小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

いのちについて思う

2008-07-23 18:21:52 | 私見
       あなたがぼけたら大変だろうね
 かみさんがそういう。元気であればあったで世話をするのが大変なのに,と。
だから,ぼけたら延命措置は要らないと遺書を書いておけ と言う。
(確かに,延命措置は不要だ。しかし,世話の仕方が悪かったら,ぼけたふりをして壁にうんちでもこすりつけてやるんだから・・・)

 (妻の)父が入院して20日になろうとしている。ここ数年ショートステイのお世話になっていたが,誤嚥が原因らしく,肺炎を患った。その少し前に,腰椎の圧迫骨折で寝たきりの状態が続いていた。90歳という高齢で,以前2度ばかり脳梗塞で倒れたこともあるし体力も弱っている。入院直後は,1時間先が保証できないと言われて心配したが,ようやく落ち着いてきた。食べ物を咀嚼し嚥下する力が失われているということで,延命のためには,胃に穴をあけて,食べ物を直接流入する手術が必要という。
 のむことと食べることが楽しみであった父親が,生涯,自分の口で食味を味わうことが出来なくなるであろうことに,誰もが心を痛め,一時は娘たちが錯乱状態にもなった。
 その間,私は最も親しくしてもらっていた従兄の哲二さんを送った。彼は,自分の病を置いて,生きている間にと,神戸に住む兄を見舞っている。周囲の誰もが兄の方が先だ,と思っていたのだったが。
 
 幸いなことに病状は落ち着いて,先ほどは看護師さんのお世話で車椅子に乗せられ,10分程度の院内散歩を楽しませていただいた。体力の回復を待って手術ということになるであろうが,出来ればもう一度,おいしいものを食べていただく機会が巡ってくることを願っている。

 島には1ヶ月帰っていない。事情が許せば帰宅して,何かあっても恥をかかない程度にはあれこれ整理をしておきたいと思っている。
かみさんは,私が先に逝くととが当然のこととしているようで,逝くならぽっくり,式はどこで?,誰に連絡を?,と聞いてくるが,なに,『人やさき,我やさき』,あんたの方が早いかもしれないよとひそかに思っている。
  


哲ちゃん

2008-07-11 20:37:35 | 私見
       ゆっくりおやすみなさい
 哲ちゃん,あなたを呼ぶのが今回で最後になるので,正しく『哲二さん』と呼びかけるべきなのですが,許してください。今朝,耕二さんからあなたの訃報を聞いたときには,ただただ驚くばかりでした。諸方に連絡し,こうして時間の経過とともに,わたしの心はあなたを喪った悲しみで一杯で,仕事が手につかないのです。なぜそんなに急いだのですか。もう少しゆっくりして欲しかった。

 昨秋,父の年回忌法要のとき,耕ちゃんと二人して,病身にもかかわらず自分で運転してお参りしてくださったよね。病床での父は,私が息子であることが定かでなかったのに,
「私が誰であるかわかるか。」というあなたの問いかけに,即座に,
「わかるよのう。哲ちゃんじゃろう」
父の心の中には,多くの甥姪の中で,またあなた9人の兄弟衆の中で,あなたが大きく存在していたことを知って,うらやましくもねたましくもありました。
父がそうであったように,13歳も年齢差のある年長のあなたを失礼を省みず,『哲ちゃん』『哲ちゃん』と呼ばせて貰っていました。兄弟のいない私にとってあなたはまさに兄でした。

「あのころにゃあ,言いたいことがあってもえっと(沢山)言えんかったぶんだけ,このごろは要らんこともよう言うようになってからに」
そういって笑っていましたが,校種こそ違え同じく教職にあったあなたが,土日もない・帰宅が深夜になること再々・仕事の悩みを妻にさえ伝えることのできない厳しい職場にあった私のことを,あなたがひそかに気遣い理解してくださっていたこと,ありがたかったです。あなたともっと近くにあったら,いろいろと教えていただくことがあったのにと,今更ながら残念です。

 あのときあなたが来てくださったおかげで,遠路帰ってくれた次男の妻となる人を紹介できて何より,二人に感謝です。
 結婚式に参列できなかったあなたに報告をと伺ったときには,あなたは術後の病室におられました。数枚の写真を,あなたは誰よりも喜んでくださった。そしてひとこと,
「奥さんを大事にしんさいよ。こんなあ(奥さん)が,こんなにいいものだとは気がつかなんだ」

 退院後の再会で,快気祝いと内祝いを受け取る受けとらないと言い合いながら,お互いに全く頑固がひどくなったと感じたものでした。そのような会話の中で,
「このばかが,何にも知らんのんじゃけえ,おまえはだまっとれえ」等の言葉は,素直でないあなたの一流の愛情表現と受け取りました。あなたの短かったぶんだけ,奥さんを守って助けてあげてください。あなたは,前の奥さんを亡くされた後1人で舅の世話を,そして今の奥さんと二人して最後まで世話をされました。私なら裸足で逃げ出すところを,これがあなたの本当の姿であると知っていますよ。

「なんぼ忙しいというても,土日は休みじゃろう?雨の日にゃあ,碁でも打たんかいのう。」
私の横着でとうとうかないませんでした。そう,あのとき,
「400本も玉ねぎを植えて,どうするんかいのう。商売するわけでもなかろうに」
あの玉ねぎは立派に育ちました。時間があったら食べていただこうと思っていましたのに。もう少し待ってください。かなわなかった囲碁ができるのを,『哲ちゃん』,再会を楽しみにしています。                                               合掌 
  


ノミのちんちん・じねんじょ収穫

2008-07-08 13:55:58 | 広島の生活
       貧作だったじゃがいも

帰宅早々,
おとうさん,またよく焼けてタコの八ちゃんみたい
今朝職場で,
・ まあよく焼けて,タコみたい
・ ひょっとして,二日酔い?
 (ン!,土曜日は雨のビアガーデンで元同僚と一杯飲み,二時半まで歌ったが・・・)

 土曜日が2週連続で雨だったこともあって,あれこれ気にはなるが島に帰っていない。枝豆にはあまり臭いを発しないカメムシがきていたし,ミョウガも収穫できるはずだし,あれ以降イモやカボチャはどうだろうか,トウモロコシ・里芋の追肥は?,それ以上に雑草が気になるがどうにも致し方ない。

 7日(月),七夕の日は好天気で,白木農園の大豆播種の準備作業に出発。朝一でジャガイモを収穫するつもりであったが,片道35Kmたっぷり一時間半近くかかって自分の作業に入れず。牛糞にまみれて熱くて長い一日が始まった。

 共同作業が終わって,いよいよ自分の持ち分のじゃがいもの収穫作業に入る。が,どうもよろしくない。汗にまみれてとりあえず近所の食堂で昼食とする。水を数杯がぶ飲み。店のかみさんが気の毒がって,トイレ横の洗面所は井戸水だから,水をかぶったらいかがか と,真新しいタオルを下さる。

 たっぷり休憩をとって午後の作業に入ろうとするときに,OB(といっても現役生)のKさんが到着。ウズラの卵みたいなのが一杯 の声。
 かみさんの掘ったAさんのジャガイモは粒揃いの立派なものばかりだったが,ウズラならまだいい方,当方のはまるでノミのちんちん,たまに大きいのがあれば,クリオネの頭にこぶが二つも三つも着いたようなものや,まるで自然薯。いびつな形が目につく。料理の皮むきが大変だ。作業を終わったとき,5時のサイレン。

 例の食堂でKさんと冷たいコーヒーを飲んで一服。
Kさんの畠にはモグラの穴があって,その被害も多少あった模様。
自分のイモのあの形の原因を,どなたかの教えを請うことにしよう。
それにしても,疲れた。 
  


『出羽守』とは?

2008-07-04 20:06:47 | 私見
       「出羽=では」でした

 “産経抄”で表現されていた「出羽守」の意味がわからず,ナタを振り上げたら,優しく次のコメントをいただきました。

「・・・ではと話を繋ぐ人を「出羽守」と云うのでは。欧米では・・・しています。自己の意見のない人」(Unknown (T/H)さん)

 他の部分に目がいって,「○○では」「△△では」の では出羽であることがわかりませんでした。振り上げてナタは下ろしようがありませんから,私の頭に拳で下ろすしかありません。

お詫びになるかどうか,6月30日の“産経抄”の全文を次に掲載します。
産経抄
 10日ほど前の小欄で,「出羽守」という言葉を使ったところ,どういう意味かと,読者の皆さんから問い合わせがあった。アメリカでは,などと主に欧米諸国を引き合いに出して,日本批判を展開する人のことをいう ▼エスカレーターを利用するとき,右側に立ち,左側を開けるという大阪の習慣は,昭和45(1970)年の大阪万博で始まったという説がある。欧米からの来訪者のために,ロンドンやニューヨークで見られる光景に倣おう。そんな「出羽守」的発想だったらしい ▼その後東京にも伝わったが,なぜか左側に立ち,右側を開ける逆の乗り方になった。ともかく,先を急ぐ人のために,片方のステップを開ける習慣は,マナーとして定着していった。それを守らない人をとがめる意見を,小紙でも見かけたことがある ▼25日付談話室に載った体験談で,徳永清さん(74)を怒鳴った若い男もそう信じていたに違いない。品川区に住む徳永さんは,左半身不全まひの障害のため,“東京ルール”に従うことができず,右手でベルトをつかんでいた。そのことを説明して,「急ぐなら階段を」と話すと,男は逃げるように去ったという ▼実はエスカレーターのメーカーも,「歩行は危険」の立場だ。作家の山口瞳が,かけこみ乗車についてこんな言葉を残している。「人生というものは短いものだ。あっという間に年月が過ぎ去ってしまう。しかし,同時に,どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。・・・それに第一,みっともないじゃないか」 ▼エスカレーターを駆け上がるのは,合理的習慣なのか,それともみっともないのか。出羽守に頼らず,日本独自のマナーづくりを考えるときではないか。

誤字・脱字はお許しあれ。
  


司馬遼太郎がないている?

2008-07-04 12:07:26 | 私見
       新聞記事に思う

 先日の「死刑執行に思う」で,6月18日の“産経抄”を取り上げた。この主張について是非はない。ただこの文章で,引っかかっていたというか,意味のわからない文章があった。最後に
『欧州連合(EU)では,死刑を廃止しているので日本も,という出羽守(でわのかみ)は,さっさと文明の都,パリあたりに移住されてはいかがか。』
というもの。
 出羽守の意味するところがわからず,周りに聞いてみたが,誰も知らなかった。

 6月30日の“産経抄”に次の文章が掲載された。
『10日ほど前の小欄で,「出羽守」という言葉を使ったところ,どういう意味かと,読者の皆さんから問い合わせがあった。アメリカでは,などと主に欧米諸国を引き合いに出して,日本批判を展開する人のことをいう。・・・』
以下「出羽守」の使用例についての文章であるため後略

 昔,国鉄のキセル乗車=無賃乗車(乗車券を買わずに出札券だけを買って利用すること)を,“薩摩守”といっていた。薩摩守忠度(ただのり)をもじったものと解釈している。“出羽守”についてもその語源を知りたかったわけで,読者の問い合わせもその件であったろうと思う。
 知らないことを恥とすべきかもわからないが,筆者にはその点を理解して欲しかったし,その解答を求めたかった。

 偉大な先輩記者・司馬遼太郎さんがご存命であったら,
「読者の気持ちを考えて文章を書きなさい」
といわれるだろうと思うのだがどうだろう。

ついでに,
本日(7月3日)の毎日新聞。4頁『記者の目』
見出しは“築地市場 都は移転だけ考えるな”
「老朽化などを理由とした江東区豊州地区への移転計画が,土壌や地下水から高濃度の有害物質が検出されて揺れている。・・・。事業費は1000億円規模にも及ぶという資産もある」に続いて,
「・・・計画そのものの是非が問われている。こうした議論は当然だが,ここでは違う観点から移転の妥当性を考えたい」
として文章が続く。

 移転賛成論かと文章を読んだが,
「都には豊州の土壌汚染にかけるのと同じエネルギーを,現在地立て替え」の検討にもむけてほしい」
と,結んでいる。

移転の妥当性を考える』と,『現在地立て替えの検討(移転は反対)』とは矛盾している,
移転の是非を考える』とするべきではないかと思うのだがどうだろうか?

 当該新聞社に聞いてみたが,明快な答は得られなかった。
どなたか,頭脳明晰な方の明快な回答をお願いしたい。