Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「クローバーフィールド/HAKAISHA」マット・リーヴス

2017-03-26 02:56:39 | cinema
クローバーフィールド/HAKAISHA スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
クリエーター情報なし
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン


これは面白かった。
話題になってから9年くらい過ぎてますけど・・

POV手法なので現場なわけだけど、
現場はむしろ情報がない。
その情報途絶の必然性と、おもしろい怪獣ものとかホラーの一つの要素である
「正体不明」性をうまく結び付けている。

とかまあ今頃言うのもなんですが(笑)

かといって、本当に現場で巻き込まれた場合と違って、
だいぶ見せるべきものは見せるように仕込まれてもいるじゃないですか。
案外うっかり(というか逃げるのに必死で)撮り損ねたみたいなのがない。
見せるものと見せないものをかなり綿密に設計している。

そこが傑作になったポイント。

それができるということは、POVでなくても面白いものが撮れるわけですよね。
たぶん。

****

主人公は辛くも果敢に生き延び、愛が成就する
という風でないのが非常に現代風。
さすがにそんな都合の良い話は今時ないよねえと思いつつも
実は結構あるのかも。


そこらへんもバランスをしっかり塩梅していると思う。
主人公たちは、奇跡的に生き延びはするけれど、
やっぱり最後はなすすべものなく状況に飲まれる形で「整った」終わり方をしない。
パニックの現場にいたらそうなるだろうな
という納得とともに
なんというか人生ってそういうクソみたいに終わるもんだという
納得があるのが、好感の秘訣かもしれん。


猿の惑星も観てみようかしら。
「猿の惑星・新世紀」だったっけ?
「10 クローバーフィールド・レーン」もずいぶん変な映画のようだな・・・


コメント (2)
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「牯嶺街少年殺人事件」エドワード・ヤン

2017-03-18 11:36:09 | cinema
長年観たくてやっと観れた映画。
これについては蓮實重彦御大などの文章をよめばその上に重ねるべき言葉はない。。ので、
単なるメモ

現在公開中。
「なにをおいても駆けつけて観るべし」

***

繰り返し現れるモチーフに映画は宿る。
自転車の親子
懐中電灯(で照らす行為)
お茶のポット?(あれ欲しい)
プレスリー
服を気にする女児
バット
職員室での父親と教師のバトル
私を変えようと思っているのね。社会と同じように私は変わらない。
車列(戦車)

電灯の明滅(停電、ろうそく、室内灯)
ラジオ(故障している)
ラジオでの人名の朗読(尋問のシーンとも繋がる)
母の時計の騒動
バスケの授業
保健室

ノイズの乗せ方がものすごい
チミノ「天国の門」を想起。
外の街の音、犬の吠え声、往来する車、果ては存在するかどうか怪しい鉄道の音まで

建物の中を歩く人物を外から追う
小明の家、学校
タチ的
先日観た鈴木清順「けんかえれじい」のあの家の撮り方にもちょっと似ていたかも。

イニシエーション的に変化を試みる若者たち
とその父の世代
未来を信じるが、着地点は元のクソ社会で
何も変わらない。いやむしろどんどん悪くなっていく。

「襲撃」のあとの後半の演出が特に素晴らしい。
壁を写しながら外からの会話が聞こえるとか。
極端にあかりの少ない画面
(多分自然光)
人々がどんどん孤絶していく終末への力場が静謐に研ぎ澄まされていく感じ。
あれだけたくさん出ていた人物が
どんどん影を潜めていき、
最後は家族だけになる。
ここに何かの鍵がある。

映画撮影クルー
衣装の色で揉めるヒロイン
時代物の衣装と言われてスタッフが一瞬「めんどくせえ」という空気を放つところとか。
スポンサーが滅茶滅茶俗物で偉そうなところ。
ここだけ時代設定をはみ出して苦笑いする監督の顔が思い浮かぶ(勝手に)

音楽の使用のセンス
演奏シーンとレコード、ラジオ、テープレコーダーを操作するシーン以外に音楽は流れないと記憶しているが、どうか。
前述のノイズの横溢と合わせて当然の処置。
リュック・ベッソンはこれを観て勉強すべきだったw

台湾の当時の情勢を知ると理解が深まるのかもしれないが、その辺の説明的なことが一切ないので、むしろ全ての「クソ社会」に通じる普遍性を持つに至ったと思う。

父親が拘留尋問されるところの廊下に、朝運ばれた大量の氷。
廊下を引き返して来た時にはすでに日は暮れており、父親は途中にある部屋の中を覗いて眼を見張る。
氷の使い方に背筋が凍るのだが、そのくだりの間合いがほとんどホラー。


他に思いついたら追記する。


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「ファミリー: シャロン・テート殺人事件」エド・サンダース

2017-03-14 00:36:44 | book
文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


文庫 ファミリー下: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)
エド サンダース
草思社


チャールズ・マンソンの「ファミリー」の行状を、
入念な調査に基づき時系列で追った著作の文庫化。

なぜ今文庫化なのかわからないが、もしかすると
先日獄中のマンソンが病状悪化とのニュースが流れたので、それかしら。。

マンソンがまだヒッピー集団のボスになる前の、刑務所入りしていた頃から、
釈放後ヒッピームーブメントのど真ん中で徐々に形成されていく「ファミリー」、
そして無邪気な集団から次第に悪魔的暴力的な思想言動に染まっていく過程を、
ほとんど文学的な解釈抜きで、淡々と時系列で事実列挙していく。

事件や時代に関心のない人には読むのは苦行と思われるほどの
膨大な細部の集積は、
解放的な気運にはち切れんばかりの60年台後半のアメリカ西海岸の
とてつもなく深く救いのない暗黒面をくっきり描き出している。

悪魔崇拝、麻薬、LSD、暴力主義、窃盗、異常な性癖、異常な儀式、
そういう世界にどっぷりはまった人物が、次から次へ
とめどなく現れる。
マンソンだけが異常な犯罪者だったのではない。
マンソンも「彼らのうちのひとり」なのだと痛感せざるをえない。

読んでいて、そういうイカれた連中の話に付き合うのが
ほとほと嫌になる。
いやもう勘弁してくれとw
精神の崇高さを求めることの大切さをひしひしと感じたよ。

もっとも彼ら魑魅魍魎たちも崇高さを人一倍求めていたわけだけど。何が崇高かは人によって驚くほど違うけどな。。。

***

マンソンは基本無教養なのに、耳学問でハッタリかますのに都合のよい事柄をどんどん吸収して、自分の言葉とし、他人に対して飴と鞭を使い分けて人心を搦めとる。

絵に描いたような「カルト教祖力」を持っている。
彼に従う者たちは、どんどん自分で考える力を失い、肥大し錯乱した妄想による様々なルールに進んで参加する。
この心理ゲーム。日本でも例の事件がそっくり同じ道を辿って記憶に新しいわけだけど、なんというか、本当に人間て不完全で恐ろしい。
不完全で恐ろしい性を知ってなんとか自分はそこに陥らない生き方をしようと考える、その契機になるということでは、読んで寒々しい気分になる価値はあるかも。

でも、読む人によっては、これでマンソン英雄視みたいなことになるのかも知れない。
マンソンが、ビートルズの他愛のない戯れ歌に悪魔的な示唆を読み取ったように。

いやー恐ろしい。

***

しかしポランスキーって、なんというか間の悪いところに居合せる人生だよな。

彼はパリ生まれなんだけど、一家はあろうことかナチスがポーランドに侵攻する直前にポーランドに移住してる。

ハリウッドに鳴り物入りで招かれて「ローズマリーの赤ちゃん」ヒットでセレブの仲間入りをして、居を構えたのがこの事件の屋敷だし。

ロバートケネディ暗殺の直前にロバートと会食してたのがポランスキーだし。

そうやって暗いものを呼び込むような資質?が、また彼の映画の作風にあるどこか殺伐とした感触と妙に共鳴するよな。

殺伐とした環境なのに彼自身はなんだかんだ生き延びているところも実に味わい深いじゃないですか。。。

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「家族の肖像」ルキノ・ヴィスコンティ

2017-03-08 02:27:14 | cinema
「家族の肖像」39年ぶりの劇場公開観てきました@岩波ホール。

自分が観たのが39年前の岩波ホールだったかというと定かではないんですが、
どこかの名画座的なところで後年観たのではないかしら。

驚くほど内容をよく覚えていてびっくり。
自分のヨーロッパ映画体験の最初期になるので記憶してるのかしら。
サントラも一部は一緒に歌える。

イヴァ・ザニッキの歌う例の曲も、待ってましたヤンヤヤンヤな感じですw
これは後にミック・カーンが最初のソロアルバムでカヴァーしていたので、そのせいもありましょう。
Testarda io(A distância)(心遥かに)

♫ Iva Zanicchi ♪ Testarda Io (1974) ♫ Video & Audio Restaurati HD


Mick Karn - Sensitive



さて、映画のほうですが、
バート・ランカスターをはじめ、出演者が一人ひとり個性的で印象深い。

教授が、古い価値観にとらわれながらも、凝り固まることなく常に誠実に振る舞う結果、
新しい「家族」に心を開くのですが、そのことを手放しに讃えることなく、
コンラッド(ヘルムート・バーガー)は最後に皆にそれぞれの「罪」を負わせるような形で去る。

しかもそのうえ、ビアンカに、我々はいつかコンラッドのことを忘れる、とさえ言わせる。
この奥行きがたまらんですよ。

この過程を、完全に教授の住居内だけで描き出すのも見事。
ヴィスコンティが病身を押しての撮影ということもあるのかもしれませんが、
制約が見事によい方向に作用した好例。
若者たちが行く船旅とか、ミュンヘンへのドライブとかの情景が
観客の想像力を刺激してありありと浮かんでくる。


ノークレジットで出演のドミニク・サンダが、愛憎でほろ苦く彩られた過去を強烈に体現して、
場をかっさらうのもすごい。
一切説明がないのに、ドミニクは母親(の思い出)、クラウディア・カルディナーレは妻(の思い出)、と
はっきりわかる不思議。

もし映画の脚本を書くとしたら、
こういう脚本を書きたい。
映画はこうでないとね。

****


あと、予期せぬことでしたが、新編集プログラムの販売あり。
こうなるともう記念品ですな。
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