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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

かつては式内社名を称していたという『八日市熊野神社』(埼玉県神川町)

2021年01月05日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:熊野神社(くまのじんじゃ)
旧 称:今城青八坂稲実神社
通 称:八日市熊野神社
御祭神:・家都御子神(けつみこのかみ)
    ・御子速玉神(みこはやたまのかみ)
    ・熊野夫須美神(くまのむすみのかみ)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧指定村社
例 祭:10月19日 例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡神川町八日市527. (旧・神川町)

八日市に鎮座する「熊野神社」は、平安時代の延長5年(927年)に作成された『延喜式』
神名帳の『武蔵国賀美郡』に記載されている式内社「今城青八坂稲実神社」の論社です。
もとは村内の字今城に鎮座しており、後に現在地に遷座したと伝えられており、かつては
旧鎮座地の地名にちなみ、今城青八坂稲実神社を称していたといいます。




境内前の状況




『鳥居』




『社号標』 【指定村社 熊野神社】とあります
ここで言う「指定」とは「神饌幣帛料供進神社」に指定されている(いた)ことを指します
当熊野神社は明治45年(1912)に神饌幣帛料供進社に指定されました




『社務所』




『手水舎』




『社殿』




『八日市の獅子舞説明板』

    八日市の獅子舞
                        昭和62年3月10日 町指定民俗文化財
 八日市では、古くから「八の日」に物資の交換市が開かれていました。
 延宝二年(1674)四代将軍家綱の時代に、この交換市で争いがあって大火となった。八日市の獅子
舞は、この後で厄払いとして奉納したのが始まりと伝えられている。
 獅子舞は、4月15日と10月19日に神主宅や白山神社で舞い、その後熊野神社に奉納されるが、古く
は雨乞いの為に奉納されたこともある
 獅子は、法眼・女獅子・男獅子の三頭で、その外にカンカチ・笛方・歌方・万灯持ちの役割ある。
 また、曲目にはぼんでん掛かり・笹掛かり・橋架かりその外がある。
   昭和63年3月(令和2年10月改修)
                                   神川町教育委員会




『熊野神社御由緒』

  熊 野 神 社 御 由 緒
                          神川町八日市527
 御縁起(歴史)
 八日市の地名は、八のつく日に市が立ったことに由来するという。中世の鎌倉街道上道が南東の児
玉郡八幡山町(現児玉町)から八日市の地内を北西方向に抜ける。
 当社は八日市の村の鎮守として祀られており、主祭神は家都御子神・御子速玉神・熊野夫須美神の
いわゆる熊野三神である。『神明帳』には「延喜式当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実ノ神社ナ
リト云伝フ」との一文が見える。口碑によれば、当社は村内字今城から今の森下の地に遷座されたと
伝えられており、かつては、この社名を号していたことをうかがわせる。また、『児玉郡誌』によれ
ば、正徳三年(1713)に正一位の神階を授けられ、江戸時代に地頭から除地四反五畝歩を寄附された
という。
 本殿は堂々とした春日造りで、壁面には上州花輪村(群馬県勢多郡東村)の石原吟八・伊平次の二
名の彫物屋による精緻な彫刻が施されている。その棟札には「奉造営正一位熊野大権現御本社」「享
保第拾四己酉天(1729)九月吉祥日」「別当大覚院」などが記されている。
 明治初年の神仏分離を経て、明治五年(1872)に村社となった。
 別当の本山派修験大学院は天文二年(1533)に没した権大僧都明王法印を始祖とし、神仏分離によ
り復飾して真仁田姓を名乗って神職となり、現在に至っている。
 御祭神  (省略)
 御祭日  (省略)





『拝殿』




本殿覆殿主棟鬼飾り、拝殿降り棟鬼飾りには「五三の桐」紋




拝殿『扁額』 【正一位熊野大権現】と揮毫されています




拝殿内  奥に『本殿』が見えます




本殿覆殿はガラス張りになっていますから中を覗くことが可能です




『本殿』




境内社
  『八坂神社』           『山神社』・『諏訪神社』・『天神社』
  



『遥拝所』




境内南西隅にある『庚申塔』




境内の模様

参拝日:令和2年(2020)11月4日(水)