Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

沖縄記1998 1

2010-02-28 23:38:50 | 沖縄記1998
沖縄記1998その1

平成10年だったと思うんだけど、夏に2週間くらい、家族で沖縄に行ったのです。
なんとなくそのときのことを書いてみたくなりました。

子供はまだ小さく保育園児。5歳と2歳だったのかな。かわいい盛りです。
奥さんの母親を含め総勢5名の旅でした。
行ったのはなぜか石垣島、波照間島、小浜島。本島には行かなかった。街よりは自然を求めて。

****

行きは石垣島直行便で行きました。
ポケモンのラッピング飛行機だったので、ググってみたらANAだったんですね。ピカ夏家族旅行ってまだやってたんですね。宿泊先はポケモンルームじゃなかったのでそういうプランで行ったのではなかったようですが。

子供たちは生まれてはじめての飛行機でしたが、当然?覚えてないみたいです^^;

石垣島の空港では、タラップを地面まで降りるというスタイルで、ローカル色があっていいなあと。タラップ降りたところで飛行機入れて写真撮りましたね~。空港も小さくいい感じ。かんかん照りの暑い日。

石垣島では1泊だけしたはず。タクシーでちょっと島の真ん中の方にいったところにあるリゾートちっくなホテルに早めにチェックインした。部屋にベッドルームが二つあってグリーンを基調にしたきれいな部屋だった。お約束で子供たちは部屋の中をぐるぐる走り回って扉を開け閉めし大喜び。子供は見慣れない部屋とか好きですよね。なんでだろ?
その日はホテルのプールで遊んだな。下の子はちっちゃなボート型の浮き輪?に心細そうにちょこんと乗って。ちょっと寒かった。

次の日はタクシーをチャーターして半日くらい島めぐりをしたな。よく覚えてないけれど鍾乳洞には行ったな。http://www.ishigaki-cave.com/ 子供たちは「こわ~いこわ~い」とか言ってるだけだったかな。なだめたりしているうちに過ぎたって感じで(笑)。

それからパイナップル園でフルーツてんこ盛りを食べた。これはよく覚えている。マンゴーだのパパイヤだのパイナップルだのがつがつ食った。うまかった。
パイナップル園では、へ~パイナップルってこうやってなってるんだ~とね。

車の道すがらマングローブ群生地など見つつ、一日を過ごしたかな~?その年は珍しく台風が一度も上陸していなかったとのことで、街路樹の棕櫚の木?の葉がこんなに残ってるのは滅多に見られない、だいたい台風で丸坊主になっちゃうという話を運転手さんがしていたのが印象的。

あれ?石垣島にもう一泊したかもしれない。港の近くの普通のホテルに。
あ~したした!^^;
夕方にチェックインして、ワタシだけ沖縄にしかないファストフード店に行き、ルートビアを飲んだのだった。え~と?ああ、A&Wという店だそうです。

A&Wルートビアは、ティム・オブライエンの短編集「本当の戦争の話をしよう」に頻出する小道具であったので、密かに旅の目的にしていたんだった。そのあと皆でご飯を食べに出たような気もするが記憶なし。


続く~



【追記】

沖縄記1の追記

石垣島では川平湾にも行ったのを忘れていたね。
底がガラス?アクリル?張りになっていて海中を見れる船にのって湾内をぐる~っと。
水はそんなにきれいではなかったけど(いや、もちろん東京の海と比べたらアレですけど)、魚やウミヘビやら亀やらいっぱいいた。ゴミもけっこうあったけど。

湾内の景色と海の色がきれいだったね。浜で写真を撮ったけど、下の子がマイペースな雰囲気をよく醸し出していて後で笑った。(当時はもちろんフィルムカメラね)


本当の戦争の話をしよう (文春文庫)
ティム・オブライエン,村上 春樹,Tim O\'Brien
文藝春秋

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「サベイランス」ジェニファー・リンチ

2010-02-27 00:54:01 | cinema
サベイランスSURVEILLANCE
2008カナダ
監督:ジェニファー・リンチ
脚本:ジェニファー・リンチ、ケント・ハーパー
出演:ジュリア・オーモンド、ビル・プルマン、ライアン・シンプキンス 他

surveillance
━━ n. 監視, 監督.
under surveillance 監督されて.
sur・veil ━━ vt. 監視する.
sur・veil・lant ━━ n., a. 監督者(の)


『フローズン・リバー』を観たのだが、前述の通りその日は破壊的なものを求める精神状態だったので「どうも物足りん!」と思い、たまたま上映時間を見たら続けて『サベイランス』観れるじゃん、ということで、観てきました。

全体的に(特に野外シーンで)粒子の粗い映像で撮られた不安と暴力と背徳の手触りは、なかなかよい感触でありましたが、当時のワタシの精神状態的では、なおもこれについても「物足りん!」という感想となってしまいました。

不安・暴力・背徳を、そういう感覚的な体験として表現することと、「藪の中」的な主観的事実の交錯によって表現することが、この映画の主意だろうと思うのですが、感覚的な面では、リンチ(デイヴィッド)直系という色眼鏡を好意的に用いて観て、なかなかいい感じでありました。ほとんど説話的に機能しないけれどもにわかに映像を不安に陥れるドローン音や、まがまがしい瞬間の上に大きくすがすがしく広がる空と雲であるとか、接近するだけで嫌悪感を催すような白いワゴンとか、そういう感触が、実際に人里はなれたところを車で移動することの潜在的な危険という現実を踏まえたドラマ全体のリアリティと結びついて、背筋を凍らせるような瞬間をいくつか作り出していたように思います。

ただそれにしても、先ほどの色眼鏡を意地悪く使うとすると、デイヴィッドの手になる、理屈をはるかに越えた(無視した?)こちらの存在の湖を底から攪拌してしまうようなばかばかしいまでの薄気味悪さの映像に育てられた我々としては、ジェニファーの試みもまだ習作というふうに見えてしまうのも仕方ないことでしょうか。たぶん娘は父親と同じことをやるつもりは当然ながらさらさらなくて、あくまでリアルな(マテリアルワールド的な)ものに結びついた不安を描こうとしたのではないのかな。それはそれで大変よく理解できる指向性だ。(当然だ)

残念なのは、「藪の中」的な複数の現実があまりうまく立ち上がっていない点だろう。回想シーンがありのままの出来事を描くことに限定されているのだが、それに対する虚構的な出来事-登場人物それぞれに都合のよい証言-がうまく結実できていないために、出来事の行く先に意外性が感じられない。迷宮感がないのだ。
さらに、最後の種明かしが迷宮の果てに浮かび上がるという感じではなく、種明かしタ~イム、とばかりに披露されちゃうのもまた残念。そこらへんをうまく処理できるともっと人気が出る映画だと思うな。そうするとタイトルももっと体を表すものになっただろう。

*****

エージェント・サムを演じたビル・プルマンはワタシ的にはリンチ(父)『ロスト・ハイウェイ』の彼だが、ここでは同じくリンチ(父)『ブルー・ヴェルヴェット』におけるデニス・ホッパーをイメージしたような存在だ。ここでそういうつながりを感じさせてしまったのはちょっと残念な点だという気がしないでもない。ここはまったく違うキャラクターの方がよかったかも。

エージェント・エリザベスのジュリア・オーモンドは、とにかく鼻に縦皺がよるのが気になってしょうがなかった。

子役のライアン・シンプキンスは、いかにも皆に受けそうな愛想のよさはなく、とてもいい感じである。人格と顔がよく一致していた。

@シアターN



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『フローズン・リバー』コートニー・ハント

2010-02-25 00:07:20 | cinema
フローズン・リバーFROZEN RIVER
2008アメリカ
監督・脚本:コートニー・ハント
出演:メリッサ・レオ、ミスティ・アッパム 他


観にいった日はなんとも鬱屈した冬の空の寒い日で、気が滅入っていたワタシは、価値観がぶっ飛んでしまうような内部破壊的な映画を求めていたらしく、『フローズン・リバー』を観たあとも、なんじゃ普通だな、という感想しか持たなかったのだ。
でもしばらく落ち着いてから思い起こしてみると、なかなかよくできた映画であったのかもなという気がしないでもない。

ストーリーなどは公式サイト等で読むことができるので割愛。
この映画のよさは、ひとつは「ミニマムな」映画であるということにある。舞台はカナダと接する国境の町だが、登場する場所としては、主人公の家族が住む小さな家とその周辺、モホーク族ライラの住む居留地、国境の向こうのモーテルなど、その程度である。そして国境のあちらとこちらの間に広がる夜の「凍った川」。
これらミニマムな舞台の中に様々な問題系を仕込んでいる。限られた世界での様々に広がる視点。これが大きな魅力であって、その問題系のなんともダウナーなやりきれなさを視覚的に、いや五感で伝えてくるのが「凍った川」の寒そうな映像だ。

問題系の一つは、これがマイノリティのサスペンスドラマだということだろう。ヒロインの一人がネイティヴアメリカンということは、単にそういう人種を出したということだけでなく、彼らの自治の仕組みがからんで犯罪が成立していることを描くことで、問題をよりリアル=複雑なものにしている。
あるいは、主人公二人が家族が崩壊しつつある、貧困の問題をかかえた女性であることも、同じ問題系に属することだろう。公式サイトでの監督の言葉にあるように、シングルマザーが経済的問題を乗り切っていくことは立派なアドベンチャーだ。女性一人がかかえなければいけない困難もまたマイノリティのドラマなのだ。
不法に国境を越えようとする者も、越境を手引きする者もやはり周縁的な存在であることも。

もう一つは・・・子供かな。主人公二人が犯罪に手を染めるのは、金儲けとかではもちろんなく、子供を守るということが動機なのだ。アドベンチャーの大元にのっぴきならない純粋な気持ちがあることが、この映画の美しさとやりきれなさの両方を支えている。
二人があからさまではないけれど互いに心を通わせるきっかけとなるのが、密入国者の赤ちゃんの件であることは重要なことであると思う。

そういう問題系のはらむなんとも落ち込みがちな課題のトーンを、静かに確かに作品に定着させるのは、冬の郊外の風景と凍った川の暗さ。内容とそれを伝えようとする意識の様態に、見事に外面である映像が一致している。もちろん重い事柄を冷たく暗い映像で描けばいいってもんではないのだが。要は組合せが成功するかしないかだ。


@シネマライズ


映画『フローズン・リバー』




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「虐殺器官」伊藤 計劃

2010-02-18 00:28:13 | book
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤計劃
早川書房

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虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)
伊藤 計劃
早川書房

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早世した作家のSF戦争長編。
先に読んだ『ハーモニー』の前の世代の物語として読むことができるだろう。
しかし、こちらは緻密且つリアルに構築された戦争の細部をもち、その上に戦争とはなにか、なぜ人は戦争をするのか、戦争は未来に置いては(あるいは過去に置いては)どのようなものだったのか、という戦争論が広がっている。
そしてその戦争を軸に、人の良心とは、自由とは、罪とは、贖罪とは、生と死の境界は、世界を支える構造とは、現実とは、、etc.etc,様々に問題系が広がっていく。
この思想の広がりが優れているのだが、それらに明確な答えを出すものではない。結論のない問題系を、最後にすべて逆手に取って世界の構造を反転させてしまうラストは、それらの問いもまたそれが問題とする矛盾や罪悪に支えられたものでしかなかったかのように見せる。
最後に主人公の抱えた問題は彼以外のすべての人間の問題となり、事態は収束を拒むのだ。

そうした問題系の無慈悲な拡散という凄惨な物語を、ぐいぐい先へ進ませるのは、これまたリアルな細部を持つ戦争と戦争の道具の描写と、スピード感あるアクション描写だ。『ハーモニー』ではあまり感じられなかった筆力が、こちらではみなぎっている。
ヴィクトリア湖で養殖されたほ乳類の筋肉組織を使った侵入用ポッドなどのSF的ガジェットも合理的に良く考えられている。
あるいは痛覚マスキングと感情コントロールを施された兵士が戦うとどういうことになるのか、ハイテク戦士ゆえのあたらしい凄惨さを幻視してみせるところもすごい。

***

緒方貞子氏が国連難民高等弁務官のころに、紛争で国連職員が落命したときに、世界はそんなにいいところではないのだ、という旨のコメントをしたように記憶しているのだが(まちがっていたら申し訳ない)、この小説を読んでいる間そのことがずっと頭にあった。
そういう世界観(観というか現実)をこの小説は確かに共有していて、そのことがこの若い作家の出世作SFを世界/現実にしっかりつなぎ止めている。吹いて飛ばされる類いの机上の物語ではないと思う。



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オケ熱にわかに勃興でブログおろそかに

2010-02-14 22:35:52 | music
最近話題のTwitterにはまっていまして。
あまりブログを書いているヒマがないのですが、
それはTwitterのせいばかりではなく。

Twitter上に仮想行政区というか
粒谷区というのがありまして。
で、その流れで粒谷区立管弦楽団てのが立ち上がりマシて
いきおいで参加してみたんですが、
そこで今度リアル演奏会をやろうってことになり。

なので急に演奏会に向けて練習とかしないといけないのです。

予定ではいまのところ、ブラームスの1番とか
ワーグナーのマイスタージンガー前奏曲とかがあがっています。
どちらもテク的にはワタシの限界をやや越えなレベルなので、
はっきりいって猛練習をしてやっとなんとかついていく程度にしかならないでしょう。

みんなの足を引っ張りつつも楽しくやるためには
毎日練習をしよう。
と思いつつもまだ週末しか弾いてませんけれど。
少なくとも夜はCDで音像を体内に取り込んでいるのです。

あ、で、リアル演奏会は8月なんですけれど、
だんだん参加者があつまってきているようですが、
まだ微妙にバイオリンが足りません。
ここをみて興味がある方は
こちらをみてみてください。
ツイッターやってることが条件にはなりますが。
バイオリン弾ける方、一緒に弾きませんか?


*****

ブラ1はベームとノリントンのしか持っていないので、
ああ、正確にはフルトヴェングラーのアナログ盤は持っているけど、
他のひとの演奏はどんなもんじゃい?と
アバド指揮ベルリンフィル90年っていうCDを買ってみました。

90年代の録音を聴くことがあまりないんですけど、
すごく勇ましくて、高域が立っていて、残響が多い。
演奏は好みだけれど、録音はいまいちかもね。

あと始めてワーグナーのオペラ前奏曲集のCDも買っちゃった。
マイスタージンガーはずいぶん前にコントラバスで参加したことがあったので
曲はよく知ってるんだけど、バイオリンでは始めてだなあ。

ブラームス:交響曲第1番

ユニバーサル ミュージック クラシック

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ワルキューレの騎行~ワーグナー:管弦楽名曲集
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ユニバーサル ミュージック クラシック

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「ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実」ジェフ・エメリック、ハワード・マッセイ

2010-02-13 23:49:45 | music
ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実 <新装版>
ジェフ・エメリック,ハワード・マッセイ
白夜書房

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ビートルズの音楽活動、特に中期以降のレコーディングにおいて当事者・渦中の人でありながら、エンジニアでありあくまでEMI社員という立場からファブ・フォーからは微妙な距離を置かれ、冷静な観察者ともなった。そんな立ち位置にある有名レコーディングエンジニア、ジェフ・エメリックによる回想録。

とっても面白かった。数多い評伝の類はどれも見てきたようなことを書きつつ実際は微妙に事実や4人の思いとは違った「伝説」を量産してきたのだけれど、この本は「まさに見てきたこと」を書いている。4人に関することは自ずとほぼアビーロードのスタジオの中でのことに限られ、具体的なこまかいエピソードの披瀝など、当事者ならではの臨場感なのだ。

4人の姿は主にスタジオでの演奏・曲作り・録音における態度がどうだったかという話から浮かび上がってくるのだが、それが面白い。
デビュー前オーディションから初期は、牽引役ポールに叱咤激励されながらよりよい演奏のために協力する姿。リボルバーからsgt.でのほとんど特権的にスタジオを占有しながら昼夜別なく次から次へアイディアを実現するチームとしての彼ら。インド行きを挟んでホワイトアルバムレコーディング中のすっかりチームであることをやめ険悪になる彼ら。どんどんやさぐれていくジョンとジョージ。レボルーションNo.1のギターの音作りでジェフに罵声を浴びせるジョン。ポール独裁の泥沼のままトウィッケナムからアビーロードに移ってきたゲットバックセッションの一触即発の緊張感。当人たちだけが最後とわかっていたであろうアビーロードのためのレコーディングで、もはや互いに干渉や対立すらも避け静けささえ漂うセッション。
そういう移り変わりを、具体的なエピソードの回想で感じさせるところが、なんとも生々しい。

初期には食事は必ず4人でとり他のスタッフと食べるようなことはなかったという話とか、アビーロードのスタジオにファンが乱入してすごい騒ぎになったハナシとか、アビーロードセッションのときに交通事故上がりのジョンとヨーコがスタジオにベッドを持ち込んで寝起きしてエラク場を悪くしたことwとか。

あとは、イエローサブマリンのときに初めて試みた、テープをカットした断片を放り投げてからつなげ直す技しはじまる、特にサージェント~のころの録音テクのハナシとか。

ファンにはホントうれしい話が満載なんだよね~


そのかわりというか、4人のコンサートツアーのハナシなどはいっさい出てこない。ジェフは同行してないからね。ラバーソウルなど、ジェフが参加していないアルバムの話も残念ながら知ることはできない。
ま、その分、話の内容に信頼が置けるということかもしれない。



*****

ビートルズを熱心に聴いていた頃は、「そうか~ビートルズのデビューからもう15年経ってるんだ~」とか思っていたが、いまやいつのまにか50年近く前のことになっている。。。。。い、いつのまに。。。
ジョンが亡くなったときの年齢をいつのまにか自分は越しているし、もはや没後何十年て世界だ。

皆平等に時は流れて、いつかはいなくなっちゃう。
ビートルズを聴くと、今はこういう
あたりまえのことをはっきり感じちゃうようになったね。




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「だれのものでもないチェレ」ラースロー・ラノーディ

2010-02-11 23:57:07 | cinema
だれのものでもないチェレARVACSKA
1976ハンガリー
監督:ラースロー・ラノーディ
原作:ジグモンド・モーリツ
脚本:ユディト・エレク、ラースロー・ラノーディ
出演:ジュジャ・ツィノコッツィ、シャンドル・ホルヴァート、アンナ・ナジ、マリアン・モール

チェレ公式サイト


シネマ・アンジェリカでハンガリー映画をつづけて公開するらしく、
そのうちの1本を観賞。
70年代の東欧の映画なのだが、先入観に反して色も画面も美しく
あたたかな印象だった。

しかし内容はずっしりと重い。
重いのだけれど、ワタシが真っ先に覚えた印象は、
これはカルピス劇場だ~
ということでした。
カルピス劇場は正式には「カルピスまんが劇場」「カルピスこども劇場」というらしいが、「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」の世界。あれからうまく組み立てられたストーリー性をなくして、主人公の境遇だけにしぼったような、そんな映画でしたが、そういう感想も、自分がカルピス劇場な世代だからでしょうかねえ?

舞台は30年代のハンガリーということで、国には身寄りのない子供がうようよいて(うようよというのはわからんが)、そういう子供の引き取り手には補助金みたいのが出るとか。補助金目当てと安い労働力を求めて大人達は子供を貰い受けるんだけど、チェレもそういう子供のひとりだということが、だんだんわかってくる。
このだんだんわかってくるというところがいいですね。
チェレの生い立ちというか、なんで孤児になっちゃったかというのも全然説明がないし。

この説明のないのは、チェレ自身もよく知らないからなんじゃないかなあ?
冒頭から服も着ないで牛を追うチェレ。
そういう境遇、他の子供とはなにかと差別されるチェレはだんだん自分の境遇がわかってくるけれど、いったいなぜ自分はそういう存在なのかというところはきっと謎なんだと思う。

思えば子供にとって(というか大人にとってだって)自分がなんでいまのように存在しているのかはとても不思議なことだ。子供のころは、自分が自分であることを無条件に肯定してくれるものがあるとすると、それは親の愛情くらいだろう。
チェレもそのことを感じていて、自分の謎への回答が「おかあさんが迎えにくる」ということによっていつの日かもたらされるんだという夢想を抱えている。

それだって、自分を納得させるための方便に過ぎないこともまたチェレ自身知っているだろうことがまた悲しい。だからあのラストとなるのだが、それは絶望ではあるけれど、祝祭的なものでもあり、揺れる炎を執拗に撮る手つきには、絶望の向こうの希望をたぐり寄せる儀式めいたものがあるだろう。この映画にカタルシスがあるとすると、それはひとえにあの炎の映像のせいだと思う。

***

最初の家を逃げ出してから落ち着いた次の家には、つかのま心を通わせるおじいさんがいたが(すでに登場の時点で死亡フラグが立っていたけれども^^;)、彼の持ち物が焼かれるシーンがあり、これをみていたチェレが最後に仮想の母親との交感の際に火を使ったことと繋がっていると思う。その前振りがあるから、最後を唐突と思わないで観られるのだ。

絶望を炎によって希望へとつなげていこうとした映画作家は、タルコフスキーである。それを端的にメッセージとしたのは『ノスタルジア』と『サクリファイス』であるが、浄化の炎という系譜で映画を観てみると面白いような気がすごくするな。


2010.2.6sat シネマ・アンジェリカ



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カネフスキーDVDBOXが出てしまう!!

2010-02-08 02:13:37 | cinema
ヴィターリー・カネフスキー DVD-BOX

紀伊國屋書店

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まいった!
出るだろうとは思っていたが、本当に出てしまう。
ヴィターリ・カネフスキーのDVDBOX。

お金はあまりないのだが、きっと買ってしまうのだろう。
収録はどうやらあの3作らしい。
『動くな、死ね。甦れ!』『ひとりで生きる』『ぼくら20世紀の子供達』

4月発売だそうです。


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「ハーモニー」伊藤計劃

2010-02-03 22:49:17 | book
ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
伊藤 計劃
早川書房

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第30回日本SF大賞(日本SF作家クラブ主催)受賞作。故人の受賞は初めてとのこと。各所でそのテーマ、特に人間の意識の取り扱い方の深化が言及され、早世を惜しむ声が聞かれたので、それはもう多大な期待をして読んでみた。

感想としては、あつらえられたSF的モチーフはそれほど新しい/深いものとは思えなかった。

生体を最良の状態に維持するためのナノボット、それをソーシャルなネットワークに接続することで形成される緩くて確実な管理社会。それによってできあがる、善意に基づく相互監視的均質社会のユートピア/ディストピア性。それらはウェルズ~オーウェルからイーガンに至るSFにおける、科学技術と社会構造の相関についての考察・想像の口当たりよい集成といえるだろう。

意識の扱いについては、主体としての「わたし」の同一性を相対化し、脳科学的には報酬系の働きに押し突き上げられる様々な欲求同士がせめぎ合う会議のようなもので、目前のものに過剰に反応する価値判断の双曲線的特性を持つものとする。その帰結として意識や意志もまた報酬系を司る部位に化学的に働きかけることによってコントロールが可能な、相対的なものだという仮説に立つ。これにしても、近代以降の哲学、精神分析学、あるいは生化学やはたまた量子力学などでも語られていることの小説的応用であるだろう。(この辺はちゃんと調べてみたいと思っている)

小説の構成としても少し物足りないようにも思う。ミァハのグループがいかにしてどのようなロジックを得て、どのようにそれを持ち出し、どのように人々に仕組んだのか。そもそもその母体となったヌァザたちのグループはどこでどのような活動をしていたのか。ミァハはなぜその考えを変節していったのか。相手方の事情がほとんど描かれていないのが残念だし、相手方の手の内をSF的に大法螺吹いてでも描いてもらいたかった。
謎を追っていくと確信人物にたどり着き、たどり着いてみるとその人物がとうとうと種明かしを語ってくれる。そういうリニアな物語で終わってしまうのも残念なところだ。
加えて言うならワタシ的には、ミァハはナノボットで制御される意識のなかの像として共同体構成員の体内に存在していて欲しかったが、実のところは(以下略)(まあ、それにしてもさほど衝撃的な設定ではないにしろ)


それでもこの小説をつまらないと言い切ってしまう気になれないのは、その舞台となる世界のありようについての強いメッセージがあるからである。人間を共有のリソースとしてとらえ、その健康を損なう事柄をことごとく排除しようとする、「善き物」を極端に指向する社会=生命主義社会。そのなかで、個性を失い、自ら思考することを忘れ、自分のためでなく社会のために生きることにより個が希薄になっていく人間たちを描き、精神的アウトサイダーであるミァハや主人公トァンの目からそういう社会の閉塞感を訴える。善き物、健全なもの、正論に疑いを持たない社会へのほとんど憎悪に近い思いが、この小説からはぎらぎらと揺れ立っている。この嫌悪感にワタシは共鳴する。危機感に突き動かされるように書かれた小説ならば、ワタシは読んでよかったと思うのだ。



思うにこれは未来SF小説ではなく、今このときの、日本の社会のことを描いているのではないだろうか?街中が禁煙エリアと名づけられ、一定以上の体格の持ち主には特定保健指導が施され、遺伝的障害の子について出産前に知る方法が広まる社会。もしくは、「社会人としてあるまじき行為」の範囲とそれに対する嫌悪がどんどん広がっていく社会。道具立てがすこぶるローファイなだけで、実際生命主義社会は進行中の事柄なんじゃないだろうか。リアルタイムな恐ろしさを感じつつ読んだ。 

おわり。


こういう↑リアルな社会状況に結びつけるオチのつけ方は、大学入試の小論文(文系)くらいまではウケがいいんだよね(笑)


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「アデュー・フィリピーヌ」ジャック・ロジエ

2010-02-02 00:00:41 | cinema
アデュー・フィリピーヌ [DVD]

紀伊國屋書店

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アデュー・フィリピーヌADIEU PHILIPPINE
1960-62フランス/イタリア
監督:ジャック・ロジエ
脚本:ジャック・ロジエ、ミシェル・オグロール
出演:ジャン=クロード・エミニ、ステファニア・サバティーニ、イヴェリーヌ・セリー


冒頭いきなりカウントから入る映画。カウントに続きジャズの演奏。なんとも小気味よい。冒頭音でぐっと引きこむのは『オルエットの方へ』のタイプライター乱打音(台詞が聴こえないくらいだ!)にも通じるね。(あれ?『メーヌ・オセアン』の冒頭はどうだっけ?駅を走る彼女だったかな。)

TVスタジオで演奏を収録する喧騒。それにもまして騒々しいのは舞台裏でカメラに指示を出すディレクター?の大声。喧騒、喧騒。
仲間と車を共同購入したミシェル。家に友人と車で乗り付けるとちょうどお昼ご飯。食卓の両親・弟夫婦たちのしゃべることしゃべること。喧騒、喧騒。

喧騒からのがれるようにミシェルはTV局で引っ掛けた女の子二人と車に乗ってあてのないヴァカンスへ。最初のデートはグライダー場。セスナに引っ張られたグライダーが画面奥に向かって悠々と飛び立つ運動性。移動が始まるのだ。車で野を越え山を越え、海辺へ。
ミシェルは兵役前の身を考えて仕事をやめてコルシカ島へ。女の子たちも着いてゆく。テントに寝袋。ドライブにキャンプ。ドライブにキャンプ。
つかのまのモラトリアム気分のなかで、3人は3人ならではの微妙な力関係の揺らぎを、しっかりとじっくりとねっとりと味わいつつ繰り広げつつ、どこかあっけらかんと笑いころげる。ああ、この永遠のような自由の倦怠よ。
女の子たちはどちらが彼に愛されているか、どちらが彼を愛しているか、牽制し譲り合いし、キレながら笑いながらミシェルに迫る。じゅてーむ!じゅてーむしか言えないのか?!もっと大事なことだってあるんだぞ!どこかさめたミシェルの答え。これもまたゆったりよどんだコルシカの風の中で切なくも暖かい。

ああ、どうして、こんな他愛もない、何事も起きない人たちを淡々と写しているだけなのに、こんなに豊かな映画になっちゃうの?車やボートや最後の客船、それを追う別れのシーンで走る走る女の子、移動に移動を重ねるエキサイティングな道具立てをずらりと並べて、どうしてこんなに他愛ない映画を撮っちゃうの?他愛なさのくせに、他愛なさのゆえに?スクリーンの彼らは容易にこちらがわに転がり出てきて、蜂に追われて石でごろごろの海辺を逃げ回ったり、夜の波打ち際で心細いテントでまどろんだり、ぼんじゅーる・ふぃりぴーぬ!ごっこをしたりする。目の前にいる。この生き生きとした現前性。この映画は3Dだ。ロジエは最初から3D映画作家だったのだ。

*****

多彩なカメラワークと編集の妙技はここでも見られる。食卓での大騒ぎも巧妙な切り替えしを多用し皆が口々にしゃべる感じをコミカルに描いている。女の子二人が出演するらしいCF?のラッシュを見るシーンも大笑い。ラッシュ自体が絶妙な編集の産物だが(あの声の早回しかかぶさるタイミングが可笑しいこと)、それを見ている企業のおじさんの苦虫顔がまたいいタイミングではさまるんだよね~

こういうギャグは前半に多く、あの謎のTVディレクター(後半でもひとりギャグ映画しているが)が車内で演じる残念なオヤジっぷりとかは実に笑える。(ふぁっははははは~~~~~ははは~~~~はは~~~・・・・、泣きたい気分だよwwww)


もっともっとたくさん面白いところがある。
全部を話しつくしてしまうのはもったいない。
話すより、ぜひとももういちど観たいね!


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