小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

阿蘇は雪だった

2008-02-25 17:09:55 | 私見
       阿蘇は雪だった

 2月23・24日と,以前勤務していた職場の仲間と一泊旅行。12名のところやんごとなき理由で1名欠席につき,11名が2台のレンタカーに分乗。広島から柳川を経由して菊池温泉に宿泊,阿蘇を観光し帰着する日程。
 このメンバーは実に気持ちの良い連中で敬老精神にあふれ,2年間のおつきあいであったにもかかわらず,年一度の旅行に毎回私を誘ってくださる。移動はレンタカー。若い人が輪番で運転し,老人は呑んで座っているだけ。今回の世話人はB5判で81頁にも及ぶパンフレットを準備してくれていました。(もっとも,いつもは届くはずの案内“状”が来ず,妻などは「おとうさん,嫌われているんじゃないの」とか,「メンバーに入ってないんじゃないの」と脅すものだから,恐る恐る電話してみると「もちろん参加するものと思って楽しみにしていますよ」との気持ちのいい返事。冊子を作る準備に時間をとられていたようです)
 出発後は強風(後で,春一番と聞きました)にあおられながらも無事柳川に到着。御花で昼食。せっかくの『せいろ蒸し』でしたが,なんだか味がもう一つ。まさか中国のウナギではあるまいと言っていましたら,聞きつけたウエイターが「立派な国産・鹿児島産です」って。とはいえ,松濤園を観ながらのビール,後で聞けば3人前用意された‘いそぎんちゃく’を1人で平らげていました。
 “川下り”は,水と観光客の少ない今の時期は堀割の清掃時期にあたっていて,一部分を炬燵に当たりながら楽しみました。
 百畳敷きの“御座敷梅林”。今を盛りと咲き誇る古梅と松盆栽が見事でしたが,松(黒松)柏の盆栽が無かったのは少し残念でした。
 菊池温泉。造りの面白い宿でした。まず,1階から6階までの直通エレベーター,平行移動して別のエレベーターで11階まで。外を眺めて納得しました。窓のそばは山の斜面。夕食は1階まで降りて,別のEVで3階へ。
 浴場は6階と1階。6階の大浴場に入って,裸で1階の浴場・露天に行けるということでしたが,億劫で,1階の露天にはEVを利用。露天のお湯がぬるくて閉口しました。ただしお湯は“アルカリ性単純泉”とか,広島近辺では,美又・旭・有福温泉に似たぬったりとしたいいお湯でした。(もっとも,メンバーの1人は「あの中では金城の湯が最も良い」といっていましたから,機会があれば行きたいものです。)

 ぬるいのも道理。雪でした。阿蘇の中岳のロープウエイはガスの噴出で運行中止。世話人のOさんは一満数千円分の焼酎を購入しましたが,運行中止は,売店の策略?。かわりに阿蘇火山博物館を見学。
 昼食は「山賊旅路」で“だご汁定食”。意地汚くもビールを飲んだら量が多くて若者が“高菜めし”を半分食べてくれました。そういえばあの若者は昨夜行方不明となり,露天に浮いているのではないかと心配させましたが,スナックでもう1人の若者と呑んだ後,ロビーの椅子で熟睡。やおら起きあがった老中に正座させられ説教を受けていました。もう1人?。途中車を止めて,二日酔いに効くからと“ナントカの力(ちから)”というのを老中と呑んでいました。

 私?。珍しく夕食も完食。“力(ちから)”も借りることなく,酒と焼酎を少々。カラオケに二曲(?)参加。元気であれば次回が楽しみです。 
 
  


この1年-2

2008-02-22 18:52:28 | 島の生活
       この1年-2:ライフライン

 恥をさらすことになるから大きな声では言えないのですが・・・
秋,島の家に,電気と水道の供給を止められた。その前には電話がストップ。
ガス代も含めて公共料金の支払いはJAの口座からの引き落としに設定していた。不足の連絡があれば必要に応じて入金していたが,私の集落の支店からATMが引き払われて4Km離れた支店に行かないと金銭の授受が出来なくなっていた。方法が無いわけではなかったが,ここ10数年も視聴もしてないNHKへの支払いをさらに続けることが嫌でしばらく見合わせることにしていた。

 電話は止まった。「お客様の都合により・・・」と言う音声が流れてくる。
だけど,最初に設置したときの債券はどうなるのかどなたか教えていただきたい。

 広島から帰宅して“停電?”と疑ったが,他家には点いている模様。電話すると
「お支払いいただければ,通電します」という。
支払いは,10Km先のコンビニにとのこと。山の畠でやり残したこともあるので事情を話したがらちがあかない。明日払い込みをするからと言っても,どうにもならない。当然と言えば当然なことなのだが・・・。
 一晩は蝋燭でしのごうかとも思ったが,風呂の湯は張れないし,ご飯も炊けない。しゃくに障ったから,冷蔵庫のものが腐っているが保証するか,と聞いたら,デキマセン,という。泥棒よけに夜間点灯するようにしているが,盗難があったら保障するかと聞いても,デキマセン,という。
山の畠の電柱をすぐに取っ払ってくれ。そうしたらすぐに払うから,に対しても,デキマセン。じゃまになるから私が倒しても良いかというと,ヤッテハイケマセン,だ。自販機と話しているようでむなしい思いをしたが,何とか点いた。
 
 洗米しょうとして,水が出ない。薪の蓄えはないし,風呂の湯が出ない。瞬間湯沸かし器も使えない。カッカして湯が沸くわけでも無かろうから,4Km先の支所に出かける。断りをいって以降の支払い方法を相談する。いつから水が出ますかと聞いたら
「あなたが見えた時点で係が行きましたから,もう出ますよ」という。

 電気と水の違いはどこにあるのだろう。
両者とも,毎月検針をしているから,そこにかすかながらも生活のにおいがすることに気がついているはずなのだ。
ひとつは,そのかすかなにおいが,伝わっているかどうかであろう。
また,電力会社には,
「うちの電気を買わなければ,誰もおまえに売るものはないよ」
というおごりはないのか。

 ガス(LPG)は止まらない。田舎ではあっても複数の業者が控えている。私の方から連絡して支払い方法を改善した。
  
 新築・移転の際にはしつこく訪問し,屋根にまで上がって調べようかするN.H.K.は,請求書だけ送付し,事情を聞こうともしないで,上部では,差し押さえも,などと言っている。
 電波を止めたからといって,誰も文句は言わないのに・・・。

「おとうさん,いい年をして,気を長く持たなきゃあ」
という。
なに,いい年を過ぎたから子どもに返りつつある。
いい年にずーっと我慢してきたことが,束になって沸騰するときもあるから,いわなくてもよいことをつい言ってしまうのだ。
  


あぶない時間帯

2008-02-22 17:22:58 | 私見
       あぶない時間帯

“あたご”と“JAL”の事故の報を聞いて,1つの事故を想い出した。

 私がまだ現役であった頃,卒業生のY君から電話が入った。
「私の父の『これが父だ』という身体の特徴を知りませんか?」
「どうした?」
「今朝,交通事故死した人が,父であるかもしれないというのです」
 私が新米の時代,県内のある高校で2年生であった彼の父親の授業を担当した。
それ以来彼らと,ときに一杯飲んだりという交遊が続いていた。
数校の転勤を経て,別の高校で1年生に入学した息子の授業を担当することになった。親子して私と関わるとは,神様もいたずらがひどいね等と言ったものだが。
 彼からの電話を受けたのは,さらに数校後の勤務校であった。
そのようなつながりはあったが,彼の父を確認する術をもっていない。
すぐに当時の同級生に助けを求めた。残念ながら,本人であった。
 彼は,企業の広島支社長として活躍していた。県東部に出張し,帰宅する途中,広島JCTで高速道路の側壁に衝突し,車は炎上した。
中国自動車道・広島JCTは,本道と広島への進入路が判別しにくくドライバーに不評であったし,それに伴う事故が時々発生していた。
 仮眠をとっていたにしても,責任感の強い彼には,出社し本日の仕事が待っている。当然疲れもあったろう,あと少しで帰着するという気のゆるみがあったかもしれない。悲しい大きな事故であった。

 今回のイージス艦“あたご”や,新千歳空港でのJALのニアミスの原因はどうなんだろう。艦船の事故として思い起こされるのは,近くは“愛媛丸”と米原潜との事故であり,横須賀沖での潜水艦と釣り船の事故,鹿児島湾での潜水艦とタンカーの事故など,残念ながらすらすらと脳裏に浮かんでくる。これらの原因は同列には扱えないだろう。“あたご”や“JAL”に気のゆるみがあったのではないかと考えるのは邪推だろうか。
 “あたご”はハワイ沖の厳しい訓練を終えて帰港する直前であった。恐らく自動操舵で航海し,あと数時間もすれば多数の船が行き交う危険な浦賀水道にさしかかる。それに備えて夜明け前の今の時間をゆったり過ごす。そのようなゆるみはなかったろうか?ある新聞には,10ノットの航海速度であったという。本当?この速度は,内海航路のフェリー,ゆったり走る自転車なみだ。
(1ノット=1時間あたり1海里=約1.8Km進む速さ。私は2倍して1割減らす計算をしている)
戦時下,特殊な船ではあるが魚雷艇は40ノット出したという。
 レーダーによる“あたご”の海面の障害物を認識する能力は20Kmであるという。
この艇は10ノット,漁船が25ノット出していたとしてもだ,認識していれば,遭遇するまでに20分の時間が必要だ。

 “JAL”
事故にはならなかったが,新千歳空港での件は恐怖だ。
管制官も「もう少し待て」と言うのが普通だろうと,素人の私は考える。
さんざん待たされてうんざりしたところに,「テイク オフ」の声が聞こえた。
複数のクルーがいながら,誰も復唱することなく次の行動に移ったのでは,数百人の乗客はたまらない。
 JAL に幸いしたのは,自衛艦の事故が大きすぎて,この件が陰に隠れてしまったことだ。
 が,場合によっては乗客だけでなく,数千人の命に関わることだ。
心していただきたい。

 Y君が逝って10年になる。団塊の世代といわれた彼らの同級生も定年を迎える。もう一度彼の笑顔をみながら,新酒を酌み交わしたいと思う。 

 
  

目白のこと

2008-02-19 18:17:45 | 私見
       目白のこと
 冷える,と思ったら,菜園場においていた桶に氷が張っている。2月15日のこと。14日に近くに新規開店したホームセンターで灯油と湯たんぽを買っておいたのが正解だった。
 年内は雪も降らず暖冬を想わせたが,特に2月に入っては降雪もあり夜寒が続く。昨冬は買いだめしておいた使い捨てカイロもほとんど使うことはなかったが,近くは毎日愛用している。島でも電気ストーブと絨毯で済ませていた。新規に練炭七輪を購入しようかと思ったが,万一の場合,自死(最近はこの言葉を使うようだ)
こ間違われては困るのもあって,灯油ストーブにして正解であった。
 風もあるので,庭の草取りを始めた。近くで小鳥のつばえる(ふざけあって遊ぶ)様子がうかがえたので雀かと思って目をやると,目白が地面の椿の花びらで遊んでいる。子どもの頃を想い出し,ミカンの輪切りを柘植の上に置く。一昔前にはこのようなことはなかったろうが,私を警戒することもなく早速についばんでいる。
 子どもの頃は,目白を捕獲し飼っていたものだ。「チー」と鳴くのと「チェチョー」と囀るのがあって,もちろん後者が珍重された。鳥かごは自分で作った。竹を割りひごをつくって,幅1Cmほどの薄い板に錐で穴をおけて・・・,直方体のかごを作った。捕獲用にはその一画を欠いて,鳥がその中にはいると蓋が出来るような仕掛けを作った。おとりには友人から借りた目白を入れ,誘いにミカンの輪切りと焼き芋を入れた。当然うまくいかないことの方が多く,残り物のミカンと芋をかじって,椿の密をすすりながら帰ったものだ。日本では禁猟となったが,数年前中国で愛玩用に多くの小鳥が販売されているのを目にした。

 庭の目白は苦難の時代を知るよしもない。
「チュルチュル」とも「シュルシュル」とも聞こえる妙な鳴き声を上げてそばの柿の枝で遊んでいる。 
  


島の畠-6

2008-02-19 16:51:37 | 島の生活
       島の畠-6
 2月に入って蕗畑の改造にかかった。近所のT君が「あんなところに石垣があったとは」と感心したように,随分高いところに石垣を築いている。雑木が茂って見えない部分も昔は畠があったと思われる段々が続いている。
 大正の初めに身罷った祖父は船を使った回送業をしていたようであるし,私が物心ついたときにその部分は既に山で,松茸を採りに行っていたから,随分昔に築いたものと思われる。
 石垣もあちこち猪に崩されているが,その下の部分はさらにひどい。畠であった頃の肩の部分は崩れてなだらかな斜面をなしている。その一部に蕗があるのだが・・・。早晩崩れるのは目に見えているから,道路に近いところから手入れをしている。ただし,昔の人のように石垣を積むわけにはいかないから,スレート板を利用して土止めをするといった作業作業に過ぎないのだが,私にとってしんどい作業を慰めてくれるのは小鳥たちだ。チーチーと鳴いているのは目白であるし,ほおじろらしき鳥は耕したあとの空き地で遊んでいる。
 昨年サツマイモを植えたあとには数十本も水仙が芽を出しているからそれらを移植し,と,つまらないことに時間を取られる。今シーズンの蕗の収穫は少なくなるが例年に期待しよう。
 
 山畑に 古きを偲び 野焼きする
 
  

石鹸とソープ

2008-02-08 16:56:40 | 私見
       石鹸とソープ
 随分前の話になるが,妻の父が風呂上がりに
 「目が痛い」という。
原因を探ってみると,どうも浴用洗剤で頭を洗ったらしいと分かって皆で笑ったことがある。
 ところが,近年このことは人ごとではなくなった。子どもたちが大きくなってからは,同じような容器に“ボデーソープ”とか,“シャンプー”,“ヘアーリンス”,“トリートメント”などと訳の分からないものが増えて,それらの違いがようやく分かり始めた頃には,これらの字が読みづらくなった。
私の見る限り,これらの商品には,メーカー名や商品名は誇らしげに大きく印字されているが,肝心の「名前」は小さく,しかも,英語で書かれている。さらに,洗剤のついた手で扱うから,その「名前」すら見えにくくなっている。
といって,その都度メガネを取りに行くのもしゃくだから,つい,適当に洗ってしまう。
 ちょっと前までは石鹸一つで済んだのに,便利になって不便になった。
高齢者でも自分で判断できるように,また,孫にも間違いなく取ってもらえるように,『せっけん』とか『りんす』とか,大きな字ではっきり印刷した商品は発売されないのだろうか?。
 
 同じようなことで毎日苦労するのが,「混合栓」。
例の赤と水色の印が付いて“湯”と“水”が混じり合って出るやつだ。見た目には美しいのかも分からないが,どちらに回すと熱いのか・冷たいのかいつも迷ってしまう。職場でも自宅でさえも,栓を中央にしてしばらく出して右左にちょろっとひねっては湯加減を見て使っている。good design とは『使い勝手の良いもの』だと思うのだが,何とか工夫してもらえないだろうか。

 ちなみに島では,石鹸と「りんす」だけ。
混合栓は,赤と水色の2つの蛇口をひねるものにしている。  

   

島の畠-5

2008-02-06 17:25:47 | 島の生活
       島の畠-5
 なかなか性根が入らないですね。
1回目,文章が完成し投稿。確認するが,どこにも・・・・無い!?
2回目,途中で間違いを発見し,Back Space と Del key を間違えて,“もとにもどす”つもりが“履歴 Key”を押してパー。
ATOK での文章作成では,“切り”“貼り”,特に“切る”と文章がパッと消えてしまうようで,コピーを確認しては消去,もとに戻す際は,“Ctrl+Z”を多用していたが,“もとに戻す Key”の存在を知り使い始めてこの有様。パソコンに触れ始めて20年たってもこの有様。ほんの一部分しか使ってこなかったのにまさに“生兵法は怪我のもと”デス。

 2月2日(土),山の畠に上ってびっくり。1月19~21日で雨天を除いて2日間,新品のチップソーが使えなくなるまで草木を切り倒したあとを,猪がすっかり掘り返している。(昨シーズンは3枚のチップソーをつるつるにして,大体の草木を除去して焼却。2度刈りが出来なかった部分には,赤芽カシワなど,もう直径1Cmほどの木に生長していた)
 どうも,老眼鏡が必要なまでに生育した猪は,
『じいさんの刈った草葉の下にはミミズがいるぞ。覆土して腐らせればいっぱい』
等ということを,経験的に学んでいるらしい。
 幸い小雨が降り出したので,シュレッダー用紙を焚き付けにして焼却することに。前年切り倒した木のほとんどは,風呂の薪として加工しておいたが,残りと“薫製用に使えるかも”,と囲っておいた梅・桃も焼却。
火の番をしながら振り返る。
12月8日は,久し振りにあの薪で風呂をたてたっけ。熾き(オキ:薪の燃えたあとの炭火)を火鉢に入れ,五徳に薬罐,ちろりでもらい物の酒の燗をつけ,落花生を焼いて肴にした誕生日だった。そういえば,風呂の釜(外釜)に水漏れがあるようだから新規に購入しなければならないかなあ・・・。
火の始末をして帰宅。

 夕食のおかずは魚。
最近はちょくちょく隣の集落の漁師さんが魚を売りに来てくれる。軽トラックで来てスピーカーで呼びかける魚に興味はわかないが,この魚は新鮮なような感じがする。今朝も出がけに「おはよう」と声をかけてくれたので聞くと,カレイにデンチョウガレイ(舌平目のような魚)という。前回イカがおいしかったので観ると,カレイがはねている。
食べ方を尋ねると,刺身でも煮魚でもという。たまたま半月前の新聞で魚(なめたがれい)の煮付け方の記事を読んでいたので試してみることで1尾500円で買うことに決定。甲いかがきれいであったので“残れば冷凍に”ということで2杯が500円しめて1000えんのところに,「これも食べんさい」といって,小振りのカレイを1尾つけてくれた。大きめのカレイは3/4を刺身に,イカはいつでも刺身になるように処理しておいた。
 恥ずかしい話だが,生まれて初めて煮魚を作った。
定職を退く前の1年,半単身赴任という形で,妻から味噌汁の作り方だけは教わって,それに肉じゃがなどを追加してきたのだったが・・・。酒で煮て,砂糖と醤油だけの味付けだったが, うまかった。

 前日の雨は夜間に雪に変わったようで,あさ見上げた山は白化粧。島での雪は珍しいことと従弟に初雪かと尋ねたら,1週間前にも降雪があったとのこと。どうも気候が落ち着かないようで,水仙も例年のようには咲かない。農業塾OB会の小麦も麦踏みが出来ない状態だという。それでいて,庭の小さい梅は満開となっている。 
 所用で江田島・能美島と巡回し,午後はタマネギの除草をし,遅まきながら追肥をして広島に帰宅。

 「一太郎でも何でも文章を書いておいて,ピッと切りとって,パッと貼ればよかろうに」と,職場の I 嬢がもどかしそうに忠告してくれるのだが,ピッと切れば何にも無くなってしまいそうで,つい,古い文をコピーしては書き直す作業をしている。従って,投稿日時が前後してしまっている。ようやく『現在日時をセット』を習ったので,今回からは時間のずれはなくなりそうです。