小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

ハワイへ-1

2013-03-31 01:32:18 | 広島の生活
桜を追って

 4月初めには何かと行事(というほどでも無いが)が詰まっている。
3月末なら,二人とも身体が空いている。
幸いにして,次男夫婦から“のんびりしろ”と贈られた旅行券がある。
「いつまでも,あると思うな命と健康」と言うから,と出かけた。
春休みに入っていたので,何とか宿が取れたのが,27日~29日。

 インターネットなら安く済む宿も,旅行社を通すとそうはいかない。
孫を連れてってやりたかったが,財布とも相談し,移動も車とした。
(27日,28日と料理教室,蕎麦の会があったが休ませてもらった)
あっ,車で行くハワイとは鳥取県の“ハワイ温泉”及びその周辺。

   第一日は鳥取県を代表する三朝温泉。
宿の真ん前に“かじか橋”があり,周囲は桜が満開。
この宿の後ろに30年前に泊まった“S別館”がある。
日本名旅館100選に選ばれたほどだが,経営不振で代替わり。
隣接する大ホテルもそのような状態であるとか。
関西圏の恩恵を受けていた地域は大震災の影響を被っている。

 夕膳にはカニが一匹鎮座していた。うわっすごいっ!。
今生の名残に,と感激して口にしたのだが,水っぽくて。
夜は大浴場であったが,朝は檜の家族風呂が利用できた。
無線でネットにつなぐ努力をしてくれたが,無理だった。
カニとパソコン以外は,湯もスタッフも素晴らしかった。

シカよ,汝もか!

2013-03-29 01:00:00 | 農業塾OB会
 シカれども,オオカミは・・・

 先日の夕方,JA広島市農業塾OB会の先輩から電話が入った。
「白木農園の小麦畑がシカにやられたらしい。
防獣ネットが破れたので補修したいのだが・・」

 なるほど,鹿による被害らしきものは3ヶ所。
① ここから侵入したらしい。
  支柱が倒され,ネットは外れている。
② 侵入を試みたらしいが,ネットに阻まれ,
  諦めた模様。
  支柱は傾いているが,ネットは外れていない。
③ ここから脱出を試みた模様。
  ネットに角が絡み,脱出不能。
  近所の人に確保されたようだ。
  後か先か,小麦の食害はここ・

 この小麦畑(11a)は交通量の多い県道沿いにあり,図面右は川(三篠川),
県道の更に左には(鹿との衝突事故が多い)JR芸備線が走っている。

 ネットの絡まった鹿は近所の人の手によって処理されたようだ。
年齢,大きさ共に手頃でおいしい時分だったという。

 獣害の被害に対して,オオカミを導入したら,と言う意見がある。
豊後大野市動きなど,以前この欄でも取り上げコメントも頂いた。
だが,オオカミは子どもであってもオオカミだ。
単純に比較してはいけないだろうが,犬もネコも同じように人間と生活してきたが,
ネコが,お座り,お手,待て,などをしたという話は聞いたことがない。

 私たちの都合で,動物を移動させてはなるまい。

島の春

2013-03-28 01:00:00 | 島の生活
 寒さにあたらないと
                         これでも親子⇒
 叔母から宅配便が届いた。“夫 七回忌法要 茶の子”とある。
さて不義理をしてしまったかと電話をすると,
6月9日なのだが,最近は物忘れがひどくて思いついたときにしておかないと,
と仰る。渡したいものもあるので,帰宅したらよるように,と。

 たまには私の淹れたコーヒーも飲むものだ,と勧められて世間話に興じた。
お元気らしくて安心したが,菜園も気になって帰島したのだった。
今まで葉菜類がまともに育ったことはなかったが,ホウレン草を蒔いた。
1日に1度井戸水を灌水するようにセットしておいた。発芽していた。
だがどうも様子がおかしい。ん!蛇口からホースが外れている。
セットし直して様子を見る。井戸ポンプはまわるが水が上がらない。
随分取水口を上げたのだが,また砂が流入しているらしい。
ゆとりができたときに処理することとして,電源を切った。

この2月に植え替えたユスラウメも気になったが,花をつけて安心した。
放って老いても元気の良いのが庭の“ボケ”だ。家主似かな?。
後半期の水仙で真っ白になった庭にどういう訳かヒヤシンスが多い。
叔母も,この花は背丈が低くて,と育てていたが,どこから来たのか。

 花で分からないのが侘助。
自宅は白。種ができて島の菜園に植えたところ赤,白,と,ピンク。
この花,昨年は白に赤い筋(斑)が入っていたと思うのだが・・・。

 島の山も桜色。島の山はいつの間にか竹と山桜が増殖している。
そして,日当たりの良い場所のソメイヨシノの蕾はまだ固かった。
こいつ,冬の間も安穏と陽を浴びて春の暖かさを感じないのだろうか。
我が家の長男もようやく,お彼岸の墓参りをしてくれていた。ありがとう。 

孫S

2013-03-25 01:00:00 | 広島の生活
たまには畏れろ
 5人の男の孫があり,Sは娘の下の子。
顔も口も悪い私は遠慮なく物を言う。
だから,子どもでなくても遠ざかる。
Sは,強者は誰で,誰が保護者か分かっているのだろう。
父に,私にと,その場に応じてもたれかかってくる。

 新作結果が良かったから,というわけではない。
翌日は土曜で,それ以上に,15杯までドリンク無料!。
紙のような牛肉を含め,爺婆と孫二人で食べたのは,
肉類9,野菜4,麺1,デザート15。
ただし,デザートは1人分150円で食べ放題でした。

 翌朝,なぜ無料の飲み物を頼まなかったのか聞くと,
「お肉を沢山食べたかったから」
逡巡しながらようやく答えてくれた孫Tの答は明快で,
呑兵衛の爺婆には,ずっしりと胸に重さが応えました。

 “爺ちゃん見て!”
第32回全日本学生選抜書道展 学会奨励賞(財・日本書道教育学会)
の,ちんちょんげなプラスティックのトロフィーがなによりでした。
孫Sが,新春の書き初め大会で貰った努力の証でした。

 忘れていた。22日は1年ぶりの健康診断。
血液,一般,輸血関連,単純撮影(放射線),心電図,肺機能検査,
「まず問題ないですね。ただコレストロールが少し多いです」

 粗衣粗食は健康に良い,のですね。

花-侘助

2013-03-24 01:00:00 | 広島の生活
 もう12年になるか・・・

 時の流れは分からない。
花を見ると,あの頃を思い出す。
あの歳の3月末,広島でも雪が降った。
咲遅れていた椿・侘助が,わっと咲いて,
私の帰宅を待っていてくれたかのように,
翌朝の雪の中に,花を落としていた。

 山茶花のように,陽気に花びらを散り敷く,
そうした華やかさはない。
我が身を見るようで,侘びしく,有り難かった。
まだ雪があるのかどうか,3輪だけ開いていた。

 3月23日(土)の午後のことであった。

信州・甲斐へ-余聞

2013-03-23 01:00:00 | 広島の生活
日本一短い電話

 食膳には杯にビールグラスは当然として水らしきものが入ったグラスが置いてある。
訪ねると,「お薬を服用されるときの水です」
なるほど,ほとんどの人が薬袋を持参している。
宿,観光地,土産物店には『歓迎○△年金旅行ご一行様』がずらりとならんでいる。

 朝,奥方らしき人から電話が入っている。
「うん,やったよ。じゃぁ」
何ごとかとたずねると,
「薬は飲んだ?。入れ歯はつけた?」だって。
更にチェックが入る。サングラス,上着,財布,etc。

 戦国の武将が日本一短い手紙“一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”
と送ったそうだが,今時は連れ合いから最も短い通話がはやる。

スマートでないフォン

 今時の若者が持っている携帯電話を持っている。
礼の,ペッ,ペッとめくる奴。
「すごいねぇ。ちゃんと使えるんだ」
「もちろんでさぁ」
歩きながら演歌を聴いて車内に入る。カッコイイのはここまで。
「ガイドさん,止めてくれる?。
 だめ?!。添乗員さんお願い,止めて!」

土産が,無い?!

 昨夜はパソコン同好会の集まり。
メンバーのうちで今回の旅行に参加したのは5人。
割り勘で土産を買って,分配する予定であったが・・・。
私は他の人がと思い,他の人は私がと思っていた。
帰宅して調べると,私たちの土産の山に埋もれていた。
申し訳なく,情けない話だ。

広島も開花宣言

 22日,広島地方気象台は縮景園(広島市中区)にあるソメイヨシノの開花を確認。
平年より5日,昨年より11日早い,そうだ。

信州・甲斐へ-3

2013-03-22 00:47:05 | 農業塾OB会
 自然は裏切らない 
 どなたかの繰り言,
「ありゃぁ,“キジ”じゃぁのうて“キ~鍋”じゃったのう」
「浜松まで来たんじゃけぇ,ウナギを食いたかったでぇ」
新東名高速を“浜松いなきIC”で下りて地名は山奥。
臨済宗・方広寺次のすぐそばで昼食。
 島の家では,朝のトイレで窓を開けると目が合って,慌てて目をそらし,
山道でもたいてい出会っていたキジの姿を見なくなって久しい。

 お寺さんの傍で,看板に偽りがあっては観光バスも来ないだろうから,
あのかけらは“キジ”であった,と思いたいのだが,1階の入り口にはイノシシの剥製。
貴重品には違いないが,うどんの目立つ鍋と,椎茸の多い味の濃い炊き込みご飯であった。

 一所懸命に説明してくれるガイドさんに悪いから耳はガイドさん,眼は外。
腕を立てて指を南アルプスに向けるのだが,彼女はいっこうに気付かない。
言葉に詰まったとき窓外に目をそらして,
「あっ,見てみて!,すっごーい,とってもきれい!」

 用心のために買った傘のおかげで,旅行代2日も好天に恵まれた。
石和温泉を出たバスは国道を南下。
精進湖,本栖湖と横目に見ながら遠くに南アルプス。
朝霧高原に近づくと,富士山がばっちり。
逆光ではっきりしなかったが,道の駅・朝霧高原からの富士。
このあと,新東名で分かれるまで富士は左に右に付き合ってくれた。

 “白糸の滝”に到着。
 音無の滝は堂々としている。それに引き替え工事の関係で,
滝壺近くに下りられなくなったせいもあるが,白糸の滝は一回り小さくなったよう。
「あまり言いたくはないんですがね・・・。」
「文化遺産に登録すると言うことで,人工物を取り除いているんですよ。
 土産物店や,橋もね」
滝の姿は毎年変化しますと言いながら,土産物店のご主人が教えてくれた。

 レストハウスも建て替えられ,遊歩道もきれいになっているが,
あの周囲の電柱と電線,何とかならないかなぁ。
 駐車場からちょっと足を運んで,
人工物に邪魔されない富士に別れを告げた。

 そうそう,
旅にお出になるときは,私を誘ってください。
私は,お日さまと,大の仲良しなんですから!。

信州・甲斐へ-2

2013-03-21 00:22:18 | 農業塾OB会
サブマリン商法!?
 「明日は1時間の歩行。雨の予報ですからゆっくり休んで」
なるほど,夜半から早朝にかけて降雨があったらしい。
早速に売店で傘を購入して御嶽・昇仙峡に向かう。
先ずは休憩所・売店入り口で写真撮影。(写真の出来上がりを待つ間に)
“本物と偽物の水晶の見分け方をお教えしましょう”
・・・・・・
“定価34000円のネックレスが本日に限り10000円です!。
 更にトルマリンのネックレスをお附けします。腕輪もつけてどうです?”
これで信用できなくなった。
集合写真撮影の折,預けたカメラのシャッターは解散直後に押されていた。
これでは使い物にならない。適も考えたものだが,こちらも負けられない。
“購入した1枚をコピーして配りましょうか”(私もやったことがある)

 “日本一の渓谷美”と自負するだけあって,
巨岩・奇石が屹立している。
しばらくすると“円右衛門碑”に出会う。
 これは,甲斐・猪狩村の農民・長田円右衛門さんが,
名主で叔父の長田勇右衛門とともに,ノミと鍬で
甲府と猪狩村の間の荒川渓谷沿いの道路を計画し,
10年かかって完成,昇仙峡が世に知られる事となった。
このことをたたえた石碑である。

九州にも同じような侍曹がいたように記憶しているが・・

 峡谷終点の“ほうとう会館”で昼食。武田神社に向かう。
ここは信玄の父信虎が石和から移り住み,以来,武田氏当主の館を構え,のち甲府城が出来るまでは征治,経済,文化の中心となったという。もともと古城があったらしく,今も写真左下で発掘作業が行われていた。(左の写真はWebからお借りした)
城壁脇で“左近の桜”と名付けられた桜が開花を始めていた。

 “信玄公像”を車窓から眺めて甲斐・善光寺へ。
ここは川中島合戦の折,信濃善光寺の焼失を恐れた信玄が,
ご本尊などを奉還したことにはじまるとされる。
金堂脇の枝垂れ桜は満開に近く,松は閂・車枝に関係なく,
竹で矯正されて直立不動の姿勢をとっていた。

 かみさんが,寝つきが悪い・花粉症である,ということでつい手に取ったら,
彼女も,私の身体が冷えるということを知ってそれを手にしていた。
山梨大学と共同開発した機械で電流を測って見せ,特許を獲ったという敷き毛布。
それまでに散々と貴石トルマリンの効能(らしき)を聞かされ,
「定価12600円です。本日は送料をサービスいたします。お買い求めになる方は?」・・ハイ,ハイ
「それでは,5名様限定で10000円でお譲りします。枕カバーもおつけして」・・・,ハイ,はい,ハイ・・・
「希望される方には,どんどん出してあげて・・・」。
何が5人だ。ほとんどの人が手を挙げさせられていた。

 うまく乗せられた自分の馬鹿さ加減が嫌になって,
講習ワイナリーでは財布を出さないこととした。
その代わり手を出して,12種類のワインを2巡。
石和温泉では,品数は多いが内容の不明な料理を口に,
悪酔いしたのか,半数が舞台で楽しんだ。

“いつまでたっても,歳の取りようが悪い」とお叱りを受けている。

信州・甲斐へ-1

2013-03-20 00:50:52 | 農業塾OB会
一路,長野県へ
 季候の良い季節に,年金受給者旅行が実施されている。
私たち11名もその仲間に入れて貰って2泊3日の旅を楽しんだ。
朝7時30分,定刻に広島駅を出発。総勢38名のバス旅行。
(もう25年も前のこと,盛岡までの24時間のバス旅行で,
アルコールもなく眠れない夜を過ごした苦い経験がある。
今回はバッチリ,ビール48本,焼酎(1.8㍑)2本を準備)

  味気ない車内での弁当をビールが助けてくれる。
中央自動車道が恵那市を通り抜けるあたりで歓声。
冠雪に輝く乗鞍岳の姿が楽しい旅を実感させてくれる。

 今日の観光は,中山道六十九次の一つ馬込の宿。
島崎藤村の生まれ育った地で,なるほど,山々に囲まれ,
保存された古い町並みは将に「夜明け前」そのものだ。
高札場に掲げられた奉行の『定』には,
「今後五ヶ年は駄賃,人足賃銭を○○だけあげる」とか,
百姓が徒党を組むのを防止するために,
「ととうの訴人,こうその訴人,てうさんの訴人に褒美として銀百枚」
などの文字が見える。

 ぐるり廻っていたら,『ぴんころ地蔵』尊。
これは新しいもので,最近このようなものが増えた。
岡山の『嫁いらず観音』様もそうだった。私も手を合わせた。

  今夜の宿は,中津川市と飯田市の中間,阿智村の昼神温泉。
湯は,菊池温泉,榊原温泉に似た気持ちの良い温泉。
食事も程よい量でおいしく頂いた。
美しい自然と豊かな温泉,古きを大切にする心が,
日本一の長寿県をつくってきたのだろうか。

 アルコールがまわってきたところでショータイム。
我がチームからも三人の侍がカビの気分を盛り上げてくれた。

第2音戸大橋

2013-03-17 08:00:00 | メモ
 歩いて渡っちゃろうかい

勘太郎「いよいよですねぇ!」
猪ノ助「何がじゃぃ?」
ポン太「あれっ,新聞をお読みではないんで?」
猪ノ助「うるせぃ!。罠が仕掛けられて夜も昼もないんじゃ!」
勘太郎「第2音戸大橋が,いよいよ開通するんでござんすよ」
ポン太「ありゃぁ,27日(水)からじゃったよねぇ」
勘太郎「全面開通はそうじゃが,24日(日)に開通イベントがある。
    本土・警固屋側と倉橋島・音戸町渡子(とのこ)からと
    両サイドから渡り初めをするそうです]
ポン太「海上自衛隊の音楽隊も花を添えるそうですのぅ」

猪ノ助「橋は暫定2車線で狭かろうに」
勘太郎「いえ,今度は歩道もついていますから」
ポン太「そりゃぁええ。渡りかけて車に撥ねられた仲間もいますけに」
猪ノ助「それより,島へ渡ってぐるぐるグルグル眼を回したんじゃろう」
勘太郎「まぁ,今度は両側とも山ですけん,ええことばっかりですが」
猪ノ助「護岸がしっかりしちょるけん,泳いで渡るわけにもいかんかったしのう」
ポン太「流れは速いし,船はいっぱい通るし,危のうて・・・」

猪ノ助「この橋のエエとこはなんじゃ?」
勘太郎「今の音戸大橋は倉橋島中心に,
    第2は能美島(江田島)中心と棲み分けが出来ます」
ポン太「云われてみりゃぁ,取り付け道路は早瀬の瀬戸に向いちょる」
猪ノ助「島爺さんにゃぁ,あんまり関係ないか?」
勘太郎「でも,倉橋島の道は岬を巡ってグニャぐにゃしちょりましたけん
    これを通る方が便利でしょう」

猪ノ助「30日には松江自動車道も開通とか,かねさえありゃぁ,便利になるのぅ」