節分・立春=すべての事物の変わり目なのか?
③ トヨタの安全思想
プリウスのブレーキシステムについて,『品質保証担当』常務役員の記者会見はいただけなかった。「システムの設定によってブレーキが一瞬利かない時間が生じ,運転手が違和感を感じるが,感覚の問題であり,安全性に大きな問題はない」とのことだが,それなら先月末から『ブレーキシステムのコンピュータソフトの設計を変更し,生産段階から改善』する必要はなかろう。
ちょっと間違えば大きな凶器になる道具をつくりながら,使用する人の立場に立たない,全く無責任な発言ととれる。
車作りで最も大切なことは『走ることより,必要なときにきっちり止まる車を作る』ことではないのか?。
確かに大量のリコール問題を抱え大変な時期にまた一つ問題が発生したわけだが,これらの問題にどう対処するかで,信用を回復できるか否か,さらに発展するかどうかが問われるわけで,首脳陣にはこのことが見えていないようだ。
大企業といえば,NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で,三菱の始祖である『岩崎弥太郎の扱いが悪い』と三菱グループの関係者が苦言を呈しているそうだ。(晴耕雨読)
「大人物を,小さく汚く扱っている」ということらしいが,どの時代にも小人物であろうとも,世の流れを読み時流に乗る力量を持った人物が大きく成長するのだ。
どうも小沢という大人物も,トヨタや三菱という大企業も,『大』がつくにしてはやることが『小』さい。
『大』といえば大相撲も,
④ 朝青龍関引退
相撲をTV観戦しながら,あまり好きになれない力士が二人いた。一人は朝青龍関,今一人は「勝ち」「負け」で大きく表情や所作を変えるあの力士だ。
ただし朝青龍関についてはすべてが嫌いというわけではない。批判される多くは,農耕民族である日本人と狩猟民族との違いであろうと考える。『これでもか』,『やってやったぞ』というしぐさは,「次にやるときにも絶対負けないからな」という,子供のけんかのしぐさだ。
野見宿禰の時代まで遡らなくていい,日本の相撲が何であるかを正しく伝えるのが指導者の役目だ。課題ありとすればその都度,どうあるべきかを諄々と説いて指導するのが,子どもを預かった親方や協会の仕事だ。高見山関以来多くの外国人に力を借りながら,指導体制を作らなかった相撲協会にも問題あり,だ。
貴乃花,若乃花を輩出した部屋のように,上位陣に「取り組む必要のない力士」を揃えておけば,勝ち越しや優勝につながる。そうした状態を悔しい思いをしながら横目で見ていた小部屋が,「とにかく強くなれ,強くなれば金が入る」という発想をしたとしても,それは責められない。
だが,力をつけるほどに,その世界での教養・知識も身につけてやるのが『親』方や,相撲協会の仕事だ。それを一切やってこなかったことが今回の事件につながった。
(外国人力士の苦悩については,朝日新聞の元横綱・曙さんの文章をタイプしたが消滅。次回に)
本場所中に朝4時まで飲む,それを注意できないなんて,ね。また「相手の吐く息が酒臭くて酔って負けました」というわけではなかろうが,夜遊びの連続で飲んだくれの力士に勝てないなんて,力士とは何?,と思ってしまう。
今回の理事選。貴乃花が適任か否かは別にして,彼に投票した役員を『あぶり出し』,追放にかかった。身体の割には玉の小さいのを揃えたのが相撲協会のようだ。
ところで,横綱昇格で問われる品格。これで割を食ったのが小錦関。あれ以来,随分と長い時間が経過したが,相撲協会も,理事会も,横綱審議会も子どものままで成長が見られないと言ったら言いすぎだろうか。
これを機に,各組織の見直し,力士や親方を力士として社会人として育成する教育機関の設置,小さくは,場所での対戦組み合わせのあり方など,しっかり見直してはどうだろうか。その指導に当たれるのは文科省と思うのだが。
節分・立春の季節の分かれ目は,『大』がどのように変身を遂げるかの節目の日でもあったようだ。しつこく変わろうとしない『小』の字もあったようだが,それぞれを他山の石として生かさなければ『大』政党も先行きが危うい。
③ トヨタの安全思想
プリウスのブレーキシステムについて,『品質保証担当』常務役員の記者会見はいただけなかった。「システムの設定によってブレーキが一瞬利かない時間が生じ,運転手が違和感を感じるが,感覚の問題であり,安全性に大きな問題はない」とのことだが,それなら先月末から『ブレーキシステムのコンピュータソフトの設計を変更し,生産段階から改善』する必要はなかろう。
ちょっと間違えば大きな凶器になる道具をつくりながら,使用する人の立場に立たない,全く無責任な発言ととれる。
車作りで最も大切なことは『走ることより,必要なときにきっちり止まる車を作る』ことではないのか?。
確かに大量のリコール問題を抱え大変な時期にまた一つ問題が発生したわけだが,これらの問題にどう対処するかで,信用を回復できるか否か,さらに発展するかどうかが問われるわけで,首脳陣にはこのことが見えていないようだ。
大企業といえば,NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で,三菱の始祖である『岩崎弥太郎の扱いが悪い』と三菱グループの関係者が苦言を呈しているそうだ。(晴耕雨読)
「大人物を,小さく汚く扱っている」ということらしいが,どの時代にも小人物であろうとも,世の流れを読み時流に乗る力量を持った人物が大きく成長するのだ。
どうも小沢という大人物も,トヨタや三菱という大企業も,『大』がつくにしてはやることが『小』さい。
『大』といえば大相撲も,
④ 朝青龍関引退
相撲をTV観戦しながら,あまり好きになれない力士が二人いた。一人は朝青龍関,今一人は「勝ち」「負け」で大きく表情や所作を変えるあの力士だ。
ただし朝青龍関についてはすべてが嫌いというわけではない。批判される多くは,農耕民族である日本人と狩猟民族との違いであろうと考える。『これでもか』,『やってやったぞ』というしぐさは,「次にやるときにも絶対負けないからな」という,子供のけんかのしぐさだ。
野見宿禰の時代まで遡らなくていい,日本の相撲が何であるかを正しく伝えるのが指導者の役目だ。課題ありとすればその都度,どうあるべきかを諄々と説いて指導するのが,子どもを預かった親方や協会の仕事だ。高見山関以来多くの外国人に力を借りながら,指導体制を作らなかった相撲協会にも問題あり,だ。
貴乃花,若乃花を輩出した部屋のように,上位陣に「取り組む必要のない力士」を揃えておけば,勝ち越しや優勝につながる。そうした状態を悔しい思いをしながら横目で見ていた小部屋が,「とにかく強くなれ,強くなれば金が入る」という発想をしたとしても,それは責められない。
だが,力をつけるほどに,その世界での教養・知識も身につけてやるのが『親』方や,相撲協会の仕事だ。それを一切やってこなかったことが今回の事件につながった。
(外国人力士の苦悩については,朝日新聞の元横綱・曙さんの文章をタイプしたが消滅。次回に)
本場所中に朝4時まで飲む,それを注意できないなんて,ね。また「相手の吐く息が酒臭くて酔って負けました」というわけではなかろうが,夜遊びの連続で飲んだくれの力士に勝てないなんて,力士とは何?,と思ってしまう。
今回の理事選。貴乃花が適任か否かは別にして,彼に投票した役員を『あぶり出し』,追放にかかった。身体の割には玉の小さいのを揃えたのが相撲協会のようだ。
ところで,横綱昇格で問われる品格。これで割を食ったのが小錦関。あれ以来,随分と長い時間が経過したが,相撲協会も,理事会も,横綱審議会も子どものままで成長が見られないと言ったら言いすぎだろうか。
これを機に,各組織の見直し,力士や親方を力士として社会人として育成する教育機関の設置,小さくは,場所での対戦組み合わせのあり方など,しっかり見直してはどうだろうか。その指導に当たれるのは文科省と思うのだが。
節分・立春の季節の分かれ目は,『大』がどのように変身を遂げるかの節目の日でもあったようだ。しつこく変わろうとしない『小』の字もあったようだが,それぞれを他山の石として生かさなければ『大』政党も先行きが危うい。