Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「The Next Day」デヴィッド・ボウイ!!!

2013-03-31 02:10:16 | music
ザ・ネクスト・デイ デラックス・エディション(完全生産限定盤)
クリエーター情報なし
SMJ


久々に聴いて一発で高揚する音楽体験をしちゃったので
興奮冷めやらぬままにここに書く!

まず今のうちに言っておくが、
是非↑この「完全生産限定盤」を買い求めることをおススメする。
ボーナストラックが4曲あるのだが、それがいずれも捨て曲無し。
4曲入っているのはどうやらこの日本盤のみらしいのだ。
いまのところ。


"Where Are We Now?"がネット上で話題になり
ボウイが復活したと盛り上がったのはつい最近。
ダウナーな渋い世界にしびれつつ、これはいい曲じゃないか!と期待が高まったわけだが、
もしかしたらこの枯れた世界からボウイは高みに登ってしまい
無意識へと訴えかけるような深遠な音楽をやることにしたのではないか?と思わなくもなかった。

が、アルバム「The Next Day」に針を落としてみると(いやいや、針なんか落としてないけどさ)
豈図らんや
実に骨太かつ尖ったロックのアルバムだった!
バックには気心知れた連中が集まり
プロデューサーはトニーヴィスコンティだし!

音がぐいぐいと加速してとんでいくのだ。
尖った音がぎゅいーんと加速してはびゅんびゅん飛んでいく
その上でボウイの声が、
昔とは声質は違うとはいえかっこよさはいささかも失われていない声が
うなりまくる。
コーラスも加わって。
か、
かっこいいのだーー!


と、冷静さを欠いた文章を書いてしまう。


1曲目のThe Next Dayで高らかに復活宣言をしたのち、
いきなり意表をつく2曲目Dirty Boysは、ボブディランかニックケイヴかという渋い歌詞とアレンジのヘヴィーバラッド。
3曲目、前へ前へと突っ走るドライヴナンバーThe Stars
打ち込みの音処理が派手な4曲目Love Is Lost
そして5曲目Where Are We Now?美しい、コード進行が渋すぎる
6曲目は往年のメジャーコードで高らかに歌うボウイ節Valentine's Day
7曲目If You Can See Me、これはプログレだろう。Yesが演奏していると言われても信じるかもしれん。まあベースの音が違うけどww
8曲目!これも往年の王道系。スケアリーモンスターのB面後半って感じ。I'd Rather Be High.
9曲目Boss of Meこれトニー・レヴィンでしょ!ってクレジット見なくてもわかるねwwwww(違ってたらごめんね)
10曲目Dancing Out In Space.ロックンロールだけど音が分厚い。ダンスナンバー。しかし歌詞は全然ダンサブルではないww
11曲目ちょっと昔のフリップ+イーノのころの曲を思わせるエンディングを持つこの曲は、初めはちょっと普通かなと思うケドヤーヤーヤーヤー~ってあたりからスゴく魅力的だ!How Does The Grass Grow?
12曲目(You Will)Set The World On Fire.パワフルなボーカルが聴けるぜ!ギターリフがカッコイイしサビが燃えるねーSet on fire!
13曲目ロッカバラード。歌詞がものすごいんだけど。
そしてアルバムの最後14曲目Heat.すっごい渋かっこいいっすっ!てかこれで終わりってかっこ良すぎるでしょう??

ぜいぜい・・

このあとボーナストラックが続くのだが・・
これは没曲なのか??


・・・てな具合に盛り上がりに盛り上がってヘビロテなのだ。


しかしこのジャケットはまたスゴいよね・・・ある意味・・・
やっぱりHeroesは彼にとって重要なアルバムなのだな??



Heroes
クリエーター情報なし
Virgin Records Us


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「アウトロー」クリストファー・マッカリー

2013-03-29 01:39:51 | cinema
アウトローJACK REACHER
2012アメリカ
監督:クリストファー・マッカリー
原作:リー・チャイルド
脚本:クリストファー・マッカリー
出演:トム・クルーズ、ロザムンド・パイク、リチャード・ジェンキンス、デヴィッド・オイェロウォ、ヴェルナー・ヘルツォーク 他

ちょっと前のことになるが観た。
なぜ観たのだろう・・・

冒頭のクレジットでヘルツォークの名前を見つけて、おや?となったが、
映画中での死相ともいうべきダウナー感あふれる腐敗顔にさらにやられた。
そういえばこんな顔をしていたよなヘルツォーク・・

ということで、トム・クルーズが意外に?等身大のスーパーマンという風情で、確かに常人離れしているけれど、どこか地道な訓練の賜物という謙虚さのある活躍ぶりのために、あまりアウトロー的なものが感じられなかったのに比べ、悪役ヘルツォークのほうは、これも意外に?地味な悪役で、残虐非道な黒幕という設定でありながらもそんなに残虐非道なシーンはなく、最後もあっさりしたもんで、これまた謙虚な悪役ぶりであったにもかかわらず、しかしこちらはあの淀んだ腐臭ただよう顔によって、なにか不吉で禍々しいものを観ちゃったという印象を妙に脳裏にこびりつかせることに成功しちゃっている。

と、感想を1文にしてみたのだが。

トムは健闘していてアクションも機敏だしかっこよいし、謎解きも筋としては面白いのでそれなりによいのだが、どこかこじんまりとした印象。
銃撃ありカーチェイスあり推理あり拳闘あり、と、お決まりのメニューを取り揃えて、あまり個性的なところがないからかもしれないが、道具立てが同じでもずっしり心に響く映画はあるわけで、そこにある違いはなんだろう。

と考えると、その答えのヒントがどうもヘルツォークの顔にあるような気がしてならないのだが(笑)

とにかくなにかを逸脱しているものがあるとするならば、彼の顔以外にはこの映画にはないのだ。

その顔は、悪役然とした顔というにはいささかかっこよさに欠けている。
大物の風情がいまひとつ足りない。
しかしすごく腐っている。
悪役以外にはありえなさそうな顔なのに、しかし悪役らしい骨のある悪さとはちょっと違う。

そういう変な据わりの悪さのある顔だ。
この顔の逸脱感が醸し出すドライブ感wにこそ、映画を面白くするなにかがあるように思う。


『アウトロー』というと、即座に思い出すのはイーストウッドの『アウトロー』なのだけど、
イーストウッドも相当に顔の強い人だし。
ああいう風情の人が本作の主役であったならば、それはかなりの逸脱感があるのではないだろうか。

つまりトムの顔がちょっと端正なんだよねって
そういう感想なのか(笑)


力尽きて来たので一旦ここで投稿。
ロバート・デュバルはいいねといいつつ。

アウトロー 上 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


アウトロー 下 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社




@シネパレス渋谷
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「ベルトルッチの分身」ベルナルド・ベルトルッチ

2013-03-25 02:46:41 | cinema
ベルトルッチの分身PARTNER.
1968イタリア
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
製作:ジョヴァンニ・ベルトルッチ
原作:ドストエフスキー
脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、ジャンニ・アミーコ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ピエール・クレマンティ、ティナ・オーモン、ステファニア・サンドレッリ他


ということで、幻の作品と言われたらしい『分身』を観る機会に恵まれた。

これを観る前に『革命前夜』をやはり初めて観ていて、その初期作品にただようベルトルッチらしさ、『暗殺のオペラ』『暗殺の森』のベルトルッチらしさがしっかりとただよっていることに感激したワタシの期待値は、いやがうえにも高まっていたのだが。。

まず初めに予告編がひととおり終わって、スクリーンサイズが普段あまりみないサイズにびよよよ~っと横に延び・・・
え?シネスコ?

とびっくりしたのだが、

さらに本編が始まり、ものの数分のあいだに、
空いた口が塞がらなくなった。。

なんなんだ、こんな作風、ベルトルッチにあったんだ!!


即座に思い浮かんだのはやはりゴダールのいくつかの作品で、
たとえば『中国女』のアホ臭い馬鹿騒ぎ(いやそんなでもないけど)とか、
あるいはあの『時計仕掛けのオレンジ』やら、
あるいは『何かいいことないか子猫チャン』みたいなブリティッシュコメディなんかも思い出したりするわけだけど、
この『分身』はゴダールやキューブリックほどに突き放した冷たさはなく
かといってピーター・オトゥールの持つ三枚目を演じながら根は洗練されてるねっていう雰囲気もなく、
なんというか、まるで垢抜けていないドタバタ感があって
そういう点がむしろ観客に嫌悪すら抱かせる本当の挑発性みたいなものをじっとりと含んでいる感じ。。

うええ、うぜえ!とシーンが移り変わる度に観客に思わせる一貫したウザ作りは実に見事なまでである。

近年ではすっかり稀になってしまったこの青臭さとウザさを讃えた映画は、
いったいベルトルッチにとってどういう思い出なのだろうか。。。


驚異的なウザさを、ほぼ一手に担ってあまりあるのが、主演のピエール・クレマンティ君なのだが、
この人、実に気色悪いw
顔からしゃべりかたから動きかたから話す内容からwもう徹底して気色悪い!
これはすごい。
どんなにすかした脚本であろうと、この人にかかるとホント虫酸の走る風刺劇みたいになるだろう。

こういう超絶個性的な人を撮るという姿勢は、映画にはとても大事なことだと思うのだ。
比較するのもどうかとは思うが、我が国のTVでやっているドラマなどは、どれも同じようなというか一定水準の美的規範をクリアした人と顔(と声と動きと言葉と)しか出てこないので、人の人臭さが感じられないよねー

ヨーロッパの映画を観ることが多いんだけど、結構個性的な顔がでてきて嬉しくなることが多い。
邦画はあんまり観ないんだけど、ちゃんと観ればそういう顔にも出会えるのかな。

ゴダールなんかはむしろトレンディドラマ寄りの人選でwそこがすこし物足りない気も時々するのだが(笑)


・・ということで、『分身』も人間の体臭やら口臭さえも感じさせるようなむちゃくちゃ生身の気色悪さを伝えた、正統ヨーロッパ映画のひとつなのだ。(ホントか?)

その人間くささというところでは、原作者であるドストエフスキーの小説からもそれがぷんぷん匂ってくるのは周知の通りで。
背景や人の種類は違うけど、ドストエフスキーらしさというのもちゃんと(別の形で)詰め込まれているようにも思う。

ドストエフスキーのセリフ回しに通じるところとしては、多分に演劇的な手法が取り入れてある点も重要なのかも。
舞台装置みたいな室内での独白なんかも(独白ではなく「分身」との会話なのだが)あって、
やたらとお芝居臭いのも面白い。
というか、映画的リアリズムなんか飛んでいけ~という、ちょっと若い野心が匂ってこれも面白い。

逆にこれを舞台でやっても全然違和感はない。
というか違和感だらけで気持ち悪いのかもしれないが?


ということで、こんな映画撮ってたんだ!という驚きとともに、
それが非常に気色悪いものだというところに
感銘を受けるワタシなのでした。

*****

『戦艦ポチョムキン』の引用などはわかりやすい。
電車で広い車窓から外が見えるところはムルナウ『サンライズ』だろう。
あとはよくわからないけど、いっぱい引用がありそうで
そこらへんも若いねー(笑)

音楽エンニオ・モリコーネということだが、
ピエール君の毒気に当てられて
全然音楽が印象に残らん(笑)

ピエール君、『暗殺の森』やパゾリーニ『豚小屋』などにも出ているそうなので、あのウザ顔を探しにDVD観てみたい。




@シアターイメージフォーラム
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「愛の嵐」リリアーナ・カヴァーニ

2013-03-21 01:20:15 | cinema
愛の嵐-無修正ノーカット完全版- [DVD]
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン


先日ふと映画の一シーン思いだして、
それは、フランス人女性が占領時にドイツに協力したということで
解放後に袋だたきにあって、髪の毛をバッサリ切られて坊主になるというシーンで。

映画のタイトルも全体もまるで思い出せないのだが、
ある人が「『愛の嵐』?」とささやいて、
違うと思うケド~といいつつ、その瞬間に激しく『愛の嵐』が観たくなってしまって。

で翌日に買いに走ったのである。DVDを。

(ちなみにばっさり坊主を思い出したのはもちろんあのAKBの件がきっかけである)


で、『愛の嵐』観ました。
25年ぶりくらいに。
こういう映画こそ自分の映画体験の核なのだなあとあらためて思う。
意識していなかったけれどもこの映画こそが、ワタシにとっての映画なのである。


****

原題はTHE NIGHT PORTER
ホテルのフロントをやっているおじさん。
夜勤あり。

ある日お客さんのなかに知った顔があり、固まる。
彼女は・・!

・・・・これ以上は言えん(笑)

フロントはドイツ人
彼女はユダヤ人
時は1950年代
いまはホテル勤めだが戦時中はナチスでぶいぶい言わせた彼。
そして彼女との関係は??

乞うご期待!

*****

どこに惹かれるかというと、やはり愛の前にはどんな策略や思惑も無力だという愛の勝利というところなのだが、
それは愛の成就で祝福されて終わるということではなくて、
逆に愛ゆえに生活が崩壊し破滅するという形での「勝利」。
愛情のもつ破滅への指向性をとらえたものは
映画だけでなくなんでも魅力的なのだ。

エロスとタナトスとか、そういうことなんだろうけど?
それを映画にするのは簡単ではないと思う。
生の喜びの中に死を
嘘のなかに真実を
忌避のなかに普遍を
見いだすような作業だと思うから。

多くの作家がそういう地点を形にしようともがいている
ポストモダンな世の中でもあまり変わっていないテーマのひとつなのだと思う。
で、この『愛の嵐』はそういうものを真正面から描いちゃった例として
あらためて記憶にとどめておくべき映画なのだな。

****

シャーロット・ランプリング
ああシャーロット♡
てくらい魅力的なのだが、昔観た時はほんとうに刺激的だったなーw
他の作品ではあまり印象に残ってないんだけど
最近になって『ゴッド・ディーバ』とか『メランコリア』で再会して
それは結構印象的だった。
歳取ってまた違う魅力があるな。

ハイライトはDVDパッケージの写真にもなっているシーンなんだけど
ここで歌をうたうんだけど、その歌がまた映画の持つ魅力を違う形で表現しちゃったようないい感じのもので、記憶に残るんだよね。
このうたは加藤登紀子が昔カバーしていた。
坂本龍一と組んでちょっと退廃的なヨーロピアンソングを歌ったアルバム。


音楽ネタとしてはもうひとつ、Nightporterという曲がJAPANにありまして。
これまた映画とは直接関係がないとはいえ?
ほとんどこの映画の世界に通じるものを持ったいい曲でありまして。
なつかしいな。


リリアーナ・カヴァーニはこのほかには
『ルー・サロメ/善悪の彼岸』を観たな。あまり覚えてないけどいい感じの映画だった。
ベルイマン役者の、そしてタルコフスキー『サクリファイス』のエルランド・ヨセフソンがニーチェ。
ドミニク・サンダがルー・サロメ。
他のも観てみたい。


****

ところで冒頭に書いた丸坊主の映画は結局思い出せないので
ひっかかり続けているのです。。



@自宅DVD鑑賞


JAPAN
Gentlemen Take Polaroids
クリエーター情報なし
Caroline


加藤登紀子
愛はすべてを赦す
クリエーター情報なし
ユニバーサルJ


mp3があるね。
私が何を望んでもいいとしたら ~映画“愛の嵐”より~
クリエーター情報なし
Universal Music LLC


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「革命前夜」ベルナルド・ベルトルッチ

2013-03-20 01:34:03 | cinema
革命前夜PRIMA DELLA RIVOLUZIONE
1964イタリア
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、ジャンニ・アミーコ
出演:フランチェスコ・バリッリ、アドリアーナ・アスティ、アレン・ミジェット


ベルトルッチの初期作品を劇場で観る機会があるとは。
「革命前夜」は、説明的な運びがなく、関連性があまりないシーンをつないでいき
全体としてふりかえるとあそこはああいうことだったんだな、と思わせる、
そういう作風という点で、ああ、これはベルトルッチだ、と冒頭から思わせるものだった。

最初からそういう資質を持っていたのは面白いのだが、
ベルトルッチについてはその映画以外にはほとんど資料などに当ったことがなく、
それがどこで培われたのかすぐにはわからないのが残念。

パゾリーニの助監督をやっていたということなのだが、
たしかに『アッカトーネ』や『マンマ・ローマ』に似た雰囲気はあるかもしれない。
話の運びはパゾリーニの方が激しさがあるし、題材がベルトルッチの方がより個人的な事柄にあるし、大部違うとは思うのだが、それでもどこか似たところがある。

パゾリーニの初期の監督作品はイタリアのネオレアリズモの香りを引き継いでいるように思える。
頽廃とは遠く、いやおうなく人々を取り巻いている世の中を即物的に見ている。
ベルトルッチのこの作品は、そういう即物性を持ちつつ、関心が人の心の作用へと動いたような印象がある。
ネオレアリズモが社会と人間をとらえる大きな画角を持っているとすると、
ベルトルッチはぐぐっと寄って心をアップにしたような世界である。

パゾリーニにもそういうところはあるけれど。
ベルトルッチらしさというのはそういう視野狭窄的な小世界における人間のリアリズムということなんじゃないだろうかと、直感的にだけど、なにやら納得してしまったというのが、『革命前夜』を観た感想。

そしてそれはおそらくはフランスのヌーヴェルバーグにも大きく影響を受けていることにあるだろう。そういうこともある。
ヌーヴェルバーグもまたイタリアのネオレアリズモに大きな影響を受けているわけだけど、
それが巡ってまたイタリアの後の映画作家のもとに届いて次の映画を準備することになるのは面白い。

特にベルトルッチのこの後の展開では、小世界的リアリズムの視点のままに画角だけを広げていくような感覚があり、
そこがベルトルッチの独自性なんじゃないかなどと思ったりもするのだが。

****

若い叔母さんとの危ない関係という題材は
これまたいかにもベルトルッチ臭のするもので、
後の『ルナ』を思い出したりもする。

危ない関係だからといって事件に発展するでもなく
淡々と少年(というか見た目立派な青年なんだけど)の逡巡する様をとらえるだけで
その心持ちというか愛の姿がまたいいんだけど
それは物語的によいというよりは
日常のつらなりからたまたま切りとってきたようなやりかたで提示されるやり取りや動きによって見せることで得る即物性、心情そのものがそこに浮かんでいるような、隔絶感を持った姿で現れるところがいいんだよね。愛が。

ここんとこはベルトルッチの後の作品でもあまり変わっていないよな気がするんだよね。
舞台がどんどん大きくなるんだけど、扱われるものはそういうもの。
『暗殺のオペラ』や『暗殺の森』を経て、『1900年』とかだんだん風呂敷は大きくなって、いよいよ清朝だの仏陀だのとなるんだけどもね。

ときどき思い出したように世界がきゅっと縮まるのも面白いかも
『ラストタンゴ・イン・パリ』とか『シャンドライの恋』とか。
『ドリーマーズ』もかな。

ということで、図らずもベルトルッチらしさというものをぼんやり実感することになったのでした。


『革命前夜』の中味については、何回か観ないと書けない感じ。
(そこもまたベルトルッチ臭い。)

***

アドリアーナ・アスティさんはなかなかの60年代的美人さんでありうれしい。
『アッカトーネ』にも出ていたのね。ブニュエル作品などにも。
彼女の本作でのもっさりした髪型が気になって仕方がなかった。
髪型というか髪のボリューム。

****





。。。というふうに、ああベルトルッチだな~とちょっと安心しうれしくもなり、満を持して次なる『分身』に臨んだわけですが、そこには。。。。

【続く】ww


@シアターイメージフォーラム
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「ファスビンダー、ファスビンダーを語る 第1巻」

2013-03-16 04:59:43 | cinema
「ファスビンダー、ファスビンダーを語る」第1巻読了。

ファスビンダーのインタビュー集全3巻のうちの第1巻。
ファスビンダーのインタビュー本はドイツでは2冊あり、その内のひとつの翻訳。

本書の特徴は「つくりこまない」こと。
起こし原稿があるものはそのまま全文掲載、それ以外のものも出来るかぎり完全なかたちで載せるという編集方針で、ファスビンダーの話し言葉を生々しく伝えようとするもの。

訳文もその方針を踏まえ、生々しくときに躓き拡散し逡巡する話し言葉でファスビンダーの言葉の性格を形作っている。
もちろんソースがテキストであるし、ワタシは独文に当っているわけでもないし、
ここで醸し出される語り手の像がどれほどファスビンダー本人に近いのかは計り知れないのだが、
この本を読むことで、これまで映画作品を通じてごく間接的に(あるいは直接というべきか)感じていた監督ファスビンダーの存在を、今後はより具体的なものとして感じることができそうである。



第1巻は主に60年代終わりから70年代初めの
アクション・テアーター、アンチテアーターでの演劇活動期についての話。

これらの演劇集団はどうやらなかなかに60年代臭いというか
60年代的コミューンのような性格をもっていたようで、
もちろん採算度外視(というか採算を考えられないだけというか)で
劇場に入り浸り住み込み飲み食いなどしながら短い期間で次々と上演していたような感じ。

そこにファスビンダーは新参者としてやってきて、
新しいものに拒絶反応するメンバーの反発を浴びたりする。
メンバー間の愛憎や劇団や演劇に対する思いもバラバラで大変そう。


ファスビンダーは中心人物であるペーア・ラーベンらとともに次第に脚本演出の中核となっていくのだが、ファスビンダー自身は一方で、集団が共同体として成立し共同制作的に創造性を発揮していくことに理想や強いあこがれを持っていたように見受けられるのが印象的。

実際にファスビンダーらが主導せずにメンバーが協議をしながら、あるいは脚本を書いて持ち寄っての制作も試みたりもしたようだが、現実としては、劇団のことを最優先に考えるメンバーだけではなかったり、自ら進んで役割を果たそうとしないメンバーがいたり、メンバーのほうでもファスビンダーらが方向性を示すことに慣れてそれに頼ってしまったりと、共同制作が成り立たない要素が山とあり。
あこがれとは裏腹に、共同体的集団での経験は、ファスビンダーが中心的な牽引役としての立ち位置と技術を必要悪的に身につけていく過程でもあったようである。

こういうアンビバレントなものを抱えながら制作をしていったということは、ファスビンダーの映画を観る上で、面白い事前知識のひとつだろうと思う。



アンチテアーターでの活動が全然順風満帆ではないがそれなりに評価されていくなかで、映画を撮りはじめるのだが。何がファスビンダーを映画に向かわせたのかは、このインタビューのなかではあまり明確にはわからない。
もともと映画好きだったようであるが、どういうことで演劇ではなく映画に向かうことになったのか。
演劇では限られた空間で限られた観客を相手にするしかないが、映画では多くの人にメッセ-ジを届けることができるというようなことは触れているのだが、まあそれだけではないだろう。

理由はともあれ、映画に向かったからこそ後世の我々はファスビンダーの作ったものに触れることができるわけで、演劇ではそうはいかず、その点ではよかったな。


最初の長編『愛は死より冷酷』がいきなりベルリン映画祭で上映されるのだが、結構評判が悪くw
しかしそこでの酷評、たとえば動きがなさすぎるとかそういうことを受けて
次回作『出稼ぎ野郎』では徹底的に動きをなくしてやろうと思ったとかいうようなことを言っていて、
そういううたれ強さというか評判を真に受けないふてぶてしさが面白い。

また低予算(というかほとんどお金がない)にもかかわらずどんどん新作を撮っていくスタイルは、映画人のあいだでも驚愕の出来事だったようであるが、ファスビンダーとしては金があろうとなかろうと撮る以外にはないんだというようなことを言っていて、これもあまりにもシンプルな行動原理である。
アンチテアーターでの評価や偶然ちょっとした資金提供者がいたりという幸運もあって、ようするに毎回きつきつながらなんとかなっちゃったということで、これもある面ではとてもあの時期らしい新しい映画のスタイルなのかもしれない。


初期作品のフィルモグラフィーなどが付されているが、映画に関してはやはり未見のものが多く、是非観てみたい。
『何故R氏は発作的に人を殺したか』などは、集団創作を実践してみて且つそれに幻滅もした作品であるようだし、唯一の西部劇『ホワイティ』とかも観たい。
共同体的創作についての現実や幻滅を扱った『聖なるパン助に注意』も、上述のような背景を知るとまた面白く観れるね。

*****


ペーア・ラーベンは音楽スタッフなのかと思っていたら、実は演劇時代の中心人物の一人であり俳優もしていたということは本書で知った。ファスビンダーの台頭で音楽家として歩き出しちゃったんだろう。後にラジー賞までもらうw

イングリット・カーフェンは、カーフェンではなくカヴェーンと本人も周辺も発音しているということで、本書ではカヴェーンとされている。これも本書にて知った。

訳者の明石氏とは、彼が昔々某レコードショップで店番をされていたところにワタシが行って、二言三言会話をしたことがあるという接点がある(笑)
もちろん先方はワタシのことなど覚えているはずはない。
どんなことを話したのかも忘れたし。。


第2巻以降の配本も楽しみである。



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「烈しく攻むる者はこれを奪う」フラナリー・オコナー

2013-03-11 03:12:07 | book
烈しく攻むる者はこれを奪う
クリエーター情報なし
文遊社


フラナリー・オコナーの長編再刊ということで読む。

装丁が羽良多平吉で目を引く。
羽良多平吉といえばWXYは結局どうなったんだっけ?


小説の方は面白いというか重苦しいというか、それはフラナリー・オコナーの(今まで読んだ中の)すべての作品に言えるしょうもない感想なのだけど。

キリスト教もアメリカ南部ではもはや辺境でのカスタマイズされた土着の信仰の様相を呈し、そのなかでさらに数奇な運命から隔離培養された少年が抱いた信念とは。
信仰と行いについて。考えることと行動することについて。作者は整理されない混沌の現実からなにかを掬い上げているのだがあまりにも形にならないのは、技量の未熟などではない。
むしろほとんど推し量ることすら出来ない絶妙な筆への抑圧と推進力のコンビネーションが、この不定型なものを読者と現実とのあいだに引きはがしようもなく浸透させることを可能にしているのだ。

その不明なものの作用、禍々しい手触り、匂い、予感のようなものが、おそらくはこの小説家が現代にもなお力を残している証なのだと思う。
フラナリーやたとえばフォークナーに端的に現れている、アメリカ文学の持つ独特の重苦しさはなんだろう。
あの能天気な国民性という俗なイメージの裏にあるもの。
たとえばマイケル・チミノが、デイヴィッド・リンチが受け継いだもの。
そこになにやらワタシはあらがいがたく惹かれてしまうのだ。

なぜ惹かれるのか、は、余生にゆっくり考えてみたいな。

****

エピソードひとつひとつが、危うい夢のようなのである。
老人の火葬の経緯とか、ヒッチハイクでの商人との会話とか、叔父のところに行ってから訪れる教会での出来事とか。
危うい夢のような出来事を通して、少年と叔父の両方の視点でそれぞれに起こる変化を、それぞれの持つ混乱と逡巡のままに描いている。
この視点の複数性も重要な点だ。

この少年と叔父の濁った心根は、彼の国の民なら内蔵にしみいるようにわかるのだろうか。
共感や嫌悪をもって受け止められるのだろうか。
キリスト教的辺境と言う点では同じような日本の人間がこれを読むことで、彼らの暗闇の正体がわかるだろうか。
なにか共通するもの。
共通する禍々しいものを
知ることができるだろうか。
我々の心のなかにあるアメリカとはなんなのか
アメリカはどのように我々の血肉になっているのか
など考えることも必要なんだろう。

特に自分のような世代なら。


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sonimariumアルバムいよいよ発売です。

2013-03-08 02:40:04 | sonimarium通信
sonimarium
クリエーター情報なし
インディーズ・メーカー



タワーレコードはこちら



sonimariumのアルバムですが、
いよいよ本日
2013.3.8発売です!!

すでに予約いただいた方には近日中にとどくことと思われます^^
ありがとうございます^^

ひきつづき
各種オンラインショップ
および
インディーズ取り扱い店
にて購入・取り寄せできます。

ご縁のあったみなさまに、一人でも多く聴いていただけたらとてもうれしいです。


内容ですが、
9曲入り1500円でございます。
1. the road
2. ふゆのまち
3. rainydays
4. 祈り
5. voice
6. 白い鳥になった
7. a day
8. 河のほとり
9. 夢のあとで


サンプル音源はこちらYouTubeにあります。
YouTubeには6曲上がっていますが、いずれもアルバムでは若干グレードアップしてます。
それとここには上がっていない曲も3曲あります。これがまたいいんです!
ぜひCDで聴いてもらいたい!

まず1曲↓






それと、最近思い立ったのですが、
アルバムによる収益は全額こちらに寄付しようと思います。
国連UNHCR協会
そういう主旨でも多くの方がアルバムを手にしていただけるとうれしいです。


とりあえずアマゾンにリンクはりました。
ぜひぜひ購入のポチっをお願いしますm(_ _)m


すた☆ばねこ拝
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