小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

棟上げ

2014-01-27 15:47:46 | 改築のこと
  “棟上げ”というほどのものではないが

  中国地方は軒並み氷点下の気温。
 2×4工法では至って簡素な棟上げ。
 寒さの中で安全祈願。

 T社から責任者・Kさん
     現場監督・Yさん
     インテリアコーディネイター・Tさん
 大工,外装担当・Uさん
    内装担当・Nさん
 私たち夫婦2名の,合計7名。

  屋根瓦は,25日(土)に葺いている。
 窓のサッシは取り付け作業中。
 行事終了後,実地にコンセントの位置などチェック。
 正午過ぎ,すべての行事を終わった。

進捗状況-6

2013-12-20 21:35:15 | 改築のこと
 土台のコンクリート打ちは終了した
 20日(金),昼には写真の状態。
土台のコンクリート打ちは終了した。
ちょっと忙しいが,子どもが帰ることを頭に,
島の家も少しはきれいにしなければなるまい。
木原君の話では,26日に足場を組む予定とか。
24日は白木の作業で,27日は歯の治療。

進捗状況-5

2013-12-12 15:44:51 | 改築のこと
 意外と早い進展
 12日昼,精米にとHCコーナンに出向く。
我が家の様子が少し変わっている。
11日に基礎コンを打って,寄る小雨。
シートをかけただろうかと心配したが
立ち上げ部分の枠組みが終っていた。

 一両日中にコンクリートの打ち込みか。
工事は予想より早く進展しているようだ。
気になるのは裏の排水路との堺。
この部分も同時に打った方が,手間も省ける,
と思うのだが・・・。

 後,担当君と監督さんによると,
裏はブロックで土止めをするという。
なお,立ち上がり部分のコンクリート打ち込みは土曜。

進捗状況-4

2013-12-11 20:44:59 | 改築のこと
 土間コンが打たれた
 11日(水),蕎麦打ち教室の間に電話がはいっていた。
現場監督さんからで,
「基礎部分の鉄筋組み込み検査は無事終了。
 昼前からコンクリートの打ち込みに入ります」

 帰宅途中で寄ってみると,殆ど終わっていた。
現場の指示者は,
「27リュウベ(立米)打ちました。多い方ですね」
という。

 昔は蓮田であったらしく,その後は駐車場など。
地盤を心配したが,
「調査結果,木造家屋には問題ない」という。

数日,固まるのを待って立ち上げ部分の打ち込みという。
家屋の工事にかかるのは年明けのようだ。

進捗状況-3

2013-12-08 14:56:09 | 改築のこと
 鉄筋が組み始められた

 7日(土),白木作業の帰りに寄った。
前夜まで進捗状況2で変化はなかった。
2台停まっていた軽四の1台が出た。
現場では,鉄筋の組み込みが始まっている。

「今日は社の現場監督は来ないの?」
「はい,僕らだけです」
若い鉄筋工は実直に答えてくれた。

 現場を離れてしまったと思ったが遅い。
ジュースの1本でも手渡すのであった。

 8日(日)昼間の様子。
予想した以上の鉄筋が組まれている。

進捗状況-1

2013-11-30 19:19:19 | 改築のこと
  基礎部分

 金曜夜帰宅した折,
“垣根をして駐車できない状態”
と,かみさんの話。
土曜日,白木農園の作業の帰り,
現場は写真の状態。
看板と仮設トイレが設けてある。

“地鎮祭後,土壌調査に入る”
ということであったが連絡無し。
結果と今後の動向について連絡を請う」
島に帰るときさんに電話した。
「土壌調査の結果,問題ありませんでした。
 近く工事に入ります」
とのことで,折返し現場監督さんからも,
「土壌には問題ありません。
 交通量が多く,クレーン車が入れないので,
 年明けから現場で組み立て工事に入ります」

ようやく動き出した。
今の長束の住まいは大型車が通ると揺れる。
それで土壌調査にこだわっている。
君には,
“揺れるようでは立て替えて貰うよ”
と。

地鎮祭

2013-11-18 18:18:18 | 改築のこと
 工事スタートへ

 10月30日に旧家屋の解体開始。
 11月11日にはきれいに整地された。

 そして,
11月18日(月)13時から地鎮祭。
神主は,草津八幡神社。
当日の参加者は6名
1.神主 2.一弘 3.ひろ子
 4.辻 営業課長(こころ店長)  
5.山西 現場監督 
6.木原 担当営業委員


 ご近所のさん,さんからお祝いとして清酒各1

風の強い寒い一日であったが,行事を無事終了。
建築への第1歩を踏み出した。

搬送-2

2013-11-02 01:00:00 | 改築のこと
 叔母のミカン

「あなたの車が分からんから,ミカン送ったよ。
 Y(娘)ちゃんにも,1つ2つ分けてやってね」
30日,叔母からの電話だった。
荷物の到着を待たず,31日,島に帰った。
お礼に寄ると,入浴中であったらしい,失礼!。

 叔母の箱にはメモが添えられていた。
枝に付いたミカンには“お供えです”
レジ袋に“世羅のお米をお鉢さん(お仏飯)に”と。

貧乏だからモノが多い!?

 大きな引っ越し(荷物の搬送)は5度ほど。
そのうち,業者にお願いしたのは2度。
あとは,知人の搬送,トラックを貸りたり,
お金はかからなかったが,夜な夜な動いた。
動けば贅肉は削がれるはずなのに,
“お金を出して買ったものだから”
捨てきれず,生きた年数に比例して増えた。

 今回は漸く思い切っていくらかを捨てた。
だが,まだ心残りはあった。
お好み焼きに使った厚さ22㍉,畳1枚分の鉄板。
妻の知人に利用を図ったが,動かすのが無理。
藁を使った畳も島で活用したかったが時間が無い。

 大物で捨てた覚えがあるのは,車1台。
昭和40年代後半,景気の悪い時期。
妻の知人に“古代の遺物”と揶揄されたセドリック1900。
廃品回収業者は,気の毒がってセブンスター2個をくれた。

 そうしたことと,施米なりに収納場所があったことが,
不要品までも貯めることに繋がった。
貧乏根性がゴミを増やしている。

搬送

2013-11-01 14:20:00 | 改築のこと
 軽トラは働きものだ

 いつの間にか11月。愛車はよく仕事をしてくれた。
島まで約2時間。車は島の家に乗り入れできない。
注意して無理すれば,すぐ近くまで行くこと可能だ。
が,道幅は軽トラの車輪幅+20Cmで務鋪装の斜面。
昼間でも,一度車輪をはずして苦労したことがある。
28日の夜は,近くの道路から手作業で運び入れた。
第2音戸大橋ができてから,専ら海自基地脇を通る。
一寸休憩して潜水艦を見せてやった。
大橋を渡りトンネルを抜けると白い島。
“南の島に雪が降った”ようだが,塩。
写真右奥の小さなヒョウタンのような島。
この無人島が1億1万円で競り落とされた。
買ったのは三ツ子島埠頭(株)で,日本の工業塩の75%を扱う。
 渡子(とのこ)の人家を外れてふり返ると,
塩を荷揚げしている様子が伺える。昼夜を問わず。
早瀬の背とを挟んで,対岸は江田島(能美島)。
三ツ子島
 呉港外にあるため,それなりの歴史を持つ。
戦前は旧海軍の艦艇の消毒施設があったらしく,
消毒液による土壌汚染の可能性もあるとか。
また,長崎造船所で建造された空母“天城”は,
燃料の欠乏で出動すること無く呉港に係留中被弾。
三ツ子島に移動後にも被弾し沈没している。

 中学生の頃,定期船で広島・宇品港に向かう途中,
傍を通ったが,既に残骸は撤去され姿は見なかった。
(海軍工廠・日亜製鋼は暫く無残な姿を曝していた)
軍艦の形をしたコンクリート製の物体が沖合に停泊(?)
していたのは記憶に残っている。
 
 空母もそうしたであろうが,擬装の一環として作られたのだろう。

(中国財務局による三ツ子島競争入札は,2010年2月のことだった。
 また,航空写真は Google earth からお借りした。

2013-10-31 12:20:31 | 改築のこと
ありがたく,もったいない が・・

「これは,わたしのバラ?」
一昨年の妻の誕生日に,光市冠山総合公園で求めた。
名前は忘れた。花弁が多く美しく咲くが,虫に弱い。

 30年お世話になった家の解体作業が始まった。
1つの敷地に2軒建ち,店舗としては駐車スペースが狭い。
借家としは一寸便利が悪い。

 ばたばたと荷物の整理をして,
まだ使えるものも残った。
業者が利用することも願って。
だが,容赦なく車に投げ込んでいる。

 別れに,せめて一輪のバラを。