小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

ツバメ

2009-05-26 22:31:01 | 広島の生活
        我が家は簡易宿泊所?

 中旬からツバメが行き来していた。巣を作り始めたようだ,というのでのぞくと,その通り。
店のテントの下,電気の配線に泥が付いている。この場所には数年前にも巣を作ったことがあったが,横から吹きつける雨で溶け落ちたことがある。土の家だから仕方がないとはいうものの,以来彼らは遠慮していた。
 世代が変わったのか,新しく作業をはじめたようだがこれでは同じ失敗のくり返しになる。

 思案して,ちょうど一升枡程度の大きさの発泡スチロールの箱があったので取り付けることにした。これなら横殴りの雨にも耐えるだろうと。ただ,白色では気に入らないだろうと,補強も兼ねて土色のクラフトテープ(布)を張った。これが先週の木曜日。
 喜んでくれるかと思ったが,あれ以来あまり姿を見せないという。箱の縁にとまった姿は1,2度見かけたが,昼間はどこでうろついているやら。それでいて,よるはちゃっかりテント下の配線に2羽が並んでやすんでいる。

 島では,母が健在であった頃は戸を開け放っていたから,ツバメの出入りは自由自在であった。あるとき,子育てに不自由しないようにと,玄関の戸を少しだけ開けておいたのが間違いだったと母が言っていた。ねらいを定めてネコが獲って以来来なくなった。

 ツバメの飛来する家には良いことがあるという。
楽しみにしていたのだが,彼らが安心して子育てをしてくれるようになるには,もう一工夫も二工夫もいるようだ。  


『ちょっといい感じ・・・』にはなかなか

2009-05-25 01:26:27 | 広島の生活
        付け焼き刃では・・・

 11月に限らず,22日だから『いい夫婦』を演出すべくいつもより早く帰宅する予定であったが,ちょっとしたことがあって,帰宅は8時半になった。これならいつもと変わりない。が,留守。最近はプールに行っていないし,病院の当番の日でもないからスーパー銭湯にでも行ったかと飲みながら待つことしばし。

 気付いたら10時半をまわっている。両手に荷物を持って無事帰還。1ヶ月前に出来たショッピングセンターに行っていたという。
 近くのスーパーストアは10時閉店だから9時には生鮮食品は半額になるが,新しいSCは11時閉店で10時を過ぎないと半額にならないという。便利になったようなならないような。

 たまには他所様のように,いい感じの夫婦を演出しようと思ったが,平素出来ていないことが急にうまくいくわけはないと妙に納得。
 今週末,彼女は土曜夜から日曜にかけて山に行くようだし,私は島に帰る。
まあ,すれ違いの多い二人だが,けんかしない程度にやっていくしかないか。
  


ちょっと良い感じの

2009-05-22 17:17:06 | 私見
        朝日『ひととき』から

 ゴチ網漁で私の島まで往復した友人が言う。
「それにしても,よく帰るねぇ」
海沿いの曲がりくねった島の道を含めて片道65Km。毎週末のように往復する私のことを評したものだが,つい余計なことを言ってしまう。
「それにしても毎日まいにち,朝から晩まで顔を合わせて良く飽きないねぇ。ボクは距離をとるために帰るんだけど」。

 写真で見るとよく分かるんだが,OB塾のメンバーはどなたも笑顔が良い。とっても幸せ!という感じ。その中に一人とがって貧相なのが混じることになるから,写真は嫌いだ。
 連れ合って38年にもなるのに,なかなか波長が合わない。反省することはあってもそれが反映されないから困る。そんな中,素敵な文章に出会った。

        あなた,今夜も乾杯
 「今晩は何ですか?」。
湯上がりで気持ちよさそうな顔をのぞかせ,夫か必ず言う決まりのせりふ。夕食はいつも安い食材で,あまりかわりばえのしないおかずだけれど,5品は作るようにしてきた。少量でも色々あると夫は満足げだった。食卓に並べられたいくつかを眺めながら,「今日は焼酎か,それとも日本酒が合うかなあ」と,その日の飲み物を決めていた。
 「まずは一杯,冷たい缶ビールを」と,2人で分け合って乾杯。たっぷり一,二時間おしゃべりをしながらの楽しい夕食だった。
 ところが,2カ月前に一変した。夫は,発った3日間の入院で,足早にパスポートもいらない黄泉の国へ行ってしまった。77歳だった。運動好きで,足が速かった夫は,そちらに行くのもはやかった。せめて,もう5年でも生きていてほしかった,と悔やまれてならない。
 長い年月の中では,頑固な面にイライラしたこともあったけれど,結局は独り相撲をいつもとっていた感がある。物静かで優しかった夫。誰にも迷惑をかけずに見事なまでの最期だったのではないか,とせめてもの慰めにしている。
 静まりかえった部屋で,少し笑顔の夫の大きな写真の前に,今夜も好物を並べ置く。「あなた,乾杯しましょうか」とグラスを高く上げてみる。
                <朝日新聞5月20日『ひととき』。伊丹市の主婦の投稿>
 投稿されたご本人,新聞社の了解を取るべきかも分からないが,全国紙ということで転載させてもらった。

 白木農園だより4月22日号に『愛妻テミル原則』を中農さんが寄せている。この人はいつも良い文章を投稿し,営農資料を提供してくださる。お見かけしたところ,この方はいつもこの五原則を“しテイル”感じだが,こちとらどれも“しタコトガナイ”ばかりでお恥ずかしい。
 最期はポックリと“逝ってミタク”それだけでも感謝されて“ミタイ”ものだ。
 今日は22日。たまには早く帰って何か“しテミヨウ”かな。
  


降誕会-2

2009-05-22 12:45:47 | 広島の生活
        世の無常

 私の勤務する学校では,生徒宛に毎月「宗教だより」が発行される。執筆担当は僧籍にある方で今月は5月ということもあって,降誕会に関する内容が述べられています。やさしく表現されていますから,そのまま紹介します。

           世の無常
 音楽に興味を持ち,歌ったり,聴いたり,楽器を演奏している人が多いのではないでしょうか。わたしも音楽を聴くのが好きで,時代の流れと共に流行する音楽を楽しんでいます。若いみなさんは,最近の流行の音楽に親しんでいると思いますが,小さい頃に童謡を聞いたり,口ずさんだことを覚えていないでしょうか。
 先日,庭で子どもたちが「しゃぼん玉」をして遊んでいる姿をみて,自分が小さい頃に,聞いたり歌ったりしていた『しゃぼん玉』という歌を思い出しました。

           『しゃぼん玉』
     しゃぼん玉  飛んだ   屋根まで  飛んだ
     屋根まで  飛んで   こわれて  消えた

     しゃぼん玉  消えた   飛ばずに  消えた
     生まれて  すぐに   こわれて  消えた

     風  風  吹くな   しゃぼん玉  飛ばそ

 この歌は,軽やかなテンポよくかわいらしく歌われますが,この『しゃぼん玉』の歌詞には隠された悲しい意味があるといわれています。実は,飛ばずに消えたのは,子どもの命だったのです。この歌の作詞者である野口雨情さんは,ほんとうに自分の子どもを亡くしておられます。それも生まれてわずか一週間後,まさに“生まれてすぐに,こわれて消えた”のです。当時は,今のように医療が発達していない時代であったとはいえ,子どもを失った親の気持ちを察すると胸が痛くなります。だからこそ,せめて“風 風吹くな・・・ いのちある限り,飛び続けてほしい,無常の風よ 吹かないでおくれ”という親心を表現した歌だといわれています。

 宗祖親鸞聖人も,幼くして“世の無常”を身をもって感じておられます。聖人は,貴族中心の社会から武士中心の社会へと国の歴史が大きく転換する時期に,藤原氏の一門である日野有範の子として生まれられ,幼くしてご両親とお別れになっておられます。移り変わり激しい時代に,しかも,人の世のつらさを心にいだいて成長された聖人は,人々が追いかけ求めている財産や地位や権力というものが,どんなに空しく,はかないものかということを,いやというほどみせつけられ“世の無常”を感じ,世の中がどんなに変わっても,決して変わることのない幸福をえたいと願われて,九歳にして出家を決意されたのです。
 得度の式のため伯父様とたずねられた青蓮院で,夜が遅かったことから明日にしようと言われた慈円僧正を前にされ,
  
  “明日ありと おもう心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

という歌を示されたことは,皆さんも聞いたことがあると思います。私たちは,明日がある明日があると大切なことを先延ばしして日々の生活を送りがちですが,“世は無常”人間世界のあてにならないことは“老少不定”といって,老いも若きもないのがこの人生なのです。その現実から目を背けることなく,大いなる願いのもとにいただいたかけがえのない“いのち”を大切にしていかなければなりません。嬉しいことも悲しいこともある人生を,一人ひとりが主役である自分のいのちの物語を紡ぎながら生きているのですから,この今を粗末にすることは出来ないのです。
 縁あって本学園で学ばせていただいている私たちは,聖人の九十年の苦難の生涯からも,野口雨情さんの歌からも,今を精一杯生きることの大切さを学ばせていただかなければならないのではないでしょうか。

  年経て,教えられることが多いのです。 

空宙トマト初収穫

2009-05-21 13:25:08 | 農業塾OB会
        マイトマトもピッカピカ

 今朝はトマトの作業日。仕事の都合で月曜日に設定しているが,今回はゴチ網漁で遊ぶ関係で木曜日と変わってもらった。
 ところが,いつもは作業が終わる頃にのっそりとやってくるオーナーが早々と顔を出し(何,この人はパソコンをやらないから,この文章に触れることはない),
「今日はTVと新聞の取材が入っているからよろしく」とのたまう。

 参った。今日は仕事をやりくりして出てきている。仲間のMさんも,仕事をサボったのがばれるなあと心配する。彼は人を使う立場だから良いが,私の場合は使われている。まあ,誰に迷惑をかけているわけではないから心配ないのだが。ここの作業(空宙トマト栽培)も,週1回は2~3時間の作業をしながら半年で〆の会の飲み代がちょうどまかなえる程度の報酬だから仕事があるふりをして帰っても良いのだが・・・。
 何の因果でトマト栽培を習うたかと言えば,様々な生き方をしてこられた諸先輩との会話があるからで,その意味からは,足を抜くことは出来ない。

 ハウスとその周辺の取材には,大先輩3人があたってくれた。作業をやりくりしたわりには拍子抜けの取材。作業終了後は選果場で待てとの指示。
 選果場での作業も済ませて待つことしばし。下りてきたスタッフは,淹れたコーヒーをうまいとも言わずに飲んで,チョコちょこっと話をして,それで終了。
 地元のケーブルTVで1ヶ月後に放映,新聞は地元の夕刊にこれも1ヶ月後に掲載されるという。

 味気ない取材に対して,今日の収穫はなんと言っても写真のトマト。普通のミニトマトは糖度が6程度だが,このトマトは糖度9。夏の太陽に育てられた青臭いトマトもおいしいが,ハウスの水耕栽培でストレスを与えたトマトは色つやと甘さが違う。どうもこういったことは人間も同じことのようで,うちの総領は甘やかしたぶんだけちょっと。

 メンバー一人あたり,1本の水耕塔(8本のトマトを植栽)を与えられている。実入りの少ない作業とは別に,孫が楽しみに待っている。
娘は,
「3歳の息子(孫)が,店屋物のトマトはペッと吐き出す」
などとおだてる。
 年寄り大多数の時代だからだろうか,このごろの若者は礼儀はわきまえていなくても,上手に年寄りを使う。  


ゴチ網漁

2009-05-20 18:46:28 | 農業塾OB会
        あとが大変だ

 19日(火)はゴチ網漁。
農業塾OB[空宙トマト栽培]グループのメンバーが中心となって,昨年に続いて今回は二度目。参加者は九名。漁は私の幼なじみO君とその細君が行い,私たちの役目は漁獲した獲物を生け簀に放り込むことと,O君の造ってくれた刺身を喰らい呑むこと。

 仲間8人は広島市から2台の車に便乗。私は土曜日から島に帰っていた。あれこれやっていたら就寝は12時を過ぎてしまっていた。念のため腰に“モーラステープ”なるものを張って,痛みがひどくならないように備える。
 3時起床。同時に世話人のYさんから一報。電話に出られず。10分二報。今広島を出立するとのこと。仲間の会話が聞こえる。
「大丈夫。起きとったで。」
食事を済ませ準備。4時30分,3報。「音戸大橋の駐車場を発つ。」
コーヒーを淹れるのに意外と時間がかかる。
4報。「着いた。」
やれしまった。迎えるつもりが迎えられる羽目になった。

 前日と違って空一面に雲が広がっているが,雨の降る気配はない。風もなく海は凪いでいるが,肌寒い。
 ゴチ網漁とは,網で出来た巨大なマスク(幅30m)を海に入れ船に引き上げて魚を捕る漁法。
マスクの上面には浮き,下面にはおもり。
 まず地点Aで浮きの着いたロープ(600m)を落とし,移動しながら海中にマスクを入れ,600mのもう一つのロープの端BとAが重なるところで,ローラーでロープを巻き上げマスク(網)をたぐり上げるという次第。その間,スクリュウは前進体勢で回転しているが,引かれるマスクの力で,舟は一定の場所にあるという具合。
 まあ,地引き網の陸地が舟であり,網を引く人力が機械力に変わったということだ。が,大きく異なるのは,地引き網が場所を限定されるのに対して,こちらは舟が移動するところが陸地というわけで,あとは魚のいる場所,潮の流れ,海底の地形などを読みながらどこを陸地にするかという猟師の判断。

 最初は,数は少ないが真鯛がいて期待を持たせ(昨年はほとんど全部がチヌ(黒鯛)),ついに100尾を越える収量。
「わぁっ,すっごい」と歓声の上がる一方,かわいそうじゃけもう止めようやと,お念仏を唱える者も。
 かくして昼前には漁を止め,O君の細君の炊いてくれた鯛飯をいただいて終了。魚種は,真鯛,チヌ,石鯛,甲イカ(紋甲イカ),カワハギ,カレイなどなど。
私は別行動でもう一度野良仕事をして帰広する予定だったが,発泡スチロールの箱は乗用車には乗りにくく,一部を私の軽トラで運ぶことに。

 さて,帰宅して空けてびっくり玉手箱。
50Cmは越えようかという大鯛が鎮座している。今日一番の大物で,何人かはこの鯛を持って喜色満面で写真に収まっている。最年長者か運転手,もしくは世話人のYさんに等と秘かに考えていたが,どなたもが遠慮して私に譲ってくださったものと見える。今更お返しするわけにも行かず,ありがたく感謝し頂戴する。
 せっかくだからと近くに住む娘に連絡を取り,かみさんは母を病院に迎えに行く。相談しながら仕分けし,結局ご近所をはじめ,かみさんの友人や親戚など12世帯に分配することになった。遠くは安佐北区の友人に届け,広島東から山陽自動車道を使って宮島を望む叔父宅まで。早く帰広できたおかげで,どの家庭の夕食にはなんとか間に合ったようだ。帰宅するとかみさんは軍手をはめて格闘中。
 おかげで4世代でおいしくいただく。甲イカの甲はこうやってね,鯛のたいはこれ等と会話も弾み,〆は3歳の孫の「おかげさまで,ごちそうさまでした」

 かみさんは,魚屋さんのご苦労が少しは分かったと言いながら,当分魚の顔は見たくないという。
 写真はYさんの撮影した,魚を〆る船頭のO君。  


この春の収穫

2009-05-20 15:42:34 | 島の生活
        アスパラと空豆

 16日から19日まで島に滞在。
というのも,18日(月)は宗祖(親鸞聖人)降誕会等で私の仕事は割愛されたのでトマト当番を代わっていただき,19日のゴチ網漁(そのうち紹介)を控えてのんびりした次第。
 
 16日(土)は,買い物を頼まれたりして帰宅は夜。この日は島でも寒くてストーブを点ける状態。
 17日(日)は朝からくもり,広島は雨らしいが,この地は愛媛県の天気予報が良くあたる。山の畠には上がらず菜園場の茗荷を植えた場所の除草。作業が遅れているが,先輩からいただいた籾殻の残部を撒いておきたい。
 パラパラと来だしたので物置の整理。
 18日(日),快晴。ラジオを聞きながら茗荷の作業をしていたら突然に樋口了一の『手紙 親愛なる子どもたちへ』が聞こえてきた。これは[白木農園だより]5月12日号で“中農”さんが紹介された。うたに続いてご本人とNHKアナとの対談。楽しく聞いた。
 畑の一角では空豆が稔っている。播種漁の6割方しか発芽しなくて育ちも悪かったがなんとか食べられる状態になった。アスパラ(この稿を書き始めて想い出した。ほい,収穫するのを忘れた)がまた芽を出している。
 不作の中で,この春はこの二種だけが元気が良い。

        降誕会
 浄土真宗を開かれた親鸞聖人は,平安時代の末,1173(承安三)年5月21日,京都の東南に当たる日野の里(現在の京都市伏見区)で,日野有範の子としてお生まれになりました。幼名は松若丸と呼ばれたと伝えられています。その親鸞聖人のご誕生をお祝いする行事が「降誕会」です。また本校は,親鸞聖人のみ教えを建学の精神としていることから,聖人の誕生日を学園の開校記念日としています。

 親鸞聖人は,幼くして両親を亡くされ,孤独な日々を過ごされました。当時は,貴族社会から武士社会へと変わり,新たなものを模索しはじめた時代でした。そのような中,聖人九歳の春,京都東山の青蓮院で得度の式を受けられ,名前を範宴とあらためられました。それから二十年間,比叡山で修行に励まれましたが,心を磨けば磨くほど,今まで気付かなかった自己の愚かさが見えるようになりました。そして,底知れぬみにくい自分であることに気付かされました。
 聖人二十九歳の時に,生涯の師匠である法然上人に出会われ,念仏のみ教えを喜ばれました。聖人は何度も弾圧を受けられましたが,その生涯をかけて,私たちにみ教えを伝えてくださいました。
 親鸞聖人が,「得度の式」を受けようとしたときの話が伝えられています。もう夜も遅く,式を明日に延ばされようとした慈鎮和尚に対して,次のような歌を歌われました。
「明日ありと思う心のあだざくら 夜半に嵐の吹かぬものかわ」
明日,きれいに咲いている桜を見ようとしても,夜のうちに嵐がやってきて,その桜をあっという間に散らしてしまうかもしれない。そのように,私たちの人生も,いつどこで何が起こるかも分からない。だからこそ,今出来ることは次に延ばさず,やっていくことが大切なのです。親鸞聖人は,自らの生涯をかけて,私たちに生きる意味とその方向性をお示しになられたのです。
                        「本校<宗教教育部>発行の生徒用資料」 


週末1,000円の魅力

2009-05-16 01:17:38 | 私見
        ETC導入は正しかったか?

 3月に申し込んでいたETCがようやく取り付けられたと知人が言う。諸費用込みで18,000円だという。現金払い。
 私(といっても主としてかみさんの乗る車)の場合は2万円を超える出費だった。
「ETCを付ければ5,250円の補助と,週末は走り放題で1,000円」の呼び声に釣られて付けてくれとせがまれた。いつも修理点検をお願いする会社は,1ヶ月待ちという。自動車用品販売店にも在庫はない。

 かみさんの周年はすごいもので,近くの小さな店にあることを見つけてきた。行ってみると音声のでないものもあったが,ローンを組んだ定価販売で,取り付け費及び設定費用が5,250円という。
 最近は旅することも少なくなってきているうえ,何だかみんなにだまされているようであほらしくなって帰宅すると,是非付けろと言う。
 出直してみると,安い方の機器は既に販売されていた。結局17,500円のを付けることになった。
 先日,カード会社からの連絡では,金利15%で,2万余円を支払うことになるという。

 あのころは良かった。
5万円のハイウエイカード(ハイカ)を買っておけば,58,000円分走ることが出来た。
ところが,だ。ETC導入に伴いハイカは廃止しましたという。おまけに,島へ帰る有料道路の回数券まで廃止されてしまった。まるで,貧乏人は車に乗るな,乗るなら付けろ,という感じだ。
 今回の補助金で丸儲けはカー用品販売店とローン会社。

 エコポイントが始まったという。但しその使い途は未定という。
 エコカー減税をするという。販売店は買い控えで困ってないか。13年前の車を除いて輸出もままならず中古車市場は大変だ。
 1,000円のために事故多発。しかも,原油乱高下の影響で閉鎖するガソリンスタンド多数。そのおかげで値上げがたやすくなったのか,ガソリンは高値安定。
 まだ届かないが,定額給付金にしても然り。40兆円=勤労者一人あたり80万円の景気対策費。
ローンと同じで,今はいいが,これらにかかった費用はすべて税金でまかなわれる。 

 ところで新型インフルエンザという代物。水際作戦とやらで大騒ぎしたわりには機能していないようだ。
 通関前だから,入国後での感染ではない,ほとんどの人とは連絡が取れたなどといっているが,なぜ,航空機内で事前の対応がとれなかったのか。
 ソ連型であれ香港型であれ感染してすぐ発熱するわけはない。万一を考えて緊急連絡法を機内で聞き取ることは出来たはず。
 神戸では複数の陽性反応者が出たという。今度こそルートをしっかり把握しないと,パニックになってしまう。
 週末も含め,人の集まりそうな場所が閑散となってしまう。 


小沢さん,いいかげんにしたら?

2009-05-14 15:25:33 | 私見
        「毎度お騒がせします」はないでしょう

 「毎度お騒がせしております。小沢一郎でございます」
昨夜,地方遊説でのあなたのことばが放映されていました。全くその通りですね。でも,辞任してこれはないでしょう。  

12日の各紙には西松建設献金 引責辞任の文字が躍っていましたが,毎日だけは,
島内混乱理由に 西松事件引責 否定とありましたが,この見出しが一番今回のことをはっきり示していたのではないですか?

 「何らやましいことはない」のでしたら,辞めることはないでしょう。辞める前にしなければならないのは,「そのこと」をはっきりと示す努力をするべきではないですか。
 あなたの盟友である渡部恒三さんが,
「なぜ小沢君があんなに金を集めるのか分からん」と仰ったそうですが,あなたが先輩の田中さんや金丸さんから学んだのは錬金術だけですか?

 朝日によると,党役員会・常任幹事会で四人の役員に対して,
「4人組。おまえらいつも反対反対と。最後くらい言うことを聞け」
と発言なさったということでは,情けなくなります。
 野にある人が取りなし役としてこの発言をするのなら分かります。歯がゆい思いをしたこともあったでしょうが,今の今まで長であった人が発言される内容ではないと思います。

 2つの健全な政党が競い合ってこそ,国の政はうまくいくと思います。だからこそ,この,後先考えず目先のことだけ追う政治が行われている今だから,民主党にしっかりしてもらいたいと念じているのです。
 麻生総理との党首会談を控えてての敵前逃亡。しっかり,広く意見を聞いて代表を選ぶ方法は選択できなかったのですか?
 世襲制度を無くすといいながら,同じ穴のムジナを選ぶような選挙では,党そのものが世襲制度を踏襲していることと同じです。
 このようなことをしていては,早晩,民主党は解体することになりませんか。

 老兵は黙して去るのみ。あなたが本当に国の有り様を憂うのなら,すべてを放出して裸から出直しては如何ですか。

それにしても・・・暑い

2009-05-12 17:52:24 | 島の生活
        種蒔けど発芽せず

 ゴーヤ(ニガウリ)と真桑瓜の種まきをして3週間以上経つのに芽が出ない。
それより少し前に播種した法連草とチンゲンサイはきれいに発芽して先日間引きをした。
 いずれもポットに蒔いて,水不足の一助になればと土中に埋めたのだが,地温が高すぎたのだろうか。あっさり直蒔きすればよかった。

 南京は,一週間の違いで随分大きな差が出た。前に植えたのと後とでは親子ほどの差があり,スイートコーンやオクラは半分枯れてしまった。一本10円のキャベツはなんとか活着したようだ。
 作業をして1週間は島を空けることになるから,地温(気温),水分補給に気を遣う。
 その都度6~7本も収穫させてくれたアスパラもこの度は3本だけ。今期はこれで終わりのようだ。サツマイモには敷き藁を敷いてたっぷり水をやり,スイカとカボチャにも藁を敷いておいた。効果があればいいが。
 柑橘類は今が花盛り。いずれも真っ白な花を付けているが,レモンだけは紫色。写真は,木は小さくてもネーブルの花。

 「温暖化影響は不明」だそうだが,オホーツク海の海氷の積算面積は今シーズン,1971年の統計開始以来最小(平年の63%)であるという(9日・産経)。海氷が少ないことは,海水の上下動が少なくなりオホーツクの海の生態系に影響があると心配される。

 昨日のトマト作業,ハウス内の温度は午前中にもかかわらず39℃。コーヒーもたっぷり飲んだが喉の渇きは癒されず,午後の仕事の合間,一気にペットボトル1本のイオン水を呑んだ。
 昼間の暑さにひき換え昨夜は,孫を送り出して外に出るとブルッと空気の冷たさが身体を襲った。
 北海道の桜も,全地で一斉に,一ヶ月も早く開花したそうだが,夜は寒さに身を縮めているに違いない。