小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

苦悩するトヨタ

2010-02-20 07:05:56 | 私見
 遅きに失した社長の公聴会出席決断
 

'06年版ベスト・エッセイ集『カマキリの雪予想』を読んでいて,作家・小関智宏さんの文章「錯覚しちゃうからね」を読んだ。
 彼の文章を引用すると,
 

戦後間もない町工場で旋盤工になって,五十年余り鉄を削り続けた。最初はベルト掛けの旧式な旋盤を使い,後半生はコンピュータ制御の旋盤で鉄を削った。鉄を削るバイトを鍛冶場で火造り,焼き入れをして研ぐことができなければ一人前の職人とはいえないのが,かっての旋盤工であった。
 コンピュータ制御の旋盤の時代に入ると,バイトはカートリッジ式の使い捨てで,刃物を火造ることも研ぐこともない。機械はすべてコンピュータ制御されて動く。
 1970年代後半から機械技術の進歩は,すさまじいものがあった。旋盤工の工はたくみを意味しているが,いまコンピュータ制御の旋盤の前で働く人の多くは,旋盤工とは呼べない。旋盤要員にすぎない。要員はたくみを意味しない。ことばは悪いが,使い捨て可能な,いつでもほかの人に取り普えることが可能な人員にすぎない。・・・
 1990年代に入って,中国その他の新興工業国の台頭によって,日本の産業は転換期に入る。多品種少量でも他国に真似のできないようなすぐれたものをつくらなければ生き残れない時代になった。新しい機械にだけ頼って,工を育てることを怠った多くの町工場は廃業を余儀なくされた。

 このところわたしは,町工場の集積地として知られる地元の大田区と東大阪市のいくつかの,いまも元気にがんばっている町工場をたずね歩いた。ある程度予測できたことではあるが,そのほとんどの町工場には、新しいコンピュータ制御の工作機械と,汎用機と呼ばれる旧式の機械が同居していた。東大阪のある町工場は,アメリカの航空機や超精密な工作機械部品をつくるために,三次元CADを導入し,最新鋭の工作機械を揃えている現場であるが,同時にスイス製や国産のかつての名機がいまも現役で活躍していた。
 そこの工場主(おやじ)さんがわたしに言った。
「若い人にはこういう機械で鉄を削る手ごたえを憶えさせて,それからあっちの機械を使ってもらわないとね。いきなりコンピュータでやらせたら“削り”を知らないでも,モノができるって錯覚しちゃうからね」
 戦後しばらくの町工場にとっては垂涎の的であったとはいえ,今では博物館ゆきも不思議でないほど古い機械が,若い工を育てている姿がそこにはあった。錯覚しちゃうからね,という工場主さんの言葉が印象に残っている。(「室内」十月号)



 

長くなったが,引用の仕方に間違いがあればお許し願いたい。
 トヨタが風邪をひけば,日本の多くの企業も風邪をひく。トヨタは,そのように日本を代表する企業のはずだ。それが,アクセルペダルの不具合に始まって,最新鋭車プリウス(私の子どもも愛用している),近くは量販車カローラの不具合も伝えられている。
 それらへの対応が遅れただけではなく,先般の「品質保証担当常務役員」は,「それは運転手の感覚の問題であり,安全性に大きな問題はない」とした。
 ブーイングを受けて社長の登壇となったが,「顧客大切」を前面に出しながら,対応は不十分であったと私は感じている。その一つの表れが,米議会の公聴会には米現地法人社長が出席するから社長の出席は必要でない,という趣旨の発言であった。
 米下院監視・政府改革委員会の『招致』を受けて,ようやく『喜んで出席』されるそうだ。,今までの対応を見る限り,人の命を預かり日本を代表する企業ののトップとして,少なくとも『危機の「現地」』である米国に率先して飛んで,説明責任を果たすべきではなかったろうか。

 小関智宏さんの文を引用したのは,私たちの生活は,このような先人たちの創意・工夫と努力によって形成されたと考えるからだ。自動車産業も電機産業も,ほとんどすべての産業がこうして発展してきた。小手先の対応では,信頼は得られない。
 自動車の世界は,ガソリンエンジンからハイブリッドなどへ,そして異種企業の参入もある電気自動車などの時代に移ろうとしている。
そうした時代の変化を見据えた対応を望みたい。