新訳 ゲバラ日記 (中公文庫)チェ ゲバラ中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
チェ・ゲバラというふうにはあまり呼ばないそうです。単にチェと呼ぶ。日本ではチェ・ゲバラだよな。チェだけでは誰だかわからない。。チェ・ジウかもしれない。日本にチェさんはいっぱいいる。このあいだ上野で釜めし食べた時の店員さんもチェさんだった。
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1966年11月にボリビア入りし、67年10月8日にボリビア軍により捕縛され処刑されるまでの、チェの最後の日記である。日記は実際には捕縛される1日前10月7日で終わっており、最後の日の文面ももちろん自身の終焉をまったく予期していない、綿々と継続した山中ゲリラ行動の続きとしての淡々とした記録である。
当然のことながら出来事を俯瞰する視点で書かれてはおらず、山中の限られた情報しかない一面的な記録である。読む我々も、山中行をともにし、不確かな情報源をもとに知恵を絞り行動する彼らによりそうように生きることになる。
たとえば彼らにとって致命的な出来事のひとつである、連絡が取れなくなった別部隊(ホアキン隊)の全滅についてももちろん直接チェたちは知りえず、日々連絡の回復に努力し、ある日ラジオ放送で隊の全滅を報じる声を聴くも、これは軍による扇動報道なのかあるいは真実であるのか確信が持てないままである。万事がそのように不明瞭であり、そして緊張感がある。
その意味では、この日記は他の評伝本などと併せて読まないとまったくことの動きがわからないということになるだろう。できれば彼らがたどった道筋の描かれた地図もいっしょにあるといい。
とはいえ、こうして全体を読み通してみると、ゲリラ隊の陥った状態がどのようなものであったのか、大まかな情勢を日記から感じ取ることができるのが興味深い。
彼らはまず各地の革命支援勢力と連携を求めながらも果たしえなかったことがわかる。ボリビア共産党のモンヘとの決裂、都市協力者との見解の相違、形式的主導権を主張する勢力に対する辛辣な拒絶、外部連絡員の捕縛などなど。ああ、孤立しつつあるなあという実感がある。
それから、山地の農民たちの共感を思うように得られないこと。協力的な者もいるが、ゲリラを恐れ強力を渋る者、軍隊へ通報に走る者、と、その態度はまちまちである。協力者ものちに軍隊に処刑されたりと、どうやら政府が恐怖政治的圧力で農民を押さえつけていたらしいことも伺える。ゲリラを守り立てる気運はなく、現地農民から戦士として参加するものもほとんどない。
ゲリラ戦士の士気の底上げにも苦労している。ゲリラ未経験の者は規律から教え込まないとならないが、キューバで活動をともにした者でさえ時に問題行動をとる。脱落者や規律に反し処刑される者も多く、なかなか精鋭部隊として成長していかない。新参者もなかなか定着せず、十数名から最終的には数百人規模になったキューバでのゲリラ隊と比べると、質も規模もどちらかというと先細り感がある。
姿は見えないが徐々に拡大しつつある政府軍の影も感じられる。初めは小部隊との小競り合いで若干の武器などを収穫していたゲリラ隊だが、次第に大規模な軍隊の行軍を目撃するようになり、戦闘で同志を失ったりするようになる。時には的外れな空爆も、次第にゲリラ隊がどこに潜んでいるか把握しているような攻撃をかけてくる。
またチェは、ゲリラ行動に大きな障害となる、自身の喘息の病状についても忘れず書き込んでいる。症状は悪化し、そのうえ薬もない状況をどう打開するか考えている。
このように状況が浮かび上がってくるような記録は、チェの状況分析能力を物語るものと言っていいだろう。状況を判断するに必要な情報を選び記録する力に長けていたため、後日その日記を読むものにも情勢が感じ取れるのだろう。
おそらくはチェ自身もこの閉塞する情勢を理解していたに違いない。冷静に状況を分析し、自分のなすべきことを考え、時には明晰に、時には逡巡し、作戦を練り指令を発する様が記録されている。あの状況でまったく希望を失うことなく、事態打開に打ち込む姿は実に感動的である。
一方で、この状況から判断して、一次撤退・脱出という選択はありえなかったのかという思いも抱く。ホアキン隊と連絡が取れていればあるいはそうしたかもしれない。あるいは十数名から革命を成し遂げたキューバでの経験を胸に、あくまでも楽観的な判断であったのかもしれない。そこのところはもはや神のみぞ知る。
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チェが思い描いたようなラテンアメリカ(あるいは世界)労働者革命は、結局今なお達成されず、逆にその間ソ連主導の社会主義陣営は崩壊し、以前よりビジョンの見えない世界に突入しているのだろう。
革命のリアルなアイコンとしてのチェの時代から遠く隔たり、今ふたたびチェのブームが来ているように見えるのは、何を意味するだろうか。
一定のビジョンをもって改革を修めたケーススタディとしてのキューバ革命と、対照的に暗い失敗の事例としてのボリビア闘争。チェを一つの軸としてそうした俯瞰的な次元であの「事件」を取り上げる時代になったということだろうか。アイコンからファッションへと移行していたチェについて、ふたたび生きる歴史のなかに位置づけようという、「後世」の検証の時代になったということだろうか。
それは、積極的に歴史に学ぼうという動きなのか、ビジョンある時代へのノスタルジアなのか、今はよくわからない。
過去記事
「革命戦争回顧録」チェ・ゲバラ
「チェ・ゲバラ伝」三好 徹
「チェ28歳の革命」「チェ39歳別れの手紙」スティーヴン・ソダーバーグ
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