長安の夕映え
父母恩重経ものがたり (文藝春秋刊)
優介のお祖母ちゃん和子さんが病魔と闘っていた頃,
私はたまたま一冊の本を開いていた。
「司馬遼太郎短編全集<一>その中の表題の作品で,
昭和27年(1952)福田定一(29歳)名で“ブディスト・マガジン”
に掲載されたもの,とある。
話は都城の城門を守る衛士たちと,母親の供養と布教にと
天竺から来た老僧の出会いに始まる。
ここでは,老僧の語りのみを記載する。
ーーーかくのごとく,われきく。あるとき,
仏,王舎城のギシャクツの山の中に,菩薩,声聞の衆とともにましましければ,比丘,比丘尼,優婆塞(うばそく),優婆夷(うばい),一切諸天の人民および竜鬼神など,法をきかんとて来たり集まり,一心に宝座をかこんで,瞬(まばたき)もせで尊顔を仰ぎみたりき・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このとき,仏すなわち法を説いてのたまわく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一切の善男子,善女人よーーーー。
父に慈恩あり,母に悲恩あり,そのゆえは,人のこの世に産まるるは,宿業を因として,父母を縁とせり。父にあらざれば生れず,母にあらざれば育たず・・・・その恩,未形におよぶ。
はじめ,胎に受けしより,十月を経るの間,行,住,坐,臥,ともにもろもろの苦悩を受く。
月満ち日足りて,産む時いたれば,業風吹きてこれを促し,骨節,ことごとく痛み,汗,あぶらとともに流れて,その苦しみ堪えがたし。
父も,心身おののきおそれて,母と子を憂念し,諸親眷属,みな,ことごとく苦悩す。
すでに生れて,草上に堕つれば,父母の喜び限りなきこと,なお貧女の如意の珠を得たるがごとし・・・・・・
それより,母の乳を食物となし,母の情を生命となす。飢えたるとき・・・・・・母にあらざれば哺(くら)わず。渇きたるとき・・・・・・母にあらざれば咽(の)まず。寒きとき・・・・・・母にあらざれば着ず。
母,東西の隣里にやとわれて,あるいは水を汲み,或いは火をたき,あるいは碓(うす)をつき,あるいは磨(うす)をひき,種々の事に従事して,家に帰るのとき,いまだ家に至らざるに,いまやわが児,家に哭きさけびて,われを恋慕わんと思い起こせば,胸騒ぎ,心驚き,両乳流れ出でて忍び堪うることあたわず。
すなわち家に帰るや,児,遙に母の来れるをみて,揺籃(ゆりかご)の中にあれば,頭(かしら)をうごかし,脳(あたま)を弄し,外にあれば,腹這いして出で来り,鳴呼(そらなき)して母に向う。ーーーー母は児のために足を早め,身をまげ長く両手をのべて塵土をはらい,わが口を児の口に接けつつ,乳を出だして飲ましむ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
二歳,母の懐をはなれて,はじめて歩く。父にあらざれば,火の熱きことを知らず,母にあらざれば,刃物の指を落すを知らず。
三歳,乳を離れて,始めて食(くら)う。父にあらざれば毒の命を落すことを知らず,母にあらざれば薬の病を救うことを知らず。
----父母,外に出でて,他の座席に往き,美味珍羞を得ることあれば,自らこれを食うに忍びず。すなわち,懐に収めて持ちかえり,呼び来りて児に与う。得れば児,歓喜して,かつ笑いかつ食う。得ざればすなわち,佯(いつわ)り哭(さけ)びて,父を責め母に迫る。
・・・・・・やや成長して朋友と相交わるにいたれば,父は衣を求め,帯を求め,母は髪を梳り髻(もとどり)を摩(な)で,おのが美好の衣服は,みな子に与えて着せしめ,おのれは古き衣,破れたる服を纏う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
子,すでに妻をめとらば,父母を転た疎遠にして,夫婦はとくに親近し,私房(へや)において妻とともに語らい楽しむ。
父母,年高(とした)けて,気老い,力衰えぬれば,頼るところは唯だ子のみ。頼む所は唯だ嫁のみ。
しかるに夫婦,共に朝(あした)より暮にいたるまで,いまだ敢て,ひとたびも父母の室に来り問わず。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
用ありて子を呼べば,子は眼を怒らせて怒り罵る。嫁もこれを見て頭(こうべ)を垂れて笑を含む。
あるいはまた,急の事ありて,疾く呼び命ぜんとすれば,十たび呼び手九たび違い,ついに来りて給仕せず。却って怒り罵りていわく,
「老い耄れて世に残るよりは,早く死なんには如かず」と。
父母,これを聞きて,怨念(うらみ),胸にふさがり,涕涙(なみだ),まぶたを衝きて,目瞑(くら)み,心惑い,悲しみ叫びていわく。
「ああ,なんじ,幼少の時,われにあらざれば養われざりき。われにあらざれば育てられざりき。しかして今にいたれば則ち,却ってかくのごとし。ああ,われ,なんじを生みしは,本より無きに如かざりけり」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
悲母,それ,初めて生みしときは,顔(かんばせ),花の如くになりしに,子を養うこと数年なれば,容(かたち)すなわち憔悴す。
水のごとき霜の夜にも,氷のごとき雪の暁(あした)にも,乾ける処に子を廻し,湿(うるお)える処におのれ臥す。子,おのれが懐に屎(くそ)ひり,あるいは,その衣に尿(いばり)するも,手みずから洗いそそぎて,臭穢(しゅうえ)をいとうことなし。
もし子,遠く行けば,帰りてその面を見るまでは,出でても入りても,これを思い,寝(いね)ても寤(さ)めても,これを憂う。
おのれ生ある間は,子の身に代らんことを念(おも)い,おのれ死に去りて後も,子の身を護らんことを願う。
然るに・・・・・・
長じて人と成れる後は,
声を抗(あら)げ,気を怒らして,父の言(ことば)に順(したが)わず,母の言に瞋(いかり)をふくむ。
すでにして妻をめとれば,父母にそむき違うこと,恩無き人の如く,兄弟を憎み嫌うこと,怨(うらみ)ある者のごとし・・・・・・
妻の縁族来たれば,
堂に昇(のぼ)せて饗応し,室に入れて歓晤す・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
星が,一つ,桑畑の上に流れた。
和子さんは,夫の,娘の呼びかけに四度まで応えて呼気を取り戻されたという。
和子さん,あなたもすでに気付かれたように,ゆ~すまも,あなたから学んだことを受け継ぎ,良き母として子育てに励み,祖母,父を大切にしています。心安らかに眠ってください。
著者には申し訳ないのですが,一部を転載させてもらいました。お許しください。
この全集(全十二巻)には,帯にあるように,作家・司馬遼太郎誕生の頃からの珠玉の短編が収められている。
今月二度目の歯の治療を受けた。来月は18日という。息のある内に終わればいいが・・・。
投稿,少し休みます
父母恩重経ものがたり (文藝春秋刊)
優介のお祖母ちゃん和子さんが病魔と闘っていた頃,
私はたまたま一冊の本を開いていた。
「司馬遼太郎短編全集<一>その中の表題の作品で,
昭和27年(1952)福田定一(29歳)名で“ブディスト・マガジン”
に掲載されたもの,とある。
話は都城の城門を守る衛士たちと,母親の供養と布教にと
天竺から来た老僧の出会いに始まる。
ここでは,老僧の語りのみを記載する。
ーーーかくのごとく,われきく。あるとき,
仏,王舎城のギシャクツの山の中に,菩薩,声聞の衆とともにましましければ,比丘,比丘尼,優婆塞(うばそく),優婆夷(うばい),一切諸天の人民および竜鬼神など,法をきかんとて来たり集まり,一心に宝座をかこんで,瞬(まばたき)もせで尊顔を仰ぎみたりき・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このとき,仏すなわち法を説いてのたまわく。
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一切の善男子,善女人よーーーー。
父に慈恩あり,母に悲恩あり,そのゆえは,人のこの世に産まるるは,宿業を因として,父母を縁とせり。父にあらざれば生れず,母にあらざれば育たず・・・・その恩,未形におよぶ。
はじめ,胎に受けしより,十月を経るの間,行,住,坐,臥,ともにもろもろの苦悩を受く。
月満ち日足りて,産む時いたれば,業風吹きてこれを促し,骨節,ことごとく痛み,汗,あぶらとともに流れて,その苦しみ堪えがたし。
父も,心身おののきおそれて,母と子を憂念し,諸親眷属,みな,ことごとく苦悩す。
すでに生れて,草上に堕つれば,父母の喜び限りなきこと,なお貧女の如意の珠を得たるがごとし・・・・・・
それより,母の乳を食物となし,母の情を生命となす。飢えたるとき・・・・・・母にあらざれば哺(くら)わず。渇きたるとき・・・・・・母にあらざれば咽(の)まず。寒きとき・・・・・・母にあらざれば着ず。
母,東西の隣里にやとわれて,あるいは水を汲み,或いは火をたき,あるいは碓(うす)をつき,あるいは磨(うす)をひき,種々の事に従事して,家に帰るのとき,いまだ家に至らざるに,いまやわが児,家に哭きさけびて,われを恋慕わんと思い起こせば,胸騒ぎ,心驚き,両乳流れ出でて忍び堪うることあたわず。
すなわち家に帰るや,児,遙に母の来れるをみて,揺籃(ゆりかご)の中にあれば,頭(かしら)をうごかし,脳(あたま)を弄し,外にあれば,腹這いして出で来り,鳴呼(そらなき)して母に向う。ーーーー母は児のために足を早め,身をまげ長く両手をのべて塵土をはらい,わが口を児の口に接けつつ,乳を出だして飲ましむ。
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二歳,母の懐をはなれて,はじめて歩く。父にあらざれば,火の熱きことを知らず,母にあらざれば,刃物の指を落すを知らず。
三歳,乳を離れて,始めて食(くら)う。父にあらざれば毒の命を落すことを知らず,母にあらざれば薬の病を救うことを知らず。
----父母,外に出でて,他の座席に往き,美味珍羞を得ることあれば,自らこれを食うに忍びず。すなわち,懐に収めて持ちかえり,呼び来りて児に与う。得れば児,歓喜して,かつ笑いかつ食う。得ざればすなわち,佯(いつわ)り哭(さけ)びて,父を責め母に迫る。
・・・・・・やや成長して朋友と相交わるにいたれば,父は衣を求め,帯を求め,母は髪を梳り髻(もとどり)を摩(な)で,おのが美好の衣服は,みな子に与えて着せしめ,おのれは古き衣,破れたる服を纏う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
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子,すでに妻をめとらば,父母を転た疎遠にして,夫婦はとくに親近し,私房(へや)において妻とともに語らい楽しむ。
父母,年高(とした)けて,気老い,力衰えぬれば,頼るところは唯だ子のみ。頼む所は唯だ嫁のみ。
しかるに夫婦,共に朝(あした)より暮にいたるまで,いまだ敢て,ひとたびも父母の室に来り問わず。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
用ありて子を呼べば,子は眼を怒らせて怒り罵る。嫁もこれを見て頭(こうべ)を垂れて笑を含む。
あるいはまた,急の事ありて,疾く呼び命ぜんとすれば,十たび呼び手九たび違い,ついに来りて給仕せず。却って怒り罵りていわく,
「老い耄れて世に残るよりは,早く死なんには如かず」と。
父母,これを聞きて,怨念(うらみ),胸にふさがり,涕涙(なみだ),まぶたを衝きて,目瞑(くら)み,心惑い,悲しみ叫びていわく。
「ああ,なんじ,幼少の時,われにあらざれば養われざりき。われにあらざれば育てられざりき。しかして今にいたれば則ち,却ってかくのごとし。ああ,われ,なんじを生みしは,本より無きに如かざりけり」
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悲母,それ,初めて生みしときは,顔(かんばせ),花の如くになりしに,子を養うこと数年なれば,容(かたち)すなわち憔悴す。
水のごとき霜の夜にも,氷のごとき雪の暁(あした)にも,乾ける処に子を廻し,湿(うるお)える処におのれ臥す。子,おのれが懐に屎(くそ)ひり,あるいは,その衣に尿(いばり)するも,手みずから洗いそそぎて,臭穢(しゅうえ)をいとうことなし。
もし子,遠く行けば,帰りてその面を見るまでは,出でても入りても,これを思い,寝(いね)ても寤(さ)めても,これを憂う。
おのれ生ある間は,子の身に代らんことを念(おも)い,おのれ死に去りて後も,子の身を護らんことを願う。
然るに・・・・・・
長じて人と成れる後は,
声を抗(あら)げ,気を怒らして,父の言(ことば)に順(したが)わず,母の言に瞋(いかり)をふくむ。
すでにして妻をめとれば,父母にそむき違うこと,恩無き人の如く,兄弟を憎み嫌うこと,怨(うらみ)ある者のごとし・・・・・・
妻の縁族来たれば,
堂に昇(のぼ)せて饗応し,室に入れて歓晤す・・・・・・
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星が,一つ,桑畑の上に流れた。
和子さんは,夫の,娘の呼びかけに四度まで応えて呼気を取り戻されたという。
和子さん,あなたもすでに気付かれたように,ゆ~すまも,あなたから学んだことを受け継ぎ,良き母として子育てに励み,祖母,父を大切にしています。心安らかに眠ってください。
著者には申し訳ないのですが,一部を転載させてもらいました。お許しください。
この全集(全十二巻)には,帯にあるように,作家・司馬遼太郎誕生の頃からの珠玉の短編が収められている。
今月二度目の歯の治療を受けた。来月は18日という。息のある内に終わればいいが・・・。
投稿,少し休みます