Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「顔たち、ところどころ」アニエス・ヴァルダ+JR

2018-10-01 01:16:49 | cinema
アニエス・ヴァルダの映画は「アニエスの浜辺」と
「ベトナムから遠く離れて」の中のどれか(覚えてない)しか観ておらず、
「〜クレオ」も「ジャック・ドゥミ〜」すらも観ていないのですが、
「アニエスの浜辺」はとてもよかったので、今回も期待。



田舎を車で周って、人々の顔写真を撮り、大きく伸ばして建物に貼る。
極めて個人的なアプローチ。

何も変えないし何も良くなったりはしないかもしれない。
ごくごく個人的な領域に、わずかに触れるだけで、
掘り下げたりもすくい取ったりもしない。

ちょっとした出来事であって、それだけのことでも、
そこにはちょっとした記憶や思いがふと映し出される。

自分に向き合うとか
癒しとか
自分を変えるとか
自分に正直になるとか
生きやすい社会にするとか
地域を活性化するとか

芸術に関しては今は
そういう大きな話で興味や関心をひく事ばかりで
実際そういうことでしか人や金は動かないのかもしれないが、
アートは本当はこういう些細な個人的な波風の継続と蓄積なんであって、
そのことがわかっているのがアニエスの素晴らしいところなんだと思う。

一番勇気付けられるのは、人知れず自分のアートを追い求めている小さな人たちなのかも知れない。


あと、ドキュメンタリーという側面でも同様のことかも。
社会の問題とか矛盾とかを鋭く浮き彫りにし、考えるきっかけとする!
みたいなことになりがちで、
まあそのことは全然悪くはないんだが、
そうでないものだっていいんだよと。


****

出てくる人々がみんなひねくれてないというか、
アニエスたちの活動に出会うと心を開き、受け入れ、自分に何が起きるかを捉え、考える。
この自然なポジティヴさがヨーロッパの人という感じがした。
人としての強さみたいなもの。

実際は変な人もいっぱいいて、編集で落としているだけかも知れないが。



で、変な人というと、やはりゴダール(笑)
変だけど、完全に彼らしい役割を果たしているとも言える。
ここで彼が登場したら、私たちは心底驚きをもってこの映画を見ることになるだろう。。
で、ここで何かが終わるのを目撃することになるのかも知れない。

幸い?とりあえず終わりは来なかった。

アニエスはかつてゴダールのコミカルな動画を撮り
サングラスまで外させた驚異の実績があるので、
もしかしたら彼との会話を撮れるかもと本気で思ったのかも知れないが、
しかし、100%それが可能だとは、流石に思っていなかったんではないかしら。。。。


そういえばこのサングラスネタも、
絶妙に全体の構成と絡めてうまく散りばめられていて、
編集の妙も素敵。



あとゴダールということだと、
かつてアンナ・カリーナをルーブルで走らせたが、
それが後年ベルトルッチにエヴァを走らせ、
今回はJRとアニエスが走る。
この影響力?呪縛?に感心する。

この世代の映画の人は、やはりアレに大層感銘したんではないかしら。
で、年月が経って、もうアレをやってもいいんじゃないか、
素直にアレを称えよう、そうしよう
と思ったんではないかしら。
(妄想)
コメント
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