土台のコンクリート打ちは終了した
20日(金),昼には写真の状態。
土台のコンクリート打ちは終了した。
ちょっと忙しいが,子どもが帰ることを頭に,
島の家も少しはきれいにしなければなるまい。
木原君の話では,26日に足場を組む予定とか。
24日は白木の作業で,27日は歯の治療。
20日(金),昼には写真の状態。
土台のコンクリート打ちは終了した。
ちょっと忙しいが,子どもが帰ることを頭に,
島の家も少しはきれいにしなければなるまい。
木原君の話では,26日に足場を組む予定とか。
24日は白木の作業で,27日は歯の治療。
意外と早い進展
12日昼,精米にとHCコーナンに出向く。
我が家の様子が少し変わっている。
11日に基礎コンを打って,寄る小雨。
シートをかけただろうかと心配したが
立ち上げ部分の枠組みが終っていた。
一両日中にコンクリートの打ち込みか。
工事は予想より早く進展しているようだ。
気になるのは裏の排水路との堺。
この部分も同時に打った方が,手間も省ける,
と思うのだが・・・。
後,担当K君と監督Yさんによると,
裏はブロックで土止めをするという。
なお,立ち上がり部分のコンクリート打ち込みは土曜。
12日昼,精米にとHCコーナンに出向く。
我が家の様子が少し変わっている。
11日に基礎コンを打って,寄る小雨。
シートをかけただろうかと心配したが
立ち上げ部分の枠組みが終っていた。
一両日中にコンクリートの打ち込みか。
工事は予想より早く進展しているようだ。
気になるのは裏の排水路との堺。
この部分も同時に打った方が,手間も省ける,
と思うのだが・・・。
後,担当K君と監督Yさんによると,
裏はブロックで土止めをするという。
なお,立ち上がり部分のコンクリート打ち込みは土曜。
土間コンが打たれた
11日(水),蕎麦打ち教室の間に電話がはいっていた。
現場監督Yさんからで,
「基礎部分の鉄筋組み込み検査は無事終了。
昼前からコンクリートの打ち込みに入ります」
帰宅途中で寄ってみると,殆ど終わっていた。
現場の指示者は,
「27リュウベ(立米)打ちました。多い方ですね」
という。
昔は蓮田であったらしく,その後は駐車場など。
地盤を心配したが,
「調査結果,木造家屋には問題ない」という。
数日,固まるのを待って立ち上げ部分の打ち込みという。
家屋の工事にかかるのは年明けのようだ。
11日(水),蕎麦打ち教室の間に電話がはいっていた。
現場監督Yさんからで,
「基礎部分の鉄筋組み込み検査は無事終了。
昼前からコンクリートの打ち込みに入ります」
帰宅途中で寄ってみると,殆ど終わっていた。
現場の指示者は,
「27リュウベ(立米)打ちました。多い方ですね」
という。
昔は蓮田であったらしく,その後は駐車場など。
地盤を心配したが,
「調査結果,木造家屋には問題ない」という。
数日,固まるのを待って立ち上げ部分の打ち込みという。
家屋の工事にかかるのは年明けのようだ。
基礎部分
金曜夜帰宅した折,
“垣根をして駐車できない状態”
と,かみさんの話。
土曜日,白木農園の作業の帰り,
現場は写真の状態。
看板と仮設トイレが設けてある。
“地鎮祭後,土壌調査に入る”
ということであったが連絡無し。
結果と今後の動向について連絡を請う」
島に帰るときKさんに電話した。
「土壌調査の結果,問題ありませんでした。
近く工事に入ります」
とのことで,折返し現場監督Yさんからも,
「土壌には問題ありません。
交通量が多く,クレーン車が入れないので,
年明けから現場で組み立て工事に入ります」
ようやく動き出した。
今の長束の住まいは大型車が通ると揺れる。
それで土壌調査にこだわっている。
K君には,
“揺れるようでは立て替えて貰うよ”
と。
金曜夜帰宅した折,
“垣根をして駐車できない状態”
と,かみさんの話。
土曜日,白木農園の作業の帰り,
現場は写真の状態。
看板と仮設トイレが設けてある。
“地鎮祭後,土壌調査に入る”
ということであったが連絡無し。
結果と今後の動向について連絡を請う」
島に帰るときKさんに電話した。
「土壌調査の結果,問題ありませんでした。
近く工事に入ります」
とのことで,折返し現場監督Yさんからも,
「土壌には問題ありません。
交通量が多く,クレーン車が入れないので,
年明けから現場で組み立て工事に入ります」
ようやく動き出した。
今の長束の住まいは大型車が通ると揺れる。
それで土壌調査にこだわっている。
K君には,
“揺れるようでは立て替えて貰うよ”
と。
叔母のミカン
「あなたの車が分からんから,ミカン送ったよ。
Y(娘)ちゃんにも,1つ2つ分けてやってね」
30日,叔母からの電話だった。
荷物の到着を待たず,31日,島に帰った。
お礼に寄ると,入浴中であったらしい,失礼!。
叔母の箱にはメモが添えられていた。
枝に付いたミカンには“お供えです”
レジ袋に“世羅のお米をお鉢さん(お仏飯)に”と。
貧乏だからモノが多い!?
大きな引っ越し(荷物の搬送)は5度ほど。
そのうち,業者にお願いしたのは2度。
あとは,知人の搬送,トラックを貸りたり,
お金はかからなかったが,夜な夜な動いた。
動けば贅肉は削がれるはずなのに,
“お金を出して買ったものだから”
捨てきれず,生きた年数に比例して増えた。
今回は漸く思い切っていくらかを捨てた。
だが,まだ心残りはあった。
お好み焼きに使った厚さ22㍉,畳1枚分の鉄板。
妻の知人に利用を図ったが,動かすのが無理。
藁を使った畳も島で活用したかったが時間が無い。
大物で捨てた覚えがあるのは,車1台。
昭和40年代後半,景気の悪い時期。
妻の知人に“古代の遺物”と揶揄されたセドリック1900。
廃品回収業者は,気の毒がってセブンスター2個をくれた。
そうしたことと,施米なりに収納場所があったことが,
不要品までも貯めることに繋がった。
貧乏根性がゴミを増やしている。
「あなたの車が分からんから,ミカン送ったよ。
Y(娘)ちゃんにも,1つ2つ分けてやってね」
30日,叔母からの電話だった。
荷物の到着を待たず,31日,島に帰った。
お礼に寄ると,入浴中であったらしい,失礼!。
叔母の箱にはメモが添えられていた。
枝に付いたミカンには“お供えです”
レジ袋に“世羅のお米をお鉢さん(お仏飯)に”と。
貧乏だからモノが多い!?
大きな引っ越し(荷物の搬送)は5度ほど。
そのうち,業者にお願いしたのは2度。
あとは,知人の搬送,トラックを貸りたり,
お金はかからなかったが,夜な夜な動いた。
動けば贅肉は削がれるはずなのに,
“お金を出して買ったものだから”
捨てきれず,生きた年数に比例して増えた。
今回は漸く思い切っていくらかを捨てた。
だが,まだ心残りはあった。
お好み焼きに使った厚さ22㍉,畳1枚分の鉄板。
妻の知人に利用を図ったが,動かすのが無理。
藁を使った畳も島で活用したかったが時間が無い。
大物で捨てた覚えがあるのは,車1台。
昭和40年代後半,景気の悪い時期。
妻の知人に“古代の遺物”と揶揄されたセドリック1900。
廃品回収業者は,気の毒がってセブンスター2個をくれた。
そうしたことと,施米なりに収納場所があったことが,
不要品までも貯めることに繋がった。
貧乏根性がゴミを増やしている。
軽トラは働きものだ
いつの間にか11月。愛車はよく仕事をしてくれた。
島まで約2時間。車は島の家に乗り入れできない。
注意して無理すれば,すぐ近くまで行くこと可能だ。
が,道幅は軽トラの車輪幅+20Cmで務鋪装の斜面。
昼間でも,一度車輪をはずして苦労したことがある。
28日の夜は,近くの道路から手作業で運び入れた。
第2音戸大橋ができてから,専ら海自基地脇を通る。
一寸休憩して潜水艦を見せてやった。
大橋を渡りトンネルを抜けると白い島。
“南の島に雪が降った”ようだが,塩。
写真右奥の小さなヒョウタンのような島。
この無人島が1億1万円で競り落とされた。
買ったのは三ツ子島埠頭(株)で,日本の工業塩の75%を扱う。
渡子(とのこ)の人家を外れてふり返ると,
塩を荷揚げしている様子が伺える。昼夜を問わず。
早瀬の背とを挟んで,対岸は江田島(能美島)。
三ツ子島
呉港外にあるため,それなりの歴史を持つ。
戦前は旧海軍の艦艇の消毒施設があったらしく,
消毒液による土壌汚染の可能性もあるとか。
また,長崎造船所で建造された空母“天城”は,
燃料の欠乏で出動すること無く呉港に係留中被弾。
三ツ子島に移動後にも被弾し沈没している。
中学生の頃,定期船で広島・宇品港に向かう途中,
傍を通ったが,既に残骸は撤去され姿は見なかった。
(海軍工廠・日亜製鋼は暫く無残な姿を曝していた)
軍艦の形をしたコンクリート製の物体が沖合に停泊(?)
していたのは記憶に残っている。
空母もそうしたであろうが,擬装の一環として作られたのだろう。
(中国財務局による三ツ子島競争入札は,2010年2月のことだった。
また,航空写真は Google earth からお借りした。
いつの間にか11月。愛車はよく仕事をしてくれた。
島まで約2時間。車は島の家に乗り入れできない。
注意して無理すれば,すぐ近くまで行くこと可能だ。
が,道幅は軽トラの車輪幅+20Cmで務鋪装の斜面。
昼間でも,一度車輪をはずして苦労したことがある。
28日の夜は,近くの道路から手作業で運び入れた。
第2音戸大橋ができてから,専ら海自基地脇を通る。
一寸休憩して潜水艦を見せてやった。
大橋を渡りトンネルを抜けると白い島。
“南の島に雪が降った”ようだが,塩。
写真右奥の小さなヒョウタンのような島。
この無人島が1億1万円で競り落とされた。
買ったのは三ツ子島埠頭(株)で,日本の工業塩の75%を扱う。
渡子(とのこ)の人家を外れてふり返ると,
塩を荷揚げしている様子が伺える。昼夜を問わず。
早瀬の背とを挟んで,対岸は江田島(能美島)。
三ツ子島
呉港外にあるため,それなりの歴史を持つ。
戦前は旧海軍の艦艇の消毒施設があったらしく,
消毒液による土壌汚染の可能性もあるとか。
また,長崎造船所で建造された空母“天城”は,
燃料の欠乏で出動すること無く呉港に係留中被弾。
三ツ子島に移動後にも被弾し沈没している。
中学生の頃,定期船で広島・宇品港に向かう途中,
傍を通ったが,既に残骸は撤去され姿は見なかった。
(海軍工廠・日亜製鋼は暫く無残な姿を曝していた)
軍艦の形をしたコンクリート製の物体が沖合に停泊(?)
していたのは記憶に残っている。
空母もそうしたであろうが,擬装の一環として作られたのだろう。
(中国財務局による三ツ子島競争入札は,2010年2月のことだった。
また,航空写真は Google earth からお借りした。