小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

旅-3-3

2013-09-29 01:00:00 | メモ
 初めての北海道とYS11
   2枚の写真は“旅 Ⅶ (朝日新聞社編,有紀書房刊)”
 もう一つ大きな勘違いがあった。
この“旅”シリーズは,初刊が1959年12月20日,Ⅶは昭和38年12月20日。
すべて図書部から頂いたのなら私もたいしたものだ,と思っていたが,
何のことはない,後は自分で買い求めたもののようだ。大きな勘違いだ。
後の私の初任給が20710円。安サラリーマンに帰る道理はない。
折を見てお墓参りに,と思っていたが,その必要はなさそうだ。

 さて,農業実習は5時起床,21時消灯と極めて健康的だった。
ただ,34人分のご飯を薪で炊くのだが,慣れない生徒は火・水加減が難いらしく,
炊事当番が変わる毎に“おかゆ”,“ほっちん”。(ほっちん=芯の残ったご飯)
実習が終わる頃には,上手に炊けるようになってきたが・・・。

 農場に実習に出た生徒が,時に遅く帰ることがあった。道に迷って,という。
出るときはトラクターに乗せてもらうが,帰りは草を摘んでいるから徒歩になる。
何しろ広い(1区画1㌶)。平坦な上に,防風林が農地を取り囲んでいる。
登別から江別に向かう途中,平坦な直線路で広さは分かっていたつもりだったが実感。
これは,1泊2日の休みをもらってさらによく分かった。

 コースに含まれない道東・道北にドライブするつもりであったが,調べて無理だと理解。
丘珠空港から釧路へ,生まれて初めての飛行機の旅がYS11。
飛び発って眼下に広がるのが,緑の長方形。広島では牛1頭に1反,北海道は1町歩。
着陸の案内があって,床下でガタゴト変な音がする。まさか,足が出なくて不時着?。
後の,雫石の航空機事故の衝撃が大きく,初体験と結びついて時空を間違えたようだ。

 帰りはバスを利用したのだが,何とかという峠で休憩。。
茶店でフィルムを入れ替えたが,古い(写し終えた)フィルムをそこに置き忘れた。
当時の写真はいくらか残っていて,氏までそれを見たのだが,先日は見つからず。
この稿に関しても,恥ばかりを書き連ねるようになりからここいらで終わる。
頭のどの部分が悪いのか,物忘れは私の特技(?)のようだ。

 農場実習の最終日前夜,上長さんに招かれて食事。
ジンギスカンがおいしく,何よりもビールがうまかったのだけは記憶している。

 ちょっと,ブログを休みます

旅-3-2

2013-09-28 01:00:00 | メモ
 迷走の北海道旅行

 実習旅行の表紙は“7.26~”となっているが,正しくは7.25~。
今と違って2週間の半分は移動に使っている。メモを辿ると,
7月25日:13時集合,福塩線・備後三川15°34'⇒
  福山乗り換え17°46'(急・第2関門)⇒大阪乗り換え22°45'(急・つるぎ)
7月26日:5°05'~9°00'金沢市で朝食休憩
  (急・しらゆき)⇒青森22°35'着
7月27日:2°20'青函連絡船(臨時便)に乗船⇒6°25'函館着,8°00'まで休息⇒
  洞爺で国鉄を下車,バスで洞爺湖,昭和新山を経て登別温泉で宿泊。
7月28日:登別温泉12°04'⇒岩見沢乗り換え⇒16°36'江別
  バスにて17°10'実習地:酪農学園元野幌農場に到着
7月29日~8月4日:農業実習
8月5日:実習地を出発,札幌で急行“ていね”に乗り換え,23°05'青森到着
  23°55'青森発。急行“八甲田”で車中泊
8月6日:宇都宮で乗り換え,13°06'日光着
  東照宮,中禅寺湖を見学し,日光・ますだや旅館に投宿
8月7日:11°27'上野着
  浅草で昼食,靖国神社,皇居,国立競技場,明治神宮,東京タワーを見物。
  22°50'急行“長州”に乗車,帰路につく。
8月8日:福山府中で乗り換え,15°10',無事に帰着

 福山を出た往きの列車でKさんが,
「前途の無事を祈って一杯飲もうや」
と缶ビールをくれたが,先が長すぎて,1缶を空けるのがやっとだった。
青函連絡船で,列車にサングラスを置き忘れたことに気付いたがもう遅い。
函館で約1時間の自由行動。集合場所に最後に到着したのは引率教師2人。
「先生らはなにしよったん?。ちゃんと集まらんと!」とお叱りを受けた。
実習地に着いて,登別の旅館の金庫に旅行資金を忘れたことに気付き慌てた。

 しおりに次の記述があった。
・・・。青函連絡船の航路は113Kmであるが,いま三厩(みんまや),福島館に
海底トンネルを掘る計画がある。

 青函トンネルが開業したのは1988年(昭和63年)3月。
私達が渡って21年後,洞爺丸事故の後34年後であった。
子の翌年,昭和が終わり,平成の世となる。

 船に酔ひて やさしくなれる
 いもうとの
 眼見ゆ津軽の海を思へば 【啄木】

旅-3

2013-09-27 01:00:00 | メモ
 北海道:大きな勘違い

 このように大きな勘違いをするものだろうか,と,
自分の事ながら,心寒い気がしている。
初めて北海道に行ったのは昭和46年頃だとばかり思っていた。
その時,生まれて初めて飛行機(YS11)に乗ったのだが,
雫石上空で全日空機と自衛隊機が衝突した直後であった,
だから恐る恐るであった,とばかり思っていた。
 それが間違っていたと分かったのは,この資料を発見してからだ。
“旅のしおり 1972,7.26~8.8”とある。昭和42年のことだ。
勤務していたのは,普通科・家政科・農業科・農業機械科を持つ総合高校で,農業科は北海道(後は八ヶ岳)で,農業機械科は大阪で実習研修をしていた。

 どういういきさつでそうなったのか,引率者の一人に指名され,
担任のK先生と生徒32名,合計34名での北海道旅行となった。
この“しおり”は,島の父の家に残っていたものを今回見つけた。
B6判32ベージに表紙,裏表紙はB4に行程を印刷している。
ガリ版印刷で,私が作ったものであった。
(ガリ版=孔版印刷。ヤスリの上に蝋原始を載せ鉄筆で字,絵を書く。
 謄写版に貼り付け,ローラーを使って油性インクを転写する方法。
 後,電気のスパークで孔版,続いてプリントゴッコに発展した)

蕎麦打ち

2013-09-26 01:41:10 | 農業塾OB会
白木農園・料理教室

 昨25日は第51回ファーマーズキッチン
今回の内容は,“蕎麦打ち”と“だし巻き卵”。
今回は,教える者教わる者も白木農園の会員。
21名が参集して作業開始となる。

 先ずは蕎麦打ち。
勿論今年の蕎麦は収穫していないので,
Nさんが手配してくれた,“北海道の新蕎麦”。
P9250322 水まわし P9250325 こね 蕎麦打ちの資料はNさんが作ってくれ,
Kさんが実演指導してくれた。


P9250327 地のし





P9250329 丸だし P9250331 角だし「蕎麦粉にストレスを与えないように,
 やさしく,やさしく扱って下さい」
Kさんの手が,乙女の柔肌に触れるように動く。
たたんで切りに移ったところで中断。
時間の関係で,切りの実技講演は割愛。
全員が手分けして作業に入る。

P9250339 切り P9250338 出来上がりさんは机間巡視,
アドバイスを与えてくれる。
“切り”でも感心するのはさん。
包丁さばきが軽快で,麺が細い。
“この人,本職か?」
つい,そのような言葉も出ます。

P9250343 だし巻き卵 蕎麦打ちの合間に,手の空いた者から
“だし巻き卵”に挑戦です。
これがなかなか難しい。
“泡をつぶし,三つ折りにする”
この段階でスクランブルに変じる。
所が不思議,さんの適切な指導で まとめの段階ではきれいに整う。

P9250348 料理悪戦苦闘して,
昼食は蕎麦,だし巻き卵,おむすび。
デザートはさんの富有柿,


 昼食の蕎麦を一握り持ち帰りかみさんに。
「おいしいね」と,孫が好きだからと更に半分残す。
卵焼きも,「つい焦がしてこんなにきれいにできない」
最近は,褒めると云うより,うまくおだてるようになった。
 

道端の三郎?

2013-09-24 22:37:30 | 広島の生活
久し振りの散髪,そして島へ

 久し振りに散髪してきた。
面倒だからと蓬髪にしていた.
「後ろで束ねると良いかも」などと云っていたが,
口さがない連中が,
「六でもない,道端の三郎みたいじゃ」とか,
「益々,人相が悪くなって,爺むさい」
・・・・
大枚千円を払って散髪し,不要品を島に運んだ。

 明日は料理教室(蕎麦打ち)と,歯の治療。
終わったら?,島の作業が待っている。

借金返済-2

2013-09-24 22:05:11 | 孫たち
 光市,笠戸島,周防大島

 山口県は全般に道路が良く整備されている。
光市もその例に漏れず,びっくりするような,
直線路が走っていたりする。
室住海岸の東端・普賢寺には幕末に奇兵隊,
その後2つの河川に挟まれた部分を埋め立て,
海軍工廠が置かれたという。
呉海軍工廠に因んで一字で良い名前を,と,
“光海軍工廠”とし,地名も光町,光市に。
(冠山総合公園・土産物店で聞いた話)
 冠山公園にはオートキャンプ場もあるので訪ねたが,
今の時期は花も僅かで,鯉だけが賑やかだった。
トケイソウも元気よく,勲章を連想させた。
市北部には伊藤博文公の記念館もあるが,割愛。

 笠戸島には家族旅行村もあり,キャンプ,コテージが利用できる。
広場には大きなスクリュー(直径3.5m)と錨を展示していた。
7000㌧級の船舶用だそうだが,島の造船所で取り外したのだろう。
比例するわけではなかろうが,数万トン級の推進器とは,さて?。

 国民宿舎への遊歩道には,怪獣が2体。
駐車場にはD51が鎮座して,中にも入れる。
豪雨災害で走られない山口号の代わりをしている。
北海道JRと違って,車輪はレールにきっちり収まっていた。

 朝食を済ませて海辺へ。島ではあちこちで棹を出していた。
昼間でもイカが釣れるというので肴にと楽しみにしたが・・・。
早々に引き上げて,原発で揺れている上関町を横目に周防大島へ。
(婆と孫たちは柳井で白壁の町並みを見学した)

 秋のお彼岸でもあり,周防大島に渡って墓参。
山口県で3番目においしいという触れ込みのラーメンを遅い昼食に。
JA販売部で肴を求め,6人,賑やかな夕食となった。

借金返済

2013-09-23 23:57:57 | 孫たち


一時の休息
 敬老の日の連休は,のお父さんを借り出した。
島まで二往復,荷物の運搬を頼んだ。
お願いばかりして目をつむるわけにはいかない,
お礼かたがた東方の骨休みにと,温泉に誘った。

 といっても,近場の安場・国民宿舎大城温泉。
隣の山口県,下松市の沖合・笠戸島にある。
“お詫び”と云いながら,車も運転も女婿に任す。
ここを選んだのは,県外に殆ど出たことの無い彼等に
県北に行くと同じ所要時間で,別な面白さを見つける,
そのことの一部を伝えたかった。

 途中,光市の虹ノ松原と室住海岸の白砂青松。
水泳は勿論,魚釣りにキャンプもできる。
ちょっと足を伸ばして,1006年創建された普賢寺へ。
広大な敷地に雄大な仁王門(1798年に建立)
ここの6尺余の仁王様は温和な表情で迎えてくれる。
敷地内には,雪舟の作と云われる枯山水の庭園も。

 宿舎に入り,温泉“潮騒の湯”で汗を流す。
夕陽がきれいだった。

捨てる紙あれば

2013-09-22 09:30:00 | 広島の生活
捨てる紙あれば,拾うは私

 “夏休み・子ども科学電話相談”で,こんな会話があった。
「うんちはどうして臭いんですか?」
「君は,うんちは何で作られるか知っているかい?」
「ご飯とか,食べたものですか?」
「そうなんだけどね。食べたものはうんちの5%くらいなんだよ。
 残りは,小腸や大腸などの壁の細胞のカスなんだよ」

 たしか,このような話であったと記憶している。
そうか!,それであまりたべなくてもトイレに行くんだ!。

 親元を離れて60年,結婚し,3人の子育てが終わった。
車や電気製品は,修理,廃棄となるが,
衣類や書物は余程のことが無い限り“廃棄”とならない。
先日はランニングシャツの2ヶ所の破れが3ヶ所になったため,
洗濯した上で,農作業にも無理かな,とようやく焼却したほどだ。
子どものランドセルや学習用具や衣類,両親のものまで加わった。
貧乏人の昔人間は,ものの処理が下手で,ゴミの中で暮らすことになる。

 ようやくかみさんが立ち上がったが,
「まだ農作業で着られるかも」などと言っていては,元の木阿弥。
思い切って軽トラックで市の処理場に持ち込んだが,断られた。
「人形類にプラスチックや陶器などが着いたものは分離して,
衣類は資源ゴミ収集の日に,シーツ類は大型となりますから裂いて,
柳行李(5個)は大型ゴミの時に出して下さい。今日はどれもダメです」

 泣き泣き持ち帰った。
そうか,黒いゴミ袋であったのも悪印象を与えたのか。
自宅近くの八百屋さんに尋ねると,
「いいですよ,いくらでもお持ちなさい」
段ボール箱,20個ばかりを有り難く頂戴した。
(大型SC,HCには無かった,と,かみさんに聞いた)

 いざとなったら島で焼くが,沢山の燗徳利・チョコなど陶器類は・・・。,

新幹線のスシ

2013-09-21 23:56:20 | 広島の生活
 作業内容は次々に

 30年ほど前に,現在地に転住した。
広島市郊外の五日市町に住んでいた折,家内の父が倒れ,
母だけでは心配,と,近くに住みたいと家を求めた。
父の介護と,ローン返済の一助にと妻は店を始めた。

 その五日市の家が空くというので,昨日に再点検。
背丈よりも高く生い茂った雑草は刈られていたが,
室内は随分傷んでいた,
住めるようにするには,業者の手に寄るほかはない。
経費節減には,庭木の剪定と除草は私の仕事となる。

 当地は,川一筋を隔てて遊園地“楽々園”があった。
今はすっかり様子が変わって,スーパー銭湯になり,
自動車教習所の後には,雑多な店が集まっている。
その一つ,最も安くつく105円均一の回転寿司に入った。
注文すると,新幹線がスシを運んでくれた。
ハマグリの味噌汁もおいしく,ストし心が安らいだ。

 五日市町の住まい。
子供たちは幼稚園から小学校へ。
私はここに住んだ8年間で2度職場をかわり,
母は,入院生活,そして還らぬ人となった。
 
買い物も便利そうで,放浪者には住み心地良さそうだが。

十五夜に

2013-09-20 19:32:07 | 農業塾OB会
 入るは難く,出るは易し

 昨日は十五夜,だが,月を愛でるゆとりは無い。
白木農園・パソコン同好会で,エクセルの学習会。
指導者のさんが18種のファイルを準備,
それに伴うテキストも18ページに及ぶ。

 今まで学んできたことがほとんどのようだが,
最近パソコンを買い換えた人もあって,全員が
2010以上にグレードもアップしたためだ。

 事務職員がエクセルで文書作成しているのを見て,
吃驚したことがある。ロータス123で文書を書くの?。
サンマじゃないが,“変換,文章は一太郎に限る”と。
私のエクセルは,昨日の“十四日の月”程度だ。

 この年になってのパソコンはやっかいだ。
狭き門より,知識を何とか入れようとするが,
こういう奴は,とどまらず逃げ出すのが速い。
頭の体操だと受け取ってつきあうしかないか。

 疲れた頭に,輝く月が目に痛かった。だが,
カメラを向けたが,輪郭がぼんやりしている。
広島(都会)にも夜空が無いようだ。

 月へのお供えはさんに頂戴した葡萄“伊豆錦”