Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「時は乱れて」フィリップ・K・ディック

2014-05-30 23:24:47 | book
時は乱れて (ハヤカワ文庫SF)
フィリップ・K. ディック
早川書房


kindle版
時は乱れて
クリエーター情報なし
早川書房



解説によると本書はサンリオ文庫以来の30数年ぶりの改訳復刊ということです。
その間にハヤカワとか創元とて復刊なかったっけ?とちょっと意外な感じ。
ワタシも読んでから30年くらい経ったのかと感慨ひとしお。
再読して当然というか、内容はまるきり覚えてませんでしたー。

本書は大変ディックらしい主題、今ある現実は本当にリアルなのか、
何者かに与えられた虚構を生きているのではないかという問いを持つもので、
初期からディックはディックだよなー。

主人公とその地域に住む人々は50年代の平穏な時代を平穏に暮らしているのだが、
主人公レイグルと同居人ヴィックは、幻覚や錯覚を機会に、自分の住む世界は虚構なのではないかと疑い始める。
部屋にあるはずのない電灯のコードを探そうとしたというような些細なことから始まり、
鉱石ラジオで外界のものと思しき通信を傍受したり、廃墟でどこのものともわからない電話帳や雑誌を拾ったりして、
疑念をどんどん深めて行き、ついには外界への脱出を試みる。

ディックにしてはプロットのしっかりした堅い小説だ。



疑念が深まる一方で、こんな考えは自分のパラノイアの成せることではないかという逆の疑惑もまた深まって行き、
謎解きよりもその見当識のゆらぎが前景にくるのもディックらしい。

謎解きに繋がる手がかりを得る細部もとても豊かであり、ラザニアでお腹を壊す冒頭から、
マリリン・モンローを誰も知らないとか、ヴィックがスーパーマーケットで行う「心理テスト」や、
レイグルがある夫人の家でみた要塞の模型とか、バス乗り場で出会う兵士との顛末とか、
色々な技をみせていて面白い。

いよいよ疑念が確かなものになるあたりで、外界に出た彼らが陥る「異世界」での寄る辺なさの描写も面白い。
通貨が全然違うとか、出会う若者の言葉遣いがわけわからんとか。



いちばん面白かったのは、真相が明らかになったときに判明するのが、
レイグルは陥れられて虚構に封じ込まれたのではなかったということだろうか。
彼は重責に耐えかねて自ら退行したのだというところは、舞台(1997年)となった時代の
グローバルでストレスフルな社会を予見しているようで面白い。

この小説がSFらしくなるのは終盤だけで、ほとんどの部分は一般の小説のような佇まい。
これは解説にあるような50年代の終わり頃にアメリカでSF小説が市場的に低迷したことを反映しているのかもしれないし、
生涯純文学を志向したディックの創作態度によるのかもしれない。



サスペンス要素のあるまとまった読みやすい本です。
が、やっぱり中期以降のぶっ飛んだものが好きだなあ。

とはいえ、ラザニアでおなか壊してありもしない電灯のコードを探すのが、ディックの実体験によるものだとか、
後の幻視体験をベースに小説を書くディックの動機のあり方をすでに匂わせているのも興味深いのかもしれない。



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「コレラの時代の愛」ガブリエル・ガルシア=マルケス

2014-05-26 00:55:58 | book
コレラの時代の愛
ガブリエル・ガルシア=マルケス
新潮社



ガルシア=マルケス1985年発表の恋愛小説を読みました。

「百年の孤独」や「族長の秋」のようなコテコテの魔術的リアリズムは影を潜め、
一貫してリアリズムに貫かれた小説。

なれど、そこには訳者の解説にある通り、50年以上(51年9ヶ月と4日)の(精神的な)貞操を守り通す男の
深すぎる愛情という「奇想」が練りこまれている。

様々に女性遍歴を重ねながらも、世間的には女性の噂など一切立ち上らず、
自分の愛情が変化を遂げながらも継続していくのを受け止めながら、
一方で老いてゆく自分の変貌や残された時間の少なさに気づいたりしながら、
決して諦念や忘却に身を委ねることのない男の姿は、
「族長の秋」の独裁者や「迷宮の将軍」の死期をむかえたボリーバルとも通じる生の驚くべきしたたかさを伝えている。

文学作品や音楽からの印象に過ぎないが、こういう生の不可思議な非現実的なバイタリティが
南米のなかにはリアルに生きているのだろう。
そのことが、あのような強靭な、ローカルな個性をふんだんに持ちつつも
全世界、全人生を包み込んでしまうような文学や音楽を生み出すのだろう。



男の恋の相手である女性の方もまた男と同じ長さの生を生き、
同等のボリュームで人生の波風と心境の移ろいが書き込まれていて、
そのバランス感もとてもよい。
反目に満ちた長い結婚生活を送りながら、その終焉の時にそこにあった不動の愛情を悟る彼女もまた、
男と同じように様々な生きることの相を見届けた末の存在なのだ。

彼らが人生の終わりに再び距離を縮めていく終盤は、恋の成就という祝祭的な色彩はもはやなく、
長い年月の後に滅びようとしている大河を終わりなく行き来する船の上にしか居場所がないような
非現世的なあり方として描かれる。

そこはもはや幸福とか不幸とかいうような尺度のないこの世ならぬ空間である。
死に先んじて訪れた生の終わりに二人は別の道を辿ってたどり着いたのだろう。
この本の読後感はそのような無である。



厳しい社会で厳しい人生だろうけど(特にコロンビアなんかね)、
こうした文学が生まれ出るところで生きてみたいという気がたまにするね。

ガルシア-マルケス追悼読書でした。


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「白熱光」グレッグ・イーガン

2014-05-05 23:37:55 | book
白熱光 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
グレッグ・イーガン
早川書房


イーガンのSF長編翻訳最新作読みました~

超未来で超遠い世界のことなのでそういうスケール感もあるんだけれど、
本作が面白いのは、そこに埋め込まれたアイディアというか着想。
着想が人の斜め上をはるか飛んでいるので
第一級認定です。

もう何万年単位で未来の世界(「融合世界」と「孤高世界」)の話と、
時系列的にはよくわからない異星での文化の話の
二つの世界が並行して描かれるんだけど、
それぞれの世界で展開する出来事が実におもしろいんだよね。
どう面白いのかを書いちゃうと壮大なネタバレになってしまうのが残念。

融合世界のほうは、電脳界でのロジックとして存在を続ける人類(?)とか、
彼らが何千年もかけて宇宙を旅するとか、
極小アバターに自分をインストールして惑星に送り込むとか、
そういう、イーガンの小説(長編)ではもはや世界の基本環境となっている要素を駆使して
遠大な異文化探索が行われる。
アイディアが面白く、磨きがかかっているのと、
そのアイディアについての説明のなさ、もはや常識といわんばかりの突き放し方が、
小説のハードさを固めている。

が、一方の異星文明のほうは、
これまた着想が面白く(言えないんだけど^^;)
それはむしろ1から始まり100まで至るような丹念な説明の積み重ねになっているんだよね。
それは実にその着想からすると必要な説明であって、
説明自体が着想を実現していて、かつ
着想から必然的に導かれる文体でもあるんだよね。
そちらの世界では、その説明を自分のものとして理解できるかどうかという点で
とてもハード。

ワタシ的には圧倒的に後者の異星文化の開花の様子が面白かった。
それはある種の発見の積み重ねによる進歩の姿で、
新たな発見が(そして少々の挫折も)あるたびにどきどきしながら読んだ。

前者の世界は、超ハイテク文明における、異文化との出会い方、
異なるものが出会い共存することが自明のこととなった世界での
モラルのようなものが通低していて、
それが面白かった。
モラルの問題はイーガンの他の作品にも頻出するのだが、
それは知性がいきつくところに芽生える必然の問題であって
そういうところもある種のSF的問題系なんだよねイーガン世界では。


ということで、オススメ物件であります。

ハヤカワの新SFシリーズから出ていて、装丁もワタシ好みなのよ~

あと、訳者の山岸氏による秀逸な解説と、
山岸氏をサポートしている板倉氏が作っているホームページ(本作の解説/補足あり)が
とても面白いです。
巻末解説に紹介があります。

イーガンさんのホームページにもいろいろ補足等があるようですが
それは読み解く体力がありません~





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