マルタMartha
1973/74/西ドイツ
監督:ライナーヴェルナー・ファスビンダー
脚本:ライナーヴェルナー・ファスビンダー
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:ペール・ラーベン
出演:マーギット・カーステンゼン、カール・ハインツ・ベーム他
『不安が不安』など、社会病理に焦点を当てて
当事者の行動や心象を生々しく描くタイプに属する、
ファスビンダーらしい映画だった。
映画の中では、旦那はサディストだ、という言葉で表現されていたが、
今の言葉ではきっとサイコパスとかいわれるようなものではないだろうか。
おそろしく自己中心的で、他人に対して(というか配偶者に対して)抑圧的であり
自分の価値観を押しつけ、行動を制限し、
時には暴力的な言動で威圧する。
それでいてそれが愛情から出たものだと口にし、
実際そう思っている。
そういう男と
そういう男に惹かれて嫁いじゃった女性の物語。
。。。重い^^;
このいやな男の言動が実にねちねちとリアルな迫力で描かれているので
非常に疲れるのだが、
ファスビンダーがわざわざ題材にするくらいだから
こういう男は一定数西ドイツの社会に存在していたのだろうと想像する。
今よりは男性優位の考え方が強かったであろう社会では、
こういう男性も局面によっては存在が許されもしたのだろう。
その歪んだ人間像をしっかり切り出してフィルムにしたこの映画は
ファスビンダーの面目躍如というところではないか。
同時に、こういう男に関わっていながら
なぜか自分を抑圧して男に従ってしまう女性のほうの心理もしっかりとらえているのもこの映画の面白いところか。
おそらくは、やはりある程度強圧的な父親と、
理不尽な非難を子供に向ける愛情薄い母親の存在。
そのもとで育てられ成人したマルタは本当の愛情を知らず、
ヘルムート(ヤバい男ね)の理不尽な抑圧も
これが愛情から発していて、少し変だけどもワタシが受け入れなくてはならないわ的に思い込もうとしてしまう。
そんな感じですかね。
マルタの周囲もろくな助言をしない。
というかマルタ自身が適切にSOSを出せないのだ
不安で抑圧されているが、なにが問題でどうしたいかが自分でもわからないから。
ここでは支配しようとする側の理論(というかやり方)とともに
支配される側の理論(というか心理)もまた
支配構造を形成する力に作用していることが明らかになる。
男と女の関係の映画であるけれども
支配/被支配の力学として考えると
応用範囲は広いだろう。
恐い恐い。
ああ恐い。
****
ヘルムートは森田健作に似ている(笑)
マルタの母親がまた強烈に濃い。この母に育てられたくない!!
唯一まともでちゃんとした現状分析のできる若者カイザーくんは唯一の希望の星なのだが・・・しかし・・・(略
@イメージフォーラム
【追記】
ファスビンダーの魅力を語り続けている渋谷氏が某所でつぶやいていたのだけれど、
奥さんが働いている場合に、旦那が勝手に退職願などを出してしまうというようなやりかたは
最近まであって法的にもマズいことではなかったというようなことでした。
この映画が撮られたころにはそういうこともしばしばあったということですね。
男女が対等に社会参加というのも
ほんとに最近までは実現していなかったわけだし、
婚外子の戸籍の問題とか
いまだにもやもやしているし、
地方によっては、あるいは人によってはいまだに男尊女卑的な考えを持っているし、
先日の世論調査だかなんだかで、若い人は「女性は家庭に」みたいな考え方が増えている
なんて話もあって、長年の女性の抑圧の歴史は
まだまだ亡霊のようにそこらにただよっている。
ということで、全然古びない映画なのだった。
1973/74/西ドイツ
監督:ライナーヴェルナー・ファスビンダー
脚本:ライナーヴェルナー・ファスビンダー
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:ペール・ラーベン
出演:マーギット・カーステンゼン、カール・ハインツ・ベーム他
『不安が不安』など、社会病理に焦点を当てて
当事者の行動や心象を生々しく描くタイプに属する、
ファスビンダーらしい映画だった。
映画の中では、旦那はサディストだ、という言葉で表現されていたが、
今の言葉ではきっとサイコパスとかいわれるようなものではないだろうか。
おそろしく自己中心的で、他人に対して(というか配偶者に対して)抑圧的であり
自分の価値観を押しつけ、行動を制限し、
時には暴力的な言動で威圧する。
それでいてそれが愛情から出たものだと口にし、
実際そう思っている。
そういう男と
そういう男に惹かれて嫁いじゃった女性の物語。
。。。重い^^;
このいやな男の言動が実にねちねちとリアルな迫力で描かれているので
非常に疲れるのだが、
ファスビンダーがわざわざ題材にするくらいだから
こういう男は一定数西ドイツの社会に存在していたのだろうと想像する。
今よりは男性優位の考え方が強かったであろう社会では、
こういう男性も局面によっては存在が許されもしたのだろう。
その歪んだ人間像をしっかり切り出してフィルムにしたこの映画は
ファスビンダーの面目躍如というところではないか。
同時に、こういう男に関わっていながら
なぜか自分を抑圧して男に従ってしまう女性のほうの心理もしっかりとらえているのもこの映画の面白いところか。
おそらくは、やはりある程度強圧的な父親と、
理不尽な非難を子供に向ける愛情薄い母親の存在。
そのもとで育てられ成人したマルタは本当の愛情を知らず、
ヘルムート(ヤバい男ね)の理不尽な抑圧も
これが愛情から発していて、少し変だけどもワタシが受け入れなくてはならないわ的に思い込もうとしてしまう。
そんな感じですかね。
マルタの周囲もろくな助言をしない。
というかマルタ自身が適切にSOSを出せないのだ
不安で抑圧されているが、なにが問題でどうしたいかが自分でもわからないから。
ここでは支配しようとする側の理論(というかやり方)とともに
支配される側の理論(というか心理)もまた
支配構造を形成する力に作用していることが明らかになる。
男と女の関係の映画であるけれども
支配/被支配の力学として考えると
応用範囲は広いだろう。
恐い恐い。
ああ恐い。
****
ヘルムートは森田健作に似ている(笑)
マルタの母親がまた強烈に濃い。この母に育てられたくない!!
唯一まともでちゃんとした現状分析のできる若者カイザーくんは唯一の希望の星なのだが・・・しかし・・・(略
@イメージフォーラム
【追記】
ファスビンダーの魅力を語り続けている渋谷氏が某所でつぶやいていたのだけれど、
奥さんが働いている場合に、旦那が勝手に退職願などを出してしまうというようなやりかたは
最近まであって法的にもマズいことではなかったというようなことでした。
この映画が撮られたころにはそういうこともしばしばあったということですね。
男女が対等に社会参加というのも
ほんとに最近までは実現していなかったわけだし、
婚外子の戸籍の問題とか
いまだにもやもやしているし、
地方によっては、あるいは人によってはいまだに男尊女卑的な考えを持っているし、
先日の世論調査だかなんだかで、若い人は「女性は家庭に」みたいな考え方が増えている
なんて話もあって、長年の女性の抑圧の歴史は
まだまだ亡霊のようにそこらにただよっている。
ということで、全然古びない映画なのだった。