小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

孫になりたい-感謝

2010-02-05 18:30:09 | 農業塾OB会
 寒餅

 仕事中にかみさんからメールが届いた。
「大変おいしいお餅です。感謝」
とだけある。
久しく彼女から『ありがとう』,『感謝』という言葉を聞いてなかったが,少なくとも死語にはなってはなかったようだ。
それとも,それは私に対してだけで,他人に対しては使っていたのだろうか。

 メールの前に電話での問い合わせがあった。玄関脇にお餅とホウレン草が置いてあるがどなただろうか,というもの。とっさにHさんだろうと答えた。念のため,お餅の色と種類を聞いて間違いないことを確認した。
白木農園だよりにこの寒餅の記事があって,はしたなくも,こんな爺婆の孫になりたい,と書いたのが目に留まったらしい。

 孫と認知するなら,
「おいで,一緒に食べよう」
ということになるのだが,わざわざ届けてくださったと言うことは,
『さらさらそんな気持ちは持ち合わせていない』
という意思の表れだろう。

 ところでかみさんは,さっさとお餅をおなかに納めたものと見える。
最近は胃の具合が悪くて,などと言っていたが,胃の調子などはその時々によって何とでもなるものらしい。
 おまけに用を仰せつかった。
恥ずかしいから,家の周りをきれいにしておくように,と。
・・・だから贅肉がとれないのだ・・・

立春

2010-02-05 18:06:37 | 私見
 立春 《朝日・天声人語:'10.2.4》

 唱歌の「早春賦」にいささかの思い出がある。小学校の音楽の時間,女の先生が「今日から季節が変わって,この歌が歌えるのです」とオルガンを弾いて美しい声を聞かせてくれた。自分もお好きな曲だったのだろう。四十数年前の,おそらくは寒かった立春の日である。
▼♪春は名のみの・・・の歌詞は難しかったが旋律は心に残った。様々に歌われる曲だが,女性コーラスが一番ふさわしく思われる。独りのハミング,低唱も言い。知らず知らず口をついている。もしこの歌がなかったら,春待つ季節の唇は随分さみしいことだろう。
▼今日は立春。とはいえ名歌そのままの,名ばかりの節目である。強い寒気が流れ込み,日本海側は雪が降りしきる。太平洋側も冷たい風が鼻の先を抜けていく。それでもきょうを境に,冷え込みも「余寒」と呼ばれるようになる。
▼二十四節季をさらに分けた七十二候では,いまごろが「東風解凍(はるかぜこおりをとく)
」にあたる。中国唐代の大詩人,白居易にも一節がある。
 池に波紋ありて氷尽(こおりことごと)く開く
 今日知らず 誰か計会するを
 春風春水一時に来(きた)る
▼池の水が解けてさざ波が立つ。いったい誰が計らったのか,春風と春水が一緒に来るようにと--そんな意味だという。冬の中から約束を果たすようにやってくる春。自然の摂理へのおおらかな畏敬を詩人はうたう。
▼氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」ではなく「春になる」と答えたという話は,虚実はおいてほほえましい。早春賦の恩師ならマルをもらえるような気がする。春よ来い。

 

最近の《天声人語》何だかつまらない。久し振りに季節につながる記事を目にしたが,最後が締まらない。
 白居易の詩,原文を紹介してくれたらよかったのに。検索したが見つからない。
いいぐあいにY君がやってきたので頼むと,白文に直して次の通り。



 府西池   白居易
 
  柳無気力枝先動  柳 気力無くして 枝先ず動き
  池有波紋氷尽開  池 波紋有りて 氷尽(ことごと)く開く
  今日不知誰計会  今日知らず 誰か計会するを
  春風春水一時来  春風春水 一時に来る