小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

この一年

2008-12-31 23:21:43 | 私見
        忙しかった一年

 「おとうさん,きれいな富士山」
関が原周辺で1面真っ白になっていたから,Y君が引越しに使いたいという軽トラックのタイヤを昨夜冬用に換えて良かったと安心する。
 美しい富士を眺めながらこの1年を振り返る。
1月の式場見学に始まって,次男の結婚式。姪が結婚し,哲ちゃんをはじめ3人の従兄の死。年末には父の従弟の連れ合いが亡くなられるという連絡が入り締めくくりは義妹の姑の七七回忌。
 プリンタ-の具合が悪いこともあって賀状は29日に発送。30日は帰島し購入した菊と山の畑のシキミで墓参。1合のご飯を炊き仏前に備え,叔母に挨拶しスタッドレスタイヤに交換。

 31日,婿殿に広島駅まで送ってもらう途中,双葉山からの日の出の美しいこと。まだ会ってない次男の息子と会える期待に胸が膨らむ。正月らしい準備は何もしないで新婚夫婦の家に同宿しようという厚かましさで,朝からのビールまでうまい。

 優介は,土質のよい田んぼで育ったレンコンのように,節の間はぷっくりと膨れてよく肥えている。この爺にも笑顔で対応してくれる。
小さなアパートだが,感心なことに玄関を上がると全てが平面。わずかにクローゼットの下部に誘導用のちいさな溝があるだけである。

 ちょっとのお酒でたっぷり酔っ払って,新年を迎える。
あまり嫌われない程度にお邪魔することにしよう・


佳き新年をお迎えください

2008-12-29 08:16:18 | 農業塾OB会
        どうにもならないことは続くものだ

 なぜ夜中にこんなことをしているかって?
それはね,プリンターが賀状をぼちぼち印刷してくれているから,その間暇なわけですよ。
 前のプリンターが,コピーやスキャナーは何とかやってくれるのだが,パソコンからの指令を受け取らない。どうやってもうまくいかないものだから買い換えることにして,電話・Fax・スキャナーなどと一体になった複合型を買ったのが26日。
ところが、どのようにやっても黒インクが出ない。メーカーも販売店も反応なし。
27日,K・Gと言われないように入浴して,義妹の姑の七七回忌法要に参加。
飲み放題の御酒を横目に見てじっと我慢。夕刻Y君が顔を出してくれたがどうにもならない。機種交換に行ってまた大変。悩んだ挙句,同一の機種を求めることにしたが,散々探して在庫がない。
 
 1ランク上の機種にして,帰宅して設定がまた大変。チャチャは入るし孫の相手。何でいまどきインストールやら面倒なことをさせるかとふしぎだ。
印刷はいたってのんびり。しかも20枚ずつだから,40枚も表と裏を逆さにしてしまった。とっくに一番電車も走って、この調子では,Y/Kさんに教わった蕎麦打ちどころか,墓参も出来なくなってします。

 と,愚痴ってもしょうがない。
ここまできたところで,当方の住所を印刷しなくなってしまった。
この製品?。もう発表しちゃおう。brother。今から手書きです。

 それにしてもよくお付き合いくださいました。ありがとうぞざい増す。
どうぞよい新年をお迎えください。  


宮島航路

2008-12-29 02:38:29 | 広島の生活
       JRさん,まさか廃航路とするつもりでは?

 確か12月10日頃の新聞であったと記憶しているが,JR西日本が,JRで唯一残っている航路『宮島航路=広島県廿日市市宮島口と世界遺産・厳島神社のある宮島を繋ぐ航路』を本社から切り離し,子会社に運航を任せる方向であると報道された。理由は,赤字路線だから,だ。

 県内では仁堀航路(呉市仁方町~愛媛県堀江市)が廃止されて25年,可部線で電化されなかった可部以北(可部~三段峡)が廃止されて5年が経過した。
民間企業は利潤を求めて営業し,その目途が立たなくなったときには営業を中止する,ということは理解できる。宇高連絡線や青函連絡船の場合も分かる。
 だが,宮島航路の場合は,架橋されるべくもなく,代替はただ1社営業しているD社に過ぎない。同一料金で営業距離数が違うから,早晩廃止されるのは目に見えている。

 可部線の場合を振り返ってみよう。
可部以北は赤字であったかもしれないが,広島駅を発着する可部全線では,3セクにしても何とかやっていけたのではなかろうか。ましてや可部以北は国営事業として建設され,路線の多くは地元の寄進によるものが多かったろう。
 年末にかけて多くの航路やバス路線で廃止もしくは減便の方向が示されている。そのほとんどは過疎地であり,交通弱者の住むところであり,このことによって過疎化に拍車がかかることになる。

 すべてを考え直してほしいと言うのではない。
JRは,国鉄ではないか。民営化されるたびに営利だけを追求する企業になるのでは困る。一部では赤字であっても,全体として何とかやっていける,その努力をするのが公共企業というものであろう。民間企業は利用者の多い時間帯の運行が中心になる。子会社化することによって黒字経営を目指すと言うなら,早朝と深夜の時間帯の運行を補完してもらいたいと要望する。船舶は小型ボートで可能なのだから。  


ひとこと言っても良いですか?

2008-12-28 12:42:46 | 広島の生活
       大きなお世話です

 週に一度,20名足らずの講座をひとつ受け持っている。
年齢の差こそあれ,男ばかりの所帯で昨春来つきあっている生徒も数人いるから,(青年期の彼らに対しては区別をつけながらも),ゆとりのある時間にはつい軽口をたたいてしまうことがある。
先日,レポートを返却しながら,
「I の名前(怜)は,“レイ”だったかな?」
「いえ,“レン”です」
「どういう意味だ?」
「“かしこい”を意味しているそうです」
「そうか,“怜悧”の“怜”を“レン”と読むのか。心は真っ直ぐでしっかりしているということかな」
ここまではまだよかった。
「少し名前負けしたかな?」
「結果が残せてないから,仕方ないです」

 Nは,生真面目で一生懸命仁表現しょうとするのだが,言葉がうまく出てこないことが多い。じっくり耳を傾ければ彼の言わんとするところは十分伝わる。これを訥弁というのだろうか。できるだけ声をかける。答の正誤も時々尋ねる。「あってます」「違います」としか答えない彼につい,
「ところで名前の“ショウ”は,どんな字だっけ?」
「“とぶ”です」
「そうか,飛翔の“ショウ”だったね。しかしその体型で空を飛ぶのは大変じゃのう」
スッと手を挙げて彼が問う,
「ひとこと言っていいですか?」
「ええよ」
「大きなお世話です」
よくぞ言ってくれたという,彼への援助である拍手と笑いの渦。

 今更と言われそうだが,子供の成長を願った大切な名前を傷つけてはいけないという反省。うちの孫5人はそれぞれが名付けた。

 クリスマスや新年を迎える賑やかな声が伝わってくる。悔しいから,入信した孫を掲載したらコメントが入っている。
爺に似ると“こわいい”だが,親に似て“かわいい”でよかったねという主旨だ。目の前にいたらスッと手を挙げて言いたいところだ。
「ひとこと言っていいですか」

 それにしても,どこにも私の映像がなくてよかった。何を言われるかたまったものではない。
K・Yに対抗して,K・G(コワイ・爺,キタナイ・爺,クサイ・爺・・・)と云われないように気をつけなければ。 
  



元気が何より!

2008-12-26 17:45:36 | 孫たち
       優介・初めてのクリスマス

 島に帰ろうとしたが空模様がどうも怪しい。年賀状の準備をと思ったが,動きが遅い。薬漬けのせいか,寝起きが悪く体のだるい私以上に動こうとしない。
 おまけにプリンターまでおかしい。コピーはするが,印刷にかかると『紙詰まりです』のコメントが出る。
 パソコンの方は溜まっていたメールを整理すると気のせいか早くなったようだが,Y君に診断を仰ぐべく所持する。
 分解までして解決してくれようとしたが,うまくいかない。修理に出せば2週間はかかるし,代金も最低7000~8000円かかるとしたら買い換える方が良いか。
 あれこれ観ていると,Faxの調子が悪いことにも気付いて(子機は2台共にアウト),一体型を購入することにした。

 今夜は設定で年賀状は無理だろうとひとまず職場に帰ると,可愛いメール。
下の息子は昨夜遅くタイ(?台湾?)から帰ったようで,ささやかにクリスマスイヴを楽しんだようだ。
生後4ヶ月。爺に似た,可愛い顔を紹介したくて掲載した次第。
近じか会えるのを楽しみにしている。 
  



ひいおじいちゃんですか?

2008-12-25 00:22:19 | 広島の生活
        孫たちとのクリスマスイヴ

 かみさんと夜長をすごすす時間が少ない。私の帰宅時間は遅いし,夕刻かみさんは病院に,その帰りは銭湯にということが多い。
金曜日は夜の忘年会と勘違いして,親娘らは忘年会。土日は私は島に。月曜夜,かみさんはナイトクルージング。23・24日と出勤し今年の整理。24日,娘の体調がしっくりしないと言うことで,孫を連れて近くの寿司店に(私の誕生寿司をいただくのが目的)。幸いなことに近くの人からケーキを頂戴する。
ただしこの人の言葉がきつい。
「ひいじいちゃんですか?」
来年から24日ははずさねばなるまい。

 25日も,孫と鍋物と鉄板焼きを楽しむ。遅れて両親(娘夫婦)が来る。
爺婆がやれなかったクリスマスプレゼントを渡してやっていた。
 長男の方が忙しいらしく,孫には会えないが,またチャンスがあるだろう。
  


島の畑で 12/21

2008-12-21 22:36:14 | 島の生活
       蕎麦打ちの方がよかったなあ

 2週間振りだから,島の作業が気になって帰宅した。ところが島では朝から小雨。平生往生で,雨具の汚れを取ることから作業を開始。
 味噌汁分のジャガイモの出来はまずまずであったが,雨中で掘り取るわけにはいかない。
 落花生の収穫を始めたが,まあなんと作柄のひどいこと。すでに『何か』が一部を収穫してくれていることもあるが,残りはもちろん量は少なく,残っていても食用にはならない小さいものばかり。
 2週間前に植えたたまねぎには,形からするとイノシシの足跡らしいのだが,それにしては,ジャガイモにいたずらをしていない。新しいところを見ると,昨夜のことらしい。
 ソラマメは?,まだ発芽していない。どうも駄目なのかなあ。
仕方なく,あの面白い人参を持ち帰る。
 もうひとつ心配がある。夏みかん,甘夏の色つきがよすぎる。やはり雨量不足のせいだろうか。小ぶりで黄色く色づいている。

 ラジオ放送で高校駅伝は楽しませてもらったが,すなおに,蕎麦打ちの指導を受けるのだったかな?。

  


新聞も読めなかった

2008-12-20 04:15:13 | 広島の生活
       ぼつぼつ年賀状の準備かな?

 学期末という作業の他にたったひとつの作業が加わることで,このように時間がとられるとは考えても見なかった。それは簡単には,ひとつの学年の一部に与える冬期休暇中の課題帳を作るという作業を担当したということなのだが・・・。
 簡単には市販の既製品を使うことが多い。次は,業者の提供する資料から適当な問題を選択して印刷してもらうという方法。最後は自作だ。これは作成者に手当も必要でないから,生徒の負担する費用も必要ではない。

 今学期に指導した内容を,教科書・問題集から取捨選択すればいいわけだが,とりあえず今期で完結する内容は復習が主体になるし,次の学期・学年に繋がるものはどうしても基礎・基本を振り返ることになり,しかも,定期テストで現れた理解度を考慮して選択することになる。次に,結果だけを追いがちな生徒に対して,考え方・思考過程を記入できるような空間を作りながら解答例を書くことになる。

 かみさんが『タラ』の苗木を買ったから島の畑に植えるかと問う。10Cm程度のもので,島の畠には立派な成木がいっぱい生えていると言うと,持ち帰ったことがないではないかという。今回も除草しながらあちこちに残したのだが,早くても1週間に一度の帰島では,立派な葉に育って食するに値しないから,持ち帰ったことはない。せっかく購入してくれたものだから土日に帰島するつもりであったが,仕事もはかどらない上,白木農園での農作業が入った。OB会の皆さんが寒い中で作業するのをサボって島でのんびりするわけにもいかない。広島で過ごすことにして,タラは空き地の隅に植えた。しかし日曜日の農作業のお陰で立派な里芋をいただいた。

 金曜日(本日)の昼間にはOB会の忘年会でおいしいお酒を飲みたいがために,それまでには校正・印刷に製本を済ませなければならない。月曜朝のトマト作業以来,大体9時の帰宅。パソコンでの作業だからどこでやっても同じなのだが,家では酒の誘惑に負けてしまうことが多い。気持ちを締めても,作業できないこともある。水曜日の夜などは孫が来て学芸会をやってくれて楽しんだ。仕事は気になるが,頭を休めるには何よりの至福のとき。


 木曜日の夕方には何とか印刷を済ませたが,製本するための機械がうまく作動しない。手伝ってくれたI君には申し訳ないが,大幅に遅刻してパソコン教室に参加。終えて職場に帰ると,ありがたいことに,I君とその仲間が残りの作業を済ませてくれていた。問題文11枚,問題文と同じ形式の別冊解答例6枚(裏表印刷)240人分をほとんど手作業で済ませてくれていた。同じ方向に帰る4人が,遅い夕食をとるために近くの焼き肉屋に入ったのが10時。
 出してやったか?。そうしてやりたかったが,彼らの方が遙かに給料が多い。敬意を表して割り勘。割り算できないほんのちょっぴりだけ,爺が負担。助けてもらいながら何とも厚かましく,渋珍の爺だ。反省はサルに任せて,居直ることにする。

 今日(金)はどうだったか?。時間帯をやりくりして,忘年会に参加したにきまっています。楽しく飲ませていただいた。帰途,コーヒーを飲んで職場によってちょっと仕事を整理し帰宅。
 この一週間,新聞もろくろく目を通さず,世の中がどう動いたのか知るよしもないが,どうせあの調子では国会でもたいした進展はあるまい。
 ぼつぼつ年賀状の準備でもするか。
 
  


ルミナリエ・広島

2008-12-13 23:58:44 | 広島の生活
       広島市内も光の競演

 12日(金)は,農業塾OB会・パソコン同好会の忘年会。
胃の具合がどうかと心配したが,8日(月)の診察後「少し強い」薬になったおかげか,何とか順調。その夜の科の忘年会も早い便のバスで真っ直ぐに帰宅できた。
 だが,このメンバーのなんとにぎやかなこと。パソコン研修会の会場では神妙そのものだが,年齢に関係なく,家庭でのパソコンの活用例,失敗談,Hさん親子三代の行事を編集した壁絵など話題は尽きない。私もビールだけで済ませる予定がついつい焼酎にも手を出してしまった。
 ところが だ,遅刻した罰にブログ“白木農園だより”に忘年会の報告書を書くことになった。あの「少し強い」薬は眠気を誘う。生来の横着者が半分眠りながら,学期末の忙しいときに余計な仕事をひとつ引き受けさせられて遅刻。
 
 早々にブログを済ませて島に帰ろうとしたが,目が覚めたのが10時。買い物をして,写真の挿入に苦労して,・・・,そんなところに聞いたような声。
「ところで,父ちゃんはおるんかいの?」
昨夜ご一緒だったT大先輩。
「あしたは,軽トラックでよろしく頼んますよ」
そういえば,今朝メールが入っていたよなと確認すると,白木農園の作業日。
更に,メールがいっぱい。
曰く,
 ・ 写真が寝てたよ
 ・ 写真を起こしたよ
 ・ ルミナリエの写真入れておいたよ
などなど,ありがたいことです。

 上の写真は,戦後作られた広島市内中央を東西に走る幅100mの道路(通称はそのまんま100道路)に飾られた電飾。これは原爆ドームを模したものとみられ,神戸のように統一された美しさとは別に,市内各所で工夫された美しさが鑑賞できます。 
 


介護 ゆうゆうLife(産経新聞から)-2

2008-12-09 16:14:49 | 広島の生活
       老老介護の厳しい現実 励みは妻,洋子のキス

 妻で女優の南田洋子さん(75)を5年ほど前から自宅で介護している俳優,長門裕之さんは現在,74歳。自信の健康不安を感じながらの介護です。少子高齢化社会の到来で高齢者が高齢者を介護する,いわゆる「老老介護」は珍しくありません。しかし,長門さんは「介護する充足感で活性化していて,死なない気がする」と前向きです。(竹中文)

 今,本当に私がほしいのは力です。洋子を軽々と持ち上げる力が残っていれば,楽だろうけど,その力がない。だから,洋子に体を全部預けられると受けきれないんです。
 私自身,平成7年には解離性動脈瘤を治療しました。以来,血がさらさらになる薬は飲み続けていて,先日,風呂場の備品に左手をぶつけたときに,アザが大きくなってしまいました。
 今年11月上旬,テレビで洋子と私のドキュメンタリー番組が放映された後も,視聴者から「洋子さんより長門さんの方が危なく見える」などというメールや電話が寄せられました。そんな反響には,笑っているしかありません(笑)。「絶対,大丈夫」なんて言えませんから。
 その取材では,入浴の撮影は遠慮してもらいました。しかし,通常は,私が洋子を湯船に入れたり,風呂場で体や顔を洗うのを手伝っています。顔を洗うときに「せっけんがついた手を顔へ」と教えても,必ず頭にあててしまうので,目の前で自分の顔を洗ってみせます。
 背中にお湯を流すときには「お背中を,ながしましげお~」なんてだじゃれを言うこともあります。彼女は笑います。お笑いタレントではなく,私がギャグを言う意外性が面白いのでしょうか(笑)。2人分を洗うため,入浴に2時間もかかります。
 
 お手伝いさんには毎夜,泊まってもらいますが,私も1時間半おきに起き,洋子の部屋をのぞくようにしています。寝ぼけて足がもつれ,ひっくり返ったこともあります。洋子に「しっかりして」と励まされることも(笑)。でも,行かないわけにはいかない。私が来るのを期待しているとき,洋子は布団をはいで起きる体勢で待っているのです。
 仕事で疲れて熟睡してしまい,夜中にトイレに連れていけなかったこともありました。ハードな仕事のスケジュールのなかで,介護がきついと思うこともあります。でも,介護と仕事を両立するのは私の責務だと思うのです。
 泊まりの仕事があるときにはつらいですよ。心配で仕事先から電話をかけても,「大丈夫」と言うだけ。つい,現状を聞き出そうと質問してしまうのですが,彼女は言葉を見つけることができません。

 つらいときの救いは,洋子のこびないかわいさです。彼女のしぐさに,胸がときめくこともあります。
 たとえば「チュー」と言うと,ほおにキスをしてくれるのです。言葉がうまく見つけられなくなった洋子に「ばか」と言われて「『ばか』と言ったら,チュー(キス)をする」と迫ったことがあるんです。それを喜んでくれて,以来,洋子は「チュー」というと反応してくれるようになりました。この行動には「ワンバカチュー」と名付けました(笑)。
 夜中に私の部屋で,ぼんやりテレビを見ながら塩せんべいをボリボリかじるのも,私のそばにいたいからだと伝わってきます。病気も含め,昔とは違うけれど,理屈を言わなくなった洋子がいとおしい。夫婦で寄り添う幸せを感じるようになりました。
 そんな洋子には私の没後も生活に困らないように暮らしてほしい。だから,住まいは洋子名義にしています。私が先に死んだら,住居を売ったお金で老人ホームに入ったらいい。
 だけど,今は介護する充足感で活性化していて,自分は死なないような気もします。来年からは後期高齢者に属する年ですが,気弱な自分を洋子に見せたくないと思うからか,最近,重い病気にかからなくなりました。
 今まで,女性問題やお金のことで苦労をかけたときに,優しく手を差し伸べて,肩を抱き寄せてくれた洋子の優しさを,私は忘れないでしょう。洋子が記憶を失っても,です。洋子を介護できることには幸せを感じています。洋子のために一生懸命に生きたいという思いが,今の私の元気の源かもしれませんね。