タチの流れで観たくなり、アンドレイ・タルコフスキー監督「サクリファイス」を観る。
これもDVD。タイトルはOffret Sacrificatio.
Offretはスウェーデン語、Sacrificatioはラテン語。ともに「生け贄を差し出す」行為。
光も水も風も炎もコントロールする完全主義者の詩人のこの作品は、
私にとっては何度訪れてもやわらかくはじかれてしまう謎めいたゾーン。
使われるモチーフは彼の他の作品に繰り返し登場するものであっても、
その意味はさらに二重三重にくるまれて単純でない。
他の作品ではふんだんに流れる水は、ここでは
水に囲まれていながらも控えめで謎めいた存在だ。
単に厭世的な文明批判ではないし、単に希望を明日へつなごうとするメッセージでもない。
絶望と改心を突きつける数々の言葉や燃える家の映像もまた、
アレクサンデルの日本かぶれの服装と滑稽な行為によって、
その真実性が留保され、自分自身の信念への疑義さえも表現している。
(燃える家の周辺で繰り広げられる無言のドタバタ劇・・・)
それでもオープニングとエンディングでバッハ「マタイ受難曲」よりアリアErbarme dich,mein Gott(憐れみたまえ、我が神よ)が流れるとき、その真摯な詩と真実と世界への思いを感じずにはいられない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方の三賢人」部分のクローズアップを背景にしたオープニングだけでいっぱいいっぱいになり観るのをやめてしまう時もある(笑)
最高傑作とはいえないかも知れないが、でもこの作品が一番好きかもしれない。
謎めいているがわかる。謎めいていても「理解」という方法とは別のチャネルで「わかる」、という態度は、神秘主義と呼ぶべきものなのか?私はやっぱり神秘主義者なのか?
でもカセットテープからあの法竹が鳴り響き家が燃え上がるとき、
そして、その家の中で電話が鳴るとき、
私の中でなにかが響き合うのを感じることは間違いない。
ラストシーンで意志を継ぐように枯れ木に水を遣る子供
また、この映画をささげられた監督の息子
彼らの世代が成人した現在、この映画の残した力のことを知っている人は
どのくらいいるだろうか。
世界はますます混迷と不調和を深めている。
そして希望を捨てない人々の努力の一方で
深い無力感を背負う人が増えているんじゃないだろうか。
ノスタルジア・ドットコム
公式研究機関?
佐藤公俊氏のホームページ
勉強不足でどのような方か存知あげないんですが、上記ドットコムから正式な立場で邦訳して掲載されているようです。
イメージフォーラム・タルコフスキー映画祭HP
基本的な情報はすべてここで済むすばらしいページ。武満徹氏のインタビューもある。
(追記2020:上記3サイトは現在存在しない又はhttps未対応のため、リンクを外しました)
で、全然関係ないけど、ジャック・タチとタルコフスキーは私にとっては
2大映画監督。共通点ってあるのかな?
その1:完全主義者
「主義」じゃないとおもうんだよね。こういう絵がとりたいんだからこうするしかないんだっていうことじゃないかな。結果的完全主義(笑)
その2:郵便配達の人が重要な役を果たす
「重要」の内容は全然違うけどね
その3:長回しで完璧なシーンをとる。
その4:音に非常に気を遣う。
その5:サクリファイスの衣装担当は、タチの「パラード」の衣装もやっている。
その6:もう亡くなっている(^^;)
なんか「あまり共通点はない」という結論のようだな。
あぁ長かった・・・
追記
「マタイ」の演奏はゲネンヴァイン指揮コンソルティウム・ムジクム、アルトはユリア・ハマリだそうです。演奏内容としては不思議なほどゆるめで、バイオリンのオブリガードなどは楽譜と微妙に違うんじゃない?というくらい緩い。(心地よくもあったりするが)
さらに追記
タルコフスキーの映画はやっぱり映画館でみないとダメかも。
家のTVだと暗いシーンの黒とか、静寂と音がまったくダメだ。
絵画の実物と印刷ほどの違いがあるかも。
でも、こういう作品をDVD化して残そう/広めようという意志のある出版社には
敬意を持っている。買って観る以外何もできないでいる私に比べなんという志の高さだ。