四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

水田の中に鎮座する『田中神社』(埼玉県熊谷市)

2020年12月24日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:田中神社(たなかじんじゃ)
旧 称:天神社・天神宮・田中天神社
御祭神:・武甕槌命(たけみかづちのみこと)
    ・少名彦名命(すくなひこなのみこと)
    ・天穂日命(あめのほひのみこと)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社
例 祭:1月25日  例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県熊谷市三ケ尻671

田中神社は、延長5年(927)に作成された『延喜式』神名帳の『武蔵国横幡羅郡4座』のうちの「田中
神社」の論社の一つです。
田中神社の論社はこの田中神社の他に、八幡神社(熊谷市三ケ尻)、知形神社(深谷市田中)の二社が
あります。
江戸時代は「天神社・天神宮・田中天神社」と称していましたが、明治末年三ヶ尻の八幡神社に一時合
祀、その後まもなく、現地に復帰再興したと言います。
今でこそ小さな社であすが、昔は大きな社で参道も800mほど離れた庚申塚付近まであったと言います。
当社は、国道140号彩甲斐街道と埼玉県道47号深谷東松山線の交差する「武体西交差点」の南西側近く
に鎮座しています。荒川の扇状地内で四方を水田に囲まれており、もとは「天神社」と呼んでいたが、
水田の中にあるのことから「田中天神」と称されるようになったと言います。
駐車場はありませんし、路上駐車できる環境卯ではありませんから、武体西交差点角にあるコンビニの
駐車場をお借りして参拝となりました。





参道入口  目の前は歩道付きの車道でひっきりなしに車が往来しています
『社号標』には【田中神社】と刻まれています




『一の鳥居』と『参道』




一の鳥居『扁額』 【延喜式内 田中神社】とあります




『参道』




『石灯籠』




『二の鳥居』




二の鳥居の手前左側にある地震封じの『要石』
境界石であり、幡羅郡、大里郡、榛沢郡の境界に建っているそうです
「要石」は、鹿嶋神宮、香取神宮が有名だそうで、埼玉県では、ここだけではないかと
思われるそうです。




『鳥居奉献記念』碑
      鳥居奉献記念
抑々武蔵国44座の1社とたたえ奉る延喜式内田中神社の御祭神は武槌命少名彦名命天穂
日命を奉祭し土人の古き伝説には田中天神と呼び菅原道真公併祀の鎮守にて家内安全交通
安全学問高揚の神として氏子の崇敬今に壮んなり
茲に御影石の大鳥居を御奉献そ大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る
右側に埋存せる天然石は常陸国鹿島の要石と同様の伝説を存す 又武蔵国幡羅大里榛名の
三郡の彊域を示す境界石として永遠に伝えん
              
天神とあるが菅原道真の天神ではなく、古代以来の天津神天神信仰である天神が正しいよ
うです。




『狛犬』




『拝殿』




向拝の「蟇股」、「木鼻」の彫刻




『扁額』 【田中神社】と揮毫されています




『拝殿内』 
本殿前の戸が閉まっていて中をうかがい知ることはできません




社殿の右側にある末社
しかし中はぐちゃぐちゃになっています




拝殿主棟鬼飾りには「右三つ巴」紋




『本殿(覆屋)』




社殿全体を




『御神木』




遠景と言う程ではありませんが・・・

参拝日:令和2年≪2020≫10月21日(火)

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