四季・めぐりめぐりて

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八幡太郎義家公駒留の杉『三ヶ尻八幡神社』(埼玉県熊谷市)

2020年12月23日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:八幡神社(はちまんじんじゃ)
通 称:三ヶ尻八幡神社
御祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
創 建:天喜4年(1056)あるいは寿永2年(1183)
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社
例 祭:4月15日  例大祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県熊谷市三ケ尻2924

熊谷市三ケ尻に鎮座する三ケ尻八幡神社は、延長5年(927)に作成された『延喜式』神名帳の『武蔵国
幡羅郡4座』のうちの「田中神社」に比定されるの論社の一つです。
田中神社の論社はこの三ケ尻八幡神社の他に 田中神社(熊谷市三ケ尻)、知形神社(深谷市田中)の
二社があります。
三ケ尻八幡神社は、平安時代、源頼義・八幡太郎義家親子が天喜4年(1056年)の奥州征伐の際、この
地に本陣を設け、鎌倉の鶴岡八幡宮の遥拝所を建てて戦勝を祈願したことに始まるとも、鶴岡八幡宮の
社領となった寿永2年(1183)に創建したとも言われます。
このいずれもの創建の由来から考えれば、『延喜式』以後に創立された神社となり三ヶ尻八幡神社が式
内社とはなりえないということになるようです。ただし、これ以前から何らかの聖地、祭祀がなされた
場所であったとすればその可能性はありますが。そうした難しいことは抜きにして延喜式内社及びその
論社と言われる神社を順拝していますが、この三ヶ尻八幡神社の境内には「八幡太郎義家公駒留の杉」
と言われる御神木もあり、延喜式内社云々でなくとも参拝に値する神社です。





『社号標』 【八幡神社】とのみ刻まれています




『一の鳥居』
県道47号(深谷東松山線)に面しています 車道すれすれまで下がっての撮影




『狛犬』 1対目です




大きな石灯籠が両端に建つ参道




道路を横切ったところに『二の鳥居』があります




右側には横参道があります




二の鳥居脇の参拝者駐車場に設置の『熊谷市三ヶ尻八幡神社社叢ふるさとの森』説明板
だいぶ褪色していますので判読が厳しい状況にあります

   熊谷市三ヶ尻八幡神社社叢ふるさとの森
                             昭和59年3月30日指定
 身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えようとこの社叢が、
「ふるさとの森」に指定されました。
 この「ふるさとの森」八幡神社は、天喜4年(1056)、鎮守府将軍源頼義と、嫡男八幡太郎義家が、
前九年の役出陣にあたり、特にこの地に兵をとどめ、戦勝を祈ったところであります。
 ここは、平成12年に新装となった本殿・拝殿を中心として、多くの大樹が緑豊かな社叢を形成し、
中には、義家が愛馬をつないだといわれる杉の巨木も,神木として時を語っております。
 林相は、主に、スギ・ヒノキ・スダジイ・モミ・カシなどから構成されています。
     平成16年3月
                             埼玉県 熊谷市




二の鳥居は木製の「両部鳥居」




段差を設けることによって参道の勾配をいくらか和らげています




石段を上がると『三の鳥居』




『三の鳥居』




『手水舎』と『三の鳥居』




『手水舎』  最近改装したようです




『社務所』




『拝殿』 その1




『狛犬』  二対目です




『拝殿』 その2




『拝殿』 その3
賽銭箱には「左三つ巴」紋が施されています




『扁額』 【八幡神社】と揮毫されています




『拝殿内』 奥のガラス戸越しに本殿がうっすらと見えます




拝殿を左斜めから




『絵馬』 
「武蔵国𤭖尻郷 八幡神社」とありますが「𤭖」(みか)が「三ヶ」となったようです




透塀の左側奥に『八幡太郎義家公駒留の杉』があります




『八幡太郎義家公駒留の杉』
杉の根本に座する石祠は「諏訪社」と「稲荷社」




「八幡太郎義家公駒留の杉」があり、義家がこの地の杉に愛馬を繋ぎ、祈願したと伝わる

覆屋の柱に貼りつけられた木札には
「八幡太郎義家公駒留の杉  一〇五六年奥州騒乱(前九年の役』鎮定の砌 源義家公が
この杉に愛馬をつなぎ無事を祈願したといわれている」とあります




『本殿』




『本殿大棟』




本殿大棟鬼飾りには「左三つ巴」紋




透塀の隙間から拝殿の裏側を




やはり透塀の隙間から『本殿』を





本殿側から拝殿方向




本殿背後から




拝殿の右側にある境内社群




左:『浅間神社』  右:『琴平神社』




【末社合祀殿】 左から
 『林 稲荷神社・上野 愛宕神社・古家 天神社・4馬場 諏訪神社』
 『馬場 天手長男神社・森 坂下 林 久保 天手長男神社・八幡 雷電神社・上宿 八坂神社』
 『宮嶋 赤城神社・中宿 八坂神社・橋下 稲荷神社・城下 八坂神社』




『御嶽神社』
朽ちた鳥居の前にもう一つ鳥居があります 御嶽神社のものか境内社全体のものかは不明




拝殿手前にある『祓戸大神』
  



『遥拝所』




『再建之碑』
    再建之碑
 篆額 鶴岡八幡宮 宮司 吉田茂穂
 当社の創建は、第70代後冷泉天皇の御宇天喜4年、鎮守将軍源頼義・義家父子奥州出陣
の砌、
当地に旌旗を停め戦勝を祈願したことに溯る。寿永2年後の征夷大将軍源頼朝、当時の三
ヶ尻郷を相模国鶴岡八幡新宮若宮御領として寄進されてより、当社は同宮の分祀として
源家武士の崇敬篤く、更には三ヶ尻の里の総鎮守として庶民の尊崇を集めていたのであ
る。
  《以下長文に付き省略》
  平成13年12月吉日
                         八幡神社宮司 猿田宣久謹書




拝殿の左側には石碑が幾つも建立されています




社号標『三尻村 靖國社』
参拝者駐車場の奥には靖国社があります




『靖国社』

参拝日:令和2年(2020)10月21日(水) 

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