえる。
▼今年11月の中間選挙を控えて政府や議会が,景気の低迷に対する人々の不満のはけ口として,「トヨタたたき」を利用している,との見方もある。米軍普天間飛行場の移設をめぐって,日米関係がぎくしゃくしている問題も,微妙に影を落としているようだ。
▼いずれにしろトヨタには,信頼回復に全力を傾けてほしい。老子の言葉を借りれば,「小魚を煮るように」,あせらず,着実に。
 

ケムシが!

2010-02-08 01:09:20 | 島の生活
 毛皮が暖かい?
 土曜日の夜,嫌に冷えると思ったら,日曜の朝は霜で真っ白。
氷も1㌢まではなかったが,しっかり張っていた。立春も通過したとはいえ春は名のみ。

 昼過ぎまでかかってネットにからみついた朝顔の蔓を撤去。この朝顔(オーシャンブルー),したたか者で,種をつけない変わりに地面を這えば到るところに根を下ろす多年草。
根元の茎の太さは,水道管かそれ以上。広島の自宅では2階の屋根まではい上がった。

 午後,松の枝の整理をしていたら毛虫がニョロニョロ。人間は寒さで震え上がっているが,密生した松葉と毛皮のコートに守られて小さくても厳しい冬を越したようだ。
 この毛虫,放っておくと7~8㌢ほどにもなるからつぶして殺したが,何だか身体がかゆくなりそうで退散。

 菜園の耕耘をする。除草した後には播種もしないのに5㍉ほどの雑草が芽を出している。土曜の夜,山の畠近くで悠然と体をかわす猪ノ助にであったが,毛虫といい雑草といい,自然の生き物の何とたくましいことか。
 とにかくこれで何とか菜園場に春物野菜の準備ができた。
夕闇迫る中で周辺の雑草を取ったが,一鍬ごとに黒土が増すのは,春が少しずつ近付いてくるようで心はずむ。

朝青龍引退

2010-02-08 00:35:38 | 私見
 必要以上に作った「壁」残念 第64代横綱 曙 太郎 《朝日・私の視点:'9.2.5》

 朝青龍の引退は残念だし,今はお疲れ様という言葉しか思いつかない。
 あれこれと問題を起こした朝青龍だけど,僕が横綱に昇進した時と同じような状況ではなかったかと思う。

 僕が外国出身力士として初の横綱に昇進したのは1993年初場所の後だった。92年春場所で八角親方(元横綱北勝海)が引退して,だれも横綱がいなかった。先輩がいない中で,64人目の横綱になった。いざ横綱となった後,どうしたらいいのか,誰を見習ったらいいのか,本当に分からなかった。
 昇進したとたんに,その品格,力量を問われ,心技体の充実が当たり前の存在である横綱。周囲からはこうあるべきだ,ああするべきだ,といろんな人が言ってくる。どうしたらいいのか一人ひとり言ってくることが違う。
 必死に周囲の期待に応えようと思うのだけど,頭の中が混乱してしまって,どうしたらいいのか,本当に分からなくなった。横綱は単なる相撲のチャンピオンではない。24時間,どこにいても横綱は横綱。そうは分かっていても,何でここまで言われなければいけないのか,分からなくなった時期もあった。

 横綱はいつ,誰に見られているかも分からない。そんな中で,朝青龍は周囲と必要以上に「壁」を作ってしまったように見える。今回の問題もそれが一つの原因だったように見える。本当はもっと自然体でいればよかったのに。
 朝青龍は同じ高砂一門だったし,新弟子に入ってきた時から性格がよくて,かわいい存在だった。朝青龍が思い出の一番として横綱武蔵丸に勝った時のことを挙げていたけれど,あの時,僕は記者クラブ担当で,東の花道の脇にある記者クラブ室にいた。朝青龍が駆け込んできて「勝ちました」って言ってきた。あんな純粋な姿が本当の朝青龍の姿だと思う。あの時の姿のような形で今もいてくれたならば,と残念でならない。

 それともう一つ。朝青龍にとって不幸だったと思うのは「一人横綱」の状態が長く続いた点だろう。僕の場合は同期のライバルで貴乃花や若乃花がいた。それでも約1年間,一人横綱の状態が続いたが,どこに行っても土俵の責任はすべて自分にかかってくる。その重圧は務めた人間じゃないと分からないだろう。
 ただ,そういう重圧を一身に背負うことも含めての横綱という存在だ。横綱といっても一人ひとり,その性格も違うし,持ち味も違う。

 だれでも横綱になりたくて角界に入ってくる。横綱になっても,重圧だけ引き受けたくない,嫌だ、というわけにはいかない。だからこそ,長い相撲の歴史の中でも,69人しかなっていないのが横綱なのだと改めて思う。