小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

山の畠-3/17

2008-03-18 12:28:30 | 島の生活
       茗荷の移植

 3月15日(土),山の畠の植え付け予定地を整地。管理機が入るような状態でないのでスコップと鍬による手作業。水分(湿気)が少ないのが心配だが,菜園場が茗荷に占領されていること,昨年,半分は夏みかんの下に移植して既に収穫できる状態であるので「失敗でも元々」と考えることにする。
 3月16日(日),朝から堀上げ作業開始。たかだか10㎡程度であるので昼間でには終わる高をくくっていたのが間違い。数年前に移植した際,株間を広くとらなかったので,根が縦横に絡まっている。さらに,そばの銀杏とクルミの根まで進出し,水仙の球根が残っていたり,ドクダミやスギナまで進出している。これらはいずれも丈夫だからひとかけらも残せない。
 先輩のT/Hさんにでも聞かれたら,
『そんなものまで生やして,それでも畠というつもりか』等と叱られそうだが,仕方がない。(彼は常々,『“草を”見ずしてとるのが上農,見てとるのが中農,見てもとらんのは下農』とのたまう。彼の畠は何を植えても一直線。毎朝植物を前に朝礼をしているのではないかと思うほど美しい。もちろん,植えた物以外の植物は1本も生えていない。夜な夜な人気の途絶えた時間に,夫婦して懐中電灯を点しながら草を抜いているのでは亡かろうか)
 一部は17日に残った。彼岸の入りでもあるし墓参を予定していたが中止。夜までかかってようやく済ませたのは,掘り起こした苗の1/5程度。残りは次回に譲ることにして水やりをして終了。
 
 帰途考えればアホな話で,収穫しても隣近所や近くの寿司やに差し上げるだけ。庭にも,菜園場にも,山の畑にも水仙が満開となっているが1本も持ち帰れず。ただ疲れて帰るだけの3日間でした。
 
  


椎茸-2

2008-03-14 18:58:09 | 島の生活
       椎茸-2

 14日(木)パソコン教室終了後,T/Hさんの声
「椎茸が出来たら待ってるよ」
彼とK/Mさんによると,椎茸をうまく栽培するには,
木の向きを変えることはもちろん,天地返しをすること。
水をかけること。さらに,天地返しの際,木口を金鎚でたたくこととか。
水のかわりに,米のとぎ汁をかければよいなどとは聞いたが,最後の件,本当かいな?
 
 随分前のことだが,ある職場で東広島市に松茸狩りに行くという。
(広島県・東広島市から県北部にかけて,有数の松茸産地です)
「松茸はどうやって見つければいいんですか」と問う。
「椎茸はどんな風に生えているか知ってる?」
「一度スーパーで見たことがあります。木の幹に生えていましたよねえ」
「松茸も同じこと。赤松の幹をじっくり観察すればよい。
 樹皮の裂け目に生えているから。
 小さいのは残しておいた方がよいが,いま少し,という分には幹をさすってやると温度が上がって大きくなるから,そうして採るといいよ」

 半信半疑で帰宅後,早速天地返しをし,木口を金鎚でたたく。
今朝のこと。
なんと,春雨と気温の上昇もあってか,にょきにょきと数本芽を出している。
可愛くなってなぜてやりたい気分になったが,遠慮した。
 大きくなったらT/Hさんにおすそ分けしなければなるまい。

 ・・・・・変な話をしてごめんなさい
 
  


初椎茸

2008-03-11 11:50:40 | 広島の生活
       初椎茸

 3月11日(水)朝,うれしい発見。
先日の雷に触発されたわけでもあるまいが,椎茸が3個顔を出している。傘の直径は既に6~7Cm。1昨年秋,友人宅で菌糸を植え付けて約1年半。友人宅では昨年末から収穫を始めたらしいが,私のものは発芽(?)の兆候さえ見えず心配していたものだ。
妻に伝えると,
「気がついて教えてあげようと思っていたが忘れていた」とのこと。
毎年美しい花を見せてくれていた椿・侘び助も,昨秋の毛虫の食害の故か花を見せなかったが,よく観ると,堅いながら数個のつぼみを付けている。
春は近い。
 
  


春雷

2008-03-10 19:33:08 | 島の生活
       春雷

 3月8日(土),JA広島市農業塾OB会の「人豊講座:春夏野菜」を受講。農業塾は,今までの卒業生が790人,うちOB会入会者が110名,その中で白木圃場登録者が47名とか。ラジオでは,東京でも実践コース(正式な名称は忘れた)受講者が多摩地区で不耕作地を借りて農作業を始めたとか。日本の食料品の自給率が4割を切ったとか,食に関して暗いニュースの中で団塊の世代が動き始めたことは頼もしい限り。
 ただし,日本の自給率計算の仕方は納得がいかない。なぜ『数量(重量)比率』にしないで『カロリー比率』とするのだろうか?。日本ではおいしいもの(栄養価の高いもの)を食べ過ぎるという警告のためだろうか。識者のご意見を聞きたいものだ。
 職場から野焼きのためのシュレッダー用紙を持ち帰るが,島の家への帰宅は夕方になり作業は不可能。
 やるべき作業は多いが,夕方には雨になるという予報と,暖かさに誘われて山の畠に上がる。やる・やらないは別として,堆肥作りをする“つもり”で落ち葉を袋詰めする。除草できていない部分の作業は難しい。そうそう,除草のときに遊びに来ていた鳥は「ジョウビタキ」らしい。次の機会に,家のそばの菜園の「茗荷」を移植すべく整地する。先週採取できなかった蕗のとうは花開く状態になっていたが,小雨の中でつみ取る。(この蕗の薹,月曜日のトマトグループの作業ですべてが売り切れた(もちろん無料))
 野焼きの処理を済ませて帰宅したのが8時。入浴・作業着等の洗濯を済ませて帰途についたのが10時。しとしとと降っていた小雨が,小さな峠を越えると本降りに(というより,土砂降り状態)。雷鳴は聞こえないが,呉方面で稲妻が光る。
 春雷。
雨は,呉市内を通り抜ける時分から小雨に。帰宅して一杯やっていたら雷鳴と共に停電。春雷の雷鳴は虫を起こし,雷雨は草に活力を与える。
暖かくはなるが,農作業には厳しい季節が待っている。
 
  


不思議な事故

2008-03-07 20:09:56 | 私見
       これって“いじめ”?

 3月3日,海上自衛隊護衛艦のベトナムでの事故は何とも不思議。
『はまゆき(H)』が接岸しようとして,カンボジア船籍の貨物船『MASAN(K-M)』に接触したという。
(H)の前方には,『やまゆき(Y)』と『まつゆき(M)』が舷を接して着岸していたから,
(H)は,タグボートに押されてその「すきま」に着岸するところだったという。
どこかに接触する危険がある,と考えるのがのが当たり前ではないの。

 この形に接岸するのが決まっていたのなら,
まず(H)が接岸し,その前方に(Y),続いて(M)が節減すればよいことだ。
そのためには,(Y)と(M)は港外で(H)の着岸を待ってやればよいこと。

 入港する順序が決まっていたのなら,
まず(Y)が(KーM)の前方に着岸し,次に(Y)が着岸。
最後に(H)が(Y)または(M)に接舷すれば済むことではないのか?

 内海を走るボートならいざ知らず,3,000トンクラスの大型艦がやることは,
素人には分からない。
 
  

ウグイス:初音は3月2日

2008-03-07 19:42:50 | 島の生活
       ネギの嫌なのご存じないか
 3月2日(土)作業を終えて帰宅したのが7時30分。野焼きの火の後始末はどうしても遅くなる。減った腹を落ち着かせるべく,ラジオで始まったNHKのど自慢のチャンピオン大会を聞きながら新聞を読んでいると,
「こんばんわ」
従弟が手荷物をもってやってきてくれた。
小イワシとタコの刺身,小イワシの天ぷら,と,ワケギとタコのぬた。
女房が作ったから良かったら食べないかという。
ビールも酒もダメだというから,うまい具合に持ち帰っていた焼酎を飲むことにする。
 刺身,天ぷら,どれもおいしい。“ぬた”:うーん,あのヌルッとした感触と,歯の裏にくっつくような感じがどうも。でも,せっかくだから手をつける。
 彼は呉市の吏員として勤務し,あと3年で定年を迎えるという。1女に2男をもうけ,最年少の次男が今年成人式を迎えた。母(私の父の妹)を昨年亡くし,すぐそばに住んでいた兄は数年前に逝っている。
職場の悩みも多いようで,聞き役に徹していたら夜半を過ぎていた。
 高校駅伝・県大会で,花の一区のトップを奪おうかという時期もあったということで,翌朝,出しておいた資料を眺めていたら家を出るのが10時近くになった。
車に乗ろうとしたら,従弟の亡き後荒れていたミカン畑から
『ホー・ホケキョ』
今年の初音にしたら音色もいいわいと感心しながら山の畠に期待する。
ところが,
前日取りかけの草を猪が掘り返している。
いや,掘り返しているのなら我慢できるが,掘った土を草の上にかぶせているから始末に負えない。
最近の猪は節操がないようだ。
以前は,人間の入ったと思われる場所には,1週間程度は警戒していたものだ。
出来れば馬鈴薯を,と思っていたが,今期はあきらめることにする。

今日は目白の声もしない。ウグイスもまだ畠にはやってこない。
あの鳥,この間まで名前が分かっていたのに・・・何だっけ。
最近このようなことが多い。
先日も,
「あの名前知っているか?あのあれ。
 黒くて,練炭のように穴が空いていて,あの,豆炭より大きいやつ」
「さあ・・・」
若い者は縁がないから知らんか,
「あ,練炭だったよ」
「昔,K という人がいたが,あの人の名前を知らんか?
 と聞くようなもんじゃねえ」
職場でさんざん笑われた。

 なに誰もが通る道
昨日のことは忘れても,昔のことなら覚えているわい