Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

マルホランド・ドライヴ気分

2005-04-24 14:21:58 | diary

本日、某氏からのバンド参加依頼をまたお断りした。
以前は私の辞書に「お断り」の文字はなかったのだけれど、今はダメーな気分。
やっぱりベース弾くにはかなり前のめりな集中力がいるし、
その集中こそがベースの楽しさでもある。
今はその集中を楽しめる状態ではないんだな。

でもまあ今回お誘いのグループの内容にちょっと気が乗らないというのもあるんだろう。(笑)

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チェンバロのレッスンに向けて自宅練習をする(ピアノで)
タッチの違いがあるので、チェンバロのタッチを想像しながら弾く。
しかし先生、3と4の指でトリルなんてできません(T T)
ひょっとして4343~がチェンバロの楽しみですか?(汗)

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昨日、Mちゃんの誕生日シーズンに合わせ、実家の両親がやって来る。
ケーキのロウソクに火を点ける。一気消しするぞ!と宣言したMちゃん。
入魂の一吹きであったが、なぜか1本も消えず(笑)
その後急に慎重になり、1本ずつ丁寧に吹き消していった。
なんだか複雑な性格なようだ。

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けさ、りんごさんのところにお邪魔したらSOS状態の方がいるという呼びかけが。
その方のブログに訪問して、初めましての挨拶をする。
ブログを通した人間関係はひたすら言葉のコメントしかない。
どう転んでいくか、見当もつかない怖さがある。
どうしたらよい方に転んでいくか考えきれないもどかしさがある。

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デレク・ジャーマンの映像が脳裏から剥がれてくれない。
この剥がれない感は、ゴダールの「映画史」第2章の観賞後に似ているかもしれない。
某氏より、四方田○彦氏がゴダール「映画史」にアジアの視点が欠落していることを批判していたと聞く。
私は、これはゴダールの思いがけない謙虚さであると受け取っていた。
アジアの視点を含めた映画史はゴダールには作り得ないことを自覚していたのではないだろうか。
でも、ならば「映画史」を標榜するなかれ、という意味での、傲慢さであるとも受け取れる。

謙虚であり、傲慢をおそれなかった(というか確信犯だった)なんていうスタンスなような気がする。
まあ今私にその真実はわからない。
(なにしろ3章以降を未見だし(^^;))

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90年代後半から、いやおうなく仕事と子育てが生活の中心だった。
なのでその間映画や文学や音楽に何が起きたかをほとんど知らない。
グリーナウェイと喧嘩後のマイケル・ナイマンの音楽を知らない。
ファーストアルバム以降のビョークのアルバムを知らない。
押井監督のアニメを未見である。
ソクーロフの映画を未見である。
時間がない。自分の時間がない。以前のペースを取り戻すには、生活を変えなければならない。
私の病気の根底にはこの喪失感があるように思う。

そしておそらく、解決は医学の中にはなくて、自分自身の中にしかない。

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明日はgooブログのメンテナンス日。パフォーマンス改善を期待しよう。
しかしBlog Pet使えるようにならないかなあ・・・・

コメント (7)
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