◇延喜式内社〔論社〕◇

社 号:天神社(てんじんじゃ)
通 称:五明丹生様
御祭神:・稚産霊神(わくむすびのかみ)
・豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社 神饌幣帛料供進神社
例 祭:10月19日 例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡上里町五明871
上里町五明に鎮座する「天神社」は、延喜式神名帳に載る『加美郡4座』の一つ「今城青
八坂稲見神社」の論社です。
ただし、児玉郡内には式内社の今城青八坂稲実神社に比定される論社が当社を含めて六社
あり、どの社が神名帳に載る「今城青八坂稲見神社」かは定かでありません。
由緒については現地の説明板の説明文を載せておきましたのでそちらを参考にして下さい。

『社号標』と『一の鳥居』
社号標には【指定村社天神社】とあります
「指定」とは【神饌幣帛料供進社】に指定されたという意味で社格と併せて「指定村社」
と標記しています 天神社は、大正8年(1919年)2月3日に指定を受けています

『二の鳥居』

『天神社説明板』

『二の鳥居』

『天神社御由緒』

『神橋』
石灯籠の先に少しだけ頭を出しているのが神橋 大半が埋もれてしまったようです

『境内社』(社名不明)と『手水舎』

『石碑群』 神仏ごちゃごちゃです 神仏習合の名残りでしょう

『神楽殿』
現在は中断しているとのことで手入れもされていないようです

『社殿』

『御神木』

拝殿の左側にある『遥拝所』 【賢所 皇霊 遥拝所】と刻まれています

『狛犬』

『拝殿』
ビニールが張られていて中を確認するのは難しい

本殿背後に鎮座する若宮『丹生社』 御祭神:「月読命」 明治42年(1909年)に合祀

「本殿(覆殿)」主棟鬼飾りには「左三つ巴」紋

「本殿(覆殿)」右側の石祠群
諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社等

社殿を裏側から

社 号:天神社(てんじんじゃ)
通 称:五明丹生様
御祭神:・稚産霊神(わくむすびのかみ)
・豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社 神饌幣帛料供進神社
例 祭:10月19日 例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡上里町五明871
上里町五明に鎮座する「天神社」は、延喜式神名帳に載る『加美郡4座』の一つ「今城青
八坂稲見神社」の論社です。
ただし、児玉郡内には式内社の今城青八坂稲実神社に比定される論社が当社を含めて六社
あり、どの社が神名帳に載る「今城青八坂稲見神社」かは定かでありません。
由緒については現地の説明板の説明文を載せておきましたのでそちらを参考にして下さい。

『社号標』と『一の鳥居』
社号標には【指定村社天神社】とあります
「指定」とは【神饌幣帛料供進社】に指定されたという意味で社格と併せて「指定村社」
と標記しています 天神社は、大正8年(1919年)2月3日に指定を受けています

『二の鳥居』

『天神社説明板』
天 神 社 所在地 児玉郡上里町五明871 天神社の祭神は稚産霊神、豊受気毘売神、大山祗命、日本武尊の四神である。 当社の創立年代は不明であるが、延喜五年(905)に藤原時平らが勅を受けて編修した延喜式神名 帳に載る加美郡(児玉郡)四社の一つ今城青八坂稲見神社であると伝えられているので、かなり古い 社であると思われる。なお、御神体である神代石(高さ60センチメートル、太さ約13.5センチメー トルの安山岩)には「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれている。 現在ある社殿は享保七年(1722)の再建で、天保年間(1830~44)に書かれた中岩満次郎道純の 祈願書が残されている。 明治十年に白山神社を、同四十二年に丹生神社を若宮より遷し合祀した。 また、境内社として諏訪神社、稲荷神社、八坂神社、市杵島神社が祀られている。 なお、当社には神楽だ伝承されていたが、現在は中断されている。 昭和60年3月 埼玉県 上里町 |

『二の鳥居』

『天神社御由緒』
天神社 御由緒 上里町五明871 □御縁起 (歴史) 五明は、利根川支流の神流川の右岸に位置する。地内には五明古墳群をはじめはじめ、奈良・平安 時代の集落跡が多数発見されており、奈良時代の布目瓦を有する廃寺跡も存在する。 『明細帳』に「創立不詳、本社ハ延喜式内当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実神社ナリト云伝 フ(以下略)」と載せられている。また、当社に伝わる文書から、天保三年(1832)に上州新田郡の 岩松満次郎が、同家の家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を今城青八坂稲実大明神(当社)に寄 附したことが知られる。今城青八坂稲実神社の社名は、稲霊を賛美した名称で、稲作信仰に基づくも のであるとされる。ただし、児玉郡内には式内社の今城青八坂稲実神社に比定される神社が当社を含 めて六社あり、定かでない。 『風土記稿』五明村の項には、「丹生社・天神社 以上ニ社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とあ る。丹生社は、用水を隔てて当社の東、現在の集会所の建つ場所に鎮座していた。『郡村誌』に「月 読命を祭る、万寿元甲子年(1024)九月藤原知近創建す」と記されるが、明らかではない。 また、別当の大福寺は真言宗の寺院で、同寺を開山した快尊は万治四年(1661)に没したと伝わる。 当社は、明治初年の神仏分離により大福寺の管理を離れ、明治五年に村社となった。 また、明治四十一年には丹生社を合祀した。 □ 御祭神 (省略) □ 御祭日 (省略) |

『神橋』
石灯籠の先に少しだけ頭を出しているのが神橋 大半が埋もれてしまったようです

『境内社』(社名不明)と『手水舎』

『石碑群』 神仏ごちゃごちゃです 神仏習合の名残りでしょう

『神楽殿』
現在は中断しているとのことで手入れもされていないようです

『社殿』

『御神木』

拝殿の左側にある『遥拝所』 【賢所 皇霊 遥拝所】と刻まれています

『狛犬』

『拝殿』
ビニールが張られていて中を確認するのは難しい

本殿背後に鎮座する若宮『丹生社』 御祭神:「月読命」 明治42年(1909年)に合祀

「本殿(覆殿)」主棟鬼飾りには「左三つ巴」紋

「本殿(覆殿)」右側の石祠群
諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社等

社殿を裏側から