小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

ウグイスの初鳴き

2012-02-29 18:05:52 | 島の生活
   
 紅や白がいっぱい

 25日(土)は少し暖かったためか,遠くからウグイスの声が聞こえた。
ただし聞こえたのはこのときだけで,寒さのぶり返した翌,翌日は聞こえず。
メジロを始め,小鳥の姿は見当たらない。

 手を入れてなかった山の畑は,一鍬ごとに木や草の根が絡む。
白く長いのは“盗人萩”,紅く白くセイタカアワダチソウ,それにヨモギ。
黒く太く長い根は,イタドリと様々で,掘り進むうちに山をなす。
面倒だが,これらは焼却せざるを得ない。
一年草は,ビワの木の根元で受け取って貰った。

 あと1ヶ月もするとタケノコの季節を迎えるが,山際では倒れた竹が目に付いた。
孟宗竹の成長は早いが,意外と風に弱い。
地中に根を張っているとはいえ一筋だから,根の方向と直角方向に倒れやすい。
倒れた竹が防獣ネットを直撃している。
最近,イノシシの姿を見かけないが,早い時期に手当をしたいところだ。


 27日(月)はまた薄氷が張るような寒さがぶり返したが,少しずつ春がやってきているようで,山の畑でも紅梅が咲き始めた。
 “梅切らぬバカ”で,柿も剪定してやれなかったが,その暇は無い。
自宅の庭では,白梅がほころび始めていた。 

優しい女御-2

2012-02-28 19:16:03 | ひとりごと
 とは限らない

 駐車場に車を止めるやいなや,
「貰い物だけど,家族は誰も食べないから」
と渡されたのがこれ。葉は刈られているが,パイナップル。
近くの孫にと有難く頂戴する。

 パイナップルは頭部を切り落とし,切り口を乾燥させて植えると,
発根して,また新しく実が実る。・・・ハズだ。
随分昔に,発根まではうまくいったが,寒さに枯れたことがある。
今回,もう一度試してみよう。

 ところで世の中,“好事魔多し”という。
先週は,インフルエンザで休む生徒や職員が多かった。
近くの席のNさんもその一人。
「あんたを襲ったウイルスはたいしたもんじゃ。よほどたちが悪いと見える」
反応が早かった。
“何ならうつしてみようか”
とばかりにすり寄ってこようとしたから,慌てて逃げ出した。

 ウイルスも人も,千差万別。
一様にはいかないものだ。

優しい女御

2012-02-28 00:38:09 | ひとりごと
 良いことが続くと

 土曜日(25日)の夕方,今夜は何を食べようかと思案しながら帰宅すると,
テーブルに天ぷら(小イワシ,タコ,野菜),と酢の物(大根,人参とタコ),
が載っている。
従弟のかみさんが作ってくれたらしい。
単身赴任で呉市内に住んでいるが,土日は亭主の世話で帰宅している。
有難く頂戴する。

 かみさんが焼き肉に誘ってくれたのも,娘が金曜日にと設定してくれたのも,
週末は島に帰っているのを気遣ってのことであった。
そして今日。
かみさんは魚の焼きのも(小イワシ,サザエ),煮物(メバルに金目鯛),刺身まで
用意してくれていた。半額であったからとはいうものの,好物ばかりだ。

 魚は不器用に,サザエはレンジで
 「○○(私)さんは,魚を食べるのが上手ね」
母にほめられたのはこの程度のことで,なに,貧乏人なら当たり前のことで,
骨はもちろんのこと,ヒレまでしゃぶってしまう。
ところで金目鯛。上半身の片身だけだ。
頭を食べてくれと云われて,上手くとれすぎて,ヒレも無い頭だけになった。
なに,魚で旨いのは,頬の肉と目玉だ,おいしく頂いた。
サザエ,レンジで温めたら“プシュー”といって身が飛び出した。
左手のタオルで受けたり,小さいフォークでくろうするのだが,
網で焼いたあと,レンジでチンすれば,自ら身を提供してくれる。

 昨夕は,畑でのカメラの置き所が懐中電灯も無く分からなくて苦労した。
今朝になって発見し,事なきを得たが,今夜はケーブルが見えない。
写真の投稿は次に譲るとして,湯割りを飲もうとしたら,お茶であった。

 『大事にしてくれる』と,感謝もするが,
“先は長くない”ということを考えてのことなのだろうか。

景気か味か

2012-02-25 04:37:06 | 広島の生活
 味の落ちたチェーン店の焼き肉

 水曜日の夕食,かみさんから焼き肉に誘われた。
島でろくな物しか喰ってないことを配慮してくれたらしい。
降るとも降らないとも分からないような小雨の中を出かけたが,
近場の焼き肉店は休みで,少し足を伸ばして,Gというチェーン店に入った。

 先客は若いアベックが2組。
メル友になると,最初のビール一杯は無料です,との誘いに乗った。
以前は,回転寿司と隣り合わせで,待ち客もあった店だが,
寿司店が営業形態を変えたためか,夕食時なのに新しい客も入ってこない。
やはり景気が悪いためかなと考えながら食事を始めた。
なるほど,何を注文しても,紙を食べるようで味気ない。
帰りがけに,次回は飲み物が6杯無料,という券を貰ったが・・・。

 昨夕は,島に帰るつもりで早めに帰宅。
たまにはスーパー銭湯にでもと誘われて逡巡しているところに娘から電話。
婿殿は会社の食事会で留守,双方に別な焼き肉店からの誘いが届いていた。
“生ビールは半額,はがき1枚につき飲み物1杯無料,ご飯も無料でおかわり自由”
この店も,先客は1組。ナムルは口に合った。

 土曜日は学校が休みとあって,孫2人は一緒に寝ることになった。
部屋に入るとすぐに,「テレビを見ても良い?」
自宅にはテレビを置いてないが,チャンネル操作は爺婆より熟知している。
早々に床についた爺だが,外は小雨が降っている。

70の手習い

2012-02-23 23:58:55 | 広島の生活


 続けばいいが・・・

 我が家族8人のうち,何とか読める字を書いているのは娘3人で,
あとの5人は,みな金釘流でとても人前には出せない。
私のきょうだいはといえば,活字のような字を書く上の義兄を始め,
そこそこ,落ち着いた字を書く。
いつまで経っても,がさつな字から抜け出さないのは私だけだ。

 そんな私を見かねたのか,姉が書道のセットをくれた。
年末,水仙を届けた私に,
「父の米寿の祝いのつもりだったけど渡せなかった。古希の祝いというわけではない。
あなたは四国88ヶ寺巡りもしている。写経もよし,使いなさい」。
有難く頂戴したのだが・・・

さて,晴耕雨筆とでもいくか,と気楽に持ち帰ったのだが,
硯は山口県下関の“赤間硯”。墨は奈良の松煙朴,筆も奈良筆。
文鎮は,高岡市の“丸に横槌目文”文鎮。
加えて水滴が“越前塗沈金加飾・山水の図硯箱”に鎮座していた。

 随分重い荷を背負い込んだものだが,仕事もなくなることであるし,
パソコンで忘れた字を思い出しながら,惚け防止に書き始めようと考えている。

爺バカ

2012-02-22 23:57:59 | 孫たち
 世界でただ一枚の絵

 島から帰ると,かみさんの寝所に一枚の絵が掛かっている。
うん?,見たことのある絵だが,本物なら高いだろうなぁ。
(随分昔に,朝日の土曜版であったか,連載された気がする一枚だ。)

この絵,どうした?。
(孫の)Tが,保護者参観日に作ったらしいの。

それぞれ好きなことをして,Tは切り絵に取り組んだ。

 下絵は書き写して切り抜いたらしいが,爺の目にはすばらしく良く見える。
版画ならまだしも,切り絵は世帯でたった一枚。
大事にしなきゃぁ。

 『はっこう卵』の威力?

 いつものように冷蔵庫をチェックすると,卵が1パック。
そうすると,あの卵は?。
改めてゴミ箱をあさると,出てきた。
『はっこう卵=生食・賞味期限 '23.7.28』とある。

 健康にもアトピーにも良いからと勧められて,この卵を届けて貰っている。
「5」の付く日だから,多くて,月に3度ほど届く。
前回娘家族が帰ってきたとき,「捨てるつもりだがひとまず保管」と伝えた代物であった。

 金曜の夜帰宅,月曜日は麦踏みの予定であったから米は3合だけ炊飯した。
直前に「麦踏みは中止」の報でご飯が足りなくなり,
「ちょっと雑炊」や,ラーメン,うどんに卵を落として5~6個は食べた。

 はるばる沖縄から届けられた“はっこう卵”。
卵がしっかりしていたからなのか,粗食に耐えて腹が丈夫になったのか。
腹の方は,いまだに「シク」とも「チク」とも云わない。

 サッカー,マレーシアに勝った

ロンドンオリンピック最終予選。
日本チーム,4:0でマレーシアに快勝。
だが,出場は本決まりにならない。

♪ ウ~メはまだかいな

2012-02-21 23:28:14 | ひとりごと
  草花の種の勲章

 19(日),20(月)はことのほか寒さが厳しかった。
2日間とも真っ白に霜が降り,氷は溶けないままで厚くなった。
20日の朝などは,草を引いても抜けない。
鍬を打ち込むと,根っこが土中で凍り付いていた。

 イノシシ対策に追われて除草が済んでいないからヨモギ,セイタカアワダチソウが増殖し,萩まで深い根を下ろしている。
種(防止に付着した三角形)を調べると,盗人萩(ぬすびとはぎ)とある。
衣服にくっつくだけでなく,地面にも無数の種が落ちているはずだから,根絶には時間がかかる。

 ところで,今年はウメのつぼみが堅い。
菜園のビワには花が付いていたが,山の畑にはみられない。
水仙もしかり。
花数も少なく,ようやくほころび始めたもの,葉柄すら伸び悩んでいるものもある。
一方,近くのピラカンサ,我が家の南天も,真っ赤な実をたわわに付けている。
姿を見せない小鳥,まだ以上が発生するのであろうか。

 昨日の麦踏み(白木圃場)は中止となったので,夕方まで島の畑の作業。
陽が高くなるにつれ気温も上がったようで,昼間は上着を1枚脱いでの作業となった。
帰宅して,入浴の時に気付いた。
寒さに,使い捨てカイロを腰に貼っていたのだった。

ラ・フランス

2012-02-20 23:54:09 | 島の生活
 そろそろかな?

 時間をみると,23:19となったいる。
疲れて早じまいをして帰ったつもりだったが,明日もあるしと風呂の準備にかかった。
もう一度時間を確認すると,23:18となっている。
腕時計は?,まだ11時にはなっていない。
? そうか,灯油ストーブの数字は,設定温度と現在温度であった。

 3日間も同じ作業をするとさすがに疲れる。
どういうわけか,今年は小鳥の姿が見えない。
草をとっていると,ミミズは勿論,バー虫,カブトムシの幼虫,ムカデに今日はトカゲまで出てきた。
それなのに,メジロもジョウビタキ,モズも出てこない。
誰かが来れば,「それミミズだ」などと話しかけられるのだが,ラジオは聞くだけだ。
庭の南天も,誰も食べてくれないから,黒ずんで垂れ下がっている。

 島に帰るとき,玄関脇に植木があるのに気付いた。
ラ・フランスとある。かみさんが買ってくれたらしいので除草したあとに植え付けた。
ラベルの裏面に,『別な品種を植えると実が付きやすい』とある。
柑橘類もそうだが,あえなく枯れたのもあれば,何とか活着したらしいのもある。
だが,どれだけが,いつ,実を付けてくれるだろうかと,ちょっと気になる。

 鍬を入れながら草(といっても,ほとんどは木や多年草の根なのだが)を取りながら,
作業の最中は何も考えない。
いや,一仕事終えたときには,誰が収穫してくれようか,除草は,などと思うこともあるが,
そんなことを考えていたややる気がなくなるから,極力考えずに単純作業に徹する。
 荒れ地を畑にもどすには10年かかるという。
せめて,植木が5年で実を付けてくれれば・・・。
その時分には,爺婆は用ナシか?。

 北欧では,雪の車に閉じ込められて,2ヶ月振りに救出されたという。
一方関東地方では,60歳代の夫婦らしき男女と,その息子らしいのが餓死したらしいとラジオが伝えていた。
どちらも,厳しいなあ。

六方礼

2012-02-17 14:11:10 | 広島の生活
 感謝・尊敬するのはむずかしい? 《崇徳学園宗教科・H》

 懇談の時,相談を受けるのが,
「家の子は親の言うことを聞きません。どうしたらよいでしょうか。」
です。しかし,親は有難いですね。
言うことを聞かなくても「出ていけ」「もうお前の世話はしない」と言わないですよね。
親はすごいと思います。
我が子に反抗され,時には「カチン」と来るようなことを言われても許してくれているのです。
 住む場所がある。毎日,食事をすることができる。学校へ行くことができる。
 お小遣いをもらっている。携帯電話を持っている。友達と遊ぶことができる。
 他にもいっぱいありますが,このくらいにしておきます。
これは,当然のことでしょうか。当たり前のことでしょうか。


毎日の生活をみて,「どのようにして自分の生活が成り立っているのか?」考えてみて下さい。
自分一人の力でしていることではありません。側にいて,いつも心配してくれている人がいるでしょう。
分かっているかもしれませんが,素直に「感謝」・「尊敬」するのは難しいのでしょうか。
尊敬する人と聞くと,野球選手とかサッカー選手・芸能人・会社の社長・政治家・所得の多い人
など思い浮かぶのだろうと思います。でも,一番,自分のことを分かって許したくれている人は誰でしょうか。

 釈尊のマガダ国における民衆の教化の中で,特に意義深いものに,ラージャガハという場所に住んでいたシンガーラカに対する説法があります。
 彼は朝早く郊外に出て,衣服や髪をくよめ洗い,合掌して東西南北と上下の六方を礼拝していました。
しかし,彼はみずから六方を礼拝しているにもかかわらず,その意味を十分理解してはおらず,ただ亡き父の遺言によってそれを繰り返しているに過ぎなかったのだそうです。
そこで釈尊は彼に対して六方礼の意味について次の如く説かれたのです。

 「東方を拝むときは,私を産み育てて下さった父母に感謝し,
 南方を拝むときは,私を導いて下さった師に感謝し,
 西方を拝むときは,妻と子どもに感謝し,
 北方を拝むときは,友人や社会に感謝し,
 上方を拝むときは,仏の恵みに感謝し,
 下方を拝むときは,年下のもののご苦労に感謝せよ。
 それが六方を礼拝する合掌の意味ですよ。」
と。

 この教えは,「六方礼経」という短い教典としてまとめられました。
その意味を考えるとき,昔の考え方というのではなく,今の社会の中でこそ味あわなければならない教えだと思います。
親や恩師や神仏を拝むということはどこの国でも教えられているが,妻や子どもを拝め,年下の者を拝め,社会の人々を拝めと説かれたところに,釈尊の教えの深さがあります。
使うものも使われるものも人格は平等です。使うほうが使われるほうに「あなたのおかげだ」と,心に深い感謝の念をいだき,相手を拝むことにおいて真の人格の平等が実現するのです。
しかも釈尊は親に対して,子どもを拝めと説かれた。子どもには子どもの人生があり,個性があり,親といえどもそれになりかわることはできない。
子どもが生まれることによって,人は親となるのです。
子どもは子どもとして,りっぱな対等の人格をもって生まれているのです。
拝むということは,その人の尊い人格を拝むということです。
仏に合掌をささげ,仏を拝むことのできる人は,人間を拝むことのできる人である。
おたがいに,このような気持ちで接し合うところに,尊い清らかな心のなかに感謝と尊敬の思いが育まれると説かれました。

 感謝する人も,尊敬する人もごく身近にいます。
でも,一番近くにいることで甘えてしまい,不遜な態度をとっているのが私たちではないでしょうか。
「感謝・尊敬」言葉で知っていても言葉で表したり,態度で表すのが難しいです。
自分の言動を今一度考えてみることが,お互いに気持ちよく過ごせることにつながるのではないでしょうか。

三馬鹿

2012-02-17 12:15:02 | 孫たち


 ちらっ?ちらっ!

 テレビ画面を見ながら,なんだかこんな場面に似合う歌があったなあ。
判然としないままついさっきのこと、そうか,山口百恵の
“♪ ちらっ ちらっ ちらっ ちらっ も~~ぉ・・・”
こんなのがあったよね,と云ったところ異議がはいった。
違いますよ,
“♫ これっきり これっきり も~~ぉ,これっきり~ですか~・・・♯”
だって。

 つまらないことが頭を悩ませたのも,ゆーすまさんのブログがきっかけ。
『ゆ~すけがテレビ出演します。Eテレ(教育テレビ)で放映時間は,
17日(金)8時01分~8時24分または,16時36分~16時54分。服装はこれこれ』
とあったためで,小さい目をいっぱいに開けて画面を見つめたわけだ。
たしかに,見えた。なんだか幕尻が白鵬に体をかわされて土俵下,といった案配で,
ほんの,0.△秒。一カ所,指をくわえた場面もあったよう,だった。

 実は,爺もテレビに映されたことがある(そうだ)。(本人も家族も視ていない)
地元NHKの夕方のニュース番組で,ちら~,程度。
知人が教えてくれたが後の祭り。

 テレビに映されるとはこんなものだろう。
指名手配などでじっくり放映されるより,よほどいい。
ただ,いまだに目がかすんでいる。