小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

茶のみ友達

2012-04-29 23:57:10 | 島の生活
 優しくもあり,強引でもあり・・・

 会食をしょうじゃないか,呉市内まで出て来いと云う。
Suさん,Saさんの元同僚。
言葉には出さないが,仕事を離れた私が意気消沈して
ぼやっとしているんじゃないかと気遣ってくれたようだ。

 Suさんは前のK高校で,Saさんはこの間まで一緒だった。
お二人とも非常勤講師などで県立,私立学校に勤務していた。
非常勤講師は,1単位時間(50分)あたりいくらで1年契約。
教材研究,事後処理で職場に何時間いようと手当が増すことはない。
生徒から見れば常勤・非常勤の区別はなく“先生”だから,
「放課後質問に行きます」ということになればつきあう。
自主的に時間外の追加指導もするし,教材作りに必要だからと
パソコンを買っても,それらに対しての手当は一切ない。

 だから,長年に亘って非常勤講師として勤務すると,
世渡りが上手になって,本務は適当で,その筋に手を回したり,
卒業生や保護者に通じて,仲間を蹴落とそうとする輩もいる。
等しくきょうだいであるのに,母親の乳房にむさぼりつく子豚が
そっと弱い弟を足で押しのけるようなものだ。
最近そうした姿を耳にして情けなく思うことがあった。
必要なのは,子豚を観察する能力が母親にあるか否かなのだが・・。

 こういう表現が適切であるとは思わないが,お許しを得ることにして
この二人,そんじょそこらの男性より男らしい女性である。
そして,苦労した量だけ,心の痛みの分かる人のようにみえる。
年齢?。50歳は超えていようが,時には20代にもみえる。
共有した時間は短いのに,それぞれ移動を繰り返しているから
時差こそあれ過ごした職場が共通であり,そこでの様々な人が現れる。
「生物の先生がキジを撃ってきたことがあってね,炊き込みご飯を・・・」
「それ,Hさん?。その時の校長はSさんで・・・」
「そうそう,その通り」
「一緒の時,ハトは撃ってきたけどキジは見たことなかったなぁ」

 楽しい時間と,手作りのマーマレード,ワインに酒と肴まで頂戴。
さて,息のある内にこのような時間もう一度は持ちたいものだが。

料理教室

2012-04-29 23:19:19 | 農業塾OB会
 料理教室に入学


Sさんから電話が入った。
「料理教室に加わるということだが・・・」
という。26日(木)のこと。
同じような内容の話は,先月末であったか今月初めであったか,
「入学するそうで,おめでとう」
との電話がHさんから入っていた。
その時は“勘違い”ということで片付いていたのだった。

 JA広島市農業塾・OB会には内部組織として「白木農園」,そして
「蕎麦食べ歩き会」「トマトグループ」「梨グループ(休眠中)」と
「パソコン同好会」がある。
仕事の関係と両親の加療もあって【トマト】は休ませてもらい,
夜の【パソコン】だけ続けていた。
【料理】に少しは興味はあったが,平日の昼間ということで不参加。
また,島では味噌汁と漬け物、それに豆腐と酒の肴があれば十分だし。

 簡単に決めつけてはいけないが,男と女の違いだろうか,
かみさんは,
“葬式は○○でいいか?,連絡先は?,墓地を便利のよい所に”
と,私が先に逝くものと考えてか,何かと心配している。
一方,白木農園の方では,(自分の方が長生きするものと考えてかその時に備えて)
”男の料理教室”と銘打って嬉々としてレポ-トしている。

私は,
障子を張ったり畑の除草,植樹に防草シートを貼ったりして
身辺を整理しながら,周囲に迷惑をかけないように静かに逝けば良いと願っている。
改めて「料理教室に加われ」との電話が入った。
“万一”を考えて,入校をお願いした。

愛車の軽トラが危ないところだった

 島への帰り道,給油に寄ったところ,
「タイヤが危険な状態ですよ」
サービスマンが声をかけてきた。
なるほど,肩が減ってワイヤーが露出している。
「とりあえずスペアと交換しょう」
さっさと準備にかかってくれたので,
サービスか?と聞くと,525円ですと云う。

 残念ながら,500円も稼げる状態には無い。
早速にサービス(?)を断って自分で交換した。

 どういう訳か,この夜は足がつって3度も目が覚めた。
(従弟に無理を言ってインターネットに接続を試みた。
ところが,私のパソコンにはどうやっても繋らない。
写真などはまたの機会に)
)

ようやく農作業

2012-04-26 02:24:47 | 農業塾OB会

4ヶ月 放ったままの農作業 鯉が泳いで 山笑う

 年も押し詰まって播種した小麦,天候不純で麦踏みをしないまま今日を迎えた。
(本が田圃だから,数日前に降雨があっても作業にならない)
昨年末に黒大豆の脱穀と里芋を彫り上げて以来だから,4ヶ月ぶりとなる。
笑う時期に来ている山が,煙って見えるのは黄砂のせいだ。
 今日の参加者は17名。
予定では小麦の除草も入っていたが,
まずは里芋の植え付けに全員が向かう。
だが,土が重くて,
思うように作業がはかどらない。
 休憩時間の待ち遠しいこと。
いつものことながらOさんの創生水.
やむなく欠席のK,Aさんからお菓子とジュースの差し入れ。
おいしく頂きながら談笑が尽きない。
(おかげで,用意したコーヒーは半分以上が残った)
 里芋を植えたあとには暴走と保温の黒マルチ。
ところが用意した100mの黒マルチを2本では足りない。
里芋の植え付けだけで,昼過ぎまでかかり,
出穂を始めた小麦の除草は次回(5月1日)に。

白木街道には,沢山の鯉が,東日本の復興を願いながら泳いでいる。

 障子張り 手慣れた頃に 終わる作業
 除草ばかりでは能が無いからと,帰り道で野菜や花木の苗を見ていたら雨になった。
島に帰っても仕事にならないからと,障子張りに転向。
四苦八苦していて,《白木農園だより》への投稿も遅くなった。
明日は,島に帰る。

おめでとう 堂林選手

2012-04-24 23:50:56 | ひとりごと
 エラーをして下を向く選手は使わない(野村監督)

 障子を張り替える途中で,つい点けたテレビが野球中継。
マエケンが頑張っている。が今夜も点が取れない。
ノーアウト2塁のチャンスが生かせない。

 5回,背番号13がエラー。
不吉な予感。そこにアナウンサーが監督のコメント。
「エラーをして下を向く選手は使わない。
 借りは,きちんと返せば良い」(そのような表現)

 諦めていれば,Gに3連勝。
期待すれば,裏切る。
投手陣は抜群,打は?,
 ・・・・○・・・・・○・・・・・・・・,線とならない。
今季も期待しない方がよさそう・・・

 おっと,障子張りに取りかかったとたんに,
「ホームラン!」
見損なったけど,いい,いい,
こういう場面は,何度でも見せてくれる。
広島1:0阪神 (広島は貯金1)

遼太郎に学ぶ

2012-04-23 22:18:35 | ひとりごと
 広島にいて暇な折に古書店をのぞく。
読みたいものが安く手に入ることはもちろんだが,
時には,願ってもない掘り出し物を発券することがある。
今回は,司馬遼太郎短編全集であった。
全十二巻の内,第一巻で1950~57の初期の作品が収められている。


 長安の都,西の城門の外に倒れた一人の老僧と城門の衛士の出会いから始まる。
母親の供養のために,天竺(印度)から10年の歳月をかけて中国の寺院に経文を収め
再び印度に帰る途次であるという男は80歳はとうに過ぎていようか

 長安の夕映え 父母恩重経ものがたり(抜粋)=司馬遼太郎
 ・・・
「おお,丁度よい機会だ。わしの長安への忘れ物をお前たちにことづかってもらおう。
 わしは,国を出るとき,ただ一つ大事なお経を行李の中に入れるのを忘れて来た。
 それは,世尊が,なぜ父と母が尊いか,ということを教えられたお経だ。
 幸い,ここにお前たち十の耳がある。わしの口から,お前たちの耳に伝えよう。
 お前たちは,よく耳の底に残して,お前たちの民族に伝えてやってほしい」
僧は,路傍の石をみつけて,その上に坐を組み,衛士たちは,さすがに何か敬けんなものを感じてそのそばから,
やや身後(みじろ)いだ。二人が立って鉾を脚にはさみ,三人が,何となく坐った。
 城壁の泥煉瓦の色が,金色の反射から,暗黄色に変わっていた。
 それから,僧は,長い間,西のほう天竺の空を見つめて何事かを念ずる風であったが,やがて目をつむり,静かに唇をうごかした。

---かくのごとく,われきく。あるとき,

 仏,王舎城のギシャクツの山の中に,菩薩,声聞の衆とともにましましければ,比丘,比丘尼,優婆塞(うばそく),優婆夷(そばい) ,一切諸天の人民および竜鬼神など,法をきかんとて来たり集まり,一心に宝座をかこんで,瞬もせで尊顔を仰ぎみたりき・・・・
  ・・・・・・・・・・
 このとき,仏すなわち法を説いてのたまわく,
  ・・・・・・・・・・
 一切の善男子(ぜんなんし),善女人(ぜんにょにん)よ---。
 父に慈恩あり,母に悲恩あり。そのゆえは,この世に生まるるは,宿業を因として,父母を縁と競り。父にあらざれば生まれず,母にあらざれば育たず・・・・その恩,未形におよぶ。
 はじめ,胎に受けしより,十月を経るの間,行,住,坐,臥,ともにもろもろの苦悩を受く。
 月満ち日足りて,産む時いたれば,業風吹きてこれを促し,骨折,ことごとく痛み,汗,あぶらとともに流れて,その苦しみ堪えがたし。
 父も,心身おののきおそれて,母と子を憂念し,諸親眷属,みな,ことごとく苦悩す。
 すでに生まれて,草上に堕つれば,父母の喜び限りなきこと,なお貧女の如意の珠を得たるがごとし・・・・。
 それより,母の乳を食物となし,母の情(なさけ)を生命となす。飢えたるとき・・・・母にあらざれば哺(くら),わず。渇きたるとき・・・・母にあらざれば咽(の)まず。寒きとき・・・・母にあらざれば着ず。
 母,東西の隣里にやとわれて,あるいは水を汲み,あるいは火をたき,あるいは碓をつき,あるいは磨(うす)をひき,種々の事に従事して,家に帰るのとき,いまだ家に至らざるに,いまやわが児,家に哭(な)きさけびて,われを恋慕わんと思い起こせば,胸騒ぎ,心驚き,両乳流れ出でて忍び堪うることあたわず。
 すなわち家に帰るや,児,遙に母の来れるをみて,揺籃(ゆりかご)の中にあれば,頭(かしら)をうごかし,脳(あたま)を弄し,外にあれば,腹這いして出で来り,鳴呼(そらなき)して母に向う。---母は児のために足を早め,身をまげ長く両手をのべて塵土をはらい,わが口を児の口に接(つ)けつつ乳を出だして飲ましむ。
  ・・・・・・・・・・
 二歳,母の懐をはなれて,はじめて歩く。父にあらざれば,火の熱きことを知らず,母にあらざれば,刃物の指を落すを知らず。
 三歳,乳を離れて,始めて食(くら)う。父にあらざれば毒の命を落すことを知らず,母にあらざれば薬の病を救うことを知らず。
 ---父母,外に出でて,他の座席に往き,美味珍羞を得ることあれば,自らこれを食う忍びず,すなわち,懐に収めて持ちかえり,呼び来たりて児に与う。得れば児,歓喜して,かつ笑いかつ食う。得ざればすなわち佯(いつわ)り哭(さけ)びて,父を責め母に迫る。
 ・・・・・・やや成長して朋友と相交わるにいたれば,父は衣を求め,帯を求め,母は髪を梳(くしけず)り髻(もとどり)を摩(な)で,おのが美好の衣服は,みな子に与えて着せしめ,おのれは古き衣,破れたる服を纏う。
  ・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・
 あたりは,ようやく昏くなって来た。ほんの先刻(さっき)遠くで羊を呼ぶ笛の音が響き渡って来たのを最後に巨大な城壁と,限りない大地は死んだように静まりかえっている。衛士たちは,彼等の一番大きな務めである城門を閉めることすら忘れていた。一つの瘠せた背の高い座像と,それを取巻く五つのシルエット,その中の二,三は,忍び哭きの声すら洩らしていた・・・。背高い座像の声は,重く沈みつつも,大地のうねりとともに地上の果までも響いて行くように思われた。

  ・・・・・・・・・・
 子,すでに妻をめとらば,父母おば転た疎遠にして,夫婦はとくに親近し,私房(へや)において妻とともに語らい楽しむ。
 父母,年高(とした)けて,気老い,力衰えぬれば,頼るところは唯だ子のみ。恃む所は唯だ嫁のみ。
 しかるに夫婦,共に朝より暮にいたるまで,いまだ敢て,ひとたびも父母の室に来り問わず。
  ・・・・・・・・・・
 用ありて子を呼べば,子は眼を怒らせて怒り罵る。嫁もこれを見て頭を垂れて笑を含む。
 あるいはまた,急の事ありて,疾く呼び命ぜんとすれば,十たび呼びて九たび違(たが)い,ついに来たりて給仕せず。却って怒り罵りていわく,
「老い耄れて世に残るよりは,早く死なんには如かず」と。
 父母,これを聞きて,怨念(うらみ),胸にふさがり,涕涙(なみだ)まぶたを衝きて,目瞑み,心惑い,悲しみ叫びていわく。
「ああ,なんじ,幼少の時,われにあらざれば養われざりき。われにあらざれば育てられざりき。しかして今にうたれば則ち,却ってかくのごとし。われ,なんじを生みしは,本より無きに如かざりけり」
  ・・・・・・・・・・

 突然,衛士の一人が起ち上がって,石の上の僧に摑みかかった。
「止めろ,止めろ,この・・・・乞食坊主・・・・止めろ・・・・頼む・・・止めて下され・・・・頼む・・・・はらわた,が,ちぎれる・・・・おら・・・・」
 と哭喚きころげまわった。この男の狂態に,車座になった他の四人の口からも一様に嗚えつの声がもれた。石上の座像は,かまわずなおも語り続ける。

  ・・・・・・・・・・
 悲母,それ,初めて生みしときは,顔(かんばせ),花の如くなりしに,子を養うこと数年なれば,容(かたち)すなわち憔悴す。
 水のごとき霜の夜にも,氷のごとき雪の暁(あした)にも,乾ける処に子を廻し,湿(うるお)える処におのれ臥す。子,おのれが懐に屎(くそ)ひり,あるいは,その衣に尿(いばり)するも,手みずから洗いそそぎて,臭穢(しゅうえ)をいとうことなし。
もし子,遠く行けば,帰りてその面(おもて)を見るまでは,出でても入りても,これを思い,寝ても醒めても,これを憂う。
 おのれ生ある間は,子の身に代わらんことを念(おも)い,おのれ死に去りて後も,子の身を護らんことを願う。
 然るに・・・・
 長じて人と成れる後は,
 声を抗(あら)げ,気を怒らして,父の言(ことば)に順(したが)わず,母の言に瞋(いかり)をふくむ。
 すでにして妻をめとれば,父母にそむき違うこと,恩無き人の如く,兄弟を憎み嫌うこと,怨(うらみ)ある者のごとし・・・・
 妻の縁族来たれば,
 堂に昇せて供応し,室に入れて歓晤す・・・・・・
  ・・・・・・・・・・

星が,一つ,桑畑の上に流れた。

 仏,のたまい終れば,
梵天,帝釈,諸天の人民,一切の集会(しゅうえ),この説法を聞いて,ことごとく菩提心を発(おこ)し,五体を地に投じて涕涙(なみだ),雨のごとく,進みて仏足を頂礼し,退きて歓喜奉行したりき・・・・


 すべてをお借りするのが礼儀だが,長くなりすぎるので,最初の36行,最後の9行をを割愛した。
司馬さんが,広い分野で深い知識を有していることは承知していたつもりであったが,この作品は二九歳の時のものである。
この巻一に収録された作品のほとんどは,単行本に未収録のもので,若き福田定一をよく表している。
若さ故に,知力が勝り読みづらい面が無いではない。
タイピングには苦労した。

司馬遼太郎さん ありがとうございました。

笠戸島へ

2012-04-22 23:59:33 | 広島の生活
 湯を巡って 

 再び湯に浸かろうとした足先に2枚の花びら。
遅咲きの桜がまだあったらしい。宿の野天風呂。

 私は毎日が日曜日のようなものだが,
働き者のかみさんと共通の時間が持てるのは,
本来の(?)土日くらいのものだ。
長い間ご苦労さん,どこかで骨休みを,
とかみさんが誘ってくれた。

 生憎と天候も悪いので,安くて近場で疲れを取ってくれる所は?,
山口県笠戸島にある国民宿舎『大城』を選んだ。
山陽自動車道を使って,下松で道に迷ったが,80Km余。
泉質はさっぱりしていて,入浴時には風雨も弱く,
ゆっくりと体を休めることができた。

 入浴中に『呼鶴温泉』は体が温まり外傷に効能があったという話を耳に入れて寄り道することとした。
(宿の入り口に太陽は独歩我も獨步す爽やかに 自得
自得の句碑は広島市西区の三滝寺にもあるそうだが,また)
『呼鶴』は,山口県・ツル飛来の盆地・八代の近くにある。
廃業したのかと思ったほどうら寂れた状態にあった。
改装中ということであったが,入浴はできるという。
近くの三丘(ミツオ)温泉で食事だけ済ませて入浴した。
なるほど湯も柔らかくよく暖まる。
だが,入浴料600円に休憩室の利用料は400円とあって早々に退散。

 時間が前にずれ込んだので,周防大島にある母の実家の墓参をすることとした。
島に入ると天候も回復し,途中偶然に出会った妻の従妹も墓参につきあってくれ,
沈む夕日を眺めながら島を離れた。(走行距離320Km)

島の春

2012-04-21 13:23:45 | 島の生活
 
 島も花の季節
 県央にある晴耕雨読さんの別宅は,
広い庭にほどよく配意された草木が,
四季の移ろいを魅せてくれるようだ。

 それに引き替え島の自宅では,
狭い庭に草花を無秩序に植えている。
ほとんどは母の手になるものだが,
隙間に私の植えたものもあるから,
手がつけられない状態になっている。

 帰宅した折にはイチハツが1,2輪花をつけていたが,
島を離れるときには満開となっていた。
別な場所の紫色も同じものと考えていたがアイリス系か,
これは持ち帰った翌朝には開花していた。

“七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだに無きぞ悲しき”
井戸端にはヤマブキが花をつけはじめた。

 広島の拙宅には,花を育てる余地はない。
だが,近くには立派な邸宅が多く,
右は屋敷側にもうけられた幼稚園の花壇。
ブログでは,中農日記こだわり親父の野菜作り
移りゆく季節を堪能している。

 根が横着者だから,仕事を離れて広島にいると
朝寝坊でぼんやりする時間が多くなった。
今朝も,作業予定の白木農園に出かけた人がいたのではないかと気になったが,
目覚めて時計を見ると9時!。
島では6時には起きて朝食の準備をしていたものだが・・・。

清盛祭

2012-04-20 20:37:41 | ひとりごと
 
5年に一度の音戸清盛祭

 平清盛公が沈みかけた太陽を呼び戻し,一日で切り開いたと伝えられる音戸の瀬戸で,
150年以上の歴史をもつ「音戸清盛祭」が5年ぶりに開催されます。
「音戸清盛祭」は清盛公の偉業をしのび,念仏を唱えながら踊り明かした念仏踊りが始まりといわれる大名行列で,
この行列の花形である「投げ奴」や「挟み箱」,侍,腰元をはじめ,平清盛公の音戸の瀬戸開削を模した独特の行列など,
約400人が参加し,町内を練り歩きます。(文章はJR情報)

 どうも大河ドラマの評判は今ひとつのようですが広島は何かと盛り上がっています。
紹介が遅くなりましたが,イベント情報はひろしま清盛に。

なお,清盛祭見学は狭い島のこと交通規制がかかります。
<交通規制のお知らせ>にあるように,
1.JR呉・・・徒歩10分で「呉中央桟橋」~(臨時客船)~音戸桟橋
2.歩行の不自由な場合
  車で警固屋公民館(500台),警固屋中学校グランド(150台)~シャトルバス~音戸渡船乗り場
  汐音(シオン=旧・音戸温泉)下駐車場(50台)
  というほうほうもあります。 
 
 当日は好天も予想されています。ゆっくりお楽しみ下さい。

 

小麦が,里芋が・・・

2012-04-20 16:04:19 | ひとりごと

 さて,どうしたものか?

 昨夜(19日),広島に帰ってきたのは,
パソコン教室(白木農園パソコン同好会)の集まりがあったからだ。
雲行きが怪しいというので,前日に甘夏をもいだのは正解だった。
島を出る頃には,ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。

 たいした雨量ではなかったが,教室ががらんとしている。
欠席連絡が3名,忘れていたYさん,忘れていたMさんに欠席通知をしていたKさん,
1泊2日でを1万円のバス旅行で吉野の桜を観賞したというKさんの温泉(?)饅頭,
昼食をインスタントラーメンで飛び出した私,平素食べない饅頭を3個いただいた。

 ところで本業(?)の白木農園の農作業。
明日の小麦の除草と里芋の植え付け予定が,雨天のため25日に延期されたという。
天候不順で,とうとう麦踏みをやらなかった。里芋の植え付けも遅れている。
島では,キウイの敷き藁とした小麦から芽が出て,穂が顔をのぞかせていた。
(月曜日には,ようやくタケノコが顔を出し,2本を従兄弟に分配)

 それにしても,だ。
25日までここでぼやっと過ごすか,一旦は島に帰って引き返すか,
(先日の見回りの時,一筋だけ除草したから)今回の作業をサボるか。
さてまた,コンテナ2個の甘夏そどう処理しょうか?。

 頭の中は,今の空模様のようにはっきりしないままどんより曇っている。

サクランボが・・・

2012-04-20 14:00:51 | 島の生活
 まにもひょうしにもあわんで~

 今回の島の作業は,菜園の除草と甘夏の採菓。
山の畑の作業に追われて,菜園の草は伸び放題。
きれいなのは,ネギ,空豆,ニンニクの部分だけ。
それでも,スギナが葉を伸ばしている。

 鍬を入れながら除草をしていると,従弟が一言,
「そんがいなことをしよったら,まにもひょうしにもあわんでしょうが
 (悠長なことでは,作業が時期遅れになってしまうだろう?)」
私の作業は,鍬を入れて,
スギナと種のついた雑草はトレーで畑の隅の焼却場に,
それ以外のものは果樹の下に運び込む,というものだ。

 4月から仕事を離れた従弟は,昔は田圃であったところを畑地にしている。
草ボウボウのまま管理機で耕耘し,何事もなかったような顔をしている。
「草を鋤込んだ方が,土が軟らかくなっていいですよ」
なるほど,セイタカアワダチソウもスギナも消えている。

 だが,気の小さい私にはそれができないんだなぁ。
これらの草がなくなるまで鍬を打ち込んでは,
石ころを拾い,ミミズに声をかけることになるのだろう。

 葉を振るい落としたイチョウとクルミがあざやか。
見上げると,アケビが沢山の無駄花をつけている。
心配なのはサクランボ。
小枝の新芽が枯れたようになっている。
消毒をしたいが,実をつけているし,さてどうしたものか?。