Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

GWは開店休業します

2005-04-28 08:30:00 | diary
4月29日から5月5日までは、原則更新はしない予定です。
ただし、うまく時間がとれれば更新するかも知れません。

まぶしい朝だ。
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鳥たちのゆく方へ

2005-04-27 13:24:38 | diary

なんだか居ても立ってもいられなくなり、昼前から外出。

■空を眺めながら一路書店へ行き、2冊を衝動買いする。
・ティプトリーは最近あまり書店では見かけないので、即買いモード心拍数急上昇
・イーガンは短編集を買おうと思っていたのになぜか長編を手にしてしまった。
 まあ創元社は絶版にするの早いしなー。

 

 

■そして空を行く鳩たちを眺めながら一路レンタルCD屋へ。
ずうぅぅぅーーーーっっと我慢していた2枚を、「当日返却」で借りる。

 

以前ならとっくにガシガシ買っていた物タチだ。
すこしすっきりした。読んで聴くぞ!

しかしまた浪費癖が出てきたのか?もうしませんから~(当分は・・・)

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まずひとすじの流れを

2005-04-26 15:54:17 | diary

東京南部は突然の雷雨だ

**

昨日は診察日だった。
休職期間延長のための形式的な診察なので、30秒ほどで終わる
復職訓練期間も想定して、6月以降も6ヶ月の休職という内容だ。
6ヶ月・・・普通に考えれば天国のような長期休暇。
でも病休だとあっという間の期間。

診察のあと、職場の担当者の昼食の誘いを断り、買い物をする。
(よそ行きの世間話ができるほど気丈じゃないのだよ)

久々に細かく散財をした。 
★CD-Rメディアを1パック、
★子供のバースデープレゼントにするゲームソフト

 


★吾妻ひでお「失踪日記」(図書券で買いました)

 


歌恋さんに教えてもらった「文教堂2F」でお茶してみる。
まあまあ美味しいカフェラテが飲めて、若者だらけ感がない・・・おじさん感も少ない(笑)
適度に空間もあり、騒げる雰囲気もないので、静かに「失踪日記」を読めた。

この本は・・・社会の流れからどんな形であれ逸れたことのある人には、なにがしかの説得力を漂わせるなあ・・・冒頭の「リアリズムを排除して書きます」という宣言が妙に胸にしみるぅぅ。

**

胸にしみた後は、某放送局にKさんを訪ねる。Kさんも局の人ではないので、ほとんど不法侵入的な訪問(^^;)ちゃんと入館手続きはしてますけど~なんか後ろ暗い~。

で、最近エンドレスとなってきた結婚式ソングの、ボーカルトラック最終?決定会議をする。
話しているうちに、Kさん「オケを差し替えたい」、私「!?」
・・・驚きをとおりこして、珍しく妙にHIGHになってしまう私・・・・
こういうのは納期をはっきり定めないとねっ

関係ないけど、某局の食堂の「サラダ」は、「メロン半分切り型」のサラダボウルで出てくる。
あのサラダボウル・・・欲しいかも・・・・

**

某局を後にし、ベルギー象徴派展を見に行く。
bunkamuraザ・ミュージアムには、コイン返却型のコインロッカーがあるが、
荷物を入れようとたまたま開けたロッカーの100円返却口に100円玉が・・・
・・・象徴派の霊の賜と解釈し、ありがたく活用させていただく。

そして展覧会カタログ2800円散財。

**

写真をとりながらのんびり帰宅する。
近所のスタバは我慢するつもりだったが、なんだか気分がよいので立ち寄り、久々のトールラテを奮発する。
やはりラテはトールサイズが最高。

と、スタバでメール受信。妻が副鼻腔炎の疑いで早退、病院に行っているらしい。
ああ日常らしい日常が待っている。
家族がぞくぞく帰宅するなか、お米を炊飯器にセット。
レタスと各種ベビーリーフ+ハムのサラダを作り、冷凍食品の天丼を解凍する。

ううむ今日は象徴派とのギャップが大きすぎるため、夕食は手抜きです!

**

生産性がなく疲れる過ごし方だなあと振り返って思う。
眠くなってきたなあ。

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ベルギー象徴派展

2005-04-26 11:24:07 | art

JRの惨事は本当に大変なことです(T T)

**

そのさなか、ベルギー象徴派展に行ってきました。
そもそも絵画系はあまり知らないので、単なる感想文を書きます。

「19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパで産業化とともに人間疎外も進行する中で、そこから逃避するかのように幻想的な別世界を追い求めたのが象徴派の画家たちでした。」(展覧会カタログより)ということなので、作風も幻想的であったり寓意的であったり猥雑であったり、リアリズムや自然主義とは対極にあるものです。

しかしなんだかネガティヴな響きをもった定義ですね。「そこから逃避」って・・↑
ほぼ同時代のエドヴァルド・ムンクなんかは、疎外を直視した・・ということになるのでしょうか。

ベルギーにはその時期美術グループ「二十人会」が結成されたり、カトリック神秘主義グループとの交流もあったりで、運動の中心地となったようです。

**

というような背景はさて置いておいて(^^;)
中心的な画家フェルナン・クノップフについてのみ感想を・・・

クノップフの絵には、乳白色とでもいいたくなる独特の空気感があって、それは風景画でも人物画でも変わることはない。
今回実物を見て、図版とは比べ物にならないくらいその空気感を感じた。
特にブリュージュの風景画では、鉛筆・パステルのみでその質感が表現されていて驚嘆する。

風景画について言えば、神秘主義的な表現とは感じない。廃都を題材とした風景の神秘をむしろ自然主義的に描写しているとさえ感じる。
一方人物画となると、一気に象徴主義的、悪く言うとまんがちっくになってくるから不思議だ(笑)
(まんがちっくなのはクノップフに罪はなく、むしろ象徴派等の耽美的作風の継承者が、現代の一部のマンガにあるということによるのじゃないだろうか?)

人物は一様に無表情で、唇が薄く、あごが長い。平板な印象すら覚える。
風景画で見せた驚異のデッサン力は、人物になると発揮されないのだろうか・・・
(モデルは一貫してフェルナンの妹さんらしいですね・・・)

と思っていたら、1点だけ展示されていた彫像「メデューサの首」、
このメデューサの表情の豊かなこと!
目前に彼女がいて、声が今にも聞こえそうな躍動感を持っている。
絵画とのこの違い、どういうこと?
彫像は全体にバランスもよいし、欲しくなってしまった。
クノップフの立体作品は初めて見たので、興味深いところ。


**

さて、グレッグ・イーガンファンよ集え!と思ったら、肝心の「愛撫」はなかった(^^;)
「「愛撫」のための習作」はあったけど・・・
ほかにも、ジャン・デルヴィルの「悪魔の宝物」がないなど、ちょっと目玉を欠いた感は否めない!

とはいえ、デルヴィルの秀作や、普段目にすることのできない作家の絵を見ることができるのはうれしい。
ジャワ島生まれのヤン・トーロップのインドネシアテイストの作品や、ジェームズ・アンソールのチープでエネルギッシュな作品などは、普通はお目にかかれない。

と、いきなりおしまい(^^)/

↓デルヴィル「死せるオルフェウス」

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曇りの日は街は異星人

2005-04-25 09:44:34 | diary
今日は3ヶ月に一度、休職のための手続き的な診察のために、
渋谷にある病院に行く。
食費節約のため、弁当を持参する(笑)
自分のためにつくる弁当は、まったく色気がなく、不思議な物体だ。
ただ食べられるのを待っている物タチ・・・

**

4月11日に、ここ経由でアマゾンでお買い物頂いた方がいるようです。
謹んで御礼申し上げます。

自分でも買い物をしたいんだけれど、経済状況が許さず。

**

家族に「安心なうつ病患者」と言われている私は、
うつうつとしながらも、なんとなく自分でバランスをとり、
通院も職場対応もひとりでやっている。

具合が悪くても、放っておかれる。
後から思い起こすと大変だったねえなんて言われる。

なんだか悲しい境遇なような気もするが、
このほどよい放っておかれ具合が意外と幸いしているのだろうか。

子供たちは、帰宅時に親が家にいるので、無邪気に喜んでいる。

まずい、時間だ出かけなければ!
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マルホランド・ドライヴ気分

2005-04-24 14:21:58 | diary

本日、某氏からのバンド参加依頼をまたお断りした。
以前は私の辞書に「お断り」の文字はなかったのだけれど、今はダメーな気分。
やっぱりベース弾くにはかなり前のめりな集中力がいるし、
その集中こそがベースの楽しさでもある。
今はその集中を楽しめる状態ではないんだな。

でもまあ今回お誘いのグループの内容にちょっと気が乗らないというのもあるんだろう。(笑)

**

チェンバロのレッスンに向けて自宅練習をする(ピアノで)
タッチの違いがあるので、チェンバロのタッチを想像しながら弾く。
しかし先生、3と4の指でトリルなんてできません(T T)
ひょっとして4343~がチェンバロの楽しみですか?(汗)

**

昨日、Mちゃんの誕生日シーズンに合わせ、実家の両親がやって来る。
ケーキのロウソクに火を点ける。一気消しするぞ!と宣言したMちゃん。
入魂の一吹きであったが、なぜか1本も消えず(笑)
その後急に慎重になり、1本ずつ丁寧に吹き消していった。
なんだか複雑な性格なようだ。

**

けさ、りんごさんのところにお邪魔したらSOS状態の方がいるという呼びかけが。
その方のブログに訪問して、初めましての挨拶をする。
ブログを通した人間関係はひたすら言葉のコメントしかない。
どう転んでいくか、見当もつかない怖さがある。
どうしたらよい方に転んでいくか考えきれないもどかしさがある。

**

デレク・ジャーマンの映像が脳裏から剥がれてくれない。
この剥がれない感は、ゴダールの「映画史」第2章の観賞後に似ているかもしれない。
某氏より、四方田○彦氏がゴダール「映画史」にアジアの視点が欠落していることを批判していたと聞く。
私は、これはゴダールの思いがけない謙虚さであると受け取っていた。
アジアの視点を含めた映画史はゴダールには作り得ないことを自覚していたのではないだろうか。
でも、ならば「映画史」を標榜するなかれ、という意味での、傲慢さであるとも受け取れる。

謙虚であり、傲慢をおそれなかった(というか確信犯だった)なんていうスタンスなような気がする。
まあ今私にその真実はわからない。
(なにしろ3章以降を未見だし(^^;))

**

90年代後半から、いやおうなく仕事と子育てが生活の中心だった。
なのでその間映画や文学や音楽に何が起きたかをほとんど知らない。
グリーナウェイと喧嘩後のマイケル・ナイマンの音楽を知らない。
ファーストアルバム以降のビョークのアルバムを知らない。
押井監督のアニメを未見である。
ソクーロフの映画を未見である。
時間がない。自分の時間がない。以前のペースを取り戻すには、生活を変えなければならない。
私の病気の根底にはこの喪失感があるように思う。

そしておそらく、解決は医学の中にはなくて、自分自身の中にしかない。

**

明日はgooブログのメンテナンス日。パフォーマンス改善を期待しよう。
しかしBlog Pet使えるようにならないかなあ・・・・

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デレク・ジャーマン「ラスト・オブ・イングランド」

2005-04-22 12:08:36 | cinema

 

裸体図を凌辱する男、テロリストによる処刑、葬送、ユニオンジャックのうえで交わるゲイ、嘆き悲しむ女などの断片化されたシークエンスの重層的な映像コラージュ。
頽廃・暴力・死・絶望を思わせる映像がスラッシュされ、重なり合い、繰り返される。
音響もまた、ノイズ、台詞、音楽、ヒトラー演説等の引用からなる、サブリミナルに訴えるコラージュである。

デレク・ジャーマンは私にとって、「リアルな」作家なのだと思う。
80年代には間違いなくこういう衝動があったと思う。
頽廃・暴力・死のイメージ、そしてアヴァンギャルドな表現。
希望のない表現。即興的表現。
他のどの時代とも違う表現の荒廃、荒廃の表現があった。
そしてそれらでしか表し得ない何かを憑かれたように追った作家がいた。

あのころ、世界のイメージは確かにこうだったと思う。
そしてそれは今も少しも変わっていないと思う。

しかしサイモン・フィッシャー・ターナーによるサウンドコラージュは秀逸。
このままノイズ作品?音源としてもよいだろう。
でも悪夢を呼びそうだ。

またときおり挿入される、ホームムービーらしき郷愁あふれる映像がまたうら悲しい。
過去とは複雑なものだ。過去は懐かしいとともに忌まわしくもあるものだろう。誰であれ、個人的にも歴史的にも。

つらく苦しい自分だけの90分を過ごせます。

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「WATARIDORI もう一つの物語」

2005-04-22 08:53:29 | cinema

 

2001(フランス・TV)
監督:ジャック・クルーゾ
製作総指揮:ジャック・ペラン、ステファンヌ・デュラン
      ジャック・クルーゾ
編集:ジャクリーヌ・ファノ、カトリーヌ・モーシャン
音楽監督:ブリュノ・クーレ
ナレーション:ジャック・ペラン


約2時間にわたって鳥を見続ける。
ひたすら見続ける。

「よく撮ったなー」とか「どうやって撮ったのこれ?」とか、
「すごい近くで飛んでる!」とか「すごくいっぱい飛んでる!」とかいった
人間らしい驚きは、最初の数十分のうちに味わい尽くしてしまう。

後は、だんだん異様な気分になってゆく。
「とり、とり、とり・・・・」と思っているうちに「と」「り」ってなんだっけ?変な言葉に思えてくる。
あとはあの姿形!ちっこく突き出た頭とくちばし、翼と、こころもとない両足。
自分がそんな形態になってしまったような気分になり、ついくちばしで何かをつつきたくなる。

こうなってくると、こんどは病的に面白くなってくる。
「うわっこいつはとりの中でもちょっと人間ぽいぞ!」
「こいつはどっちかというと爬虫類じゃないのか?」とか
鳥の気持ちになって「仲間」を観察し出す。

**

ルドルフ・シュタイナーによると、
鳥のエーテル形姿全体は、本来頭だけの存在なんだそうで、
口腔だけの頭、胴体、足もすべてが変化された頭と見なされるべきだそうです。
・空を飛ぶ鳥の翼は、太陽光線の霊的な力によってその物質体が与えられている。
・おなじ太陽の働きは、人間に対しては、脳を思考内容の担い手としている。
・鳥の多彩な翼の中に、人間の中に生きる思考の力と同じ力の働きを見ることができる。
・思考するとき、我々は自分が翼を持った鷲に似ていると感じることができる。

あーわからん。(参考文献↓)

ジョン・デンヴァーが「鷹と鷲」という歌で、鷹と鷲が飛翔するときの崇高さと自由さを、
鳥の立場にたった一人称で歌い上げているが、あれもなかなか深い洞察だったのか?(笑)

**

少なくとも鳥にとっての翼や飛行の重要性ってのがこの映画見てると
いやというほど伝わってくる。
こんなに鳥を追う情熱がどこから出てくるんでしょう。ジャック・ペランさん。

・こんなに鳥を観れる映画って他にあるかな。ヒッチコックの鳥よりは確実に多い。
・ツイン・ピークスで存在感を示すシロフクロウの声が、なんかお間抜けでとてもよい。
・ペンギンが鳥だとはどうしても思えない!直立二足歩行だよなああれ。
・「WATARIDORI」という本編?と本作との区別がついてませんでした。
 本編も見たい・・・けどもういいかな(笑)
・鳥フェチでなければ、退屈は避けられないのではないでしょうか。
・日本語音声がついているので、そっちで観た方がよかったかも。
 フランス語だといい具合に眠気を誘うので(笑)

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お腹を凹ます

2005-04-21 17:16:49 | diary

Tarzanの「夏までに、お腹を凹ます!」特集を鵜呑みにして、ジョギングはきついからウォーキングで凹ましを企てる。
なになに、1日8.4kmペース、ふんふん1万歩をちょっと超す程度ね・・・
と、家から8.4kmコースを地図で選んでみる・・・
・・と、とんでもない距離じゃない?(^^;)なんだかなぁ~
いつものウォーキングコースなんかこれに比べればニョロっとした曲線にすぎない(汗)

そして今日馬鹿正直に8.4kmコースを歩いてみる(笑)。
歩けるもんだろうか?俺に。

最初は快調に歩いていたが半分行かないうちに足の裏がちょっと痛くなり、
腰がメキメキいいだすし、心細い~。

折り返し点に設定したブック○フについて一休みして、引き返す。
何度もバスに乗ろうかという誘惑に駆られるが、バス停が見えるとバスが横を通り過ぎたりしてタイミングがあわず。(幸い?)

終点に設定したスタバまで歩いたら、ご褒美にショートラテだぞと自分に言い聞かせて歩く。

帰り道はもう腰がいたたた・・・と思いながらも信号待ちを繰り返しているうちに
少しずつ休めちゃったのか、意外と快調に(^^)v
無事ラテを飲むことができた。

さてお腹は・・・凹んだかなあ・・・?
ん?まてよ?これを毎日?目標は4ヶ月?そんな時間も気力もないぞおおぉぉぉ
・・要するに2時間歩き回ればいいんだよな。俺にできるもっといい方法はないかな?

1.大きな街に出て書店めぐりをする。
  デメリット:無駄に散財の可能性が大きい。電車賃がかかる。
  メリット:散財の結果荷物が重くなり、ダンベル運動もできる。(?)
2.タワーレコードですべての棚をチェックする。
  デメリット:(1と同じ)
  メリット:(1と同じ)

ぱっとしないなあ・・・

3.レコーディングを終わらせてCDを作り、売り込みに歩く。

これだ!これがいいかな(笑)
でも問題は、いま資金繰りが厳しくなってしまって、CD製作に回すお金がないんすよ(^^;)
ここらで強力なパトロンが現れたりしないだろうか(他力本願)

・CD作りたいし、
・チェンバロ弾きたいし、
・腹は凹ましたいし、
・仕事には行けないし、
・・・・いい歳こいて行き当たりばったりの人生だなあ、しかし。

あ、そうそう、折り返し地点のブッ○オフで、ティプトリー「たったひとつの冴えたやりかた」を発見、入手する。
ささやかなラッキー(^^)v

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ピーター・フォンダ「さすらいのカウボーイ」

2005-04-21 10:46:38 | cinema

 

1971(アメリカ)
監督:ピーター・フォンダ
製作:ウィリアム・ヘイワード
脚本:アラン・シャープ
撮影:ヴィルモス・ジグモンド
音楽:ブルース・ラングホーン
出演:ピーター・フォンダ ウォーレン・オーツ ヴァーナ・ブルーム ロバート・プラット


私はこういう西部劇が好きだ。派手でない、勧善懲悪でない、女性を描く、アンチヒーローな西部劇が・・・と書くと、定義矛盾のような気がしてくる。
そういう映画をなにも西部劇に分類しなくてもいいという考えも浮かんでくるけれど、やっぱり「西部劇でアンチヒーロー」を描かないと「アンチ」さは出せないわけで、やっぱり西部劇であることも重要なファクターなのだ。(自問自答)

日本で言うと「時代劇」だろうか。派手でない、勧善懲悪でない、女性を描く、アンチヒーローな時代劇・・・?

**

1800年代おわりのアメリカ。
放蕩を重ねた男(ピーター・フォンダ)が、ある時、7年間離れていた妻子の元に帰ろうと決心し、旅の仲間(ウォーレン・オーツ)とともに家に戻る。
妻は、捨てられた痛手と、また去ってゆくときの喪失感への恐れから、帰宅を拒絶する。
男は、妻の使用人として働くことを申し出る。熱心に働く男とその仲間。
妻は次第に夫として受け入れる。

頃合いを見計らい、仲間の男は、「更に西を目指す」といって家を去る。なんてぇ思慮深いヤツだ。
しかし彼は、かつて道中でいさかいのあった一味にとらわれてしまう。

それを知った男は、友を救い出すために再び馬に乗り家を出る。必ず戻ると言って。
しかし・・・

**

ピーター・フォンダの初監督作品。
ともすれば派手な復讐劇にでもなってしまいそうな設定だが、この映画は違う。
全編ゆったりとしたペースで、心にしみいるような大自然の光と、抑制のきいた音楽の連なりで描かれる。台詞も最小限。
スローモーション、ストップモーション、オーヴァーラップの多用により独特の質感を出す。

そこで描かれるのは、男たちの友情、信義、賢明さについて。
また、家に残された妻の孤独とたくましさ。
そして愛の回復と喪失の物語。
さらには、新しい関係の構築と賢明さの継続への静かな希望である。

たった90分のなかで、しかも抑制のきいた演出でこれだけのことを描いてしまった、これはなかなかの秀作に違いない。

徹底したリアリズムも魅力。
死のシーンのリアルさ。メークをしない女性たち。自然の光。大自然の風景と光。
その一方で、描かずして重要な物事を暗示する脚本とカットの妙技を見せる。


思うに、西部劇で西を目指さずに、「疲れた、家に帰る」(笑)というのは、大きくとらえると西部開拓の夢の終焉ということなのだろう。
男は馬に乗らないで、働いて酒を飲む時代へと変わっていく。そういう終末感のようなものがこの映画にはあるのではないかしら。
ラストにおとずれる本当の放蕩の終わりは西部時代の終わり、賢明さの時代の始まりのようである。
(まあ本当に賢明かどうかは置いといてー)

で、この映画、製作は1971年。
だから、これはやっぱりアメリカン・ニュー・シネマの時代というか、みんな60年代のパワーをいまだ信じつつも無意識には終焉を肌で感じてよりどころを失いつつあった時代な訳で、そうした時代背景をきっちり反映した作品なんじゃないかな。
のわりには興行的にはふるわなかったようですが・・・

これがさらに2002年にディレクターズカット版でリプリントされたわけで、これは何を意味するかというと・・・?冷戦終結後の・・・なんて言い出すとだんだんこじつけに近くなってくるのでよそう。とにかくいま観れることの幸運を味わおう。
(ら抜き言葉)

**

音楽はヴェンダース「パリ・テキサス」のライ・クーダーをちょっと思わせる。
(ヴェンダースがこの映画を観ていた?ってのは十分あり得るように思えるが・・?)

その全編に重要な貢献をする音楽はブルース・ラングホーンによるもの。
ボブ・ディランのセッション等で有名。というよりディランの「ミスター・タンブリンマン」のイメージの元となった人!として有名。
サントラが欲しい!

あと、さすが70年代始めの作品、後に有名になる逸材がスタッフにいっぱいいるらしい。
美術のローレンス・G・ポールは、後に「ブレードランナー」でアカデミー賞にノミネートされている。
撮影のジグモンドはやはり後に「未知との遭遇」でオスカーをゲット。他にも「脱出」「スケアクロウ」「ディア・ハンター」「ラストワルツ」(!)などでおなじみな人だった。

こういうたたき上げのスタッフは、その時々のメインストリームに乗って、西部劇からSFから様々なジャンルで仕事をしているのが面白い、というか基礎体力があるなあと感心する。


あとこの映画、原題は「The Hired Hand」
これは「使用人」みたいな理解でいいのかな。どうも語学力がなくて・・・
でも確かに日本で公開する場合、ぱっとしないタイトルかもね(笑)

それからーと、クリントイーストウッドの「許されざる者」(1992)をちょっと思い出した。引退したガンマンが友の救出に行くっていう設定がよく似てる。まあこっちは結局はヒーロー物なんだけど(笑)

こんなところかな?

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four letter word

2005-04-20 09:13:45 | movelog

物事には背景とか歴史とか文脈とかそういうものがある。
すべてを把握した上で次なる道があればそれをたどるというのが「道」なのだろうか。

ちょっとネットをうろついていたら、たった4文字のことも理解できていないことに気づかされた。

でもこのタイトルセンス、某SF作家ファンなのかしら・・・

「愛国無罪」は「救国入獄」の夢をみるか…
「愛国無罪」と宋慶齢(孫文の未亡人):…

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振り返ると聞こえる音楽

2005-04-19 10:25:05 | recording日誌

ホテル・ルームを観た後外出し、
結婚式ソングのボーカルトラックについて、Kさんと打ち合わせた。
2時間弱くらい、どの部分はどのテイクからとるかなーなんて話を延々した。
よおく考えると、もう切り張り前提で歌っているのが姿勢としては間違ってない?
という気もしないではないが、でも録音物として残す作業はやっぱり別の発想でもいいか。
録音してる方も切り張り前提でOK出ししてるし(^^)ゞ

結局困るのは、どのテイクもまあまあ同じ感じ、っていうパート。
どれを選ぶべきかさっぱりわからなくなってくる。
まあどれを選んでも同じなんでしょうけど。

あとやっぱり素人に毛が生えた程度の録音体制なので、ところどころ吹いてたりカキクケコが響いちゃったりしているなあ。
もうそういうのは気にしないっ
でないと先に進めない。

打ち合わせを某放送局内でやったので、有名人をちらほら見る。
TVでみたまんまの雰囲気の方は大して感動はなく、むしろTVとは違う姿を見せている方の方が「おお実物だ」という実感がした(笑)

ついでに売店で本を買う。そこで買うと1割引なんだそうで、ついいらぬ本を買ってしまう。
よおく考えたらもっと欲しい本を買えばよかったのにな(^^;)実に間抜けだ。


打ち合わせ後新宿に移動、スタバ経由でチェンバロのレッスンに。
楽器にまだ慣れなくてボロボロな状態。
45分のレッスン時間なんだけど、講師が実質30分で終わろうとするので、質問などして粘る。
ちょっと時間が短すぎるなあ・・とさっそく不満を持つ。

あああああ疲れたっ

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デヴィッド・リンチ他「ホテル・ルーム」

2005-04-19 09:49:09 | cinema

 

監督:デヴィッド・リンチ
   ジェームズ・シニョレッリ
製作:デヴィッド・リンチ
   モンティ・モンゴメリー
脚本:バリー・ギフォード
   ピーター・デミリンダ
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ハリー・ディーン・スタントン、グリフィン・ダン
   フレディ・ジョーンズ、デボラ・アンガー
   クリスピン・グローヴァー、アリシア・ウィット他



パニックだった昨日。朝からばたばたした結果、結局こんなものを観る時間ができた(笑)

デヴィッド・リンチが製作等で絡んでいる、3話のTVシリーズ。
ニューヨークのレイルウェイホテル603号室で起こる3つの出来事からなる。

第1話「トリック」は1969年の設定。
ボガという男と、買われたダーリーン。そこへ闖入するルイス。
見た目平静に進むが、非常に入り組んだ設定だ。
ボガとルイスの関係は?会話に出てくるフェリシアの死因は?
フェリシアを殺害したのはだれ?フェリシアとダーリーンの相似の意味は?
本当はどっちがボガなの?ルイスなの?
リンチ監督のギフォード脚本なので、深読みして楽しもう。
・スタントンの、切れそうで切れ切らない(?)絶妙な危うさが怖くてよい。
・ダーリーンが途中で退場しちゃうのがなんだかもったいない。

第2話「GETTING RED OF ROBERT」は1992年
これはなんだか普通の話。(ラストを除き)
なんとなくジェーンバーキン似の女優をめぐる男女の愛憎・・・
って以外書きようがないなあ。
新しい恋人ができたので、今の彼氏を振るつもりの女優。
でも新しい恋人は、更に新しい恋人とトンズラ。
そこへやって来る今の彼。でもその彼からは思いがけず思いっきりあけすけな別れ話が・・
想定外だぁ(女優のこころの叫び)
で、やれやれなラストシーンに。
・メイドさんの存在がちょっと気になる。

第3話「BLACK OUT」は1936年
これ好きですよ私!
停電のさなかチェックインした若い男女。ロウソクの明かりだけで照らされた室内、時折光る稲妻。ほとんどは二人のクローズアップで進行する。
女はどうやら精神を病んでいるようで、訳のわからないことを弱々しく・時に力強く話す。男はそれを優しく忍耐強く聞く。
会話は時に筋が通り、かと思うと再び現実感を失う。
この中で、狂気の原因らしきものが見えてきたりする。
このリアルと幻想の間を揺れ動く会話のバランス感がすごく面白い!
途中ロウソクにとりつかれたり、意味ありげになる電話(すごい旧式の)をうまく使いながら、
女が狂気の一方現実を受け入れる準備ができつつあるような予感と希望を醸しだし、
ラスト停電が復旧するシーンにつなげている。
・汗の滲む忍耐で女を包容しようとする男の姿には打たれる。
・女の顔の作りと表情は最高にいい雰囲気だ。声がちょっと存在感がありすぎるけれど、
 電話のシーンなんかを思うと、実はこの声が正解かもしれない。
・最後のシーンは「WHITE OUT」というべき?すばらしい終わり方でした。
(追記:音楽の付け方が最高にセンスよいです)

あと、当然だけど電話や壁の絵が時代によって変わっているとか、細かい違いが徹底している一方で、エレベータだけが共通項になっている。「時代」を変えてシリーズにする、というのはなかなか面白い設定だったかも。

しかしあのエレベータ、イレイザー・ヘッドっぽいなあ(笑)

ツインピークスやオン・ジ・エアのような派手さはないけれど、
全体としてはなかなかの佳作だったのではないかしら。
ちょっと第2話ではどうなるかなーと思ったけど(^^;)

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ディレクターズカットで打ち合わせ

2005-04-18 08:19:06 | recording日誌
今日は忙しいのだ。

昨日結婚式ソングのボーカルを切り張りした「ディレクターズカット版」を作ったのだ。
そしたら急遽今日打ち合わせしようぜってことになり、
これからそのバージョンをMDに落とす。

かつ、今日はチェンバロのレッスンの日。
口座引き落としの申し込み書をまだ書いていないし。

銀行にも行かねばならない。

なんか朝からパニック。
このくらいでパニクるのも情けないという気持ちがまた一層パニックを助長する。
テレビでは中国の状況を繰り返し伝えているし、
気持ちのうわずった朝。

ブログで精神をしずめようとPCに向かうが、結局世迷い言を繰るのみ。
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コナン観てへろへろ

2005-04-17 17:55:58 | diary
土曜日は家族で「名探偵コナン」を観に行ったが、これが運の尽き?

我が家は映画というとたいていは全席指定席の品川プリン○シネマへ行きます。
前売券が買ってあったので、家族が買い物している間に、座席券と引き替えに
一人先に映画館に行った。

家から歩いていく元気があったので、鬼歩きで歩きダイエットに励む。
そして映画館でD列7から10番の座席券をゲット。
そして上演時間の10分前・・・・家族が来ない・・・
5分前・・・来ない・・・・1分前・・・来ないーっ
なにやってんだかもう(^^;)

3分過ぎくらいに来て、無事本編には間に合う。

「コナン」ちょっと長かったです。
二つ右隣の席のよその子供の鑑賞態度がちょっと不気味で(^^;)、それが気になって変に緊張して観たせいか、非常に疲れた。

にもかかわらず、家族が隣に新しくできた「アクアスタジアム」を覗いていくーというので
つきあったら、思いもかけず「ボート・オブ・パイレーツ」という、巨大な揺れる船に乗せられてしまって、完全にへろへろ状態に・・・・・なんでお金払ってこんな思いを・・・

その上、帰り道に家族がまた買い物するーとかいうもんで無理してつきあっていたら、だんだん立っているのも苦痛な状態に・・・
薬切れも手伝って、動悸・息切れ・めまい・頭痛が同時にやってきてしまった。
行きは鬼歩きだったのに・・・帰りは病人と化して電車で冷や汗を流しながら帰りました・・

実は成り行きでGWに愛地球博に行くことになってるんだけど、これでは先行きが大変心配
コメント (6)
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