小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

島の春-1

2009-03-28 08:07:33 | 島の生活
     島の温泉は,入浴料300円也

 3月21日から26日の午後までは島の生活となった。
21日は娘家族が墓参に帰るというので,私の方は一足早く出発し,父を見舞って途中ちょっとした買い物をし,小さな峠を越えて集落に入る。
 小さな集落は南に面している。
峠を越えるとたんに山は春色となる。木の芽はまだ小さいが,斜面の山桜は既に満開となっている。どういう訳かここ数年山桜がグンと勢いを増して増殖している。

 山の畠で墓参用の樒を切り,仏壇用には菜園場のを用いることにする。
アスパラガスが10本近くも芽を出している。こいつは孫に食べさせるにはちょうど良いやと,帰宅したときに採取することにして,とりあえず家の中の片付け。掃除機をかける暇はないから,「足の踏み場もない」と叱られないようにおおざっぱな処理と,ご飯を炊き,アサリの味噌汁の準備にかかったところに孫たちが帰宅。
 ところが弁当を持ち帰っているから,お仏飯をお供えした後のご飯は残ってしまった。

 島には『桂が浜温泉』がある(土佐の海浜は「カツラハマ」,ここは「カツラガハマ」で白砂青松の地)。
温泉とはいえ,地下1800mまで掘削し暖めたものだから純粋の温泉とはいえまいが,それでも喜ばれている。婿殿は私に晩酌をさせようと思ってくれたのであろう,同乗するように勧めてくれたが,片道4Kmの距離を,孫を乗せて往復させるには忍びない。私は例によって軽トラック。

 孫たちが墓参してくれた御利益であろうか,平素は600円のところが,10周年記念とかで300円の入浴料。3月末までとか。更に,1000円のサービス券を買っておけば,6月末までは,食事1000円分と入浴料600円がそれで楽しめるという。
 生ビールも半額だったから,一杯だけ飲んだ。
孫たちは様々な浴槽で楽しんでいたが,私が誘ったサウナだけは,のぞいただけで「暑い」と言って逃げていった。



島の春-2

2009-03-28 08:06:37 | 島の生活
     島のイノシシは賢い

 26日(木)に帰広したのは,パソコン教室があったからで,いやそれよりも,このメンバーの多くは松江まで「出雲そば」を堪能する旅(宍道湖温泉に泊)に行っているから,おいしいお土産が待っているかも,というさもしい気持ちからであった。
なんと,Hさんなんぞは,更に沖縄まで遊びに行ってこられたという。
 土産は何だったか?。饅頭(多分)1個ずつ。
帰宅すると母と孫たちが食事をしていたから,松江のものは母に,沖縄の(紫芋関係の?)は孫が持ち帰った。
出雲そばを堪能する旅の詳細は晴耕雨読をどうぞ

 島では,専ら猪よけの柵作りと除草。
昨シーズンは,サツマイモ,ジャガイモ,南京,真桑瓜,すべてを完食され,茗荷を植えた部分は掘り返されたから柵の補強をすることにした。
畠を取り巻く一方は道路。二方面は畠であったところが一部は藪(とても獣は通れまい),他は竹藪。侵入した竹は切り倒して侵入できないようにした(つもり)。残る一方面は山。法面の低い道路側と侵入しやすい山側はゴルフネット(高さ1.5m)を張り,残り部分は妨害柵を設けていた。
 今回はその部分に古い波板鉄板を貼ること。法面の低い道路側を改良しネットは移設。藪側とに柵を設けたいというものだったが,ことは簡単には進まない。
 出来れば今春果樹を植えたいと考えて,宿根草やまた生えてきた雑木は除去して焼却作業も同時進行。半分終わって26日になった次第。

 パソコン教室の雑談の中で,あのアスパラガスを想い出した。すぐに帰島する予定であったが,翌日はOB会の委員会とのこと。帰宅して従弟に,まだ食用になるようであれば取って食べてくれるように依頼する。久し振りにインターネットを見ると,白木農園だよりに中農さんが筍を掘ったとのこと。
 そういえば,山の畠にはイノシシの筍を掘り起こしたらしい跡が数カ所。周囲を探ると,ゴルフネットを止めていた針金がはずれて人一人が通れるほどの穴が開いている。
 私が筍用の通路にと仮止めした部分を,力ではずしたらしい。
イノシシもサルものだ。
孫の顔を見に行きたかったが,またしばらく島の生活に戻る。



年度末を迎えて

2009-03-21 08:31:21 | 広島の生活
二度目のジャガイモ植え付け

 春休みを迎える前に,18日は明け方までかかって大きな仕事を終え,19日午前中にはやるべきことは大体終わった。23日までに済ませればいいことではあったが,彼岸を迎え墓参や島の仕事をゆっくりしたい。
 夕刻,パソコン教室に向かいながら,しまった!。
2月と同じ日程とばかり勘違いしていたが,教室のほとんどのメンバーは出雲蕎麦を楽しみに出かけたはずだ。仲間に確かめると確かにその通り。ジャガイモはかみさんに任せて帰島するのだったと気付いてもあとの祭り。

 白木でのジャガイモ栽培は休むつもりであったが,山仲間との関係でかみさんがやるという。昨年は青ジャガを作ったり,人様の芋を持ち帰ったりと散々であったた。世話人のMさんが植え付け場所を一番はしにしてくれたのもその配慮があってのことであったろう。
 かみさんは場所を確認し,ちょこちょこっと手伝って,自分の仕事があるからと早速に帰ってしまった。

ようやく冬の装備を撤去
 白木の作業の帰途,タイヤ屋さんによって見る。
行きつけのガソリンスタンドでは2万5千円余,世話になっている自動車屋では2万4千円。ここでは1万8千円ということで早速付け替える。中古とはいえホイールにつけてバランスもとってこの値段。ようやくにぎやかなスタッドレスをはずすことができた。
 帰宅して,台所の大物のコタツを撤去。田舎に持ち帰るべく,トラックに積み込む。侘助は満開。ようやく春になった感じがする。


ようやくETCを取り付け
 気にはなっていたが,補助金制度のおかげか,ETCの機器はどの大手販売店も定価販売。それに設定料金,更に取り取り付け費がくけ日が5250円となっている。おまけに品切れで1ヶ月待ちという。
 かみさんにせっつかれて,「すぐに取り付けます」と表示があったらしい近くの店をのぞくと,1万3千円と1万7千円。かみさんに相談に帰った間に安いものは売り切れて,仕方なく1万7千円のものを取り付ける。
 どうもこの『補助金』制度で儲けたのは自動車関連産業だけのようだ。
以前は,5万円のプリペイドカードで5万8千円分走れたが,あの頃のほうがよかったように思うのだが・・・。人件費はある程度節約されるだろうが,便利になった分だけ消費者の飛車の負担が大きくなったような気もする。

あの若者はどう生きるのだろうか?
 私の勤務する職場で10人の離・退職者があった。
そのうち9人は満期。ほとんどは非常勤として勤務を継続するという。
一人は,この仕事から離れるという。話しかけてみるが多くは語らない。あとの生活や,ゆっくり考えてみる,というのだが。私とは別の部署にいたので気付かなかったが,せっかく正規に雇用されていたのに,何がどうであったのか何も助けてやれなかった自分が情けない。
 とにかく,生きがいのある仕事を見つけて元気にやってくれるように念ずるしかない。

ようやく墓参
 父の病院には母が見舞ってくれていることを期待して,夕刻になってとりあえず,かみさんの方に墓参を済ませる。帰途,娘から電話あり,母と一緒に帰っているという。見舞ってくれたことに感謝。
 一緒に食事をしながら,島には明21日に墓参していいかと聞いてくる。黙って帰ると,私にやかましく言われそうで,と。
 私の言うのは,(私にとってはありがたいことだが)掃除をしてくれたりと帰宅が遅くなるので,子供だ小さいから,早く行動するように,ということ程度なのだが・・・。どうも私の言い方がきついらしい。
 今後は気をつけることにして,21日朝,早々に帰島することにする。昨夜泊まった孫の寝ている間にとおもったが,もうこんな時間だ。
従ってしばらくはブログと遠ざかることになる。  


若者に感謝

2009-03-18 04:35:52 | 私見
        若者はがんばっている

 先日島に帰って,独り身の侘びしさを紛らわすためについ電話した。23時過ぎ。
3番目の娘は?・・・出ない。(もう寝たのかな?)
2番目の息子は?・・・出た。帰宅途中だという。帰宅するのは0時30分頃になるという。朝7時には自宅を出るというのに。
後,3番目の娘から電話あり。電話に気づかず済まないという。
こちらこそ申し訳ない。生後半年の子供を抱え,遅く帰宅し早く出社する夫の世話をしなくてはならない。
 3番目の息子の勤める会社は,確か東証第1部に上場されているはずだが,“リストラにあうとしたら僕が1番かな”と,かみさんに漏らしたという。聞くところによると,万一に備えて,私的に,畑違いの分野の研修に通っているらしい。

 転居の折に貰った,瞬間湯沸かし器が作動しないので,使用説明書でもあればと2番目(年齢は1番)の娘に電話した。出ない。
後の電話で,夫を迎えに行く途中であったという。いつもは深夜を過ぎて帰宅することが多いのに,仕事が速く終わったからと,子供と一緒に出かけたようだ。婿殿もH・T社からT・F社に出向して通勤時間も長くなり苦労しているようだ。
この前一緒に食事したときには,婿殿もそのようなことは一切口にしなかったのに・・・。そういえばこの娘も,新しい仕事のための資格を取った。

 あの子たちは,と,かみさんが言う。
がむしゃらに何でもかんでも挑戦するところは私に似たのかしら,と。
忘れていたが,一緒になってボールのヘソ張りの内職を始めた。その前は書道(四段というが,私は「しだ(ら)ん」といっている),和文タイプに,珠算に・・・。仕事も,カメラ屋に,造り酒屋に,お好み焼きに。
どういう訳か,カラオケや旅行,登山などの遊びは出てこない。

 とすると,ろくな仕事もしないで飲んだくれているのは,私だけのようだ。
3組の息子・娘夫婦は酒も飲まない。
なのに,飲んで(二人とも),うまいものを喰う(かみさん=内緒)のは,私ども年寄り夫婦。
『反省』しながらも,こうして湯わりを呑みながらパソコンに触っているから,変換ミスも多い。

 年度末で,ここ広島での仕事も一息つきそうだとはいえ,収入につながらない作業をしている。
惜しみなく働く若者に感謝し,もう自立を試みなければ。  と,思いながら湯わりが口に入る。

 
  

メモ:古典的知識人の思い出(イルメラ・日地谷・キルシュネライト):加藤周一

海上保安庁の艦船は軟弱なのか?

2009-03-14 14:37:20 | 私見
        「さざなみ」「さみだれ」の出港について

 14日(土)は,農業塾で「春夏野菜の栽培について」の学習会。
伯父さんの葬儀は朝9時からということで,開始前に挨拶とお参りだけを済ませて欠席させていただいた。かみさんが参列してくれている。

 すぐに島に帰るつもりであったが,途中の呉地方が騒がしいようだ。ソマリア沖の海賊対策のために海上自衛隊・呉地方総監部から派遣される護衛艦「さざなみ」「さみだれ」の出港時間とかち合うことになる。帰島時間をずらすことにした。

 分からないのが,日本の波際,及び航行する艦船を守るのは海上保安庁の役目だと思うのだが,ソマリアまで行ける艦船は一隻しかないから,海上自衛隊の艦船を使うということだ。練習船「こじま」など太平洋を渡ってハワイに行っているのに,なんとも情けない話だ。北朝鮮による拉致事件を初め,能登半島沖不審船事件,(中国の)潜水艦による領海侵犯事件など,どうもうまくいってない。というより,日本は諸外国に対して裸で対峙しているようなものだ。
 
 艦船がないのなら造ればいい。あるいは,自衛隊の艦船を改装して譲ってやれば良いではないか。そうすれば自衛艦と漁船等の事故も少なくなるし,一石二鳥どころか三鳥だ。と,素人は考えるのだが。

 もうひとつ。ソマリア沖の海賊事件は力によるだけでは収まるまい。
決定的な要因は,ソマリア国内にある。経済を立て直し,政情を安定させ,国民が自ら働き生きる喜びを味わえる国に作り替えない限りこの海賊騒動は収まらない。今こそ各国が協力してこのことに手をつけなければならないと思うのだが。
  


咲く花あれば・・・

2009-03-14 13:58:47 | 広島の生活
        福岡では平年より2週間早い開花

 13日(金),福岡では平年より2週間も早く桜が開花したという。
島では,日本水仙は既に終わっており,次に咲く白水仙が満開となっている。これも平年より早い。
 菜園場の隅に植えてあるエンジェルス・トランペットは,昨年までは防寒しても木の幹は枯れていたのに,今年は放ったらかしのままで枯れもせずもう芽を吹いている。

 そうこうしていたらかみさんから電話あり。父の兄さんが亡くなられたという。ここ15年近く入院生活をなさっていたが,力尽きたようで95歳の天寿を全うされた。早速帰広。
 父を見舞って手をさすっていたら,私の頬をなぜてくれた。今までになかったこと。何か感じるところがあったのだろうか。歩けるようにならなくてもいい。生きてくださることが家族の支えとなるのだから,生きながらえて欲しいと願う。

 東京では寝台特急「富士・はやぶさ」の,最後の出発式があったようだ。
寝台特急といえば,新婚旅行で富山まで利用。下車したとたんに鞄をお際競れた苦い思い出があるが,呉線を経由する「安芸」のなくなって久しいし,昔は修学旅行専用の夜行もあった。
 修学旅行では,早朝世羅を出発し,大阪を経由し早朝の金沢で兼六園を見学し,翌朝函館にに到着。登別で1泊し(ここでも旅館の金庫に金を忘れた),札幌の近くで農業実習を終え,帰路は日光を見学し2週間の旅をしたことがあった。
 今は航空機を利用することも多く,便利にはなったが,(一杯やりながら)ゆったり旅した頃も懐かしい。
  


空宙トマト定植作業

2009-03-12 14:25:50 | 農業塾OB会
        林立方式に加えて,天井方式の定植

 3月9日(月)は,3棟のビニールハウスに林立方式のトマトを半日かけて定植。
やれやれと思いきや,空宙トマト栽培の他のグループは天井方式の栽培をしているから,ここでもやろうではないかということに決定。本日12日(木)がその作業日となった。

 木曜日は仕事があるので作業に参加できないとしていたが,うまい具合に(困ったことに)その仕事がはずれた。
「予定通り」作業を休むわけにもいくまい。前回の作業では飲み物もないままで作業をしたから,今回は数人分のコーヒーをこしらえて出かけたら,リーダーはちゃんと飲み物を用意してくれていた。
 天井方式は,背の高さに横にパイプを通し,苗はパイプに定植する。上に伸びようとするトマトを,我々が作業しやすいように横にねじ曲げて生育させようとするのだから,背の低いものにとっては,今後は茎をロープに止めたり,わき芽欠き,トマトトーンの散布など先が思いやられる。竹馬でも使って作業したいところだ。

 苦労して作業して儲かるか?
うん。年2回の作業の休息期間に慰労のための飲み会でちょうど費用がまかなえる程度はね。
 白木圃場の農作業もそうだが,同じような仲間が集まって身体を動かしながら馬鹿話をしていれば,元気をもらって医療機関にかかる回数も減ろうというもの。
ボケ防止と医療費を儲け,健康をもらっていると思えば結構。  

食事のおいしさは,多人数に限る

2009-03-12 00:17:22 | 広島の生活
        七人のおいしい食事

 仕事の途中で母に電話すると,今から出かけるところだという。もう少し待ってくれれば送って行くがと言うが,既にタクシーを依頼しているからという。
 かみさんは食事の支度を始めたというので,それならば私が母を迎えに行こうという。
 島に帰る途中にも寄ったが,父は今日も変わったところは見られない。母が清拭をし,薬を塗り口を拭っている。
 私がこうなったときには,どうせ看取るものもなかろうから,放っておいてくれと言ってあるが,それにしても母の姿には,誰もまねは出来まい。

 帰宅すると粗末ではあるが多くの食品が用意されている。しばらくすると,娘の家族が5人揃ってやってきた。
 島では一人,ここでも一人か二人。
大勢の食事は何を食べてもおいしい。
 こういう経験を後何回積むことが出来るのだろうかと,ふと頭をよぎる思いを払拭して,七人の食事を堪能した。
  


ちょっとしたことで快適なパソコン

2009-03-11 23:54:26 | 広島の生活
        ハードディスクを増量

 「Tちゃん(Y君)ちょっと頼む」
また私の頼みと知ってしばらく聞こえないふりをしていたが,
「なーんですか?」
と顔を出してくれる。
ここ数日来パソコンの動きが悪くて困っていたことを告げると,早速診断にかかる。
「これは無理ですよ。Cドライブが一杯ですから。」
ハードディスクが20ギガしかないところに,マイドキュメントに絵や写真を一杯詰め込んでCドライブに保存している。
(そういえば,パソコン同好会のNさんにも,Dドライブにとy注意されたものだった!)

 職場からの帰途,パソコンショップに寄るというのでハードディスクを交換する方向で検討してもらうことにする。
 諸連絡の後,今朝,60ギガのハードディスクに交換してくれて,設定もすべて終了。料金は,4.000円弱。

 パソコンの所為にするわけでもないが,動きが鈍くて,つい家のディスクトップを使っていたが,変換ミスが多い。人は,のーとはI(A辞書)では重いからだというが,長いつきあいでずっと使いやすい。それに比べ,デスクトップはどうにも使いにくい。

 このパソコンは中古品で,私自身が中古だたら,いつまで使えるか分からないが,それにしても,どちらも安く使えるものだ。
 Y君にあらためて感謝する次第。
  


老いても学を忘れず

2009-03-11 22:47:15 | 広島の生活
        口害は甘害に通ず

 先の日曜日,私に食べさせろといって叔父がケーキを持ってきてくれたという。かみさんが訳を聞くと,先日私が伺ったとき,叔母が「これをYちゃん(娘)にやって」と言って手製のミルクキャラメルやケーキをくださったのに対して私が「ボクにはないのか」と言ったというので,作ってくれたという。

 叔父は74歳にして現役で継続して正規雇用されて勤務している。調味料関係の仕事をしていて,化学の資料があれば,という依頼であったがそれはすぐに実現できた。日曜日に取りに来るというのを,かみさんは都合が悪いという。遊びたいのに時間を拘束されるのが嫌であるらしい。そこで私が持参したときの対応が最初の会話。

 叔父夫婦はどういう訳かうちのかみさんとその娘・Yを特にかわいがってくれている。折に触れ,これをH(かみさん)に,Y(娘)にと,更に最近は,使い古しでよければ孫にと,食品やクリーニングされた衣類などの貢ぎ物が届く。形だけとはいえ,生まれて初めてその息子の仲人役をやった一人の私には何もない。
 食べるかとかみさんは聞くが,私がケーキなど食べないのは誰もが知っている。酒が余ればいいのにと思うが,叔父がビール以外は飲まないのは,これまた周知の事実だ。私に回るようなアルコールがあるわけがない。

 お礼だけ言って,指をなめるしかないが,それにしても,74歳にして学び心を持ち続ける叔父には敬服する。