ぐうたら亭主と働きものの女将
鉄板一枚で戦後を生き抜いた「お好み焼き屋のおばちゃん」こそ,
自立する女性の鑑・・・・。広島市安佐南区G二丁目で店を切り盛りする
傍ら,人材育成の市民大学に通うKさん(44)が「お好み焼き店経営と
女性の自立」と題した卒業論文をまとめた。「お好み焼きの技術を輸
出すれば第三世界の飢えを救い,女性の起業を後押しするのでは」と
国際貢献策まで盛り込んだユニークな論文の主を訪ねてみた。
[1993年(平成5年)9月13日(月曜日) 中国新聞(夕刊)]
夫は安月給のくせに呑兵衛のぐうたらで,子どもにミルクも買えない
と,結婚早々から,知人の紹介でミカサボールの手内職を始めた。
転居後は近くのカメラ店でパート勤務。
脳溢血で倒れた父と世話する母を少しでも助けることができたら,と,
この地に転居し,お好み焼き屋を開業した(1982年(昭和57年))。
儲けは無くとも,「ただいま」と帰る子どもを迎えてやることができ,
両親の手助けにもいくらかはなるであろうから,と。
一昨年,転倒して右手指を骨折し,休業から廃業となった。だが,
今も夕方はH大学食堂のパート勤務をしている。
彼女の店は,今はもう跡形もない。
朝夕磨いてきた,畳1枚大の鉄板も利用されること無く廃棄された。
彼女の働いてきた証は,この1枚の新聞記事だけになってしまった。
記事に取り上げられたロマンは,実現すること無く消えようとする。
だが,取り上げてくださった,中国新聞報道部・石丸賢記者に感謝。
唯一の,大きな勲章として貞節にしたい。
亭主?
相変わらず晩酌を欠かさず,島を行ったり来たり,ぐうたらしている。
鉄板一枚で戦後を生き抜いた「お好み焼き屋のおばちゃん」こそ,
自立する女性の鑑・・・・。広島市安佐南区G二丁目で店を切り盛りする
傍ら,人材育成の市民大学に通うKさん(44)が「お好み焼き店経営と
女性の自立」と題した卒業論文をまとめた。「お好み焼きの技術を輸
出すれば第三世界の飢えを救い,女性の起業を後押しするのでは」と
国際貢献策まで盛り込んだユニークな論文の主を訪ねてみた。
[1993年(平成5年)9月13日(月曜日) 中国新聞(夕刊)]
夫は安月給のくせに呑兵衛のぐうたらで,子どもにミルクも買えない
と,結婚早々から,知人の紹介でミカサボールの手内職を始めた。
転居後は近くのカメラ店でパート勤務。
脳溢血で倒れた父と世話する母を少しでも助けることができたら,と,
この地に転居し,お好み焼き屋を開業した(1982年(昭和57年))。
儲けは無くとも,「ただいま」と帰る子どもを迎えてやることができ,
両親の手助けにもいくらかはなるであろうから,と。
一昨年,転倒して右手指を骨折し,休業から廃業となった。だが,
今も夕方はH大学食堂のパート勤務をしている。
彼女の店は,今はもう跡形もない。
朝夕磨いてきた,畳1枚大の鉄板も利用されること無く廃棄された。
彼女の働いてきた証は,この1枚の新聞記事だけになってしまった。
記事に取り上げられたロマンは,実現すること無く消えようとする。
だが,取り上げてくださった,中国新聞報道部・石丸賢記者に感謝。
唯一の,大きな勲章として貞節にしたい。
亭主?
相変わらず晩酌を欠かさず,島を行ったり来たり,ぐうたらしている。