6月17日宮崎死刑囚の死刑執行を発表
20年前,幼女4人の連続誘拐殺人事件の宮崎死刑囚(45歳)ら3人が死刑執行されたという。宮崎死刑囚は判決決定後2年4ヶ月後。(6月17日法務省発表)
遺体を切り刻んだり,その一部を保護者に〈今田勇子〉名で送りつけるなどの非情で悲惨な事件であったし,その後模倣したと思われる犯罪が発生しただけに,各紙は一面で大きく取り上げ報道していた。更に中国新聞は社説で取り上げ,読売新聞は各国の死刑執行についての連載を掲載したが,死刑執行の是非について,はっきりと論評を加えたものは見あたらなかった。一紙を除いて。
「産経抄」抜粋。
「・・・。刑事訴訟法475条は,死刑が確定すれば,法相は再審請求が出ているときなどを除いて6ヶ月以内に刑の執行を命令しなければならない,と定めている。・・・。神ならぬ人間が人を裁き,死をもって罪を贖(あがな)わすのはいかがなものか。国家による殺人だ,という死刑廃止論者の理屈は一見,もっともにみえる。だが,凶悪犯の衣食住を保証し,国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義にかなうはずがない。・・・」
10年前には,(酒鬼薔薇聖斗となのる中3男子による)神戸連続児童殺傷事件や,その後大分での未成年者による幼児殺害事件の発生している。
これらの一連の事件には,単に,模倣犯(事件)と片付けることのできない「何か」があったと推察するのだがいかがであろうか。
死刑確定後,執行までの期間についてとやかく言う立場にないし,もちろんその力量もない。弁護団は“再審請求”を予定していたというが,その内容は不明であった。
全く普通の日常生活をしていた彼らが,突然にこのような事件を起こしたとは考えられない。神戸では,彼が関与したとも伺える「動物虐待・ネコの殺傷事件」があったと漏れ聞く。家庭で,学校で,あるいは地域社会で,事件の起こる前に何らかのサインがあったはずである。
個人情報云々というが,何が彼をしてそうさせたのか,どのようなサインがあったのかなかったのか,明らかにすることが,司法に関わる人たちの責務ではなかろうか。
そのことを私たちが共有し,家庭教育で,学校教育で,地域社会で生かして,二度と再び同様の悲惨な事件を起こさないようにすることが,私たちに与えられた課題ではなかろうか。
来年から裁判員制度が始まるという。殺人者数によって,あるいは当事者の精神的病理によって,簡単に,死刑・無期・有期の判断をしてはなるまい。
亡くなられた人たちの“いのち”が無に帰さないように,人の手によって命が奪われることのないように,じっくり考えてみたい。
20年前,幼女4人の連続誘拐殺人事件の宮崎死刑囚(45歳)ら3人が死刑執行されたという。宮崎死刑囚は判決決定後2年4ヶ月後。(6月17日法務省発表)
遺体を切り刻んだり,その一部を保護者に〈今田勇子〉名で送りつけるなどの非情で悲惨な事件であったし,その後模倣したと思われる犯罪が発生しただけに,各紙は一面で大きく取り上げ報道していた。更に中国新聞は社説で取り上げ,読売新聞は各国の死刑執行についての連載を掲載したが,死刑執行の是非について,はっきりと論評を加えたものは見あたらなかった。一紙を除いて。
「産経抄」抜粋。
「・・・。刑事訴訟法475条は,死刑が確定すれば,法相は再審請求が出ているときなどを除いて6ヶ月以内に刑の執行を命令しなければならない,と定めている。・・・。神ならぬ人間が人を裁き,死をもって罪を贖(あがな)わすのはいかがなものか。国家による殺人だ,という死刑廃止論者の理屈は一見,もっともにみえる。だが,凶悪犯の衣食住を保証し,国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義にかなうはずがない。・・・」
10年前には,(酒鬼薔薇聖斗となのる中3男子による)神戸連続児童殺傷事件や,その後大分での未成年者による幼児殺害事件の発生している。
これらの一連の事件には,単に,模倣犯(事件)と片付けることのできない「何か」があったと推察するのだがいかがであろうか。
死刑確定後,執行までの期間についてとやかく言う立場にないし,もちろんその力量もない。弁護団は“再審請求”を予定していたというが,その内容は不明であった。
全く普通の日常生活をしていた彼らが,突然にこのような事件を起こしたとは考えられない。神戸では,彼が関与したとも伺える「動物虐待・ネコの殺傷事件」があったと漏れ聞く。家庭で,学校で,あるいは地域社会で,事件の起こる前に何らかのサインがあったはずである。
個人情報云々というが,何が彼をしてそうさせたのか,どのようなサインがあったのかなかったのか,明らかにすることが,司法に関わる人たちの責務ではなかろうか。
そのことを私たちが共有し,家庭教育で,学校教育で,地域社会で生かして,二度と再び同様の悲惨な事件を起こさないようにすることが,私たちに与えられた課題ではなかろうか。
来年から裁判員制度が始まるという。殺人者数によって,あるいは当事者の精神的病理によって,簡単に,死刑・無期・有期の判断をしてはなるまい。
亡くなられた人たちの“いのち”が無に帰さないように,人の手によって命が奪われることのないように,じっくり考えてみたい。