Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「わたしの叔父さん」フラレ・ピーダセン

2021-04-15 03:10:00 | cinema
恵比寿ガーデンシネマが休館となるので、
最終日に詣でることにし、
その日その時刻に鑑賞できるものということで、これを観ました。

なのでほぼ前知識なし。

印象としては、割とよく知っているヨーロッパの映画という感じで、静かで、ことさら大変なことが起きるわけでもないが、人々の中で確かな変化があるような感じ。

晩年のベルイマンやエルマンノ・オルミのような。

鬱屈して不器用な心を持ち、
日々の暮らしを保つのに時間を割かれ、
世話になった叔父さんの老いという現実もあり。

その中で開かれる世界への興味や憧れ。
未来の展望が心を変えるかと思われたが、
不動の現実の中でとりあえずはまた心を閉ざしていくしかない。

そういうどうにもならない感。
豪胆に傷つけあって枠をはみ出すことは出来ず、
理性的にも感情的にも現状守るべきものを守るしかないという選択をすること。

これがとても現代的なように思えた。
真面目な普通の人がどう生きるか。
おいそれと心を開き羽ばたいていけるものではないという作りは、今は真摯な態度だと思う。

一方で、ミニマムな日常はおそらく大きく変わるのだろうという予感もある。
食卓で世界の窓となっていたTVがとうとう故障して、
やれやれと、ついにあの二人は向かい合って、
会話を始めるだろう。
世界から目を逸らし、
自分たちのことを話し合うだろう。

そういうほのかな予感で終わるのが
よかった。


しかしなんとなく
平穏な社会の中という雰囲気があり、
倒れればちゃんと入院できるし
個人経営の酪農も普通に成り立つようだし
都会にはハイレベルな教育もあるし

例えば日本でこれを撮るなら、
もう少し不安気な作品になっただろうと
思ったり。






コメント
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