小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

エンディングノート

2010-11-30 23:32:55 | メモ
 中旬の朝日に『エンディングノート』の特集があった。コピーをとったがそれがどこかに紛れ込んで行方不明に。
 今日(11月30日)の朝日,“ひととき”欄に『フィナーレの台本』と題する投稿があった。
葬式を,住まいと仕事兼ねていた大阪と,現在生活している故郷の和歌山のどちらにするかと,跡取り息子のお嫁さん(大阪在住)に聞かれたという。
「元気にしてはる時にこそ,ちゃんと聞いておきたかったんです~」
と言うお嫁さんの会話を含めて,ユーモラスに書いておられる。

 エンディングノートの記事を取り上げて,
「財産はないが,子や孫に伝えたい気持ちや願いはある。印鑑や細々した書類などを記入する」作業を来年の初仕事にしたい,と結んでいる。

 最期の思い,一冊に 《11月18日朝日》から抜粋。
 どんな葬式を望むかや,入院時に伝えて欲しい人の連絡先,財産リスト,相続の希望など,万が一の際に備えて自分の考えや情報を書いておく「エンディングノート」が広まっている。
 証券会社などが主催するエンディングノートの書き方のセミナーには,幅広い年齢層が集まっているという。
 ・ 元気なうちに思いを書き残しておきたい
 ・ 財産は本人しか分からないことが多い。遺族が書類を揃えるだけでも時間がかかる
 ・ 親を見送った人が,『最期の思いを聞けなかった』
などと,エンディングノートを求めているという。

 これらの記事に目を留めたのも,そろそろ自分も考えなければと思っていたところだったからだ.
家内は,8年前に逝きかけたのだから準備をしても遅くは無かろう,という。
子供たちに残すものはないから,葬儀の場所と連絡先,それに,私の思いだけだ。
葬儀は父をおくった近くの葬祭場で。連絡は,つきあいの深い従妹と,仕事関係の一部。賀状の住所録に記入しておこう。ごく内輪でやってくれればいいと思っている。ただし,賀状を頂いている方々には,事後に子供名義で礼状を送ってくれれば十分と考えている。
私の思いは,何もない。このブログで十分だろうと思う。
そうだ,墓地は,一時は便利の良いところにとも考えたが,島の墓所をそのまま使ってくれればいい。たまには楽しみも伴うように,果樹を植えておこうか。

 淡成甘壊(たんせい かんかい)=淡(タン)は成り甘(カン)は壊(コワ)る
=「淡白な人間関係はうまく行くが、濃密な利害関係で接していると破綻する」といこうか。


場所を盛り上げた魁皇関

2010-11-29 23:54:15 | メモ
しまった!,豊ノ島
こうしっかり掴まれては,魁皇関のようにはならないなぁ

 殊勲賞は魁皇関だ!

 大相撲九州場所が終わった。
国会の茶番中継を聞かざるを得なかったとしても,口直しは相撲中継で事足りた。
相撲界もいろいろあった1年だったが,今年の最後をしめたのは魁皇関だと思う。
双葉山の連勝記録に迫る白鴎の記録が途絶え,興味が途絶えかけたとき再び目を向けさせたのが,魁皇だった。
初日に安美錦に敗れたものの,連勝を重ねて興味を持たせてくれ,続いて豊ノ島だった。

魁皇は6年ぶりの12勝をマーク。
あと19勝で,千代の富士の持つ通算勝利数(1045勝)の更新に挑戦する。
そんな弱気なことを言わず,この調子でいけば綱も見えてくる。
身体をいたわって,秘かに闘志を燃やして欲しいものだ。

 昨夜は2時過ぎに“足がつって”目が覚めた。島でこうしたことが発生した場合はシャワーで足を温めるのだが,今回は両足で,痛さもかなり厳しい。
我慢していたがつい声が出て,家内にたたいたりさすってもらう羽目になった。

 おかげで起床は8時05分。
今日はトマトの作業日で,遅れる旨電話したら,雑談をしながら待ってくれていた。
作業仲間のSさんが,「若年制アルツハイマーで,・・・」などと言ってたが,年には勝てないのかなあ・・・。

4×4=やっぱり16

2010-11-28 23:27:02 | 島の生活
皇帝(木立ち)ダリア
花の少ないこの時期に,最も元気のいいのがこの花
オ-シャンブルー
隆盛を極めたアサガオも,花が小さくなった
エンゼルストランペット
寒さに負けまいと頑張る花もある
サザンカ
とはいいながらも,もうサザンカの季節となった

 シシが訂正してくれた
 山の畠。
小麦を播種したところに足跡がある。この部分は荒らされていないが,各所に掘り返された痕がある。
 点検してみる限り,道路から5尺ばかりの石垣に飛び上がって入ったとしか考えられない。
そうとすれば,対策は次回だ。

 土曜日,峠にかかるところを5匹のきょうだいがプラプラしている。
このやろう!,とアクセルを踏んだら,早い賢い!。
二手に分かれて3匹は左の石垣に沿って,2匹は右のガードレール脇を走る。
2~30mも追いかけたが,・・・,結局逃げられた。

 そして今夜。
まずは1匹。中型犬程度のが車を見て側溝に飛び込んだ。そして,逃げた。
次。
峠を下りかかったところで,大物がトットットッ。
車が近づくのを待っていたように,急斜面を駆け上がる。
木刀を提げた私を振り返って,
「爺さん,ここまで来られるか?」
と云った(と感じた)とたん,ズルズルッと滑り落ちた。
しめたっ!,
と構えたとたん,あやつは踏み止まった。

 やれやれと下がったところに,4匹連れだ。
こいつらは,素早く山に駆け込んだ。

 4×4=5,と書いたら,今回11頭で合計16。
どうやらシシの方が頭は良さそうだ。

良識の府だと信じていたが,・・・

2010-11-27 08:56:54 | 私見
 議会は金太郎飴の罵り合いの場か?
 
 時間が空いたときには,大体ラジオがついている。
テレビは仕事にならないが,ラジオは聞き分けが出来る上に,音楽に,タメになる話もある。
だが,最近の国会中継は,(以前は少しは聞けた,と思うのだが),全く聞くに堪えない。
聞けばストレスが溜まるばかりだ。

 “迷言,撤回,謝罪”に対して,次々に立つ質問者はいずれ劣らず同じ言葉のくり返しで,“ヒステリックで,大げさな言葉で,テレビ・ラジオの視聴者を意識したパフォーマンス”だ。
 国会は“議論の場”から“口論の場”と化している。

 今日の新聞では,名古屋市でも,河村たかし市長が辞職する意向という。議会がいうことを聞かないのでリコール運動をしたがうまくいかず(書名の1/4が無効),“責任を取って”ということらしい。
 迷惑なのは市民だ。
何故,言葉を尽くして議会で論議を進める努力をしないのだろうか。

 市民の政治離れ,政党離れは,こうした姿に原因があることを反省して政治家は言動をとってもらいたい。

インフルエンザ,感染症予防を

2010-11-27 08:06:09 | メモ
 インフルエンザ(?)により,学年閉鎖 《26日:中国》

 庄原市教委は25日,インフルエンザとみられる集団感染で同市の中学1学年を26日,学年閉鎖すると発表した。
 広島県教委によると,本年度のインフルエンザの集団感染による学年閉鎖は県内で初めて。

 気象庁の長期予報によると,12月は平年より寒いという。
私はちょうど1ヵ月前に軽い風邪をひいているから,早速近くのクリニックでインフルエンザの予防接種をしてもらった。
 再び教壇に立つようになって,教室から帰ると必ず石鹸で手を洗うようになった。おかげできつい風邪は引かないようになった。
防寒で閉め切った部屋に立てこもる時間が多くなる。手洗い,うがいは欠かせない。


 ノロウイルスによる感染症,今年は発生が早い 《26日:朝日》

 下痢や嘔吐,腹痛などの症状が出る感染性胃腸炎の流行が本格化している。大半が,冬場に猛威をふるうノロウイルスによるものと見られる。国立感染症研究所は,予防のため手洗いを励行し,感染拡大防止のため感染者が吐いた物を適切に処理するよう,注意を呼びかけている。

 感染研によると,全国3千の小児科の定点医療機関を最近の1週間(11月8~14日)に受診した患者は1医療機関あたり7.7人で,4週連続で増えた。都道府県別では多い順に大分,山形,新潟,山口と続く。例年は12月中旬にピークを迎えるが,今季はやや立ち上がりが早い。

 保育園や小学校などでの集団発生が目立つ。患者やウイルスを持つ人との接触が主な感染経路だ。吐いた物や下痢の処理が不十分でウイルスが床や壁に残り,掃除などで舞い上がって口などから入ることもあるという。
 マスクや厚手の手袋をして、タオルなどでしっかりふき取り、薄めた塩素系漂白剤で広範囲を消毒するように指導している。流水やせっけんでの手洗いも徹底するよう求めている。

 冷暖房完備,といっても,外部との接触は免れないから,入院患者にとっても厳しい季節だ。
 医療従事者はもちろんのこと,見舞いの家族,友人,知人も気をつけたいものだ。

 入院中の母は嫂と家内が,父は主として私が見舞うこととしている。家内から夕方電話が入った。
父は嫂が見舞ったから今日はいい。母の調子が悪いのでついていて欲しいのだが,という。
たしかに,発する言葉はかろうじて聞き取れる程度で弱々しい。しばらく食べののが喉を通っていないということもあるが,私の下の子供2人を両腕に抱えて日御碕灯台を登った強さは消えている。
 満開の制限時間が来て辞去する際,ありがとうね,と言って布団の中でそっと手を合わせている。やりきれない。 

宗教だより

2010-11-25 12:10:23 | メモ
 人間の尊厳 《崇徳学園・宗教科》

 釈尊のマガダ国における民衆の教化の中で,特に意義深いものに,ラージヤガハの一家主であるシンガーラカに対する説法があります。
 彼は朝早く郊外に出て衣服や髪をきよめ洗い,合掌して東西南北と上下との六方を礼拝していた。しかるに彼はみずか六方を礼拝しているにもかかわらず,その意味を十分理解してはおらず,ただ亡き父の遺言によってそれを繰り返しているに過ぎなかった。そこで釈尊は彼に対して六方礼の意味について次の如く説かれたのです。

 「東方を拝むときは私を産み育てて下さった父母に感謝し,南方を拝むときは私を導いて下さった師に感謝し,西方を拝むときは妻と子どもに感謝し,北方を拝むときは友人や社会に感謝し,上方を拝むときは仏の恵みに感紺し,下方を拝むときは目下のもののご苦労に感謝せよ。それが六方をらいはいする合掌の意味である。」と。

 この教えは「六方礼経」という短い経典としてまとめられました。しかし,その味わいの深さは現代の民主主義的な考えよりももっと進んでいます。親や恩師や神仏を拝むということはどこの国でも教えられていますが,妻や子どもを拝め,目下のものを拝め,社会の人々を拝めと説かれたところに釈尊の教えの深さがあります。使うものも使われるものも人格は平等です。使うほうが使われるほうに「あなたのおかげだ」と,心に深い感謝の念をいだき,相手を拝むことにおいて真の人格の平等が実現するのです。しかも釈尊は親に対して子どもを拝めと説かれました。子どもにはそどもの人生があり,個性があり,親といえどもそれになりかわることはできません。子どもが生まれることによって人は親となるのです。子どもは子どもとして,りっぱな対等の人格をもって生まれているのです。拝むということはその人の尊い人格を拝むということです。仏に合掌をささげ,仏を拝むことのできる人は,人間を拝むことのできる人です。おたがいに,このような気持ちで接しあうところに,尊い清らかな心がよみがえってくるのです。

 釈尊当時のインドは,すでにバラモン教が社会の人心を支配し,バラモン文化のうみだしたカースト制度がかたく社会生活を制約していました。力-ストとは元来「純血」を意味する言葉ですから,征服民たるアーリヤ民俗が先住被征服民と自らを区別するためのものであったでしょうが,やがてこれが「四姓」という身分的階級制度となりました。四姓とは,第一はバラモンで,これはバラモン教の司祭者,第二はクシャトリアで王侯貴族階級,第三はヴァイシャという平民階級,第四はシュードラとよばれる奴隷階級です。この制度はちょうど釈尊が出生される頃にできあがり,それ以来ますます複雑な形で発展していったのです。

 釈尊の教化の中で印象深いことの一つに,ウパーりという奴隷の一青年を弟子とされたことがあります。釈尊は
「人はその生まれによって差別されてはならぬ。ただその人の行為によって尊敬を受けることができる」
と説かれ,また,
 「この国にはガンジスやインダスをはじめ大小幾多の河があるが,その水が一つの海に流れこんでしまえば,みな同じ海の水となる。社会に四姓があっても,私の教団に入れば,みな釈という名字になって兄弟になるのだ。」
と説かれました。この時代に,釈尊は人間の人格の尊厳と平等を説かれた人物なのです。

 釈尊は,「私は毎日人々の心田を耕し,仏心の種を蒔き,苦しみの雑草を刈り取り,覚りの収穫を得させるために働いている」と説法されました。現代の我々の心も耕すことを忘れて荒廃し,雑草がはびこっているのではないでしょうか。また,我々は,仏陀の教えを頂いて,我々の心田を耕して,精神的収穫を得なければならないのではないでしょうか。

魁皇関,10連勝

2010-11-25 01:56:34 | メモ
やられた!
あれっ
勝ってら!
シツレイ! (読売)
 
運も力のうちさ!
 地元での初日に安美錦に白星を献上したから,・・・,というところだったが,なんと10連勝。
フアンが背中を押してくれたり,襟首を掴んで引き戻してくれたり。

 満身創痍での闘いが続くが,今日も残したということは,それだけ足がうごいているからだろう。

とうとうやってしまった

2010-11-23 23:59:34 | 島の生活

 消化不良の『大和ミュージアム』見学のあと,峠道を経由して帰路につく。
ライトは上向きで,しっかり前方をてらしながら走る。

 おっと,タヌキだ!。
左は石垣,右は小川のガードレール。
すい,と横切りにかかるが,どちらにも避けられない。前輪は通過したが,やれやれと思った瞬間,後輪に『ごつん』と衝撃。
とうとうやってしまった。
直後に出会ったイノシシは,悠々と前方を横切ったのに・・・。

 確かに,イノシシを始め,やっつけるつもりで,荷台にはいつでも取り出せるように木刀を積んでいる。
そして,実際にイノシシを追いかけたこともある。
だが,こういう事態になると,ちょっと心が痛む。
農業塾OB先輩の「中農」さんが,せっかく捕らえたアナグマを遠くの山に運んで放した気持ちが分かる。

 食事はうどんで済ませる予定であったが,急遽ごはんを炊いて仏前に供えた。
作物に害をなす獣とはいえ,死に至らしめるというのは,心苦しいものだ。

 今日は小麦を播種した。白木農園で残った一部を頂戴したものだ。
予定した場所では足りず,イノシシに荒らされて凹凸の激しい部分にも播種した。
鍬を入れ,埋まった石と木の根などを掘り起こし,畑の形に修正するところから始める。
手間取って,タマネギの定植は次回にゆずる。

 ひとまずイノシシの侵入が止まっていることで,ようやく作付けをする気になった。
問題はこの後だ。
無事に発芽して“麦秋”を迎えることが出来るか,あんなところにあんな植え方をして,と“爆笑(失笑)”をかうことになるか,それは,天のみが知っている。

“はやぶさ”に,ご対面~

2010-11-23 23:51:09 | メモ
大和の模型
 こんなに小さな身体で・・・
 22日(月),トマトの作業を済ませ,昨夜島から帰ったばかりだし,雨は降っているし,と逡巡しながらも,天候は回復するとの報道に促されて島に帰った。
やり残した作業はいっぱいあるし,もうひとつ,“はやぶさ”を観たいという希望もあった。

 島に帰るときには,必ずといっていいほど呉市の『大和ミュージアム』のそばを通る。
そうでありながら,一度も入館したことはなかったが,今回は『“はやぶさ”帰還カプセル”全国初の特別公開(11/20~11/23)』を見逃すわけにはいかない。

 平日だというのに駐車場は満杯。待って入館すると,“はやぶさの”コアは長蛇の列。
実物は,5つに分解された部分とパラシュート。意外に小さく,電気釜程度。写真をと思ったが「撮影禁止」とある。

 館内展示の主は,中央に戦艦“大和”の縮尺模型と,第2次太平洋戦争歴史に時系列展示。
ゆっくり見学したかったが時間がない。
次回の見学を期して,展示館を離れた。

人間魚雷“飛龍”(実物)

4×4=5

2010-11-21 23:53:40 | 島の生活
皇帝ダリア
 バランスのとれたシシ社会
 今夜は見かけなかったが,昨夜は4匹と1頭。
4匹の子イノシシ(といっても,中学生くらいか?)は,車の光の中をとっとと山道に入る。
1頭の親は,人家の近くの道路脇で山裾の落ち葉の下をあさっていた模様。とことこと山に入った。
 人間社会では,少子高齢化と騒がしいが,うらやましい限りだ。

 イノシシの這入っていないのを確認して,畑の除草にかかる。
昨日の白木農園の作業で残った小麦を播種しょうと考えている。まあ,遊びだ。
油断は出来ない。遠くで銃声が一発轟いたが,あれはキジだ。イノシシを撃って欲しいのだが・・・。

 皇帝ダリアが花をつけた。
名前は立派だが,背ばかりが高くて,姿はどこか侘びしい。
なんだか,島の生活を象徴するようだ。

 魁皇関が7勝を挙げた中継の放送があったときに,ちょうど山の端に満月が上がった。
月の光に誘われて除草を続けたおかげで,帰宅が遅くなった。
帰宅してチャンネルを回したら,タラのテーマ音楽が流れて,つい画面に惹かれた。
S.マックイーンの映画といい,鑑賞したい映画が夜中になって困る。
NHKさん,何とかして!。