小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

鞆の浦と尾道の旅

2010-02-28 23:18:20 | 広島の生活
 鯛亭の鯛飯DX

 まずは鞆の浦
 27日午前9時半,10人全員揃ったところで2台の車に分乗し一路福山へ。
昨夜までの雨がまるでウソのようだ。私が参加する行事は大方天候に恵まれる。おまけに晴れ男ばかりだ。
 宿泊予定のホテルに車を置き,まずは腹ごしらえ。『鯛亭』のデラックス鯛飯。勿論ビールに燗酒付き。
誰かが言う。
この旅行は,食べ物と飲み物に気を遣う。そうだ。
 海上から左に鞆,右に仙酔島
 鞆の浦ではただいま“町並ひな祭り(3月18日まで)”を開催中。町家をのぞきながら港へ。海上から弁天島,仙酔島を一周する。東に岡山,東南に香川,南に愛媛の島々を望む。途中,平成いろは丸に遭遇する。
平成いろは丸
 1867年4月23日,坂本龍馬の乗船した“いろは丸(160㌧)”と紀州藩・明光丸が衝突。曳航される途中で沈没。潜水調査で1989年に発見され引き揚げられた物品はいろは丸展示館に飾られている。
 ところで3ヵ月前に進水したこの“平成いろは丸”,本物とは随分と姿形が異なり,まるでコンパネで造られたようで見るに堪えない。
 船尾に見える建物が今夜の宿泊ホテル。
対潮楼から
 対潮楼の窓越しに眺める島々は一幅の絵。手前の島が弁天島,背後に仙酔島が控える。
琴の演奏
 折良く,宮城道雄がこの地で作曲したとされる“春の海”が演奏される。口福に眼福,そして耳福が加わった。 
三猿
 ここには日光東照宮と同じく,木彫りの“三猿”が展示されている。いわれを聞くのを忘れていた。
常夜燈
 鞆の浦のシンボル常夜燈と雁木。右手の建物が,いろは丸展示館。次いで,これも鞆の浦名物・保命酒(ほうめいしゅ)本舗へ。止せばいいのに,早々と保命酒を買った買い物好きが何人かいて,重い重いと言いながら町の西端にある『阿藻(あもう)珍味』に。ここで“焼きちくわ”を体験し町の東端の宿舎に。
 「あっ,ここでも保命酒を売ってる!」
当たり前だ。広島の“もみじ饅頭”を売ってるくらいだもの。
 酔っぱらう前の記念撮影。今回は私以外は全員現役。頭髪の白黒は年齢に関係ない。
今回のメンバー

鞆へ

2010-02-26 22:52:14 | 広島の生活
 もう3月だ

 年度末を迎えて何かとせわしい。
27日(土),28日(日)は鞆への研修旅行。
1日は高等学校の卒業式だが,トマトハウスの整理と播種。
3日は,小さな仲間の打ち上げ,12日・仲間内の打ち上げと続く。

 明日からの1泊2日の旅行は前任校の仲間が誘ってくれたもので,毎年この時期に誘ってくれる。今月早々に案内状が届いた。
 学校の中でも,数学という教科は面白い教科で,会議をすれば最初から最後までわいわいがやがやと議論沸騰し,外から見れば喧嘩でもしているのじゃないかと疑われるほど賑やかだ。それでいて,腹の中には何もないから気は楽だ。平素も仲間内では。そのような場面が多い。まるでバカとアホの集合体のようで,特に前任校ではその様相が強かった。
だから,この私でも仲間として扱ってくれるのだろう。ありがたいことだ。

 行く先は,今回は近場の福山市・鞆の浦。
ここも,景観保護か生活主体かで賑やかな場所だ。
ともかく元気にいってきます。

日教組はどこへ

2010-02-25 23:47:52 | 私見
 

私が教員になった当時は,組合(日教組)に入ることは当然のように考えられていた。従って組合加入率100%という分会(高等学校)も多く,広島県内の組織率も10割に近かった。
 組合内部は主流派と呼ばれる当時の社会党支持者が2/3,共産党指示系統の反主流派が1/3で,定期大会の都度,政党支持について論議が交わされた。
 
 生活は,私の初任給が2万0710円。これから各種天引きはあっても,追加支給は一切無い。高校生向けに廊下に張られたH銀行の求人票には2万5000円の提示があって,できるものなら鞍替えしたいと思ったものだ。人事院勧告は無視されてきた。
 最初の統一行動(いわゆるスト)は,恐る恐る突入した29分から,後には当然の如く時間が延長された。“なれ”だった。
 内容も経済一本から,教頭法制化(※)反対,主任実働化反対=主任手当拠出等を含んだ。
主任手当積立金は,一時は奨学金にまわされることもあったが,相当な額が積み立てられてはずだ。
 教頭法制化に始まり,主任の明確な位置づけなど学校改革,さらに世紀末のいわゆる「日の丸,君が代問題」が組織率にも影響を与えたと思われる。 
 
※ 教頭法制化 
 戦後の教頭は,法令上の位置付けはなされていなかった。学校経営・管理で校長を助ける教頭法的地位の確立ため,'57年の学校教育法(学法)施行規則改正により,「教頭は教諭をもって充て,校長を助け,校務を整理する」旨の規定が新設された。しかし,「充てる」ことの明確がないために,職員団体の推薦が入るなどの介入がありえた。
 そこで,教諭とは別の独立した職として法律上明確に位置付け,その職務を明確にするため'74年学法の改正がなされた。

 春秋 《日経:'10.2.19)

 「子どもとケータイ」をめぐる悩みを打ち明ける先生もいれば,習熟度学習のコツを説くリポートもある。塾通いの是非、小学校英語の実践例,道徳の教え方……。日本教職員組合の教育研究全国集会に集まる報告はおそろしく多彩だ。
▼かつて何度も取材に足を運び,教壇に立つベテランがこうした現場ならではのテーマを論じ合うのを聞いてきた。なるほど日教組というのは労働組合のなかでも特異な存在で,誇り高きプロ集団の空気があると感じ入ったものだ。が,それはもちろん組織の一面にすぎない。政治色の強さでもまた特異ではあろう。
▼その傘下の北海道教職員組合は,わけても「戦闘的」らしい。ここの幹部から,民主党衆院議員の陣営に選挙資金が不正に渡った疑惑が深まっている。教組丸抱え選挙の暗部を見る思いだが,そもそも原資の1600万円はどんなカネなのか。陣営の担当者が頼み込むと,組合の事務所で現金がポンと出たという。
▼教研集会で授業改革を熱心に語り合っても,こんなことをしていては世の視線は一段と厳しくなるに違いない。組織率がどんどん落ち込んでいるのも身から出た錆(さび)だと言われよう。それにしてもこの手の問題は北海道だけなのか。一堂に会して議論するのが得意な組織だ。法と倫理研究の全国集会を開いてみては?


授業料無償化に思う

2010-02-24 23:49:28 | 私見
 

久し振りに朝日らしい論評を目にした。と言っては失礼だろうか。
幸い,朝日,毎日,日経,産経,中国の5紙に触れることができる。読売に目を通す機会に恵まれないのが残念だが,この5紙の中で“らしさ”が無くなったのが朝日だと感じ始めていた。しまりがない。天声人語も落ちた,と,私は思う。

 今回の記事は,高等学校の授業料無償化の問題だ。一般論でなく,朝鮮中・高級学校を排除するということについての社説だ。
北朝鮮(「朝鮮民主主義人民共和国」の呼称があの拉致事件の発覚以来一斉にこうなった)政府の言動は決して許されるものではない。だからといって,その感情が在日韓国・朝鮮人,ましてやその子供たちに向けられてはならない。何かあると,いじめや,通学中の生徒の制服が切られた,などの報道があるが,国会でもそのようなことがあるとは誠にお粗末だ。

 閣議決定されたものが「学校教育法にいう『学校』」なら話はわかる。そのかわり卑近な例では海上自衛隊第一術科学校なども除かれることになる。『学校』でない各種学校に学ぶ生徒は,『高卒』の資格を得るために通信制高等学校で並列の学習活動を余儀なくされている。
 以前は高体連からも排除され,「大検」で資格を取得しなければ大学にも進学できなかったが,今では門戸も開いてきている。
 支持率が落ちてきたからといって,思慮を欠いた人気取り発言は慎んでほしいものだ。



 高校無償化―朝鮮学校除外はおかしい《朝日・社説:'10.2.24》

 高校無償化法案の国会審議が始まるのを前に,中井洽・拉致担当相が,在日朝鮮人の子弟が通う朝鮮学校への支援はすべきでない,と川端達夫・文部科学相に要請した。
 北朝鮮は国際的な非難や制裁にもかかわらず核・ミサイル開発を進め,日本人拉致問題解決への協力も拒み続ける。その北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響下に朝鮮学校があることが,理由のようだ。
 北朝鮮という国家に日本が厳しい姿勢をとり,必要な外交圧力を加えるのは当然だ。しかしそれと,在日朝鮮人子弟の教育をめぐる問題を同一の線上でとらえていいのだろうか。

 全国各地にある朝鮮学校のうち,高校課程に相当する高級学校は,現在10校。2千人近くが学んでいる。
 朝鮮学校は日本の敗戦後,在日朝鮮人たちが,母国語を取り戻そうと各地で自発的に始めた学校が起源だ。1955年に結成された朝鮮総連のもとで北朝鮮の影響を強く受け,厳格な思想教育が強いられた時期もある。

 だが在日の世代交代が進む中,教育内容は大きく変わった。大半の授業は朝鮮語で行われるが,朝鮮史といった科目以外は,日本の学習指導要領に準じたカリキュラムが組まれている。
 北朝鮮の体制は支持しないが,民族の言葉や文化を大事にしたいとの思いで通わせる家庭も増えている。
 かつては全校の教室に金日成,金正日父子の肖像画があったが,親たちの要望で小・中課程の教室からは外されている。そうした流れは,これからも強まっていくだろう。

 学校の経営はどこも苦しい。自治体からの助成はあるが,国の支援はゼロ。年額40万円ほどの授業料に寄付も求められ、家庭の負担は重い。
 高校無償化は,すべての高校生らが安心して勉学に打ち込める社会にしよう,という政策だ。
 先月に閣議決定された法案は,国公私立の高校や高等専門学校に加え「高校課程に類する各種学校」を対象とする。ブラジル人学校や中華学校,朝鮮学校なども想定されていた。
 外国籍の子も含めて学ぶ権利を保障することは,民主党がめざす教育政策の基本でもある。朝鮮学校の除外は,こうした理念からはずれる。

 朝鮮学校に通う生徒も,いうまでもなく日本社会の一員である。
 川端文科相は昨日,無償化の対象を決める際に「外交上の配慮,教育の中身は判断材料にならない」と述べた。
 中井担当相は一度,川端文科相とともに朝鮮学校を視察してみてはどうだろう。
 そこで学んでいるのは,大学を目指したり,スポーツに汗を流したり,将来を悩んだりする,日本の学校と変わらない若者たちのはずである。

寺島しのぶさん受賞,藤田まことさん逝く

2010-02-23 23:15:44 | 私見
 受賞会見(ウエブ)
 

誰に似ているんだろうと首をかしげて,そうか,藤純子だ。
寺島しのぶさん,世界3大映画祭の一つ,ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞。左幸子さん,田中絹代さんに次いで35年ぶりの受賞とか,おめでとう。
この人の結婚報告会見の会話が良い。フランス人のアートディレクター,ローラン・グナシアさんが,一緒に遊んだ千葉の海岸で砂に「僕の奥さんになってくれませんか」と書いて,即座に「oui(ウィー=はい)って答えたとか。
 
 藤田まことさん,17日亡くなられた。どんどん顔が良くなったね。あまりテレビを見ないが,「はぐれ刑事」に出会ったときは鑑賞させてもらった「。必殺仕事人」もよかった。「剣客商売」は見はぐれたが,機会があれば鑑賞したいものだ。'02年,紫綬褒章を受章された。

 役者・プロの魂 《産経抄:'10.2.23》

 俳優の三国連太郎さんは,舞台の台本は600回,映画でも200回読むという。「キザな言い方をしますと,作者の菌に冒されなくちゃいかんということですかね。頭だけの感染じゃなくて,五体すべてに感染していかないと,やっぱり違うんじゃないかな」。演出家の渡辺えりさんとの対談で,その理由を語っている。
▼台本に対する名優のひたむきな姿勢には,思わず居住まいを正してしまう。ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶさん(37)にも,同じような役者魂を感じる。受賞作『キャタピラー』の台本を受け取った際,「体中に電気が走った。これをやらないと絶対いけないと思った」という。
▼歌舞伎俳優、尾上菊五郎さんと,スター女優,富司純子さんの長女である。そんな「名門」の血にあらがうかのような体当たり演技で,これまでも数々の女優賞を獲得してきた。何より役に対する執着心には敬服する。
▼映画初主演作となった『赤目四十八瀧心中未遂』は,自ら原作者の車谷長吉さんに「映画になるときは私がやりたい」と手紙で売り込んだ。入れ墨を背負ったヒロインには,全裸のシーンもある。「やるなら勘当する」との母,富司さんの反対を押し切ってつかんだ役が,飛躍のきっかけとなった。
▼フランス人のご主人とは,英語で会話するそうだ。今後は海外からの出演依頼も増えるかもしれない。先日亡くなった藤田まことさんとも『剣客商売』で,藤田さん演じる小兵衛の息子の妻,三冬役で共演していた。
▼藤田さんは20代のころ,『スチャラカ社員』で共演した富司さんにあこがれ,ラブレターを書いたものの出せなかったと,著書で告白している。“娘”の快挙を知らせたかった。
 '08年,必殺仕事人記者会見(ウエブ)


侘び助が咲き始めた

2010-02-22 22:22:39 | 広島の生活

 母親はおとなしく静かに
 1月末に子どもは早々と島で花をつけた(1月31日)。しかも,高々と空を向いて,紅,白,桃(紅白のまだら)と3種。
 ゆっくりとつぼみを膨らませていた親は,今朝見ると,しとやかに下向きに白い花を咲かせている。

 仕事をやめた年は,3月末,私の帰りを待っていてくれたかのように,雪の中で多くの鼻を開き,数日間のうちに静かに花を落とした。

 昨日も通りがかりの人と山の畠で話をしたが,どこも水仙の花は少ないという。
やはり気候が変なのかな。枇杷の剪定,・・・といっても,風通しと日当たりの良いように太い幹を切除したのだが・・・,その作業ではすでに豆粒大に実が生長していた。あと4ヵ月もすれば熟すはずだがと感じながら切ったものだったが。
 幹と枝は,イノシシの通行の邪魔に夏用に有効に使わせてもらおう。

 カーリングのロシア戦,6:0とリードされて床に就いたが,朝のニュースでは逆転勝ち,対イノシシ戦も最後にはこちら側に軍配があがるようやるっきゃない。
 さて今日は平成22年2月22日,時当に,22時22分。

シシの挑戦糞

2010-02-21 22:13:01 | 島の生活
 梅越しに向かいの山を見る
 梅は咲いたが・・・
 金曜日,職場に電話で早く帰るようにとのこと,珍しいことだと聞いてみると孫がきたからおでんをつくったという。
久し振りでおいしく飲んだ。
土曜日,買い物のお使いをして島に帰った。

 残り物を持って帰ったから,帰りの買い物はウイスキーだけ。
外で仕事をしていたら,従弟のかみさんが食べ物を持ってきてくれた。仕事をやめてあたたかいうちに食べよという。酸っぱい八朔のお礼ということらしいが,帰って迷惑を掛けた。ただし,ボトルが半分になってしまった。

 心残りであった梅の剪定に出かけた。
どうもイノシシが侵入したようで,柵をチェックしたがどう見ても侵入経路がわからない。随分賢くなったようだ。
梅は,紅は満開だが白は3分といったところか。脚立を立てかけようとしたら,何とも無粋なモノが落ちている。まだ新鮮なイノシシの糞だ。調べると,梅の周辺にいっぱいある。まさか,花見としゃれ込んだわけでもあるまいが,私が剪定に来るのを予期しての行動のようにも思える。
落語に,空き巣が余裕を見せて脱糞して退散するという話があるが,島爺も侮られたものだ。 一部の枇杷の剪定をして,依頼された水仙を掘り取って今日の作業を終えた。

 帰宅したが,スーパーの抽選に当たったとかで,足立美術館に行ったかみさんはまだ帰ってなかった。留守の間に,枚方の二従妹が訪ねてくれたようだった。申し訳ない。 
 携帯と・・・

苦悩するトヨタ

2010-02-20 07:05:56 | 私見
 遅きに失した社長の公聴会出席決断
 

'06年版ベスト・エッセイ集『カマキリの雪予想』を読んでいて,作家・小関智宏さんの文章「錯覚しちゃうからね」を読んだ。
 彼の文章を引用すると,
 

戦後間もない町工場で旋盤工になって,五十年余り鉄を削り続けた。最初はベルト掛けの旧式な旋盤を使い,後半生はコンピュータ制御の旋盤で鉄を削った。鉄を削るバイトを鍛冶場で火造り,焼き入れをして研ぐことができなければ一人前の職人とはいえないのが,かっての旋盤工であった。
 コンピュータ制御の旋盤の時代に入ると,バイトはカートリッジ式の使い捨てで,刃物を火造ることも研ぐこともない。機械はすべてコンピュータ制御されて動く。
 1970年代後半から機械技術の進歩は,すさまじいものがあった。旋盤工の工はたくみを意味しているが,いまコンピュータ制御の旋盤の前で働く人の多くは,旋盤工とは呼べない。旋盤要員にすぎない。要員はたくみを意味しない。ことばは悪いが,使い捨て可能な,いつでもほかの人に取り普えることが可能な人員にすぎない。・・・
 1990年代に入って,中国その他の新興工業国の台頭によって,日本の産業は転換期に入る。多品種少量でも他国に真似のできないようなすぐれたものをつくらなければ生き残れない時代になった。新しい機械にだけ頼って,工を育てることを怠った多くの町工場は廃業を余儀なくされた。

 このところわたしは,町工場の集積地として知られる地元の大田区と東大阪市のいくつかの,いまも元気にがんばっている町工場をたずね歩いた。ある程度予測できたことではあるが,そのほとんどの町工場には、新しいコンピュータ制御の工作機械と,汎用機と呼ばれる旧式の機械が同居していた。東大阪のある町工場は,アメリカの航空機や超精密な工作機械部品をつくるために,三次元CADを導入し,最新鋭の工作機械を揃えている現場であるが,同時にスイス製や国産のかつての名機がいまも現役で活躍していた。
 そこの工場主(おやじ)さんがわたしに言った。
「若い人にはこういう機械で鉄を削る手ごたえを憶えさせて,それからあっちの機械を使ってもらわないとね。いきなりコンピュータでやらせたら“削り”を知らないでも,モノができるって錯覚しちゃうからね」
 戦後しばらくの町工場にとっては垂涎の的であったとはいえ,今では博物館ゆきも不思議でないほど古い機械が,若い工を育てている姿がそこにはあった。錯覚しちゃうからね,という工場主さんの言葉が印象に残っている。(「室内」十月号)



 

長くなったが,引用の仕方に間違いがあればお許し願いたい。
 トヨタが風邪をひけば,日本の多くの企業も風邪をひく。トヨタは,そのように日本を代表する企業のはずだ。それが,アクセルペダルの不具合に始まって,最新鋭車プリウス(私の子どもも愛用している),近くは量販車カローラの不具合も伝えられている。
 それらへの対応が遅れただけではなく,先般の「品質保証担当常務役員」は,「それは運転手の感覚の問題であり,安全性に大きな問題はない」とした。
 ブーイングを受けて社長の登壇となったが,「顧客大切」を前面に出しながら,対応は不十分であったと私は感じている。その一つの表れが,米議会の公聴会には米現地法人社長が出席するから社長の出席は必要でない,という趣旨の発言であった。
 米下院監視・政府改革委員会の『招致』を受けて,ようやく『喜んで出席』されるそうだ。,今までの対応を見る限り,人の命を預かり日本を代表する企業ののトップとして,少なくとも『危機の「現地」』である米国に率先して飛んで,説明責任を果たすべきではなかったろうか。

 小関智宏さんの文を引用したのは,私たちの生活は,このような先人たちの創意・工夫と努力によって形成されたと考えるからだ。自動車産業も電機産業も,ほとんどすべての産業がこうして発展してきた。小手先の対応では,信頼は得られない。
 自動車の世界は,ガソリンエンジンからハイブリッドなどへ,そして異種企業の参入もある電気自動車などの時代に移ろうとしている。
そうした時代の変化を見据えた対応を望みたい。


八朔とミカン

2010-02-19 00:19:32 | 孫たち

 酸っぱいのは苦手?
 爺の送ったミカンと八朔を嬉しそうに持ってはいるが・・・。
娘の便りによると,八朔は酸っぱくて苦手らしい。
 蜜柑は酸っぱくても2ヵ月ばかり寝かせてあったから子どもの口にも合うはず。
八朔は,まだ1ヵ月も経っていないから酸っぱいか?。摘果もせず放っていたから大小も様々,酸味甘みもない交ぜ。大人なら大丈夫だが,子どもには大きくて姿形が良く,斑点のはっきり出たものなら口にはいるかもしれない。
 マーマレードを作る手もあるが,果たしてどうだろう。

 あと2ヵ月もすれば夏みかんの収穫にはいるが,さて,・・・。

まさかの忘れ物

2010-02-18 22:42:05 | 広島の生活
 インクのないプリンター=電源のないパソコン
 今日はパソコン教室。
1月は去ぬる,2月は逃げる,等というが年度末を控え時間の経つのが実に早い。
昨日も今日も冷え込みが厳しい。早々に仕事を済ませて着替えをしてパソコン教室に,というところにかみさんから電話。
仕事で遅くなったから代わりに病院に行ってくれという。

 入院中の両親を見舞うのは,嫂とかみさん分担している。足の悪い母を迎えに行くのならまだしも,完全看護だから,と思うのだが,後悔しないようにということを考えれば泊めるわけにもいかない。

 遅れる旨電話はしておいたが,到着したときには開講前の雑談や白木圃場関係の打ち合わせも終わって授業が始まっていた。
さて,とカバンを開けたとたんに気付いた。電源コードが,ない。
バッテリーも古くなって20分持てればいい方だ。仕方がないからトークショーに加わった。

 7500円で手に入ったプリンターもインクが無くては作動しないから,空き時間に5560円を奮発したが,電源のないパソコンも重いばかりで始末に困る。
それにしても,今夜は優しい姉御が欠席で助かった。