小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

秋は月

2009-09-30 18:38:17 | 広島の生活

 10月の宗教だよりから


春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり

                      (道元禅師「本来面目」
 いよいよ本格的な秋の訪れを感じる季節になりました。今月3日(土)は,旧暦の8月(葉月)15日ですので,「仲秋の名月」にあたります。日頃はほとんど気にもかけないお月様ですが,この日ばかりは,日本だけでなくアジア各地でも盛大なお月見が行われます。
 わが国で農村部にも電灯が普及し始めたのは大正時代からです。照明の発達した現代では想像がつきませんが,100年以上前の人々は,漆黒の闇夜や,暗闇を照らす月明かりに,様々な想いをもっていました。
 冥きより 冥き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月
                        (『拾遺和歌集』巻第20 1342)
 これは平安中期の女流歌人,和泉式部が20歳代の頃詠んだとされる和歌で,自由奔放に生きた彼女が,晩年仏教に帰依するきっかけとなったと伝えられる歌です。

 親鸞と同じ年(1173年)に生まれ,法然・親鸞の流罪が許された翌1212年に『摧邪輪(ザイジャリン)』(一向専修宗選択集の中において邪を摧(クダ)く輪)三巻,翌々年の1213年に『摧邪輪荘厳記』一巻を著して法然の専修念仏を厳しく批判した旧仏教華厳宗の明恵(高弁)は,月に関する多くの名歌を残しています。昭和43年(1968年)に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が,授賞式の席上で行った「美しい日本の私」と題した記念講演の中で,「ただ感動をそのまま重ねた,無邪気な歌」と紹介したのが,次の和歌です。
 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
                          (『明恵上人歌集』152)
親鸞は関東で,20年間にわたる庶民への伝道をしましたが,室町時代の蓮如の影響で,浄土真宗は西日本を中心に拡大し,関東では他の宗派がひろまりました。東京湾アクアラインの南の木更津に,千葉県でも数少ない浄土真宗の證誠寺があります。関西から移り住んだ本願寺派の商人たちが江戸時代初期に造ったお寺です。法要の際,南房総各地から多くの人がお参りすると共に,対岸の江戸の本願寺(今の築地本願寺)からも雅楽を演奏する人がやってきて、  
とても賑わっていたそうです。真言宗のお寺が多い木更津の人々には,この情景がとても珍しく映り,やがて「タヌキ囃伝説」が生まれました。これを題材として,野口雨情の詩に中山晋平が作曲して「証城寺の狸囃子」の童謡が大正時代末期に生まれました。


秋・トマトも色付いて

2009-09-30 18:36:31 | 広島の生活
 広島市観光に安くて便利なバスを

 昨日,一昨日と何だか忙しくて新聞にゆっくり目を通す時間もなかった。身体もけだるく,昨夜かみさんが血圧を測ってくれたら,55~101と出た。暑さと湿気の多さに少しまいったかもしれない。

 28日はトマトの作業日で,一部に生育の未熟なものがあるとはいえ順調に育っている。わき芽も前回摘み忘れたのではないかと思えるほどに成長し,千果,アイコともに色付いたものもみられる。あと少しで味見できそうだ。三瀧グループは昨日味見をしたとか。おいしく食べたそうだ。空宙トマト栽培 農業塾OB会白木農園

 今日の新聞に楽しそうなニュース(朝日)
 広島市ぐるり100円ループバス発車へ

 広島市は10月3日から12月23日までの土・日曜と祝日,平和大通りなど路面電車のないルートに都心部を一巡する「100円ループバス」の試験運行をするという。JR広島駅を起点に,市内の主要な停留所(9~10カ所)を回る1周約8Kmを午前10時から午後8時頃まで20分間隔で走らせるという(所要時間35分)。
 車内では,300円で乗り放題となるループバスの1日乗車券の販売もあり,ひろしま美術館や広島城など沿線5カ所の施設の入場料が割引になったり,記念品がもらえるという。
 秋分から1週間,北海道では霜もおり戦場ヶ原では初氷も張ったというのに,なかなか清涼とはいかない。
 ビールを片手にのんびりバスで走ってみるのも楽しそうだ。

 
 

38年目の結婚記念日

2009-09-28 19:49:23 | 広島の生活
よくもったものだ

 「どっちと結婚するん?。きれいな方?。どうなん?」
と問われて,まあそのうち分かるよ,と言ったが,彼らの言葉の意味は恐らく派手な顔つきの妹の方。
 今日,9月28日は二人の結婚記念日。あれから38年たった。
気の短い男と,気の強い女が一緒になって,よくもったものだとお互いが感心している。
 
 結婚後15年目までは,『○○婚』と名前がついているが,その後は5年おきになっている。子どもでもできれば,後は何とかなるだろう,という発想かもしれない。都合のいいことに該当するものがないから,とりあえず鉢植えの花を買って帰った。
 この二人,まだ波乱はあるだろうが,ささやかな外食で乾杯するとしょう。


爺ちゃん,来たよ

2009-09-27 23:53:56 | 島の生活
孫の足跡なら許せるが・・・

 除草に出る従弟と立ち話。
「がんばるねえ」
「広島から帰ってやることを考えれば・・・」
彼はまたやられたらしい。通りすがりの人が,
「はあ,芋を植えなさんなや」
彼の耕作地に比べれば私のほうがちょっとだけましかなあ。ちょっとだけ自慢したくて,大開(山の畑)に寄ってみるかと誘ったが,たまには仕事をしないと,と言って作業に取り掛かった。
 草刈り機と例の豆テイラーを積んでいざ出発。今日の作業は刈り残した山際の草を刈って,枯れ草を柿と枇杷の木の下に敷いて,残りのラッキョウを植えて,時間の許す限り耕しておくか。イノシシの掘った穴にはまって転げなくて済むし,玉葱を植えればよかろう。

 先ずは,山の畑の道路で前日に先輩からいただいたネットをチェック。もつれを解いて,使えるように整理。 
 『獲らぬ狸の』とはこのことか,と納得。まず目についたのは柿の根元の荒れよう。刈り敷いた草がひっくり返っている。ワケギとラッキョウを植えた畑には,しっかりとイノシシの足跡が残っている(写真で紹介する気にもなれない)。幸いに,と言っては悪いが中農さんのように掘り返されていないだけマシか。植えた直後で雨が無かったのが幸いしたのだろう。もちろん栗は食べられている。
「あんたの仕事には穴があるよ。爺ちゃん,挨拶に来たよ」
という感じだ。
 早速防御柵をチェック。先日修理した波板周辺は異常なし。斜面に何者かが滑り降りたような跡の上部は?,しっかりとネットがめくられている。
 この軍団は確かな斥候部隊を擁しているようだ。防御柵の弱点をしっかりチェックしている。石垣の部分は別として,斜面には凹凸があるから木の根や倒木で補強しただけでは無理のようだ。鋼管パイプを運んで補強する。

 作業は昼食まなでには終わるかとがんばったが突然の驟雨で中止。それが3時。1本だけビールを飲んで遅い昼食。
 小雨の中で作業を再開。侵入ったら分かるように栗の木の下を掃除して帰宅したのが7時過ぎ。結局予定した作業は何もできなかったが,ふしぎと腹は立たない。
「今度はどこから侵入る?。まだ挑戦するか?」
と言う気分だ。打たれ強くなったのかもしれない。
どうも,無理をしてでもこういう遊び心を持たないとやっていけないような気がしてきた。


敬老プレゼントは・・・

2009-09-26 14:18:17 | 孫たち

 
 敬老の日のプレゼント


まだ若いと言う証か

 昨夜食事をしていたら母子で訪ねてきた。「おじいちゃんこれ」と言って,「敬老の日おめでとうございますでしょう?。それに,良かったら来て下さいでしょうが」などと口やかましく諭されながら孫が渡してくれたのが2枚の紙。
 B$の大きい養子には『おじいちゃん おばあちゃん いつまでもおげんきでね』と印刷されたものに弟が絵を描いてくれている。中央のが私らしく,それを,かあさん,とうさん,おばあちゃん、とどういうわけか3個のマメが取り囲んでいる。
 もう1枚は,今日の保育園のうんどうかいのプログラムに兄が絵を書き足している。

 敬老の日の前日には,しばらく足が遠のいている近くの寿司屋さんから果物が届いた。家内の母の分も含めて『みなさんで』ということらしかった。以外,どこからも何の音沙汰も無かったから,これが今年の最初で最後のプレゼントということになろうか。ありがたく頂戴した。
 ただし「真ん中のおじいちゃんのカゲが少し薄い」のが気になったのだが・・・。『すでに消えかかっている』ととらずに『今からおじいちゃんになる』と解釈することにした。どこからも便りがないということは,感謝されるようなこともしていないが,血の気だけは多いから『爺』には程遠い,ということにしないと腹の虫が騒ぐ。

 ところで,『暑さ寒さも』というが,今年は秋分を過ぎても30℃の暑さが続いている。今日のうんどうかいも暑かった。開始1時間半で熱中症になったのであろうかひとりの老人(外見は私より若い?)が救急車で運び出されるという事態が発生した。その後も競技は続けられたのだが・・・。
 若い家族は,5~6人は座れるような場所に,ビデオだカメラだ水筒などを並べて二人がどっかりと腰を据えている。陽の当たるところに立って観戦している年寄りは目に入らないようだ。(いや,見ないようにしているのかな)。まあたいしたものだ。
 
 行儀よくこうした行事に参加するのも結構疲れるもので,島に帰るのは陽が落ちてからに決めた。



彼岸前後

2009-09-26 00:00:58 | 農業塾OB会
こんなイノシシ殺してしまえ!

 9月22日夜,形態の電源が切れそうなので隣の集落にあるHCに充電器を買いに行った(こんなことにも,カバンを落とした後遺症が残る)。その帰りの山道で子イノシシ1頭に遭遇。彼岸の中日さんを控えて普通なら見過ごすところだが,最近は散々痛い目にあっている。バチあたりかなと思いつつも「コノヤロウ」とばかりに追いかけたが,その逃げ足の速いこと早いこと。軽トラックの左前部にかすかに〈コン〉と当たる音がしたがしっかり逃げられた。

・その仕返しを親がやったわけではあるまいが,翌朝は山の畑全面にイノシシのチェックが這入りしっかりと栗を食べられていた。
 広島に帰りブログ:『白木農園だより;くそぉ~3』を開けると市街地での害獣の被害が報告されている。この投稿者・中農さんは真摯だから,島育ちの私のような汚い言葉は使わないのだが,よほど頭にきたものと見える。
 振り返れば当然のことで,私の場合は帰っても週一度ということを理由にいい加減な作業しかしていないが,この方はご夫婦で夜間も草取りに励んでいらっしゃるような様子で,他も畑もピッカピカ。野菜の姿は「気をつけ!,前にならえ!」などと,毎朝朝礼をしているのじゃないかと思えるほど規則正しく並んでいる。
 製品は,姿かたち味ともに申し分ない。

 役所は「基本的には自己防衛」という姿勢らしいが,近くに山林があるとはいえ,市街地では私が島でやるようないい加減なことはできない。電気柵が効果的と思うが,児童生徒の通学路があるからそれも難しい。県北では集落が協力して山すそに柵をめぐらして防御にあたった所もあるようだが,住民のほとんどすべてがサラリーマンではこれも無理な話。
 『地産地消』,『子供たちに安全でおいしい食べ物を』などのきれいな掛け声だけでなく,『退治』『防御』に行政の力を発揮してほしいものだ。


日経春秋・25%削減

2009-09-25 18:40:52 | 広島の生活

 民主党の「温室効果ガス削減目標25%(1990年比2020年目標)」主張が経済界に波紋を広げ,有料道路無料化はこの主張に逆行する,などの意見があるが・・・


日経・春秋

9月24日

 民俗学に大きな足跡を残した宮本常一氏は,対馬の村の寄り合いに驚いた。昼夜の別なく2日も議論が続いていた。何か決める時は「みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう」と,「忘れられた日本人」(岩波文庫)に書いている。
▼不満が残らないよう自由に発言させ,じっくり合意形成する。そういうムラの慣行に郷愁を感じているのは,温暖化ガス削減で高い目標を課されているのに反対する日本経団連かもしれない。鳩山由紀夫首相は国内で異論が続くなか,1990年を基準とした場合に日本は2020年までに25%減らすと国際公約した。
▼業界団体などを通じ政治家と経営者が結びついていたころなら,事前に調整して産業界がある程度納得する数字に落ち着いただろう。25%削減は持ちつ持たれつの「政」と「業」の関係が変わり始めた象徴にみえる。鳩山由紀夫首相は国際社会で存在感を出そうとし,宮本氏が描いたような長年の共同体の慣習を絶った。
▼意見の一致を待てば和を保てるが,結論は前例踏襲になりがち。かってトヨタ自動車が織機の次に始めた自動車事業も,イトーヨーカ堂のコンビニエンスストア事業も,社内が猛反対するなかで船出した。25%削減は簡単ではないが,異を唱えるだけでは企業内部の革新的な意見を生かす力を失う。それが心配だ。


 自分の学習メモ用にとコピーすれば散逸したりゴミになってしまう。アクセスして下さった方には目障りかもしれないと思いつつ,ここに残すことにした。


日経コラム・大機小機

2009-09-25 17:37:48 | 広島の生活

経済メモ-1


企業と政治の新しい関係築け

9月25日・日経【大機小機】
 ちょうど10年前,企業の経営者に,首相にしたい政治家についてのアンケートをしたことがある。ビジョン,統率力,変革力,国際感覚,経済への理解と問題意識の5項目で評価,順位付けした。
 5位が2年後実際に首相になる自民党の小泉純一郎氏,4位は今月16日に首相の座を得た民主党の鳩山由紀夫氏。3,2位に自民の重鎮がきて,トップは当時,自由党党首だった小沢一郎氏だ。ビジョンと変革力の評価が高く,日本の国際競争力を高められる政治家としての期待も高かったことを憶えている。小沢氏はその後民主党に合流。今回の政権交代で幹事長に就いた。
 鳩山氏や小沢氏の今の経済界との距離感はまだ分からない。国民の暮らし改善が前面に出て,企業競争力向上への関心が薄いようにもみえる。「民主党には成長戦略がない」との先の総選挙での批判もその点が影響したのだろう。
 だが海外にモノを売って稼ぐ輸出立国の日本にとり,企業の国際競争力低下がいかに国益をそぎ,経済運営のダメージとなるかは鳩山,小沢両氏も十分に理解しているはずだ。戦後日本の景気は,良しあしは別にして企業業績の浮沈とほぼ軌を一にしてきた。
 企業はどうか。「ずっと経済一流,政治三流と言われてきた。政治は認める。でも,経済が本当にそうだったのか,企業経営者の皆さんにはよく考えてほしい」。民主党で経済政策通といわれる中堅議員は,企業人との会合でこう奮起を促した。 ベルリンの壁が崩壊し資本主義経済が急速回転の拡大を始める1989年。日経平均は大納会の日に3万8915円の史上最高値をつけた。10年後,99年末の終値は半減の1万8934円。そのまた10年後の今年3月にはさらに6割減のバブル後最安値7054円まで落ち,現在も10年前比半減,20年前比4分の1の水準で推移している。
 政治・外交の力不足やマクロ経済の影響を差し引いても,市場が成長期待や資本効率,労働生産性などの面で日本株式会社を以前ほど高く評価しなくなったのは事実だ。
 グローバル化が進んだ今,国と企業の利害が一致するとは限らない。だが接点を探り,富や雇用を国内に最大限生む努力は必要だ。幹事長就任後,小沢氏は経済人との意見交換に積極姿勢を見せているという。企業と政治の新しい関係を築き,「共に成長」の青写真を描く時だ。(日経・三角記者)

 メモ《日経平均株価》
1989年末 38,915円
1999年末 18,934円
2009年3月  7,054円
昨24日  10,544円

 

カニでもあるまいに

2009-09-24 18:27:21 | 島の生活

ミニテイラーは前進ばかりじゃない

 23日,午前中の作業を早めに終えて昼食時に缶ビール2本で水分補給。
 山の畠は斜面が続く。耕耘機で等高線に沿って走ろうとしても,どうしても低い方に流されてしまう。山畑用に一回り小さい中古品を求めたが,軽くてもしばらく耕していない堅い場所では,機械任せではばんばん跳ねて下に流れる。機械相手に非力な私が腕力でねじ伏せようにも,なかなかうまくいかない。深耕用に前進を制御するバーを地中に埋めると,一定の場所を深耕してくれる。これ,使える。

 枇杷を植えている上下は土の斜面の畑であったとろ。其処でイノシシが運動会をしているから全体がなだらかな斜面になりつつある。このまま放置すれば大雨の時,土砂が下の道路まで流出する恐れがある。ミニ耕耘機のこの機能を使って畑の上手に溝切り。前進させないで掘っては横に移動しまた掘るという,彼にとっては邪道の動きをさせるわけだが,これ,結構使える。もう1台の耕耘機は,平坦にならす作業得意だが,変わった使い方もできるものだ。
 そうこうしていると,爺ちゃんの声。孫が来たようだ。

孫の墓参と栗拾い

 自宅近くの大型SCは駐車場も溢れんばかりの大盛況だそうだが,かみさんの店には来客も少なく,早々に閉めて墓参に帰ったという。娘家族も一緒。爺ちゃん栗は?,と言うので案内するが町の子どもにとって土の斜面を歩くのが難儀のようだ。家内は「草などを掴みながら上がりなさい」と言うが,除草しておいて良かった。ウルシを掴めばかぶれるし,カヤを掴めば手を切る。
 掃除をしておいたのも正解。木に残っているものも頃合いをみて箒で落とすと,下の方まで転がるのを結構楽しんでいる。

 家族を墓所に送り出してこちらは残った作業。OB会の先輩にいただいていたワケギを植え付ける。私はネギ類を食べるときの,あのヌルッとした感触が嫌でいただいたワケギもたらい回し。今回初めての挑戦となる。
 耕しながらの植え付けでなかなか進まないが,ラッキョウを500粒(球?)植え付けたところで夕闇迫り作業を終了。残ったラッキョウは次回,というところにまた孫の声。爺ちゃん先に帰るよ。既に帰ったものとばかり思っていたが,母子で掃除もしてくれたようだ。
 墓は墓地の一段と高いところにある。夏に家内と一緒におまいりした小さい孫は途中で,「おばあちゃん,ここらのお墓に参って帰ろう」と言っていたそうだが,今回最後までお参りしたかどうか聞き忘れた。


シシもサルもの

2009-09-24 17:02:45 | 島の生活

長い戦いになりそうだ

 21日(敬老の日),トマトの作業を終えて島に帰る。後に家内から「墓参に帰る。母を倉橋の“桂が浜温泉”にいれてやりたい」と電話が入った。明るい内に着けばいいがと案じていると案の定「呉市大和ミュージアム付近は大混雑。遅くなりそうだから“大和の湯”で済ませてUターンする」という。私も仏前にはお花のお供えも済ませていたが,墓石にはまだであったので断りを伝えておいた。

 22日は草刈り機で除草(換え刃はこれで5枚目かな?)。朝から小雨模様だったが,雨に躊躇していては何もできない。近くの人が「いい天気で」,傍の人が「雨が降って“いい天気”はなかろう」と言っていたが,本降りになった雨でさえ今時のの作業には心地いい。
 実は明け方に村の放送で「昨日家を出たまま帰らない老人がいる。手すきの人は捜索に協力を」との呼びかけがあったのだが,こちらも老人,足手まといになってはと遠慮させてもらった。その手前もあって頑張らなきゃ。
 幸い,本降りになる前にパトカーが帰っていたから安心した。島に帰るとこのような放送が年に1,2回はある。高齢化のもう一つの課題だ。
 栗の木の下方に食べ殻はいくらかあったが,まあ小動物がどこからか潜って入ったのだろうとタカをくくって,箒でイガなども取り除いてこの日の作業を終えた。

 山の畠周りの防獣ネットは,前回の道路脇に設置したことで完成した。と私は思っていた。従って23日は鼻歌交じりで山の畠に上った。だが,畑のあちこちにしっかりとイノシシの足跡が残っている。当然夜の間に落ちた栗も食害にあっている。どこから潜入したのだろうかとチェックして歩くと,前々回に設置した波板部分が写真のようにこじ開けられている。写真でははっきりしないが,下から体を突っ込んでトタン板を押し上げる形で侵入したようだ。
 彼らからすれば,「メメズばっかりじゃあ体に悪い,“天からの恵み~”等と鼻歌を歌いながら来たところが,爺が柵を張り巡らしている。「どうせあり合わせで作ったもんじゃから,どこかに弱点があるはず」と斥候を出して探らせたものと見える。そして,「独占禁止法違反だ,それそ~れ」などと気勢を挙げながら突進したものとみえる。
 柵の向こうは竹藪。切り倒した竹を並べて,とても人間には通れない,トタン板の上部は細いながらもワイヤーメッシュ。よくぞ通り抜けたものと感心する。こうなると怒りより切ない笑いとこっちも唄いたくなります。
「あなた~がその気でいるの~なら~,ヨイヨイ,爺もやりま~すどこま~でも」です。
 安心してラッキョウなどを植え付けるべく耕耘機をもって上がったが,予定を変更。急遽柵を補強し,刈り払った草も枇杷の木の下にしくべく運搬し,蒸し暑い中での午前中の作業を終える。
 さて,どこまで守りきれるか,知恵と力のある彼らとの戦いは長引きそうだ。