小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

ありがとう

2012-03-30 08:21:42 | 広島の生活
 『鬼の目に・・・』と云われそうだが
 昨夜は,もとの仲間4人と楽しい時間を過ごした。
職場を去る別れに一杯やろうと,その場を設定してくれた。
場所も私の住所の近くにと,気を使ってくれたが,
相変わらずの私の勘違いで,間違えてしまった。

 悪酔いしないようにと,ビールだけで済ませるつもりであったが,
Y君は「自分が飲むから」と清酒を注文し,進められるままに,
したたかに酔ってしまった。
相変わらず歳の取りようが悪く,情けない限りだ。

 『飲み,歓談』だけであろうと思っていたが思わぬプレゼント。
農作業用にと,防水,ソーラー,電波機能のついた時計。
もったいなくて,・・・。

みなさん ありがとうございました

メジロの一声

2012-03-29 17:22:56 | 島の生活
 ようやく小鳥が活発に

 日曜の夕方,山の畑での作業中鶯の声。
こちらも負けじとが口笛を吹く。
つい近くまで来たようだが,
姿は見えない。
しばらく鳴き交わした(?)。
すぐ近くでは白梅が満開。
 (右はヒマラヤユキノシタ)

 小鳥が騒ぐのも道理で,
県北では吹雪いたらしいが,
随分暖かくなった。
自宅の庭
木の枝に置いたミカンも
半分平らげていた。

 メジロが姿を見せないが,・・・
と心配したのが分かったか,
月曜日の朝立った一声,
「チー」
翌朝も一声だけ聞かせてくれた。


 ミカンを食べた犯人は
ヒヨドリらしい。
メジロなら上品だが,
食い散らしていた。
どうも品がない。

ところで花々,
日本水仙は終わったが,八重と黄のラッパ水仙が満開。
どうしたわけか,万両がまだ実を付けている。
ヒマラヤユキノシタも満開で,
ボケが咲き始めている。
分からないのが,左の紫の花。
どなたか,名前を教えて下さい。

 山の畑にかまけていたら,
菜園に植えたジャンボニンニクの姿が見えない。
暖かくて,雑草の生長に負けていた。
脇を見ると通路部分にツクシがいっぱい。

 そうか,山の畑でスギナを育て,
「子はツクシで販売,親はお茶で販売」
という手もあるか?!。

小人の休日

2012-03-28 23:57:53 | 広島の生活
 小人は,終日ぐうたらぐうたら

 今日は白木農園・小麦の除草の予定であった。
それで昨夜帰宅したわけだが,コーヒーを淹れようとして,
雨天のため,今日の作業は中止との報が入った。

 外は陽がのぞいている。
島に引き返せば,除草する場所はいくらでもあるのだが,
と思いつつ2度寝に入る。
思いのほか腰も痛い。昼食のあと,また昼寝となる。
夕食は,レーンに載って流れて来る寿司をつまんだ。

 仕事を離れたら晴耕雨読,時には魚釣り。
などとうそぶいていたが,こういう心配は常にあった。
朝から晩までダラダラ過ごしながら,惚けて老いる。

 自分なりに心配して,あれこれ考えた。
入試問題を整理して見るべく,16GBのUSBメモリーを買ったり,
姉に貰った書道セットに加えて,書物を探したり,
・・・,島での農作業も,植樹をしてしまえば何もない。

 結局は,誰かがこの体を使ってくれること,と
他人に頼るしかない能力のなさを憂うのだ。

一日六勺

2012-03-27 23:59:13 | ひとりごと
 3日間で一合八勺のご飯

 日曜日(25日),ご飯を仕掛けようとして気付いた。米がない。
島を出るときには気付いていて,島に帰るときには忘れている。

 島の生活は,ご飯,味噌汁,酒に付きだし,コーヒー、これだけで良い。
今回は乾麺を買って帰ったから何とかしのげた。

 そして帰り道に気付く。
ベーコン;日持ちするから良い。
豆腐,なめたけ(味噌汁を作らなかったから),漬け物・・・持ち帰りを忘れた。

市民講演会

2012-03-25 01:08:09 | 広島の生活
 震災一年,これからの日本
    《講師;中国新聞社・論説委員室主観 江種 則貴 さん》
    《場所;(財)広島市未来都市創造財団 倉掛公民館》

 24日(日)は,白木農園パソコングループでお世話になっている倉掛公民館で,
表題の『市民講演会』が開催された。
今夕まで島で農作業の予定であったから不参加のつもりであったが,
昨日が雨で農作業もできないとあって,急遽参加することにした。

 報道現場からの報告ということで,たっぷり学びたかったが,
仕事を離れると,頭の働きも弱くするのだろうか。
メモもまともにとれない。カメラも途中で電池切れ。
(島の掛け時計は舐めて1年間動いたが,カメラはいうことを聞かない)

 震災後1年,仮設住宅に避難されて住人がい34万人。
岩手県の人口減が1万5千人,福島県では4万人に達するという。
被災した企業で再開できたのは3,500,いまだに閉鎖されているのは1,300企業。
数字が大きすぎて理解に苦しむ。

 数字といえば,フクシマのレベル7は,放射線量77テラベクトル。
それに対して,チェルノブイリ原発の事故は520テラベクトル,
これは,ヒロシマ原爆の400倍,500回に及ぶ核実験の1/100~1/1000,
と聞けば,フクシマの放射線量は不等式で表して,
 核実験>チェルノブイリ原発事故>フクシマ>ヒロシマ
ということになるようだ。

 ただ,放射線の健康への影響については,
ヒロシマ,長崎が「瞬時に浴びる外部被曝」であるのに対し,
今回のフクシマの「内部被曝」はまだ明らかになっていないという。

 数学の教師をしていた割にこのような数字に疎い。
例えば,地震が発生してマグニチュードが0.2上がるとエネルギーは2倍。
従ってマグニチュードが2増えるとエネルギーは1000倍(2の10乗は1024)になる,
というのだが,素人目からすると,
『マグニチュード=1はこの程度の力を持っています。
従ってマグニチュード2,3は,その2倍,3倍の力(影響力)を持っている』
といわれる方がわかりやすい。

 100万円の年金を受け取っている人間が,
「2000億円預けて60億円しか帰ってきません」「ダルビッシュ選手の年俸はOO億円」
と聞いて全く理解できな以上に,分からないのだ。
庶民としては,
「知らしむべからず,頼らしむべし」という江戸時代に突き戻らされた感覚だ。
数字は,訳の分からないままに安心させ,そして無用の不安も与える。
私たちが理解できるような報道を心掛けていただきたく感じた。
それが(科)学者の仕事であり,政治であり,報道であると思うのだが・・・。

 1時間の講演を受けて,第2部は『Ji-Jiーcafe』とある。
『爺-爺ーカフェ』と感じたほど爺婆ばかりであったが『時事ーカフェ』(座談会)だそうな。
ここでの質疑応答は,焦点が絞られるから理解しやすかった。
できれば,もう少し時間のゆとりを持ってお話を伺いたかった。
もうひとつ,約30名の参加者すべてが還暦を迎えていた(と思われる)。
遺伝,食物連鎖の与える影響など,次・次々世代にこそ参加してほしかった。
 
そうそう,かみさんは『“ふじ丸”で行く“小笠原クルーズ”』から無事帰還した(20時30分)。

卒園式であった

2012-03-24 21:06:23 | 孫たち
 Sは卒園,Tは進級

 23日(金),目が覚めた時には9時を回っていた。
朝からの雨。これと行ってすることもない小人は,
だからといって思いつくままに電話するわけにもいかない。

 昼休みの時間に娘に電話を入れると,今日はSの卒園式。
お祝いをする予定はないといっていたが,夕刻4人がやってきた。
近くの寿司屋に予約を入れてきたという。

 兄のTも今日が終業式であったとかで,3年に進級する。
晴れて小学生になるSは,おすましで写真に収まり,
得意げに「ぼくは握り」と注文する。
娘は“中”を注文していたが,様子を察してか“中の上?”
私には今期最後となるであろう“ナマコ”が届いた。

 こうした店の女将がすごいのは,
年に1度来るかどうかの客をしっかり覚えていることだ。
帰り際,「最近,トマトの作業は休んでいらっしゃるそうですね。」
トマトグループのSさんは,この店と近くの弟店をよく利用しているようだ。

 自宅まで送ってもらう。早速テレビを付けて夢中だ。
今夜は爺ちゃんしかいないけど泊まるか,と聞くともちろん「うん」
今朝も気象と同時にテレビが点く。
自宅にテレビを置いていない姉弟にとっては何よりのご馳走,のようだ。

 Tが,自宅で制作した切り絵を2枚持ってきてくれた。
歌舞伎絵と金魚。それぞれに工夫が凝らしてある。
一枚は爺ちゃんとこに飾って,と提供してくれた。
器用で,センスもある,と爺バカは思っている。

 今回もインターネットが途切れて,投稿した文書が無効になった。
どうもおかしいが,電源を切って再接続以外の手はみえないようだ。

タケノコの子

2012-03-24 08:28:09 | 島の生活
 呆けか酔っ払いか
 
 よくあることだが,この記事は昨夜投稿したはず。
ところが,今朝調べると煙のように消え失せている。

 隣接地との境界付近は,防獣ネットの補修似合わせて除草するつもりで,
竹の侵入した部分の除草にかかった。22日のこと。
根っこが絡んで,作業は難航。
英やっと鍬を入れたところに出てきたのがこれ。
筍の子どもだった。後にもう1本。

 ラジオで,23日はところによっては雷を伴う雨,と聞こえた。
雨なら農作業は不可能。
24日には,PC教室で利用している公民館で市民講座があると連絡が入っていた。
島にいるつもりだったから参加の返事はしていなかったが,指導者のNさんに電話。
参加する旨を伝えて,深夜,広島に帰ってきた。

 予想通り,23日は朝から雨。昼過ぎになって孫Sの卒園式があったことを知った。
お祝いに一杯飲んだのがたたったらしい。

さりげない会話を-3

2012-03-23 23:34:02 | メモ
 電話1本で

19日(月)帰広。
20日(火;彼岸の中日),かみさんを送って(船で小旅行=飛行機に取りが衝突して待期のメール),
 旧職場で私物を整理し帰郷。息子夫婦が墓参に帰った形跡あり。
21日(水),山の畑に行く途中,友人Y君のかみさんと時候の挨拶。
 (島では1日中,ヒトと顔を合わせないことがある。)
 畑に携帯電話を持って出るが,もちろん,どこからの通話もない。
 夕刻いったん帰宅するが,味噌汁の具にする豆腐がないことに気付く。
 刺身用の甲イカを見つけ,長年勤めた褒美にこれくらいはと購入する。
 「この間はお世話になりました」
 Nさん夫婦がビールを渡してくれた。“季節限定・花見缶”とある。
 そういえば,高知で桜が開花したとの報道があった。
 植木の移植にちょっと手を貸したことへのお礼という。有難く頂戴する。
 
 帰り道の車にF君から電話。
「気になりながら聞きそびれていたが,本当に辞めるのか。
 ちょっと2,3人で話したのだが,一杯やらないか」,という。
実は,全体での歓送(迎)会の案内はいただいたが欠席する旨連絡していた。
遠慮しながらおいしい料理とお酒を頂くより,遠慮なく自宅の焼酎で乾杯。

 給料の安い彼らと飲むのも遠慮だが,何よりも気持ちがうれしい。
場所は未定だが,日時は29日(木)18時という。
この日は,4人,いや,レジの男性を含めて5人と楽しい会話ができた。

さりげない会話を-2

2012-03-22 23:56:56 | ひとりごと
 生き物が好きで

 産業も何もない瀬戸内海の島で生まれ育った。
姉弟で男は私一人であったから,最終的には島で暮らすことを覚悟していた。
とすると,父のように農協(JA)か役場に勤務するしかないと覚悟した。
長姉が広島に嫁いだのをきっかけに,島で高校に通うとしても下宿するしかない,
と考えてくれてのことであったのだろう,中学校から広島に出してくれた。

 母が家内に,
「あの子は,友達に頭を踏みつけられてもじっと我慢する子であった」
といったそうだが,島の小学校は全校児童が300人余,中学校は2700人もいた。
ここいらから私が変わってきたようだ。
(いや,向こう見ずで,無鉄砲なところは持って生まれたものであろうが)

 運良く,(希望校ではなかったが,総合選抜で)市内の公立高校に入学した。
生徒会の端っこに名を連ねて,卒業間近の1月14日。
午後は寒中水泳に出る予定で張り切って体育の授業に出ていた。
サッカー部のF君のドリブルする球を捕ってやれとばかりに突進した。
気がついたら,病院にいた。脳震盪で,戸板に乗せられて運ばれたという。

 10日間の入院後,卒業試験の答案を取りに行ったところ,
「頭を打って,だめになる人と良くなる人があるが,君は良くなったのかなぁ」
数学のY先生に言われて,ついその気になった。

 人生そんなにうまくは運ばない。
親が側にいないことを幸いに遊びほうけていたのだから,1期校の受験は失敗。
2期校にも願書を出していたが,受験する気も失せて浪人生活となる。

 翌年。2期校は獣医学科に願書を提出した。
というのも,高一の夏,馬(ポニー)の褥瘡(床ずれ)を治療したのがきっかけであった。
元来,馬は立って寝る。
体の具合が悪いと横になって寝るが,放っておくと動いて傷がつき化膿する。

 父は血を見るのが嫌いだから,私がやるしかない。
処方箋がないから,膿をとってヨーチンをなすりつける。
馬も痛いとみえて逃げる。繋いでヨーチンをつけ三角巾を張る。

 3日目,それまでは逃げまわってていた馬がじっと受けている。
しびれて痛みを感じなくなったかな?。
馬は,涙を流して我慢していた。

 非常勤講師は,指定された時間に過不足なく授業をすれば済む。
だが,準備があり,後始末があり,生徒は常勤・非常勤の区別なく訪ねてくる。
そして実際には“本務”以外の無駄な時間の方が楽しい。
報酬は関係ない。
個室でじっとしているより,大部屋でコーヒーを飲みながら談笑する。
その楽しみを求めて出勤するようなものだ。

 振り返れば,ずっといい加減な状態で過ごしてきた。
学生時代もそうだった。
自治会をやらないかと問われて,対抗馬があれば,と答えておいた。
ちょうど市議会議員選挙があって,アルバイトで,
「○○先生の教え子が馳せ参じました」
などと選挙カーで応援演説をしていたら,届け出たから帰ってこい,とのこと。
万事がこのような調子で今までやってきた。

 tontontonさん,中濃さんからコメントをいただいた。
「一抹の寂しさが・・・いや,そんなことはないか」
いや,そんなことは大あり,ですよ。
島に帰れば周囲も独居老人。顔を合わせることもほとんどない。
といって,カラスやイノシシは返事もしない。

 さて,
相手がどう思うか関係なく,私は生き物が好きだ。
50年近く教師をしてきたけど,
そのことが生徒にとって,馬にとって,どっちが幸せだったのかなぁ。

 

さりげない会話を

2012-03-20 19:59:28 | ひとりごと
 四人目の娘に感謝
▼この一首には,春先の余寒より初冬の朝あたりがふさわしく思われる。
 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
俵万智さんの歌だ。
鏡に向かって話しかけるわけもないから,このあたたかさを感じるには「2人」の存在が必要になる。
▼屋外の会話か,一つ屋根の下かは想像次第だが,筆者の印象を言えば後者である。
だから,東京都の1世帯あたりの平均人数が2人を割ったと聞いてふと胸に浮かんだ。
いまや家でものを言う相手のいない人が都民の「平均像」ということになる。
▼1.99人。調査を始めた1957年は4.09人だったが,初めて2人を下回った。
とりわけ単身のお年寄りは急上昇のカーブを描く。
一日もの言わず・・・・そんな暮らしが増えているのだろうか。
▼もっとも昨今は,家の外でも「無言」は目立つ。
フランスで暮らした作家の池澤夏樹さんが帰国後,本紙に寄せたコラムで「日本の買い物には会話がない」と書いていた。まるでロボットの国のようだ,と。
▼声欄にもその手の話が載る。
都心の駅員さんは「無言で地図を見せて道を聞き,礼も言わず去る人が多い」と嘆く。
スーパーの買い物籠に入れる「レジ袋不要」のカードについて,口で言えばいいのに,と書く人もいた。
▼ツイッターなどネットを飛び交う饒舌と裏腹に,日常の光景はどうも寒々しい。
沈黙は金と言い,寡黙にも重みがある。だが無言は殺伐としていて,冷ややかだ。
身近な,さりげない会話を取り戻したい。

 椅子の上にさりげなく,紙包みとメモが置かれていた。
『世話になった礼を言いたかったが,それができずに申し訳ない。
島の畑で使いなさい』Nさんからのものであった。

 両親に墓参が遅くなった侘びをいい,職場の私物を取りに行った時のこと。
今年度限りで職場を去ることは,ごく親しい人にだけ伝えていた。
教科の打ち上げで花束を,らしきこともささやかれたが断っていた。
お世話になった方々にはお礼を申し上げなければならないが,伝え聞いた一人ずつに今後のことなど話すのは煩わしいという私の我が儘からだ。
最後の職朝にでもその機会が与えられれば,みなさんに謝辞を述べることができる。
そのような場が無ければ,日時を見計らって私物を片付け,煙のように消える。
「あいつどうした?」「余計なことを云うから首になったらしい」
ところが,明日は各教科の会議を開く,ということを漏れ聞いて今日を選んだ。

 箱にはタオルが入っていた。
だが,とても畑で使うようなものではない立派な代物だ。
彼女も,いつまで仕事ができるか分からない非常勤講師だ。
私の子どもたちと同じ年頃で,平素から何かと気を遣ってくれていた。
しかし彼女,どうやって知ったのだろうか。
いや,何より残念なのは,
「ありがとう」と,この一言が言えないことだ。

おかげさまで,私にとっては楽しい時間を過ごすことができた。
ありがとう。