小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

英語版もありますよ

2008-10-31 17:31:20 | 私見
       秋の夜長は笑いがいっぱい

 tontontonさんのブログ『晴耕雨読』には英語版があった。これは面白い,と,感想を入れたら,私のブログも英訳してくださった(ブログ『白木農園便り』10月29日;蕎麦の収穫時期)。 
 tontontonさんの英訳は,google版。
これではどうかと悪のりしたのが,excite版。
どちらがどうとは言えませんが,比較してみると実に楽しい。
どこが楽しいかって?
甘藷の「鳴門金時」=「Naruto money」
「富有柿」=「Rich Persimmon」
「爺さん,樹を切ろうかと言うちょりました」=「said.・・・to cut the Grandpa and the tree」
 「真桑瓜」は「muskmelon」等と上手に(書き手の心をくすぐるように)訳されていましたが,爺さんまで切られちゃあ,かないません。
 
 もとはといえば,原文のつたなさにあるわけですが,秋の夜長をもてあましているお方は,ゆっくりご覧あれ。
左下の,ブックマーク
 こまった島の爺=excite版
 こまった島の爺-2=google版
  


渋抜きした西条柿

2008-10-31 13:09:22 | 島の生活
       渋を抜くと甘くておいしい

 先の日曜日久し振りに柿を採取した。山の畠の富有柿は既にカラスの腹に収まっているが,庭の西条柿はまだ残されていた。
 樹で熟したもの数個と,堅いもの30個余りを収穫。月曜日の夜,安いブランデ-を買ってきて渋抜きに取りかかる。
 コップにブランデーを入れ,ヘタに穴をあけた柿を浸し,ポリ袋に入れ,コップに残ったブランデーを吹きかけ密封することで作業は終了。
 もう出来上がっているのじゃないかというかみさんに促されて,昨夜(木曜)開けるとそのとおり。柔らかくなったものもあるが,完全に渋は抜けている。

 数個を職場で試食して貰ったが好評。ブランデーを使うほどのこともないが,焼酎より安くてアルコール度数も高いから,安易にできる,ような気がする。昔は風呂場を使っていたが,今回は何年ぶりかの渋抜き作業。
 柿は,西条柿のように渋が強いほど甘みが増す。上手に抜ければこの季節,何より美味い自然の恵み。
 年を経たが,私の渋はなかなか抜けない。アルコールの量が少なかったかな?。

 米子在住の友人と久し振りに電話連絡。
すぐ近くにいますからということであったが,
「おじいさーん!,○○さんから電話よー!」
午後雨という予報で,昼食前に終わらせようと田圃の耕耘をしていたようで,悪いことをしてしまった。
 伯耆大山の紅葉は,例年より遅いようだ。
  


今日の新聞から(2008.10.24)

2008-10-25 01:15:29 | 広島の生活
       「七転び八起き」と「スズメの渡り」

 野坂昭如の「七転び八起き」(毎日新聞連載)
 歯切れのいい文章で,毎回楽しませてくれる。
今回は「金融危機」として,副題は『紙切れに踊らされるな』
 事項の言葉に続き,
「金融危機がいわれる。もともと株は上がったり下がったりするものだ。戦前の堅気は株に手を出さなかった。・・・。父親は・・・株には手を出すなと教えた。依頼言いつけを守り,株は知らないし金融に疎い。
 週刊誌に株予想専門家がしばしば登場,御託宣を述べる。これで儲けられりゃらくなものだ。・・・
 日本の銀行は相変わらず保身に走り,中小企業,町工場をあっさり袖にする。行き場を失ったあげく倒産,また,櫛の歯欠けるが如く,次々店じまい。金融機関においては,あのバブル前後と全く変わっていない。日本の町の製造業はまことに重要,桁外れに優秀なものをつくってきた。投資が無くなれば日本の産業の先はない。・・・
 紙切れに躍らされることなく,実態を見極めろ。つまりは農だ。農は嘘をつかない。
 日本は気候,土壌,水,すべてに恵まれている。島国に住む者は島国で出来るものでまかなって生きるのが筋。
 ぼくはしつこく言い続ける。農を大事にしろと。
・・・。」

 鳥人夢「スズメ」(産経新聞連載)

 この連載は,季節の鳥と人との関わりについて教えてくれる貴重な連載。スズメは留鳥であるとばかり思っていたが・・・
 「スズメが“渡り”をする季節を迎えている。留鳥のスズメだが,幼鳥は秋から冬にかけ,東日本から西日本に向かうなど,長距離の移動を行っているとみられる。野鳥の標識調査で,スズメが数県にまたがる移動を行った確認例があるのだ。いつも身近にいるスズメだけに,数百キロも移動しているとは,信じがたい気がするが,少し考えればうなずける。
 スズメは2~9月,1~3回の繁殖をする。1回に卵4~8個を暖め,産卵から1ヶ月もたたないうちに,雛は巣立つ。巣立ち率は48%とする研究結果がある。これだけのヒナが年3回,誕生して留まっていれば.、瞬く間に“人口過密れ”状態になるだろう。そこで,その年に生まれた幼鳥が群れをつくり,定着先を求めて移動するとみられる。・・・。
(後半は,平安の頃の人とスズメの関わりについて,「源氏物語」,「枕草子」の記述の引用)」

 今夜のうちのライブ
下腹が出たようだ,という。農作業をしないせいかしら,と。
そういえば,最初にサポーター(ガードルじゃないよね?)を着用したときは,ズボンがスーと入ったのに,ここ数日腰の痛みがひどいのと,ズボンがはきにくいところをみると,腫れたのか,膨れたのか,みっともないことだ。

 宝くじで2億円の当選金を引き当てた女性の殺人事件に関連して,毎日・産経の2紙が仲よく落語の「水売り」を引用していましたが,私にとって,新聞は学ぶことが多いです。


  

 

ごめんなさい,グラスは終了です

2008-10-24 21:28:07 | 孫たち
       お湯飲みを有効利用して-!

 ガラスコップは完売です。
 ごめんなさい。

 湯飲みはまだ160個ばかり残っています。
 ステンレスの灰皿は40枚あります。
いずれも無料でお渡しします。
早いもの勝ちです。
ただし,引き渡しは広島市内です。
 必要な方は,種類と個数をこのブログのコメント欄にどうぞ。
  


いらんかね-

2008-10-24 16:22:41 | 孫たち
       お湯飲みとガラスコップを有効利用して-!

 写真のような湯飲みとガラスコップが大量にあります。
湯飲みは写真と同一。
ガラスコップは,これと同じものまたは無地。
ステンレスの灰皿も30枚ばかり。
いずれも無料でお渡しします。
早いもの勝ちです。
ただし,引き渡しは広島市内です。
 必要な方は,種類と個数をこのブログのコメント欄にどうぞ。
  


爺ちゃんは嫌い

2008-10-23 15:26:17 | 広島の生活
       爺ちゃんは怖い

 帰宅すると見慣れた車が止まっている。娘の家族が来ているらしい。
カーテンをさっと開けて,戸を引いて上の孫が迎えてくれる。
「おじいちゃんお帰えんなさい。お父さんはねえ,今日はお肉を食べに行ってるんよ。」
ははあ,それで親子してお好み焼きを食べに来たか。
 既に食事は済んでいたから,こちらはアジの開きで一杯やり始める。
月曜日に収穫したトマトがあったはずだがと,出させる。
下の孫のSが,スッと寄ってきて,
「おじいちゃんもどうぞ」
上の孫Tはトマトをほおばりながらテレビを観ているが,Sは私の膝に手を置いて所在なげにぶらぶらしている。

 孫たちが帰って静かになったとき,
「あのこおかしいよね。何かあったの?」と聞く。
尋ねると,彼らがうちに来てしばらく経ったときSが
『おじいちゃん嫌い。おじいちゃんは怖い』と言って,むすめにたしなめられたという。おじいちゃんが好きなはずなのに,と。
ははあ,あれか。

 先々週の土曜日であったか,母と病院にいるときこの家族がやってきた。
母がおなかがすいたというので,孫2人をつれて近くで食事をすることになった。孫たちの食事は済んでいるということだったのでパンを,私はパスタ,母はお子様ランチを頼んで孫に分け与えることにした。
(お子様ランチといえば,先日の新聞で,ある落語家の好みはデパートでお子様ランチ2人前を注文。これを肴に一杯やり,そのチャーハンで〆たとか。機会があれば私も試みてみたいものだ)
 Sは,自分の好きなものしか手をつけようとしない。母さんがいないからとタカをくくっていたようだ。おまけに,入り口に植えられているレモンがどうしてもいると駄々をこねて,泣き出す始末。 「今度からはおまえは連れて来ん!」
きつく言われてしょげていたが,病院では収まったように見えたのだが,これが原因らしい。

 するとあれは。
ネコがネズミを捕らえたときに,飼い主に獲物を献げに来るが,あれと同じ行為であったのかな。
 しかし,間違った行為には誰かが注意をしなければいけないわけで,婿殿が優しいから,嫌われ役は爺の仕事になりそうだ。
  

                    

島の秋祭り

2008-10-21 15:30:59 | 島の生活
       海に入る御輿

 稲の刈り入れもあらかた終わり,各地で笛や太鼓の音が聞こえる季節となっている。島でも例に漏れず秋祭りの真っ最中。ここでは豊漁と豊作を祈願し,またそのお礼に御輿とだんじりの競演が始まる。砂浜だけでなく海に入ってのもみ合いとなるため,この時期の旧暦15日前後の祭り開催となる。以前は祭りが主役で,翌日運動会という習わしであったが,お祭りで御馳走を食べておなかを壊し,運動会にならなかったりするので前後を入れ替えた。
 
 ところが少子化で,小学校は閉鎖,だんじりに乗る御子(小学校6年生の男児2名)もいなくなり,若者も少なくだんじりの担ぎ手がいない。近年は御輿だけの寂しい祭りに変わってきた。
 市内西区では,軽トラックに御輿を積んで,ぞろぞろとついて回るだけのお祭りもあったようだが,まあそれよりも少しはましかもしれない。

 腰の痛みで帰宅できなかったが,娘家族が楽しんでくれたようで,婿殿から写真が送られてきた。盆正月,祭りには出稼ぎに出ている船(機帆船=今は鋼鉄船)も港にいっぱい帰ってきて賑わったものだが,不景気のせいか,写真に見られるように帰港する船も少なく,寂しい祭りであったようだ。

 海に入っている御輿の様子に興味のある方は,ブログ『白木農園便り』をご覧いただきたい。

 この時期,我が家の小さな山にも松茸が生えて,母は自分の「州」をもって,食べさせてくれたが,もうその母もいない。更に,下葉取りをしないものだから,山は荒れて,松茸の姿はしばらく見たことがない。  


夜の会話-2

2008-10-20 02:51:47 | 島の生活
       島の畠で・・・

猪 助「ところでカンよ。今年のなりモノはどうじゃったかい?」 
勘太郎「まあまあ,というところですかいのう。
    菜園場の枇杷はよかったですが,ここのは,そこそこ。
剪定してくれりゃあええんですがの。
    桃は,もうちっとでしたのう。
    ザクロもええんじゃが,口がだるうて。
    富有柿は,剪定してくれたおかげで,
    今までより玉太りしとりましたけんのう。」
猪 助「ありゃあ,結構うまかったよのう」
勘太郎「そういやあ,枝を落としたのは,イノさんですかい?」
猪 助「県北の方じゃあ,熊公が登って獲るそうじゃが,
    ハイヒールではそうはいかんでのう。
    枝が低うなったおかげで,一寸咥えりゃあ,ポッキリよ。」
マミ男「イノさんは,他に何を食べられるんですか?」
猪 助「何でも,と言うちゃあ,逆に意地汚い言われそうなが,まあ何でも」
マミ男「ほんじゃあ,茗荷畑を掘り起こしたんは,兄さんですか?」
猪 助「以前,爺さんがあそこへ畳をおいたときにゃあ,
    カブトムシの幼虫やらミミズが仰山おってのう。今回は不作じゃった。
    じゃけん,茗荷を食うたわけじゃあないぞ。ありゃあ喰えん!。」
勘太郎「ありゃあ年寄りは好むが,若い者は喰わんらしい。
    どっちかあ言やあ,変わりもんが好んで喰うらしいぜ。
    爺さんも収穫せんじゃったろう?」
猪 助「夏は涼しいけえ,ヘビがチョロチョロしてのう。
    イタ公,ちったあ獲ったかや?」
ヘー助「あそこにゃあ,マムシもおるけん危のうて」
猪 助「なーにがあ。
    マムシやあどうか知らんが,皮を脱いだときがチャンスよ。
    弱っちょるけんのう。」

キジ雄が,おずおずと登場。
猪 助「よう来たのう。遅いけん,来んのかと思うちょったで」
キジ雄「怒らんと聞いてほしいんですが,
    猪の腹を割いたら,
    キジの羽がえっと出てくるという話を聞くもんですけえ。
    それに,夜目が利きませんもんで。」
猪 助「そりゃあ,他所のことよ。
    あんたらあ,飛べやぁええものを,かけって逃げるけんのう。
    ここでは共存共栄!
    ところで,ちかごろ姿を見せなんだのう?」
キジ雄「芋があるかと期待しちょったんですが,無いもんですけえ」
猪 助「ありゃあ悪いことをしたよ。
    ミミズもじゃが,昔は芋のツルを人間が喰うたそうなけえ,
    美味いもんかと思うてのう,腹ぁ減るし,つい喰うてしもうた。」
キジ雄「ああ,それで!。
    ところで,山裾に爺さんが網を張ったですが,大丈夫だったんで?」
猪 助「“天網恢々”いうてのう。」
キジ雄「そりゃあ,目が疎うても悪者を,
    おっと失礼,通さんということじゃあ・・・」
猪 助「なあに,それはお釈迦さんのことよ。
    爺さんのすることは,目が疎うて,どこにでも隙間ばっかりよ。
    去年,爺さんが鋼材メッシュを持ってきたときにゃあビビッたがの,
    なあに,こりゃあヤバイちゅうて,咥えて逃げてやったよ。」
キジ雄「鳴門金時だけじゃあなしに,南瓜や真桑瓜もあなた様の仕業ですか?」
猪 助「あれは失敗じゃった。つい腹が減ってのう。
    大きゅうして喰うんじゃった,と,今でも後悔しちょる。
    ところであんたら,空から観て,ええもんは見つからんかい?」
勘太郎「ミカンがねえ。黒うなって,食欲をそそりませんや。
    人間の都合のええように細工したもんが,消毒なしに済む訳が無い。
    トマトやなんぞ見てみんさい。傘を差さにゃあ育たんのじゃけえ。
    幹に虫が入いっちょると,来年もダメじゃ言われて,
    爺さん,樹を切ろうかと言うちょりましたぜ。
    落花生がぼちぼちですのう。ゆり根はまあまあ。
    菜園場には,ジャガイモが太とりょうりますけん。
    ただ,誰がやったんか,
    深川の里芋が掘り返されてみじめになっとりますのう」
猪 助「こりゃ,タヌ公ども!
    大きゅうならんうちに,悪さをするなよ!
    人間のように,ワシもじゃが,同じ失敗をせんようにのう」
一 同「へーい。
    (へん,自分ばっかりええ格好してからに)」

  


夜の会話

2008-10-19 23:25:51 | 島の生活
       島の畠で・・・

ポン太「イノさん,今夜はえらく眠そうじゃないですか」
猪 助「そうよ。爺さんが来たのはいいが,ラジオをつけるから煩くて昼寝もでけん」 
ポン太「そういやあ,あの爺さんしばらく姿を見せませんでしたねえ」
猪 助「何でも腰を痛めたようでのう,今日も腰をさすりながら作業しよった。
    それにしても,おまえさん,よう肥えて色つやもええのう」
ポン太「そりゃあ,ダチ公のマミ男とたっぷり栗を食いましたけえのう」
マミ男「今年やあ豊作で,爺さんも来んけえ仰山あって,ありゃあ美味かったのう」
猪 助「ホンじゃあ何かい?。皮だけ残してきれいに喰うたんはおまえらか?。
    わしゃあ,カン公がやったんか思うちょったで。
おかげで喰うもんがのうて・・・」

カラスの勘太郎が到着。
勘太郎「そりゃあ濡れ衣いうもんですよ。
ありゃあ,ツルツル滑って歯が立たん!」
猪 助「バカが。歯じゃあのうて,クチバシじゃろうが。
    北の方じゃあ,クルミを車に割らせるカラスが居るようじゃが,
    ちいたあ頭を使え。
    ところでしばらく見んじゃったがどうしちょった?」
勘太郎「山に舟があるでしょうが。あれが一寸気になりましてのう。
    何か仕掛けがあるんじゃないかと」
猪 助「まああれで腰を痛めたらしいがのう。
    タヌ公,おまえあそこをねぐらにしちょるようじゃが,
    なんぞ見んかったか?」
ポン太「ちゃんと名前で呼んでくださいよ。
    そういやあ,まだ釣り竿やら何やら残っとりましたのう」
勘太郎「そうじゃろう。何でもこないだ広島へ遊びに行った者が言うことにゃあ,
    『悪さする獣や鳥を釣っちゃろうかあ』
    と,爺さんが息まいちょったと聞いとりますけん。
    わしらあ,テグスで羽を痛めただけでも致命傷ですけんのう」
猪 助「あの爺さんならやりかねんぞ。
    なんでもツバクロがビチクソ言うことにゃあ,
    昔あの家で先祖がネコにやられたあ言うてのう。
    それ以来,あそこにゃあ近よらんいうて」
勘太郎「そりゃあ,小次郎みたいな長ーい爪を持っちょるネコですかい?」
猪 助「そうじゃあなあ。
    あいつらは,家に入るときには低うスピードを落とすけんのう。
    そういう家じゃけん,こら,ポン太ら,
    おまえら意地汚う食い意地がはっちょるけん,気いつけや」
  


三根山

2008-10-18 04:40:47 | 私見
       相撲界の一面と海自・暴行死事件

 相撲界の不祥事が新聞紙上を騒がせている。
「弟子暴行事件」であり,「大麻吸引事件」であり,今は「八百長事件」の裁判が始まっている。

 島から帰る時には,何冊か適当に見繕って2度目の読書に耽ることにしている。1冊に『武士(おとこ)の紋章(池波正太郎・新潮文庫)』が含まれていた。
 そのなかの短編の一つが実在力士「三根山」で,昭和31年の秋場所(9月場所)15日間の取り組みと,彼の周辺の相撲界の一部が記されている。当時私は中学生で,同級生と同名の“富樫(後の横綱“柏戸”)”をひそかに応援していたが,“三根山”という力士は全く知らない。著者の処女作といってもいいほどの作品で,同年代の力士を描き,しかも翌年1月号の雑誌に発表されているから,小説とはいえ,事実を丹念にたどっているといえよう。

 この中に,弟弟子・兄弟子・親方の関係について述べられた部分がある。

 昭和13年,福岡巡業で高島部屋の後援者である岸本(後に妻となる淑子の父)を訪問するにあたって,序の口として初めて番付に名前が載ったことを祝って,兄弟子の巴潟(後,親方)が言う。
「今夜は大目にみてやるから,うンと御馳走になりな」
16歳の少年は1升飲んで酔いつぶれる。翌朝,嶋一(三根山の本名)のだらしなさを怒りステッキで殴りつける巴潟を親方が叱る。
「・・・,兄弟子というもんはな,稽古をつけるときばかりが兄弟子じゃないんだぜ。まだ人間が出来ていない若い者の毎日の生活ってものにまで,責任持って指導してやるのが本当なんだ。責めるなら自分を責めろ」

 後援者との関係についても触れている。

 「私が見ていても,一寸,卑屈になりすぎたり,ファンに媚びすぎたりする人もいるようです。大体,そういうのは系統をひいているようですね。先輩がそうだから,自然そうなるのでしょう。自分を大切にするという信念がなくてはいけませんね。」
と,この夏に,ある週刊誌のインタビュウに答えて,嶋一は,そういい切ったことがある。

 この作品を読み始めた時に目に入ったのが,海自隊員暴行死事件。しかも,第一から第四まである術校のうち,ほんのちょっと私も関わったことのある第一術科学校とある。特殊部隊「特別警備隊」の隊員を養成する特別警備課程で,中途でやめ別部隊への異動を控えた隊員が,1:15の“格闘訓練”をさせられ死亡したという。死には至らなかったが,同じ事件が五月にも発生している。勝ち残ったエリートが“落伍者をいたぶる儀式”であって,“はなむけ”であろうはずがない。
 これでは,悪しき伝統を「持つ」相撲部屋と全く同じことだ。
 同類の人間が集まる狭い社会で,しかも,場合によっては更に限定された船の上で何日間も過ごすこともあるから,規律は保たれなければならないが,それとこれとは違う。この度だけではないはずだから,外部からの人間を含めて,過去に遡ってしっかり調査してもらいたい。それが死者へのせめてもの“はなむけ”だ。
 組織から落後することは,そのこと自体が制裁であって,それ以上に,力の制裁を加えてはならない。

三根山隆司(1927.2.7~1989.8.15):高島部屋,本名 嶋村嶋一
 最高位は大関。病気や怪我で三役と平幕を上下。
 7年の婚約期間を経て結婚した年(昭和28年)に大関に昇進。
 翌昭和29年,大関として優勝。
 昭和30年,5月場所で負け越し,大関を陥落。同年9月場所は全休。
 舞台となった昭和31年の秋場所は,前頭十枚目。

池波正太郎(1923~1990)