小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

島の畠-4

2007-01-30 19:45:36 | 農業塾OB会
       野焼き-2
 1月21日(日)に野焼きをして,消火作業は万全と確信していました。ところが.24日(水)に休みが取れたので畠に上がってみると・・・。くすぶっているんですね。犯人は,ウルシでした。米沢藩主・上杉鷹山でしたか,藩財政立て直しの一助にとウルシを植樹させたのは。今回切り倒したのは年輪を調べると十数年ものでしたが,直径が14~15Cm。成長も早いのですね。ほとんど焼けて根本の部分だけだったので安心していたのでしたが,油分が多いのでしようか。ブスブスと煙を上げていました。周辺に燃えるものがなかったとはいえ,今後は気をつけましょう。
 山の仕事で困るのは,もちろん私のぼけのせいなのですが,よくモノを無くすことです。10年前はメガネ。椎茸の原木にとブナを切り出していて,鋸屑が付着するのとうるさいのとではずして置いたのがそもそもの始まり。友人には,
「モノを探す時にメガネをかけるもので,メガネを外してめがねを探すアホはなかろうに」と笑われますが,出てきませんでしたよね。以来,剪定ハサミ,収穫ハサミなど数知れず。21日にも都道府県対抗男子駅伝を聞いていて,煩わしいからとイアホンをはずしてそのままどっかえ行ってしまった。(昨年は,カセットつきの高いsony製携帯ラジオが帰らなかった)。困ったものです。細々したものはコンテナに入れて運ぶようにしているのですが,今回も切り込みハサミが行方不明。ものを無くさない方法をどなたか教えてください。
 ところで,前記都道府県駅伝にはN.H.K.も後援者として入っていたはずでしたが,ラジオ放送はありませんでした。畑仕事ではラジオな何よりの友達。島の畠は南に向いているためか,広島の放送は入らず,愛媛の放送を聞くことになります。この日は山口の民間放送を探し当て駅伝を楽しみました。
 「いつでもどこでも安心ラジオ」とか何とかうまいことばっかり言って,少なくとも天気予報・交通情報など地元の放送が聴けるようにして欲しいものです。このことについては別の機会に譲りますが・・・。何とかしてください。


もちつき

2007-01-30 11:44:12 | 孫たち
       もちつき 
 1月27日(土)は塾OB会白木農園の恒例『もちつき』です。
30年前までは私も島の自宅で[だいがら]を使った餅つきをしていました。
子どもは小さかったから覚えてないかな?。
少なくとも盆・正月は両親と過ごすことにしていましたから,暮れは29日を除いて,
28日か30日に,叔母に手伝ってもらっての餅つきでした。

孫にも見せてやりたくて誘ったのですが,あいにく風邪をひいて,1人だけ参加。
どなたかのかわいいお孫さん(お嬢さん)も,楽しそうに餅をついていました。
 うちの孫(年齢を間違っていました。3歳と7ヶ月),小さいからと油断をしていたら,
ちゃんとばあさんにも母親にも報告していました。
「どう?楽しかった?」
「うん。こうやってペッタンペッタンと餅をついたの。」
ここまではいいのですが,
「おじいちゃんの木(杵の柄)が顔に当たって泣いた。」ことまで。
次回からは口止め料が要りそうです。
 私は楽しいばかりでしたが,世話役の方々は前日から餅米(会員の I さんの作品)をかしたり,
機材・器具の準備等ご苦労さまでした。
かき餅の型枠の工夫,パソコン教室で学んだ以上のラベルが大豆に添付されていたり。
大変でしたでしよう,ありがとうございました。
今年の年末は孫と一緒に餅つきをやろうかな,と,楽しみにしているところです。
 大豆といえば,白木農園で作った丹黒,おいしくて,家族から大好評でした。

 この日は良いことがもう一つ。帰宅すると息子夫婦が昼食に来ていました。
私は島に帰る予定でしたが,娘夫婦が慶事のお返しにパスタを食べに行こうという。
私は,朝食のパンでさえ
「そんな,・・・の喰うものが食えるか」などとうそぶいては一人でご飯とみそ汁を食べていた方ですから,
断ったのですが・・・・

 広島市西部の団地・古田台にあるこの店。
気に入った1:グラッパ
 清酒のかわりに『飲み応えのあるお酒』として勧められたのがこれ。
 さっぱりしておいしかった-
気に入った2:寒ブリのカルパッチョ
 和風にソースをかえてくれて,good!
気に入った3:魚介あつあつガーリック焼き
 イタリー風たこ焼き。
気に入った4:冬の花火
 近くの結婚式場で,night weddinng があったとき,打ち上げられるようだ。
 土日の大安吉日がおすすめか?夏には広島湾の花火大会見物に

幸せな一日でした。ありがとう  


島の畠-2

2007-01-22 13:15:43 | 島の生活
       野焼き 
 白木農園(自宅から北に35Km)での楽しい作業の次は,島の畠(自宅から南に65Km)の作業が待っています。
自宅での昼食休憩を挟むとはいえ,130Km余の軽トラでの移動はこたえます。
こういうときは軽作業をするに限ります。
今時ですから大きい声では言えませんが,切りとった木やツタなどの野焼きです。

 軽作業とは言ってもなかなか骨の折れる作業です。
狭い段々畑での作業で,火は風を呼び,すぐ近くに山や立ち木が控えていますから,
まず周辺を掃除し(飛び火するとどうにもならない),焼却すべきものを運び込み(ツタやイバラがあるとこれまた大変),
たきつけ(新聞紙等は燃え切らないうちに飛ぶからシュレッダーにかけた紙を利用)に点火。
くすぶっていても突然に炎が上がることがありますから少しずつ追加。
きれいに燃え切ると言うことはありませんから,燃え残ったものを分別し,火の気のあるものには土をかける。

 次回は,この部分の掘り起こしから作業が始まります。土中には大きな根っこが残っていますから,
管理機程度では手に負えません。山鍬を使っての作業になるでしょう。
 写真上は藪から現れた枇杷(植樹後70年以上)。近くの田圃の畦焼きでかろうじて助かった数本です。
自由奔放に育っていて,ここ数年カラスを養ってきましたが,フルーツ広島(JA広島果実連)二月号を参考に,
手入れをしてやりたいと思っています。 

 昨年,一昨年と剪定(?)した富有柿(これも植樹後70年以上で10本)は,
よくも枯れなかったものと感心していますが,いわゆる「あばれ」ています。
柿の新芽のうち何本かは枯れていますから,2月中には荒皮むきと,
慎重に『間引き』と『切り返し』をしなければならないでしょう。
と,分かったように言っても,知識として身に付いていませんから大変です。
 1月23日のS新聞に,ゆうゆうLife:第二の人生「帰農」が特集記事として載っていました。
一昨年の内閣府調査で「農村などに定住してみたい」と回答した人が都市に住む50代のうちの28.5%あったそうです。
ある程度手入れされた農地を引き継ぐ場合は指導者もいますが,そうでない場合は2~3年は自然と遊ぶつもりのゆとりがいるでしようね。


OB会白木農園-1

2007-01-20 14:42:29 | 孫たち
       麦踏み(2007年1月20日(土))
 大寒というのに雪もなく暖かい1日の始まり。(スタッドレスがもったいない)
今年初めての農作業の始まりです。
コーヒーを淹れて大急ぎで駆けつけると,すでに作業は始まっています。
『懐かしいなあ』の言葉がぴったりの作業です。
 「これくらいの広さ(1×2m位?)にね土をならして,こうして指で筋をつけて,
袋じゃあ沢山でたりするからダメだよ。お椀にタマネギの種を入れてこうやって蒔くの。そしてね,・・・・」
 作業の合間に手を休めて T さんが親切に教えてくれます。
「お茶にしまひょうか-」
 
<ahref="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/83/6a7944f7912fc525397fb0fbb390f639.jpg">
  「昨日のC新聞,Yさんがええ顔して取り上げてもろうちょったのう」
「言うた事とちっと違うんですがね」
「ええことよ。いろいろな人がいろんな場で取り上げてもろうて」
「部長もたまにゃあ見に来てくれりゃあええのに」
・・・・
Hさんの倉庫から運び込まれたテーブルで,これも会員持参のガスコンロで熱いお茶が入ります。
ふうふう言っていただきながら会話が弾みます。
 ほとんどの人が手を取って教えてくれる親や伯父・伯母を亡くしています。
塾とはひと味違ったこのような会話に多くを教えられ,心を癒されます。
そして,作業を観ながら農具の使い方も学びます。
 今年も元気の出る良い1年になりそうです。

《補追》蕎麦を蒔いておくと,竹の侵入が止まるというTさんの助言
   今年は早速試してみます。
 

独り言-003

2007-01-19 19:16:04 | 広島の生活
私:あっ!せっかく書き直したのに変わってない!
Y君:投稿したのに書き直されないのは接続していない?

 自動販売機までもがしゃべる時代に,せめて
「コードがつながれてないから,送信できません」
などと『助言』してくれてもよさそうなものだが・・・
一昔前は,文書量が多かったり,作表で罫線を多用すると突然に
ピタッと「フリーズ」。
泣き泣きやり直しということがよくありました。
メモリーを増やしても図形編集では気をつけたものですが,機能が
あがってついつい横着になっていました。
しかし高齢者社会を迎えます。ポロロ~ンの音だけでなく,
『ファンクションキーが違います』とか,
『終了する前に保存しましょう』
『インストールは,私の言うことに従って行ってください』
などと『しゃべる』パソコン(ソフト)を作ってくれれば売れる,
と思うのですが如何?

とにかく「私」の部分は泣き泣き書き直します。

独り言-002(13回忌)

2007-01-17 20:05:33 | 私見
       あれから12年

 阪神大震災から,この2007年1月17日で満12年。
どの新聞紙面も特集記事でいっぱいでした。私ごときが特にコメントすることもないのですが,
忘れられない,忘れてはならない震災でした。
 あの年,私にとっても転換期といえるいろいろなことがありました。

2月の修学旅行。
長野へのスキー修学旅行の予定でしたが,新幹線も在来線も復旧の目処立たず。
すでに出発していた学校の中には,山陰経由で1日がかりでバスで帰ってくる旅行団もありました。
実施するとしても400人を超える大所帯ですから,旅行内容,移動方法,宿舎を考えると自ずと制約されます。
私は,もう北海道しかない,と腹をくくっていました。
スキー・大山は無理。テーマパークは東京か九州,たぶん納得しないだろうなと考えていました。
密かに北海道の可能性について旅行者に折衝開始。
(実施するか否かを含めての)アンケート調査を実施する前には,北海道で可能であると返答が来ていました。
アンケート結果も予想通りでした。移動はもちろん飛行機。
離発着とも広島,岡山,宇部,高松,北九州の各空港を利用し,直行あり,羽田経由と多彩でした。
被災された皆様には申し訳ないのですが,早期の予測・決断が可能にした旅行でした。

 4月,私の人事異動
 このときから職を辞するまでの間少し厳しい勤務状態が続くことになります。
この異動によって午後から深夜までの勤務に形態が変わり,次の勤務地ではほとんど休みなし,
最後の勤務先では半分は単身赴任の形をとりましたから。
 2月7日の軽トラックの車検では,この2年間の走行距離が22.747Km。
退職する前5年間の走行距離が約95.000Kmでしたから,よく走ったものです。
(キリキリした痛みから鈍痛に変わった)苦痛に耐えかねて,紹介された県病院で
「はっきりとした潰瘍の跡が見えますね。見事な潰瘍も見えます」と診断されたのもあの頃でした。
元同僚のIさんが亡くなられたのもあのときでした。
 潰瘍について私は密かに入院加療を願っていたのに,
「今はいいお薬がでていますから,開腹手術をするよりよほど早く治癒しますよ。」
私が単純なせいもあるでしょうが,この一言で,胃がスッとしたのを覚えています。
お医者さんというのはすごいなあと感心したものです。

 当時,父が病院生活をしていたので,夫婦で夜見舞うことにしていたのですが,
深夜に及ぶ勤務となったために,たまに朝の短い時間に見舞う事になりました。
父は11月に旅立ちました。93歳の誕生日を迎えた直後のことでした。

 年を重ねるごとに時間の経過が早いように感じます。
「無理をしないように」とか身内からも言われますが,なに,
身体的な面は別にしてあのころに比べればグンとらくなものです。
JA農業塾OB会を始め,新しい多くの出会いもありますから。

 

独り言-001〈解体作業〉

2007-01-17 19:41:36 | 広島の生活
        家の周囲は生まれ変わる

 自宅前にあった鉄工所が郊外に移転し,12月当初より解体作業が始まった。
コンクリート壁などは削岩機で作業をするかと思いきや,大きなユンボーを3台も持ち込んで,
朝早くからバリバリ,ガタガタ,ドンドンとそのうるさいこと。
もったいないなあと思うんですが,カニの爪のお化けのような道具で切り刻んでゆく。
 ある日はドーンと地響きを立てたので飛び出すと,ちょうど警察官も立ち寄ったところ。
聞けば,バイクで通行中の警察官の前をコンクリートの塊が横切ったとのこと。
見ると,それは道路を横断して私の愛車・軽トラの前に鎮座しているではないか。
「気をつけてやってくれよ!」

後で妻に聞いた話。
解体作業をしていた作業員が妻の店にやってきて,
「後ろのおじいさんにひどく怒られた」
「あれ,うちの主人です(時々こういう古い言葉を使います)」
「え!,親子ぐらい年が違うんですか?」
言うに事欠いて,思いつきを言えばいいってもんじゃないでしょう。
それにしても,用途によっては使えるものが沢山あったのにもったいないですね。

後日,
通行中の女性の車に鉄骨が落ちて,車を傷つける事故がありました。
大したことはなかったようですが,アストラムラインの橋脚落下事故を思い出させました。
潜水艦事故にしろ,食品会社にしろ,過去の教訓が生きてないですね。
「親父さんに怒られた」
当然でしよう。
周りへの気遣い,心遣いがほしいものです。

昨年の収穫物

2007-01-17 16:40:40 | 島の生活
        放ってもよいものと,手のかかるものと

 
狭い菜園に,できるだけ変わった沢山の種類をと欲張った結果,
じゃがいも     :春・追肥不足を実感
    (男爵,メークイン) 秋・場所が空かず,ごく少量の植え付け
サツマイモ(鳴門金時):まずまずの収穫。
           苗は,JA広島市深川支店で購入。
           普通苗より,バイオの方が多少良かったか?
ニガウリ(ゴーヤ) :追肥,水不足で不作
タマネギ      :黒マルチが効をそうして上出来。
           特に赤タマネギはみんなに喜ばれる。
ただし,今シーズンは活着率悪く不作の模様
枝豆・大豆     :丹黒の枝豆がおいしくて,1/4を収穫
           もう少し稔らせて・・・,欲張ったら1週間後狸にやられた
           秋収穫予定の大豆は,木ばかりで実らず
           花の時期の水不足を指摘された。元肥も多かった  
里芋        :まあまあ
落花生       :まずまず
           一昨昨年は,カラスがほじくり返す
           一昨年は,カラスが実のなった蔓を引き抜く
           昨年は芽の出た豆を食べられる。カラスはえらい!
           今回は広島で芽だしをして移植。
味ウリ(真桑瓜)   :(岐阜県本巣郡真桑町が原産地のようですね)
           良くできた方かな?
ミョウガ,ふき   :必要な人には差し上げます。
           ともに植え替えの予定。特に蕗は柿木の周辺にあるため
           毛虫の餌食となっている。が、年に数回収穫可能が判明
その他       :キュウリ(週一度の収穫では野球のバット),
           ナス,ピーマン,食用百合など少々
           チンゲンサイ,ほうれん草など葉物はほぼ全滅
           水仙はコンテナ4箱分を移植
           西条柿は収穫できず。
           富有柿は,一昨年枝落とししたものに数個。今年に期待
           枇杷は収穫不能。
           夏みかんは,摘果・消毒をしなかったため小果に終る。
            

会話001

2007-01-17 15:22:46 | 広島の生活
        変わり者は多いが,楽しい職場です

《職場での会話-1》
島 爺:I さん,スペルの違ったところはないかなあ。見てくれる?
Y 君:あ,公開したんだ!
島 爺:どうしてわかる?
Y 君:ブログ第1ページとあるじゃないですか。
I 嬢:これ全部打ったんですかあ?
    こんな事やっているから時間がかかるんですよ。
   ダウンロードしてピッと貼り付ければいいじゃないですか。
島 爺:(よく理解できないまま)そんなことができるんだ?
I 嬢:ここに中国人みたいな単語がある。これ変!

《職場での会話-2》
I 嬢:え!信じられない!
    直接書き込んでる-
    ワードでも一太郎でも使って作ってから貼り付ければいいぢゃん
島 爺:Y 君,そんなことできるー?
    文字の大きさや色は?
Y 君:保存形式を変えればできるはずですよ。
島 爺:(分からないまま)ふぅん?
I 嬢:大体,そんな文章のスペルチェックなんか面倒くさくて
    その文章をワードに貼り付けて,スペルチェックさせればいいのよ!


《職場での会話-3》
・・・よく理解できないことが多いから,しこしこチェックしながら, 
島 爺:原文も『you are yang』となってるよ。
I 嬢:『yang』はねえ,俗語で『・・・』
    タイプミスよ,きっと。
S女史:そういえば,ここ『you are as young as ・・・』
    となるべきじゃないかしら?

 というわけで,多くの友人に助けられながら,「やるしきゃない!」
 と開き直った次第。

登場人物
 島爺:私。この2年間で2冊分の問題集を入力した。
 Y君:パソコンに限らず様々な場面で助けてくれる独身の好青年
    PentiamⅢの中古のこのパソコンを世話してくれ,メモリーを増設し,
    基本ソフトを始め主要なソフトはすべて入れてくれて4万円
 I嬢:顔を合わせ始めて1年にも満たない私に,言いたい放題を言う.
それなりに年を経たすばらしい女性。
1人にしておくのはもったいない。
海外留学もしていて老後をカナダなどで生活したい人には最適
S女史:おとなしくまじめな女性,と観ていたのだが・・・,
I嬢に触発されてか言わない方がよいことまで言うようになった
 S1さん:水稲農家。この人の米はうまい。
     昨年私に続いて農業塾に入塾。私の作ったソフトを活用してくれた。
 S2さん:今年入塾を試みたが,N 課長から色よい返事がない。
 K君:私の仕事の陰の功労者。気のいい独身青年
 Tさん:時々岩国で奥さんの方の農業を手伝っている様子。
     来年は塾に入れよう。

 

私(島爺 K/K)

2007-01-16 11:35:09 | 私見
        生まれも育ちも広島です

 昭和16年12月8日,そうあの日,広島県安芸郡倉橋島(現・呉市)で生まれた。
当時姉3人の最後の男児。ここで12歳まで育ち,中学校以降は島外での生活になる。
 島にも高等学校はあったが,島内の高校は自転車とバスで片道2時間,
隣の能美島(現・江田島市)の高校には船とバスで片道1時間30分。
どちらも下宿する必要があり,それなら島も広島も変わりはあるまい,ということと,
12歳で父親を失い上級学校に行けなかった父の願いがあったと考えらる。
上の姉が広島に嫁いでいることもあって広島に出ることになりました。
それにしても安い給料でよく出してくれたと父には感謝している。

2700人余の生徒を抱える中学校は,島の小学校(全校児童312人)で育った私には,
船で初めて広島に来たとき太田川を海と思ったような感動がありました。
両親との別居生活と,多くの人との出会いが青年期を迎えようとする私にとってはよい経験となった。
 広島は仮の住まい。将来は島で,父のように農協または町役場に雇ってもらう事になるだろう
などと漠然と考えていました。
従ってあるとき父が「ここを払って広島に住もうか」と言った時には,
まじめに生活を築いてきた故郷を離れようと思う父の心情が理解できず,
「子どもに故郷の思い出が必要であるし,同じ場所を買い戻すことは出来ない」
などとえらっそうなことを言って反対した。
 当時父は農協の職を辞して広島市で別の職場に勤務していたと思いますが,
父なりの悩みがあったであろうことは若い私には分かりませんでした。
後には,あのとき父の言うことを聞いておけば良かったな,と後悔することが多いのですが,
結局この年まで島に定着することはありませんでした。

 高3の1月14日,午後の寒中水泳を控えて元気を出したサッカーの授業で友人と衝突し,
脳しんとうで10日間の入院。
退院後の卒業試験のあと,数学の先生から
「頭を打って良くなる場合と悪くなる場合があるようだが,君は良くなったのかなあ」。
単細胞ですからついその気になりましたが,のんべんだらりとした高校生活で,
父と進路について全く相談していなかった私ですから,当然の結果として浪人。
次の年は獣医師も視野に入れて学習するつもりでした。
しかし生来の怠け者は,朝日会館でのレコードコンサートや,100m道路脇のACCで映画を鑑賞する時間の方が長かった。

 獣医師の件は,自宅で,牛,山羊,緬羊(羊),アンゴラ兎,鶏,フィッチや馬など次々に飼っていた。
(買うのは父で,飼うのは母の役目でした)。
 特に馬との出会いが大きく作用しました。
高1の夏前に,本来は立って寝る馬が体調を崩したために臀部に床ずれができたのです。
血の嫌いな父から連絡を受け,手当が分からないから,自分が怪我をした時に使うヨーチンを使うことにして,
化膿した部分をはがしてはヨーチンを塗って傷口を三角巾で覆うことにしていました。
 ヨーチンは赤チンと違ってよく染みますから逃げ回っていましたが,3・4日目に,じっとしている。
しびれで痛みが消えたのかと顔を見ると,涙を流しているんです。ポロポロと。痛いのを我慢していたのですね。
かわいかったですね。夏の終わりには,ずっと無視していた私の言うことをよく聞くようになっていました。

 結局は昭和40年から教師生活を歩むことになりました。
さて,家畜,あるいは生徒にとって,どちらの選択が幸せだったのでしょうか。

「なんで先生になったん」
と問われて,
「それは生き物が好きだからだよ」
と答えることを常にしていた私の方は,2001に退くまで,教師としては,
多くのすばらしい人たちにつつまれて幸せでした。
 結婚してすぐに1男に恵まれ,翌年にはまた1男1女に恵まれましてね。
大きな声では言えませんが,実は産婦人科の先生には
「君らは貧乏なんだから生むな」と言われたんですが,
親に似ず,特に下の2人は,気は利かないが優しい子どもに育ってくれました。
 ただ,上の子が浪人したらどうしよう,と心配していたことが現実になりましてね,
3人同時に,しかも一人は東京の私大・理系に,下の2人も県外に進学することになる?
となったときにはあわてました。
 何しろ就職以来ずっと酒だけは絶やさずキリギリスのような生活をしていましたから,
蓄えなどあるはずもなく,加えてその数年前に購入した住宅ローンの返済がありましたから。
入学金と,月々の仕送りは無理だろうからと借り換えも含めて借金をしまくりました。
 幸い県外生活をしたのは1人だけで,そのときは助かりましたが,借金は後で効きます。

 ところで女性は強いなあ,立派だなと感じたのは住宅購入の時でした。
きっかけは妻の父が倒れので実家の近くに住みたいという。
自分で新聞を見ながら物件を探し,不動産屋さんに「店舗付きの物件はないか」と相談しているのです。
 聞くと,お好み焼きでもやろうかって。経験は?「ない」。
それまでもボールのヘソ加工の内職とかパート勤務で家計を助けてくれていましたが,
頼りない連れ合いに見切りをつけたのでしょう。
1ヶ月研修し開店。
以来,黒字になることもなく,やめよう止めようと言いながらも,20年余細々と続けています。
愚痴を言いながらも頑張る彼女に助けられます。 

 定年までには,と願っていた子どもの1人は2000年の春,娘は2001の私の誕生日に結婚式をプレゼントしてくれました。
まじめに勤務すれば2002年の3月が満期でしたから,急ぐのではなかったと今になって後悔していますが,先に立たず,です。
 娘は,現職中に結婚せよというから急いだのに,と言っていますが,妻として母としてよくやっているようです。
誕生日には美味しい酒を探しては贈ってくれる二男ですが,私としては酒のラベルよりも連れ添ってくれる娘さんの顔を見たいのです。

 こういう私は,2006年のJA広島市農業塾第9期に入塾し,厚かましくもOB会にも加入。
月曜はJA農業塾OB空宙トマト栽培実習,火~金は非常勤として勤務,土日は島の生活。
(月1~2回は,OB会白木農園の実習,または調理実習)。
 友人は,えらく元気だね,と感心しますが,そうでもないんですよ。
2003年の早春,2度ばかり救急車で運ばれた原因は『自律神経がうまく機能していないようだ』と言うことでしたが,
この言葉の意味が今でも分かりませんでね,なんだか,『自分で自分を律しきれないわがまま人間』のようで,
この2年余通院していませんし,人にも言えません。
最近は歯科医と,かぶれで皮膚科にお世話になった程度でまずまず。
 ひょっとしたら燃え尽きる前のローソクかな,と考えて,出来るときに出来ることをの思いです。
何かあっても,延命措置はいらないからと妻には言っています。