10月の宗教だよりから
春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり
(道元禅師「本来面目」
いよいよ本格的な秋の訪れを感じる季節になりました。今月3日(土)は,旧暦の8月(葉月)15日ですので,「仲秋の名月」にあたります。日頃はほとんど気にもかけないお月様ですが,この日ばかりは,日本だけでなくアジア各地でも盛大なお月見が行われます。
わが国で農村部にも電灯が普及し始めたのは大正時代からです。照明の発達した現代では想像がつきませんが,100年以上前の人々は,漆黒の闇夜や,暗闇を照らす月明かりに,様々な想いをもっていました。
冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月
(『拾遺和歌集』巻第20 1342)
これは平安中期の女流歌人,和泉式部が20歳代の頃詠んだとされる和歌で,自由奔放に生きた彼女が,晩年仏教に帰依するきっかけとなったと伝えられる歌です。
親鸞と同じ年(1173年)に生まれ,法然・親鸞の流罪が許された翌1212年に『摧邪輪(ザイジャリン)』(一向専修宗選択集の中において邪を摧(クダ)く輪)三巻,翌々年の1213年に『摧邪輪荘厳記』一巻を著して法然の専修念仏を厳しく批判した旧仏教華厳宗の明恵(高弁)は,月に関する多くの名歌を残しています。昭和43年(1968年)に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が,授賞式の席上で行った「美しい日本の私」と題した記念講演の中で,「ただ感動をそのまま重ねた,無邪気な歌」と紹介したのが,次の和歌です。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
(『明恵上人歌集』152)
親鸞は関東で,20年間にわたる庶民への伝道をしましたが,室町時代の蓮如の影響で,浄土真宗は西日本を中心に拡大し,関東では他の宗派がひろまりました。東京湾アクアラインの南の木更津に,千葉県でも数少ない浄土真宗の證誠寺があります。関西から移り住んだ本願寺派の商人たちが江戸時代初期に造ったお寺です。法要の際,南房総各地から多くの人がお参りすると共に,対岸の江戸の本願寺(今の築地本願寺)からも雅楽を演奏する人がやってきて、
とても賑わっていたそうです。真言宗のお寺が多い木更津の人々には,この情景がとても珍しく映り,やがて「タヌキ囃伝説」が生まれました。これを題材として,野口雨情の詩に中山晋平が作曲して「証城寺の狸囃子」の童謡が大正時代末期に生まれました。